竹島 (島根県)

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竹島
外交紛争のある島々
Dokdo Photo.jpg
左が女島、右が男島
地理
場所 日本海
座標 北緯37度14分30秒 東経131度52分00秒 / 北緯37.24167度 東経131.86667度 / 37.24167; 131.86667座標: 北緯37度14分30秒 東経131度52分00秒 / 北緯37.24167度 東経131.86667度 / 37.24167; 131.86667
島数 2島 37岩礁
主要な島 男島、女島
最高地 男島
実効支配
 韓国
慶尚北道
鬱陵郡
領有権主張
 日本
島根県
市町村 隠岐の島町
住民
人口 2 (2012年現在)
竹島の位置

竹島(たけしま)は、日本海の南西部に位置する島。主に2つの急峻な岩石でできた島からなる。日本、韓国北朝鮮[注釈 1]がそれぞれ領有権を主張している。「竹島」は日本における呼称で、韓国・北朝鮮では「独島(獨島、トクド、독도、Dokdo)」、第三国では中立的立場から「リアンクール岩礁 (Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。

本来は人の住める環境ではなく無人島であったが、1953年以降、韓国が武力行使によって占拠、韓国の武装警察官が多数常駐し実効支配を継続している。日本はこれに対し「不法占拠」として抗議を続けている[1]

目次

名称

日本名の「竹島」は、元々は現在の鬱陵島を指した名称であり、現在の竹島は本来は「松島」と呼ばれていた。「竹島」という名称は鬱陵島が竹の産地であったことに由来するが、「松島」という名称の由来は不明である。後に鬱陵島が「松島」と呼ばれるようになり、結果的に現在の竹島が「竹島」となった(この経緯については竹島外一島を参照)。「松島」という日本名は朝鮮半島でも古くから知られていたが、日本側は当時の朝鮮は「松島」を現在の竹島と特定できていないとしている。

韓国名の「独島」は、韓国側の説明では、「独」は「石」を意味する朝鮮語方言の当て字であり、この島が石でできた島であることに由来するとしている(石島 (韓国)を参照)。一方で日本側では、孤独な島であることから「独島」と呼ばれるようになったとする説、独島という呼称の由来は不明とする説もある。韓国では独島は古くは「于山島」、後に「石島」と呼ばれていたとしているが、日本側は于山島は当初は架空の島を、後に竹嶼を指したとし、石島は観音島を指すとしている。

第三国で用いられる「リアンクール岩礁」は、1849年に本島を発見したフランスの捕鯨船 Liancourt 号に由来する。かつて日本や韓国で用いられていた「リャンコ」、「ヤンコ」等の呼称もこれに由来する。

地理・自然

竹島は、北緯371430東経131度52分に位置する[注釈 2][2]

女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.21km²で、東京ドーム5つほどの島である。最頂部は男島が海抜168m、女島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、通常は人の住むことができる環境ではない。

なお、日本の国土地理院が2007年12月に発行した竹島の2万5千分の1の地形図では二つの島について「東島」と「西島」と表記しているが[3]隠岐の島町では資料の調査や聞き取り調査を行い二つの島について「女島(めしま)(東島(ひがししま))」と「男島(おしま)(西島(にししま))」とするとともに岩礁や湾などの名称を定めて2013年6月に国土地理院に申請した[3]

日本領・隠岐と竹島の距離は両島の一番近い所で約157km、韓国領・鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近い所で約87kmである[注釈 3]

地史・地質

竹島の地図

竹島は、現代からおよそ460万年前から250万年前(新生代第三紀の鮮新世)の海底火山活動により誕生した火山島であり[4]、水深約2,000mの海底から噴出した溶岩が硬化したことにより形成された[5]。朝鮮半島北部の白頭山から金剛山鬱陵島隠岐諸島へと連なる白頭火山帯の系列に属する[6]。竹島の火山活動は約250万年前に停止した[7]。当初は1つの島塊であったが、その後の風化と浸食により2つの小島とその周辺の数十の小岩礁の構成となった[8]

岩石と地質構造の分析結果によると、竹島は単一の火山爆発によって形成されたものではなく、200万年以上の長い期間の断続的爆発と噴火によって形成された[9]。竹島は粗面岩、粗面安山岩、玄武岩質角礫岩、凝灰岩など計8種類の岩石によって構成されている[9]。竹島の下部は主に玄武岩質の集塊岩であり、上部は粗面岩質の集塊岩と凝灰岩が相互層を形成している[9]。岩石の年代は、竹島下部を構成する玄武岩が約460万年前、女島にある火口跡を満たす粗面安山岩が約270万年前であり、島の北西部には約250万年前に貫入した粗面岩が分布している[9]。また火山堆積層が厚く積もった地点があり、断層が2箇所発見されている[9]

気候

暖流の影響を多く受ける典型的な海洋性気候[10]。平均降水量は年間1,240mm程度であり、冬場の降水量が多い[10]。年平均気温は約12°C[10]。1月の平均気温は1°C、8月の平均気温は23°Cであり、世界平均と比較して温暖である[10]。年平均風速は4.3m/s[10]。冬と春は北西風、夏と秋は南西風の傾向があり、季節に応じた風向きがはっきりしている[10]。霧が多く、晴れの日は年45日程度、曇りの日は年160日程度、雨や雪の日は年150日程度である[11][12]

