Jリーグカップ

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Jリーグ・ヤマザキナビスコカップ
Yamazaki-nabisco-Cup final 2004.jpg
開始年 1992
主催 日本プロサッカーリーグ
参加チーム数 18
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 鹿島アントラーズ(4回目)
最多優勝 鹿島アントラーズ(4回)
サイト 公式サイト
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Jリーグカップ(J. League Cup)は、日本プロサッカーリーグが主催するリーグカップである。第1回の1992年から菓子メーカーのヤマザキナビスコが冠スポンサーとなりJリーグ・ヤマザキナビスコカップと称する。略称・通称はナビスコカップ。カップウィナーに対してJリーグカップとヤマザキナビスコカップが授与される。J1年間優勝天皇杯と並び日本国内の3大タイトルとされる。

2007年から、優勝チームは翌夏に開催されるスルガ銀行チャンピオンシップに参加することになった。

目次

[編集] 歴史

1992年Jリーグのプレ開幕戦として第1回大会が開催された。大会前にメインスポンサーが突然降板し、開催できるかどうか分からなくなったが、ヤマザキナビスコの飯島茂彰社長の決断で同社がスポンサーにつき、大会が無事スタートした。

これ以前のJSL時代のリーグカップとしては、1・2部の全チーム出場のJSLカップと、1990年から2年間だけ行われた1部リーグのみによるコニカカップがあった。

Jリーグカップは冠スポンサーとしてヤマザキナビスコを頂き、JSLカップのリーグ戦開幕直前の前哨戦という位置付けであった性格からも大きく変容してリーグ戦と並ぶもう一つのタイトルというポジションの確立を目指した。1995年を除いてJリーグと並行して開催されている。

第1回の1992年は次年度からのリーグ戦開幕に先駆けた「プレ開幕戦」と位置づけて、リーグ戦参加「オリジナル10」のみにより1回総当りで争われた。[1]1993年、1994年、1997年、1998年シーズンは、全てのJリーグチームとJリーグに参加する意思を持つJリーグ準会員によってカップが争われた。1999年J2リーグが誕生すると、J1リーグとJ2リーグの全てのチームによってカップが争われることになった。同時に準決勝以下の試合をホーム・アンド・アウェーのノックアウト式トーナメントで実施するようになりこの形態は2001年シーズンまで続いた。この時期が欧州のリーグカップの形態に最も近づいた時期となった。2002年からはJ2リーグの試合数が増大したためJ1リーグの参加チームのみで争われることになった。この代わりにグループリーグを導入して試合数を確保するように努めた。

決勝戦は国立霞ヶ丘陸上競技場で行う1試合決着となっている(1994年ユニバー記念競技場で開催され、1997年はホーム・アンド・アウェー方式で2試合行われた)。

Jリーグ開幕期を除いて2001年までは、Jリーグチャンピオンシップ天皇杯決勝と比較すると地味なイメージが拭えず、決勝戦の動員は2~4万人台で推移していたが、2002年浦和レッズが初めて決勝戦に進出し、リーグトップの観客動員を誇る同チームの初タイトルがかかった試合ということでチケットが即日完売、スタンドは超満員の観客であふれかえることになった。以降浦和が3年連続で決勝戦に進出したことによって決勝戦チケットのプレミア化とリーグカップに対する注目度が上昇することが常態化した。2005年シーズンはジェフ千葉ガンバ大阪のマッチアップで浦和が決勝に進まなかったものの、ここでもチケットはほぼ完売し2002年以前の決勝戦とはサポーターの間での捉えられ方が異なることを印象付けた。最近では2006年から6年連続で決勝戦のチケットが完売している。2009年FC東京川崎フロンターレという首都圏を本拠地とするチーム同士の対戦ということもあってか、チケットが20分で完売したことをJリーグは公式サイトにて公表した。ただ2010年は決勝の観客動員は3万9,767人と4万人に届かなかった。

2010年5月、1992年に実施された第1回大会以来の通算入場者数が、1000万人に到達した。また、同年10月には、本大会の通算試合数が1,000試合に到達した。