鬱陵島と竹島(2003年~2007年平均、鬱陵島気象台観測)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 4.88
(40.78)
6.12
(43.02)
9.06
(48.31)
14.70
(58.46)
18.62
(65.52)
23.00
(73.4)
24.52
(76.14)
27.14
(80.85)
22.84
(73.11)
19.12
(66.42)
14.16
(57.49)
7.44
(45.39)
15.967
(60.741)
日平均気温 °C (°F) 1.82
(35.28)
2.94
(37.29)
5.20
(41.36)
10.62
(51.12)
14.88
(58.78)
19.36
(66.85)
21.60
(70.88)
23.88
(74.98)
19.82
(67.68)
15.66
(60.19)
10.82
(51.48)
4.52
(40.14)
12.593
(54.669)
平均最低気温 °C (°F) −0.40
(31.28)
0.44
(32.79)
2.30
(36.14)
7.30
(45.14)
11.68
(53.02)
16.64
(61.95)
19.44
(66.99)
21.58
(70.84)
17.62
(63.72)
13.24
(55.83)
8.38
(47.08)
2.26
(36.07)
10.04
(50.071)
降水量 mm (inch) 94.72
(3.7291)
66.00
(2.5984)
86.30
(3.3976)
136.54
(5.3756)
181.88
(7.1606)
148.82
(5.8591)
259.06
(10.1992)
200.14
(7.8795)
277.82
(10.9378)
100.06
(3.9394)
124.44
(4.8992)
155.34
(6.1157)
1,831.12
(72.0912)
出典: 大韓民国気象庁、2003年~2007年

生態系

竹島を主な生息地としていた絶滅したニホンアシカ

竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、魚介藻類が豊富な好漁場である。 竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ (Zalophus californianus japonicus) の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。ニホンアシカは日本周辺の海に多く生息していたが、漁獲や駆除、乱獲により各地で絶滅。20世紀初頭には生息地は竹島などの一部地域に狭まり、その後も竹島では乱獲が行われた。絶滅の主たる原因は以上のような乱獲によるものだが、その他気候変動環境汚染、韓国によって竹島が要塞化されたことや在日米軍の軍事演習実施などの軍事関係も絶滅要因の一つとして指摘されている[13]

この他、哺乳類ではシャチなどの鯨類も近海を通過する。[14]

領土問題

概要

山村才助『華夷一覧図』(1806年国立公文書館所蔵
図の「松シマ」が現在の竹島、「竹シマ」が現在の鬱陵島である。ここでは、鬱陵島の領有も主張されている。

第二次世界大戦後、日本の領域は、1952年発効のサンフランシスコ平和条約より定められたが、ここには大まかな島嶼の記載しかなく竹島の記載はなかった。(ただしラスク書簡に拠れば竹島の帰属は日本領とされている。)しかし、韓国の李承晩大統領は同島を韓国領であるとし、同条約発効直前にマッカーサー・ラインに倣った李承晩ラインを一方的に設定、竹島を韓国領に取り込んだ。(マッカーサーラインはサンフランシスコ条約発効と共に廃止されている)
その後、日韓基本条約と共に李承晩ラインは廃止されるが、現在に至るまで韓国は武力によって竹島の占拠を続けている。日本は毎年韓国に対して不法な支配であるとの口上書を提出し、また司法解決の提案をするも韓国はこれを拒否。この領有権問題は戦後から続く日韓の大きな外交問題となっている。
竹島(韓国名:独島)は日本・韓国北朝鮮[注釈 1]が共に領有権を主張しているが、韓国政府は日韓に領土問題は存在しないという立場をとっており、竹島(独島)が自国の最東端の領土であるとしている。

高柴栄三雄『大日本國郡輿地全圖』(1849年江戸東北大学狩野文庫所蔵
日本の主張の概略
  • 竹島は江戸時代には既に日本人に利用されており(当時の呼称は「松島」)、無主地の竹島は1905年明治38年)1月の閣議決定で島根県隠岐島司の所管となっている[15]。しかし、第二次世界大戦後の1952年に、韓国の李承晩大統領によって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言し、武力によりに日本から奪い取っている。李承晩の通告した李承晩ラインは、後の日韓基本条約によって廃止されたにも拘わらず、韓国はその後も不法に軍事占領を続けている。
韓国の主張の概略
  • 独島(竹島)は、古来より韓国の領土であり、古代には于山国として知られていた。1900年には石島として鬱陵郡の管轄となっている。1905年の日本の竹島編入は侵略戦争の始まりであり無効である。日本との間に領土問題は存在しない。従って、国際司法裁判所に付託する必要はない。
北朝鮮の立場
  • 北朝鮮による領有権の主張は、もっぱら韓国による竹島の実効支配を支持するという形で行われている。北朝鮮は竹島が軍事境界線以北に属するとは主張しておらず、黄海における北方限界線問題のような実効支配をめぐる南北間の対立は存在しない。

歴史的経緯

韓国による不法な一方的軍事占領

戦後、竹島を日本の施政権から外していたマッカーサー・ライン1952年4月のサンフランシスコ条約発効と共に廃止されるが、その直前の1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領 李承晩が、竹島は自国の支配下にあると宣言し、同時にマッカーサーラインの替わりとなる李承晩ライン設定する。日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求を認めない」と述べた。この時点では韓国が本当に領土権を主張しているのかどうか不確実であったが、2月12日韓国は反論を提示し、以降、両国間で文書を交換するようになった。李承晩ラインは韓国が一方的に宣言したものであり、日本政府もアメリカもこれを国際法上不当なものと抗議した。1952年7月26日、日米安保条約を結んでいるアメリカ政府と日本政府は竹島をアメリカ軍の訓練地として日本国が提供することを約する協定を締結したが[16]、翌1953年1月12日、韓国は「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、同2月4日には第一大邦丸事件が発生、船長が韓国軍から銃撃を受け死亡した。同4月20日には韓国の独島義勇守備隊が竹島に駐屯して以降韓国警察の警備隊が占拠を続けている。日本政府は当初より韓国側の不法占拠であるとの声明を出して抗議し続けているが[17]、現在もこの領土問題は解決に至っていない。

日韓両国往復外交文書(1958.1.28-1976,12.12)

竹島の漁業経済価値と排他的経済水域問題

日韓漁業協定による暫定水域

竹島は険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な排他的経済水域 (EEZ) の漁業権海底資源の権利が存在する。現在この島のEEZ内で石油などの海底資源は特に見つかっておらず、現在最も問題になっているのは漁業権である。竹島と周辺海域の経済価値は、1952年の日本の水産庁によれば130億円(李ライン内)、1974年の島根県漁連の算出では年間漁獲高は76億円[18]、2010年の韓国の算出では年間11兆5,842億ウォン(約8600億)である[19]

当時の国際海洋法から見た韓国の不当性

1952年の李承晩ラインの狙いは漁場としての利益であったともされ、韓国による近海漁業の独占が目的であったとされる[20]。韓国は李ラインを設定し竹島海域の漁業管轄権を主張していたが、これは当時の海洋法からみても違法であった[21]。 「水域は他国と合意された規程により統制管理される」とした1945年のトルーマン宣言以降、アルゼンチンペルーなど南米諸国も自国民による排他的な漁業独占権を一方的に設定し、国際問題になっていた。イギリスは3海里を越える水域の排他的管轄権を認めないと1948年にチリ、ペルーに抗議し、フランスも1951年にメキシコ、ペルーに対して「一方的宣言により公海で主権を拡張し、他の国々の権利をおかしてはならない」とし[22]、また1952年には英米共同でチリ、エクアドル、ペルーの共同宣言に抗議した。しかしそのような抗議にも関わらず1954年にペルーはパナマ船籍船を拿捕し、エクアドルは1955年にアメリカ漁船に発砲・拿捕するような情況であった[注釈 5]

1951年の国際法委員会草案では「いかなる場合にも、いかなる水域も漁業を行おうとする他国民を排除してはならない」と排他的独占権は認めておらず、また「管轄権は関税徴収や衛生目的のものであり、沿岸国が漁業を独占するための管轄権は認められない」とも記されていた[21]。のちの日韓会談において漁業管轄権を国際海洋法の観点から否定する日本に対して韓国側は反論できなかった[21]

韓国軍による日本人漁民殺害や日本漁船拿捕

1952年1月18日に韓国の李承晩大統領によって海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)がひかれ、竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言した。1952年のこの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに、韓国軍はライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷(うち5人が死亡)させ、3,929人を抑留した[15]。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。


1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。また日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。

同年4月20日には韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯。6月24日、日本の水産高校の船舶が独島義勇軍守備隊に拿捕される[23]。6月27日に日本の海上保安庁と島根県が竹島調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建て、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。すると、7月12日に竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」(PS-9[23]) に90mの距離から機関銃弾200発を撃ち込む事件が起きる[23]

以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。

なお当時韓国には拿捕の法的根拠である漁業資源保護法は施行されておらず、日本漁船拿捕は国際法また韓国国内法においても非合法的な行為であった[24]。この韓国の行為に対して日本の水産庁は「他国の類似事例とは比較にならないほど苛烈」と評した[25]

また、韓国李承晩体制下に行われた、かかる行為を1960年駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世は、国務省への機密電文[26]の中で「国際的な品行や道徳等の基本原理を無視した実力行使の海賊行為」と表現し、「日本人は李承晩の占領主義的手法で苦しんでいる」と訴えている[27]

竹島の標識

1952年6月に日本人9人が水産試験船で竹島に上陸し、『島根縣隠地郡五箇所村竹島』と書いた標識を建てた。

1953年10月15日、大韓民国山嶽グループの代表格である韓国山嶽会有志らが写真家を伴って山嶽会員達は、ソ・ドクギュ大尉が指揮する海軍905艇で竹島に渡った。上陸した山嶽会調査隊の構成メンバーは、測地班、記録班、報道班など。彼等は、日本が建てた『島根縣隠地郡五箇所村竹島』の標識を引き抜いた。その後、紅宗人(韓国山嶽会会長、当時の朝鮮日報主筆)が彼等が持って行った「독도(独島)」と書かれた石碑を設置した。この石碑には、表面には「독도」「獨島」「LIANCOURT」(正式フランス語名称は“Rochers de Liancourt”)、裏面には「한국산악회(韓国山嶽会)」「KOREA」「ALPINE ASSOCIATION」「15th AUG 1952」等と刻まれている[28]