[編集] 開催方式

大会の開催方式は必ずしも毎年一定ではなく、オリンピックやワールドカップといった国際的スケジュールに大きく左右される要素が多い。ただし、同時期に開催されるAFCチャンピオンズリーグへの日本からの出場チーム数が4チームに固定された2009年からは以下のようなレギュレーションが定着している。

グループリーグ(予選)
J1所属の18チームのうち、AFCチャンピオンズリーグに出場する4チームをシードとし、グループリーグ出場を免除する。
残りのJ1チームを7チームずつの2グループに分け、1回戦総当たりのリーグ戦を行う。
各グループの勝ち点の上位2チーム(勝ち点が同じ場合は「得失点差」「総得点数」「反則ポイント」「抽選」)が決勝トーナメント進出。
決勝トーナメント準々決勝・準決勝
グループリーグを勝ち抜いた4チームにシードの4チームを加えた8チームによるトーナメント。(シードチーム同士が準々決勝で顔を合わせることもある)
ホームアンドアウェイ方式で2試合行い、勝利数の多いチームが勝ちあがる。
1勝1敗または2分の場合は「得失点差」、「アウェーゴール」の順で決定し、なお同じ場合は15分ハーフの延長戦→PK戦で決着する。(延長戦ではアウェーゴールは適用しない)
決勝戦
11月3日文化の日)に国立霞ヶ丘競技場での一発勝負を行う。90分で同点の場合は15分ハーフの延長戦→PK戦で決着する。ただし、2011年大会の決勝戦は10月29日(土曜日)に行なわれた[2]

準決勝までの試合が行われるのはリーグ期間中の水曜日、もしくは国際Aマッチキリンチャレンジカップなど)の為にリーグ戦が行われない週の週末が多く、主力選手が日本代表に選出されているか否かで通常のリーグ戦との戦力に差が生じることがある。

[編集] 結果

年度 優勝 結果 準優勝 決勝戦会場
1 1992年 ヴェルディ川崎 1 - 0 清水エスパルス 国立霞ヶ丘競技場東京
2 1993年 ヴェルディ川崎 2 - 1 清水エスパルス
3 1994年 ヴェルディ川崎 2 - 0 ジュビロ磐田 ユニバー記念競技場神戸
1995年 開催せず
4 1996年 清水エスパルス 3 - 3 aet
(PK 5 - 4)
ヴェルディ川崎 国立霞ヶ丘競技場東京
5 1997年 鹿島アントラーズ 2 - 1
5 - 1
ジュビロ磐田 ジュビロ磐田スタジアム磐田
カシマサッカースタジアム鹿嶋
6 1998年 ジュビロ磐田 4 - 0 ジェフ市原 国立霞ヶ丘競技場東京
7 1999年 柏レイソル 2 - 2 aet
(PK 5 - 4)
鹿島アントラーズ
8 2000年 鹿島アントラーズ 2 - 0 川崎フロンターレ
9 2001年 横浜F・マリノス 0 - 0 aet
(PK 3 - 1)
ジュビロ磐田
10 2002年 鹿島アントラーズ 1 - 0 浦和レッズ
11 2003年 浦和レッズ 4 - 0 鹿島アントラーズ
12 2004年 FC東京 0 - 0 aet
(PK 4 - 2)
浦和レッズ
13 2005年 ジェフ千葉 0 - 0 aet
(PK 5 - 4)
ガンバ大阪
14 2006年 ジェフ千葉 2 - 0 鹿島アントラーズ
15 2007年 ガンバ大阪 1 - 0 川崎フロンターレ
16 2008年 大分トリニータ 2 - 0 清水エスパルス
17 2009年 FC東京 2 - 0 川崎フロンターレ
18 2010年 ジュビロ磐田 5 - 3 aet サンフレッチェ広島
19 2011年 鹿島アントラーズ 1 - 0 aet 浦和レッズ
20 2012年