金鍾泌による竹島爆破提案

金鍾泌

1962年10月の大平正芳 外相との会談で金鍾泌中央情報部長は、国際司法裁判所への付託を拒否したが、米国務省外交文書集によれば、金鍾泌中央情報部長は日本側に竹島問題の解決策として竹島破壊を提案していた[29]。金鍾泌中央情報部長は、東京での池田勇人総理および大平外相との会談後、訪米。1962年10月29日のディーン・ロスク 国務長官との会談において、ロスク長官が「竹島は何に使われているのか」と問うたところ、金部長は「カモメが糞をしているだけ」と答え、竹島破壊案を自分が日本側に提案したと明かした[29]

のちに韓国国内で「独島爆破提案説」が問題視された時には、金鍾泌自由民主連合総裁は「日本には絶対に独島を渡すことはできないという意思の表現だった」と弁明している[30]。また2010年の朝鮮日報の取材に対して金鍾泌は「国際司法裁判所で日本のものだという判決が出ても、すべてを爆破してなくしてしまってでも、あなたたちの手に渡すつもりはない」と激高して発言したと回想している[31]が、これは米国務省外交文書集「東北アジア1961-1963」収録関連会談記録の様子とは趣が異なる。

日韓基本条約と日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文

1965年日韓基本条約調印によって李承晩ライン正式に廃止され、またその際「竹島問題は紛争処理事項である」と記されたが、韓国は条約を結ぶために日韓双方が事実上棚上げした問題の一つであり、「竹島の領有問題は紛争処理事項でない」という立場を採っている。

また、日韓基本条約締結に伴い「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文」が取り交わされた。そこには外務部長官李東元署名による韓国側書簡として

「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によつて解決を図るものとする」

とあるが、以降の韓国政府の対応はこの公文に背反するものとなっている。

この交換公文について日系韓国人保坂祐二世宗大学校独島総合研究所)は「独島が紛争地域という日本の主張が交換公文から削除され韓国は独島を紛争地域と認めなかった。したがって交換公文の紛争解決方式も独島には適用されない」、また「ICJ による解決方式は交換公文から除外されたので韓日紛争は ICJ に回付されない」として、この交換公文と日韓基本条約によって日本政府は竹島を日本の領土とする根拠を国際法的に消失し、そのため1965年以降日本政府は ICJ への提訴を韓国に対して公式に提案できなかったのであると主張している[32]

なお、日本側は日韓国交正常化に至る1951年から1965年までの外交交渉文書の開示を拒み続けている。この文書には竹島問題について日韓双方の発言や、昭和天皇と韓国高官とのやりとりなどが含まれているという[33]

日韓漁業協定以降

1965年の旧日韓漁業協定では竹島問題については棚上げされた。1980年前後には韓国漁船が山陰沿岸および北海道近海にまで出漁(密漁)し、日本の漁業者と係争が起こった。島根県シイラ漁漁船は35統から8統にまで激減する[34]

1996年に日韓両国は国連海洋法条約を批准。それに基づき新日韓漁業協定の締結交渉が開始され、両国の中間線を基準に暫定水域を設定、この海域において双方の漁獲が制限付きで認められた。日本側の配慮により日本が大幅に譲歩した暫定水域は、日韓共同で利用する協定であった。しかし、その後も韓国漁船が漁場を独占し、日本漁船が操業できない状態が続いている[24]。さらに韓国漁船は日本側排他的経済水域(EEZ)にまで侵入するなど不法な漁業行為を行い、また竹島の周辺海域では韓国軍が頻繁に監視を続けている。また、竹島近海の海底地名の命名、および海底地下資源に関する調査活動を巡り、EEZ問題が再燃、EEZ確定交渉が再開されたものの、平行線を辿っている。

争点

竹島を巡る争点には次のようなものがある。

  • 誰が最初に発見し、実効支配をしたか(領土の権原)
  • 島の同定(于山島鬱陵島,竹嶼、竹島、松島、石島観音島ほか)
  • 1905年の日本による竹島編入の有効性
  • 戦後の GHQ による竹島処分の解釈
  • 1952年の韓国による軍事占拠(李承晩ライン問題も含む)

国際判例からみた領土の権原

領土権を主張する根拠(権原)として、譲渡、売買、交換、割譲先占などがある。パルマス島事件常設仲裁裁判所判決に見られるように国際領土紛争では、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原を基準に判定される場合が多い(韓国の軍事占領は「平穏」には該当しない)。

これまでの国際判例から次のような規則が得られる。

  • 中世の事件に依拠した間接的な推定でなく、対象となる土地に直接関係のある証拠が優位。中世の権原は近代的な他の権原に置き換えられるべき(マンキエ・エクレオ諸島事件ICJ判例[35])。
  • 紛争が発生した後の行為は実効的占有の証拠とならない。
  • 国は、相手国に向かって行った発言と異なる主張はできない。
  • 相手国の領有宣言行為または行政権行使を重ねるなどの行動に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる。

竹島の領土権原

これらの国際司法判例を竹島領有権問題に照合すると、以下の通り[36]

日本の領土権原
  • 歴史的な権原において江戸幕府は竹島を領土と見なしており、日本に領土権原が存する。
  • ただし、歴史的な権原は近代的な権原に置き換えられる方が好ましい。
  • 1905年の竹島編入以降の日本政府の措置は、まさに国家権能の表示の証拠であり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原も認められる。これは近代的な権原である。
韓国の領土権原
  • 17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が 日本における「竹島・松島」の知識を朝鮮古来の「鬱陵島・于山島」に当てはめ、松島は于山であるという認識を持ったとしても(以来、朝鮮文献に松島=于山と記述)、その活動は国家を代表して行われたものでない。
  • 18世紀以降朝鮮の官撰史書等に松島=于山と記載されたとしても朝鮮は竹島の実地の知見すらない(逆に、于山島が別の島竹嶼を示す史料もある)。仮に地図記載が領有意識の表示としても、それは観念上の領有意識にすぎず、実在の島へ訪れた記録も存在しない。
  • したがって韓国には歴史的な権原というべきものがない。
  • 1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れた。しかし石島は竹島ではない(韓国は石島が独島と主張)

いずれも一国の領土権の確立に不充分で、無主地の要件は満たされる。

なお、日本が日露戦争中に独島を侵奪したという韓国側の反論があるが、奪ったという議論は、竹島が韓国の領土であったことが証明されない限り成り立たない。

最初の発見者

国際法上、領有権を巡る紛争では「発見」は未成熟権原 (inchoate title) とされ、領有権(権原)とするには合理的期間内に「実効支配」により補完されなければならないとされている[37]。なお、無人や定住に向かない地域では、僅かな実効支配の証拠でもよいとされているが[38]、その証明には、課税や裁判記録といった行政、司法、立法の権限を行使した疑義のない直接的証拠が要求され、不明瞭な記録による間接的推定は認められていない[39][40]。また、他国の抗議等により紛争が顕在化した(決定的期日)以降の法的立場の改善を目的とした活動は、領有権の根拠になり得ないとされている[41]

于山島は現在の竹島か?
韓国の主張の概略 日本の主張の概略
1145年に編纂された『三国史記』よると512年于山国朝鮮新羅に服属している。後の文献にある于山島はこの于山国の一部であり、その于山島は独島である。つまり独島は512年から韓国の領土である。 三国史記』には于山国である鬱陵島のことは書かれているが、周囲の島のことは全く書かれていない。「別名を鬱陵島という」とあるので、鬱陵島の本来の名が于山島であったと考えられる。
太宗実録』の太宗十七年(1417年)の項に于山島という名が初めて表れる。そこには「按撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と記載されている。現在の竹島は人が住める環境でないため于山島ではない。
1454年に編纂された『世宗実録』に「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した。」とある。天候が良ければ鬱陵島(=武陵)から独島が望めるので、独島が于山島である。 原文は『于山武陵二島 在縣正東海中 二島相去不遠 風日淸明 則可望見 新羅時 稱于山國 一云鬱陵島 地方百里』であり、「于山武陵二島は新羅の時代には于山国と称した、一説には鬱陵島とも云う、100[注釈 6]四方である。」とある。「一説に鬱陵島とも言う」と言っている様に、この時代の于山武陵二島とは鬱陵島のことを指している。(詳しくは于山島を参照)
于山島が鬱陵島の左側にあり、竹島と鬱陵島の位置関係と異なる。

1530年に朝鮮で発行された『八道総図』に初めて于山島が描かれるが、鬱陵島の西に鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。その後の地図も実在しない大きさや位置に描かれ朝鮮政府は于山島を全く把握していない。