[編集] 統計・記録

[編集] クラブ別成績

クラブ名 優勝 準優 優勝年度 準優勝年度
鹿島アントラーズ 4 3 1997,2000,2002,2011 1999,2003,2006
東京ヴェルディ 3 1 1992,1993,1994 1996
ジュビロ磐田 2 3 1998,2010 1994,1997,2001
ジェフ千葉 2 1 2005,2006 1998
FC東京 2 0 2004,2009
清水エスパルス 1 3 1996 1992,1993,2008
浦和レッズ 1 3 2003 2002,2004,2011
ガンバ大阪 1 1 2007 2005
柏レイソル 1 0 1999
横浜F・マリノス 1 0 2001
大分トリニータ 1 0 2008
川崎フロンターレ 0 3 2000,2007,2009
サンフレッチェ広島 0 1 2010

[編集] 個人記録

大会通算最多得点は、中山雅史(磐田)の26得点[3]。 大会最多出場は、山田暢久(浦和)の101試合[4]

[編集] トピックス

優勝したチームはその後低迷するというジンクスがあり[5]、1999年に優勝した柏レイソルは2005年と2009年に降格、2004年と2009年優勝のFC東京、2005年と2006年優勝の千葉、2008年優勝の大分はいずれもJ2降格となっている。2009年と2010年は前年度優勝チームがJ2に降格している。

[編集] 賞金・表彰

団体賞 優勝 賞金1億円、Jリーグカップ、ヤマザキナビスコカップ、優勝メダル
準優勝 賞金5000万円、Jリーグ盾、準優勝メダル
3位(2チーム) 両チームにそれぞれ賞金2000万円、Jリーグ盾
個人賞 最優秀選手賞 記念トロフィー、賞金100万円
ニューヒーロー賞 記念トロフィー、賞金50万円

[編集] 最優秀選手賞

決勝戦のみで選出される。受賞者には記念トロフィー(オーナメント)と賞金100万円が贈られる。

年度 選手 所属クラブ ポジション 国籍
1 1992年 三浦知良 ヴェルディ川崎 FW 日本の旗 日本
2 1993年 ビスマルク ヴェルディ川崎 MF ブラジルの旗 ブラジル
3 1994年 ビスマルク ヴェルディ川崎 MF ブラジルの旗 ブラジル
4 1996年 サントス 清水エスパルス MF ブラジルの旗 ブラジル
5 1997年 ジョルジーニョ 鹿島アントラーズ MF ブラジルの旗 ブラジル
6 1998年 川口信男 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
7 1999年 渡辺毅 柏レイソル DF 日本の旗 日本
8 2000年 中田浩二 鹿島アントラーズ MF 日本の旗 日本
9 2001年 榎本達也 横浜F・マリノス GK 日本の旗 日本
10 2002年 小笠原満男 鹿島アントラーズ MF 日本の旗 日本
11 2003年 田中達也 浦和レッズ FW 日本の旗 日本
12 2004年 土肥洋一 FC東京 GK 日本の旗 日本
13 2005年 立石智紀 ジェフ千葉 GK 日本の旗 日本
14 2006年 水野晃樹 ジェフ千葉 MF 日本の旗 日本
15 2007年 安田理大 ガンバ大阪 DF 日本の旗 日本
16 2008年 高松大樹 大分トリニータ FW 日本の旗 日本
17 2009年 米本拓司 FC東京 MF 日本の旗 日本
18 2010年 前田遼一 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
19 2011年 大迫勇也 鹿島アントラーズ FW 日本の旗 日本

[編集] ニューヒーロー賞

1996年に創設された準決勝までの試合で最も活躍した23歳以下の選手に贈られる賞。リーグカップの新人王と位置づけられ、この賞の受賞者は後にA代表に選ばれるなど、日本サッカー界にとって欠かすことのできない選手に成長することが多いことから、若手選手の登竜門と一般に捉えられている。

条件は大会開幕日に満年齢23歳以下で、過去の同賞を獲得したことのない選手。基本的にベスト4以上のチームから選ばれることが慣例となっている(2011年時点で唯一の例外は1996年受賞の名波浩)。マスコミによる投票集計を基に決勝戦前日の前夜祭で表彰される。受賞者には記念トロフィー(オーナメント)と賞金50万円が、副賞としてナビスコ製品1年分が贈呈される。

年度 選手 所属クラブ ポジション 国籍
4 1996年 名波浩 ジュビロ磐田 MF 日本の旗 日本
斉藤俊秀 清水エスパルス DF 日本の旗 日本
5 1997年 三浦淳宏 横浜フリューゲルス MF 日本の旗 日本
6 1998年 高原直泰 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
7 1999年 佐藤由紀彦 FC東京 MF 日本の旗 日本
8 2000年 鈴木隆行 鹿島アントラーズ FW 日本の旗 日本
9 2001年 曽ヶ端準 鹿島アントラーズ GK 日本の旗 日本
10 2002年 坪井慶介 浦和レッズ DF 日本の旗 日本
11 2003年 田中達也 浦和レッズ FW 日本の旗 日本
12 2004年 長谷部誠 浦和レッズ MF 日本の旗 日本
13 2005年 阿部勇樹 ジェフ千葉 MF 日本の旗 日本
14 2006年 谷口博之 川崎フロンターレ MF 日本の旗 日本
15 2007年 安田理大 ガンバ大阪 DF 日本の旗 日本
16 2008年 金崎夢生 大分トリニータ MF 日本の旗 日本
17 2009年 米本拓司 FC東京 MF 日本の旗 日本
18 2010年 高萩洋次郎 サンフレッチェ広島 MF 日本の旗 日本
19 2011年 原口元気 浦和レッズ FW 日本の旗 日本

[編集] 試合中継

[編集] テレビ

2001年まではWOWOWが優先放映権を持ち、ノックアウトトーナメントのほぼ全試合を中継した。また、これとは別に決勝戦のみ地上波(1998年まではテレビ東京系列、1999年-2001年はTBS系列)で放送された。

2002年にレギュレーションの大幅な変更と共にフジテレビジョンが優先放映権を獲得。以降は予選リーグの一部、準々決勝・準決勝のそれぞれ全試合を自局系の衛星放送であるフジテレビワンツーネクストで生中継(一部の試合はFNS系列局による地上波ローカル中継あり。ワンツーネクストでもその映像を使用する。かつては独立局での地上波中継もあった。)、決勝は2010年大会までは地上波およびBSフジフジテレビONE(2010年の決勝はフジテレビTWO)の3波同時で生中継(地上波はFNS系列全国ネット。2010年大会まではフジテレビの番組で唯一の地上波・BS・CSによる3波同時放送)という体勢が続いていたが、2011年大会は地上波のみ生中継を行い、BSフジとフジテレビONEは録画中継での放送に変更された。また、フジテレビONEでは地上波の決勝戦生中継開始前に「まもなくナビスコカップ」として試合開始前の様子を、決勝戦終了後に「まだまだナビスコカップ」と題してセレモニーの様子、試合を終えた選手たちの表情、インタビューなどが放送された。準々決勝以降(2011年は2回戦以降)のワンツーネクストで生中継しない試合はスカチャンで生中継された。

[編集] ラジオ

[編集] 関連項目

  • ティファニー - 優勝杯のデザイン制作を手掛けている
  • m-flo - メンバーのTakuによって作曲されたアンセムが2007年大会の決勝戦から使用されている[6]

[編集] 脚注

  1. ^ この年はリーグ戦が日本リーグからJリーグへの移行期間(経過処置)であり開催されなかったため、本来はリーグ戦の優勝チームに与えられる1993-94アジアクラブ選手権大会の出場権が与えられた
  2. ^ AFCチャンピオンズリーグ2011の決勝戦が11月5日に決定していたため。
  3. ^ ヤマザキナビスコカップ 通算得点ランキング”. 2010年12月13日閲覧。
  4. ^ ヤマザキナビスコカップ 出場試合数ランキング”. 2010年12月13日閲覧。
  5. ^ zakzak浦和レッズ“ジンクス”に戦々恐々…ナビスコ杯Vは降格への序章?”. 2011年10月17日閲覧。
  6. ^ ヤマザキナビスコカップ アンセム”. 2010年12月3日閲覧。

[編集] 外部リンク

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