1667年に日本の松江藩士が書いた『隠州視聴合記』には「この二島(鬱陵島と現在の竹島)は無人の地で、高麗が見えるのは、雲州から隠州を望むようだ。よって日本の北西の地で、この州をもって限りとされる。」と書かれている。「この州」とは穏州(隠岐)のことであり日本の限界を隠岐としているので、この時、松島(独島)や鬱陵島が朝鮮領であることを認めている。 隠州視聴合記』の文中には「北西に二日一夜行くと松島(現在の竹島)がある。又一日程で竹島(鬱陵島)がある。俗に磯竹島と言って竹・魚・アシカが多い。この二島は無人の地である。」としており、現在の竹島もはっきり認識している。鬱陵島へは、この文献の50年も前から幕府の許可を得て伯耆国 米子から漁労や竹の伐採などのために渡っており、文中の「この州」とは鬱陵島のことを指しているのかもしれない。仮に「此州」が隠岐を指すとし­ても、人の住める地が隠岐までと言っているに過ぎない。また朝鮮人が松島(現在の竹島)に来たという証拠は全くない。
1728年に編纂された『粛宗実録』に、1696年朝鮮の安龍福が鬱陵島で遭遇した日本人に抗議し、「松島はすなわち子山島で、これもまた我国の地だ。」と言っている。子山島は于山島のことで、于山島は独島のことだ。当時の日本は独島を松島と呼んでいるので朝鮮領である。安龍福がその3年前に日本で抗議した時には徳川幕府より于山島は朝鮮領だという書契をもらっている。 朝鮮の漁夫である安龍福は鬱陵島や日本に密航した犯罪人である。朝鮮の『粛宗実録』に記載されている安龍福の尋問記録は事実と異なることが多く、日本人を追いかけて松島から日本へ渡ったとしていることは、罪を逃れるための偽証である。安龍福は日本人の言う松島を于山島だとしているが、彼はその于山島の位置を把握していない。また、徳川将軍が朝鮮の漁夫に竹島(現在の鬱陵島)や松島を手放すような書契を渡すはずもない。
1696年安龍福の抗議により、鬱陵島于山島の帰属を巡って徳川幕府と朝鮮との間に紛争が起こったが、鳥取藩は幕府に竹島(鬱陵島)と松島(独島)は自藩領でないと回答している。幕府は朝鮮との交渉で竹島(鬱陵島)を放棄することを伝えているので、鬱陵島の付属島である松島(独島)も同時に放棄している。 日本と朝鮮との鬱陵島領有に関する外交交渉(竹島一件)においては松島の名は一切出てきておらず、朝鮮側の地図を見ても朝鮮政府は松島を全く認識していないことが分かる。また、その後の竹島事件において幕府の筆頭老中だった浜田藩松平周防守康任が「竹島は日の出の土地とは定め難いが松島なら良い」としたことや、「松島へ渡航の名目をもって竹島にわたり」との判決文の一節を見ると、竹島への渡航は禁止したが松島への渡航は禁止されていなかったことも分かる。その他、1820年に浜田藩儒の中川顕允が編纂した石見外記に高田屋嘉兵衛の北前船が竹島と松島の間を航路として使用していることも書かれており、幕府が竹島の領有争いにわざわざ松島を含めたとするのはかなり無理があると考えるべきである。
1770年に編纂された『東国文献備考』に「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ちの所謂松島である。」とある。この于山は独島のことだ。当時の日本は独島を松島と呼んでいるので朝鮮領である。1808年の『万機要覧』や1908年の『増補文献備考』にも同じことが書かれている。 東国文献備考』の「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ちの所謂松島である。」との一文を始め同様の一文は、虚言の多い安龍福の証言の引用である。この当時の朝鮮の地図からいって、朝鮮政府は竹嶼を日本人の言う松島と誤認している。(詳しくは于山島を参照)
日本の三国通覧輿地路程全図に描かれている竹嶋周辺部

1785年に成稿した、日本の『三国通覧輿地路程全図』に竹嶋(鬱陵島)とその附属の于山島(独島)が描かれており、朝鮮と同じ色で彩色され朝鮮領と明記されている。この地図は小笠原諸島領有の日米交渉の際に、幕府が根拠として用いており、幕府が竹島を朝鮮領として認めた証拠になる[注釈 7]三国通覧図説を参照)。また、当時の日本の『日本輿地図藁』、『日本国地理測量之図』、『官板実測日本地圖』、その他民間で作られた地図には、独島の当時の日本名である松島が記載されていない。記載されている地図も隠岐や鳥取と同じ色ではなく無色である。したがって日本は松島を朝鮮領だと認識していた。また、多くの朝鮮の古地図に于山島が描かれており、この于山島が独島(現在の竹島)である。

改正日本輿地路程全図:松島(現在の竹島)が記されている。

日本の三国通覧輿地路程全図に描かれている竹嶋(鬱陵島)の北東に、南北に長い小さな付属島があるが、島の大きさや形状、位置関係からいって、これは現在の竹嶼であり、この地図に現在の竹島は描かれていない。また、幕府がこの地図をもってアメリカに小笠原の領有権を認めさせたというのは新聞の歴史小説上の話であり、事実ではない[注釈 8]。当時はすでにこの地図よりも遙かに正確な経緯度線入りの『改正日本輿地路程全図』が普及しており、竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)が描かれている。18世紀に入ってからの朝鮮・韓国の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼に比定できる。したがって、于山島は現在の竹島ではない。

大韓全図の鬱陵島周辺部
鬱陵島の衛星写真(上が北)。鬱陵島の北東に小さく見える島が竹嶼。

1899年光武3年)に朝鮮の歴史家兼書道家の玄菜(1886 - 1925年)によって編纂された地理書『大韓地誌』の中に、「大韓全図」という経緯度入りのかなり正確な付属図が付いている。この地図中に鬱陵島と並んで于山の名が記載されている。于山島と書いていないことから、于山が鬱陵島とその周囲に記載されている島全体を指しているか、または于山の文字の位置関係から、現在の鬱陵島に付属する竹嶼という島であることが推測できる。また大韓帝国の領域は東経130度35分までと記しており、現在の竹島を大韓帝国領とはしていない。この『大韓地誌』は大韓帝国の学校でも使われたことのある信用性の高い地図である。

日本による竹島編入の有効性

日本政府は、竹島であしか漁を営む国民個人からの領土編入貸下願を契機に、1905年1月28日閣議決定をもって島根県への編入を決定し、同年2月22日、島根県知事により告示された。同5月島根県知事は、竹島を官有地台帳に登録し、同6月あしか漁許可、翌1906年3月に県は実地調査も行う。同7月以降漁業者に貸し付けて歳々官有地使用料を徴収。また1940年に海軍用地となったが漁業許可と土地使用料の徴収は継続した。

日本の竹島編入措置は、先占によった。

閣議決定文
北緯37度9分30秒...ニ在ル無人島ハ他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク......明治36年以来中井養三郎ナル者カ該島ニ移住シ漁業ニ従事セルコトハ関係書類ニ依リ明ナル所ナレハ国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属トシ...

先占の要件は、対象地が無主地であること、国家の領有意思をもってする実効占有である。

無主地

無主地という点については、

  • 1) 17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が個人的な地理認識を持ったとしても、朝鮮政府は実地の知見すらなく、また于山島竹嶼と示す資料などもあり、資料的かつ歴史的な領土認識においても、不確証であり、韓国にはそもそも歴史的な権原というべきものの存在が、推定の範囲を出ず、定かではない。
  • 2) 1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れたこと(韓国は石島が今日の竹島とも主張するが、当時の韓国の資料からも別の島であることが実証できる。石島参照)

これらはいずれも領土権の確立に充分とは言えず、無主地の要件は満たされる。

国家の領有意志

日本の領有意思は、閣議決定、県知事告示(新聞でも報道)、先占以降の主権者としての行為により明示される。

実効占有

実効的な占有については、国家は私人の行為の追認をもって国家占有とできるので[注釈 9]、日本は閣議決定で追認を行い、かつ国有地台帳への登載、あしか漁業許可、 国有地使用料の継続徴収など国家占有の行為があり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」を継続していた。(なお韓国による軍事占領は「国家権能の平穏かつ継続した表示」には当たらない)

以上、伝統的な領土取得方法としての「先占」の要件が具備された。

ほか、1905年の日本による竹島編入について、韓国側は「法的に不十分な手続きで、秘密裏に行われたもので非合法」とするが、当時の国際法から見ても、また先占の要件を満たしていることからも十分に合法であり、また「秘密裡」という表現は当時の告示と報道からしても当たらない。なお、判例においては「秘密裏に実効支配をすることはできない」とされており、特定の編入手続きではなくその実効性が争点となる。

通知義務

実効性以外に通知の手続きを要するとの主張がなされることがあるが、パルマスクリッパートンの判例において通知義務は否定され、通知義務を支持する国際法学者もごく少数である。

明治政府が竹島を島根県に編入するまでの経緯
韓国の主張の概略 日本の主張の概略
1870年、日本の「朝鮮国交際始末内探書」に「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」の記述がある。松島は独島(現在の竹島)である。 「朝鮮国交際始末内探書」の「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」この内探書は明治政府が朝鮮の文献を調査した結果で、ここにある松島は于山島のことである。于山島はその古地図より現在の竹嶼を指しているので、この松島は竹嶼である。(詳しくは竹島外一島を参照)
1877年、日本は竹島と松島について調査した結果「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とし、太政官指令により「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」としている。外一島とは松島(現在の竹島=独島)のことなので、日本はこの時独島を朝鮮領と認めている。 日本の太政官指令にある「竹島外一島」は当時島名がはっきりしなかった島である。この頃、竹島や鬱陵島の位置を誤って記録した経緯度入りのヨーロッパの地図が日本に入り、実在しない位置に描かれている島を「竹嶋」、現在の鬱陵島を「松島」、現在の竹島を「リエンコヲルトローック」などとしていたため、当時の日本地図もこれに倣って作成されている。「竹島外一島」はこの実在しない位置の「竹島」と鬱陵島であり、これを版図外とした。
1882年、日本が製作した『朝鮮國全圖』に松島が描かれている。また、1883年に同じく日本が制作した『大日本全圖』には、松島は描かれていない。松島は独島なのでこの時日本は独島を朝鮮領と認めている。[42] 『朝鮮國全圖』の竹島は存在しないアルゴノート島のことで、この松島は鬱陵島のことである。当時の日本の地図は全て鬱陵島を松島としている。下部に描かれている日本の位置からもこの地図の松島は鬱陵島であり、大きさや形も鬱陵島に近く現在の竹島とは全く違う。この地図には経度も記入されておらず、緯度も大きくずれており、当時、竹島と松島の位置が混乱していたことがよく分かる。(竹島外一島も参照)
1900年大韓帝国勅令で石島を鬱陵郡としている。この石島こそが独島(現在の竹島)である。 石島が竹島であるという証拠はない。朝鮮の古地図を見る限り、石島は現在の観音島である可能性が高い。
大韓地誌」や「大韓新地志」の著者は民間の学者であり、官製図書ではない。そのため当時の公的な見解とはみなされない。 大韓地誌 1899年大韓新地志 1907年の記載には、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外131度55分にあり、当時の韓国は竹島を韓国領としていなかった。また、この頃の韓国の東端を示す資料は全て東経130度33分~58分に入っており、現在の竹島を韓国領としていない。
1905年1月の日本による竹島編入は、軍国主義による韓国侵略の象徴であり強制的に編入された。もし日本領であったなら編入する必要はない。この年11月に締結された第二次日韓協約によって、大韓帝国は外交権が事実上奪われていたため、独島(竹島)の島根県編入を知った後、日本が敗戦するまで抗議できなかった。 竹島は日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく、竹島の編入手続きは、国際法に照らしても全く合法的である。また第二次日韓協約が対象とするのはあくまで「第三国」との外交権であり、抗議そのものは十分に可能だった。

終戦後 サンフランシスコ平和条約締結までの竹島の扱い

GHQ677・1033号覚書
SCAPIN第677号 (Page 1)

GHQ の「連合国軍最高司令官総司令部覚書」677号 Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677 SCAPIN677「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」では、日本の領土は北海道・本州・九州・四国およびその隣接する島々とされ、鬱陵島や済州島などを除外するとした。その除外される島のリストに彼らが Liancourt Rocks と呼んでいた竹島が含まれていた[43]。 また、同1033号[44]「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」でも、日本漁船の活動可能領域(これを「マッカーサー・ライン」という)からも竹島は除外されている[43]。韓国はこれらを根拠に、李承晩ラインを制定して日本漁船を排除する線を引き、ライン内部に立ち入った日本漁船に対して拿捕・銃撃を行ったとその正当性を主張している。

シーボルド勧告
ウィリアム・J・シーボルド

1947年3月19日版のサンフランシスコ平和条約 草案では「日本は済州島巨文島鬱陵島、及び、竹島を放棄すること」と記載があったが、1949年11月14日のウィリアム・シーボルド駐日政治顧問による竹島再考勧告において、日本側の主張が正当であるとされて以降、竹島の記載は削除され[45]、1949年草案、1951年の最終版に至るまで、竹島を日本が放棄する島々より削除している。

アメリカ空軍訓練利用

1951年6月20日には駐韓米軍ジョン・B・コルト中将が書信を通じて大韓民国の張勉国務総理に米空軍がこの島を訓練用で使えるようにしてくれと要請した。7月7日駐韓米第8軍陸軍副司令官室が駐韓米司令官に送った報告書に“張勉総理だけでなくこの島を管轄する内務長官もこれを承認した”と言及した[注釈 10]

ラスク書簡
ディーン・ラスク

1951年、韓国政府は米国政府へ、竹島と波浪島(実在しない島)を日本の放棄領土とすることを要望するが、同年(昭和26年)8月10日、米国政府は、国務次官補ディーン・ラスクより、竹島は日本領であることを韓国政府に最終的な回答として提示した。しかし、翌1952年1月18日に韓国が李承晩ラインを一方的に宣言を行った。

日本政府はこのラスク書簡によって「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示されたと解釈している[46]

As regards the island of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks, this normally uninhabited rock formation was according to our information never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The island does not appear ever before to have been claimed by Korea.
(独島、もしくは、竹島、または、リアンクール岩として知られている無人の島については、我々の情報によれば、かつて韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。この島について韓国によりこれまで領土主張されたことはありません。)
1951年8月10日アメリカ合衆国元国務次官補ディーン・ラスクラスク書簡抜粋)

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
カイロ宣言では「日本が暴力および貪欲により略取した他の一切の地域」の日本からの排除を謳っている。かつて日本は公文書において竹島が日本領でないことを公に宣言し、その後朝鮮半島の植民地支配を強化していった時期に竹島を編入した。 竹島は日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく、手続きも国際法に照らして全く合法的である。また公文書において、日本領でないことを公に宣言したこともない。
竹島を日本から切り離すことは連合国側共通の了解事項であり、GHQSCAPIN 677号[47]で竹島の除外が明記されている。またマッカーサー・ラインを示すSCAIN 1033では竹島周囲12海里以内を日本の操業区域から除外している。 SCAPIN 677には「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」とあり、SCAPIN 1033にも「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言が盛り込まれている。従って、SCAPIN 677、1033によって除外されていた日本の島々(小笠原諸島奄美群島琉球諸島)は、後にアメリカより返還されている。SCAINはアメリカの対日占領政策の一時的措置である。
SCAPIN 677 にある「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」との文やSCAPIN 1033の「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文は、必要あれば修正することができる可能性を残したものに過ぎず、その後、竹島を日本領と修正した指令は発表されていない。 1946年の日本とGHQとの会談の中で、GHQはSCAPIN 677について「鬱陵島は第二十四軍団の指揮下に在り従って本指令に依る日本の範囲の決定は何等領土問題とは関連を有せす之は他日講和会議にて決定さるへき問題なり」と回答している[48]

また、1952年11月5日、米国務省は駐韓米国大使に宛てた書簡において、SCAPIN 677に関する韓国の主張に触れ「SCAPINは日本の施政を停止[注釈 11]したものであり、永久的な日本の主権行使を排除したものではない」と回答している[49]

アメリカ駐日政治顧問シーボルドからバターワース国務次官補への1949年11月14日付電報[50]で「リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。安全保障の考慮がこの地に気象およびレーダー局を想定するかもしれない」と指摘し、「朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、アメリカの利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象およびレーダー局を設置することが考えられるかもしれない」との正式な文書による意見書の提出を受け、1949年12月29日付サンフランシスコ講和条約草案では日本の領土に竹島が含まれることを明記している。
1951年、韓国政府は米国政府へ、竹島と波浪島(実在しない島)を日本の放棄領土とすることを要望するが、同年8月10日、米国政府の国務次官補 ディーン・ラスクは、竹島は日本領であることを韓国政府に最終的な回答として提示している。

サンフランシスコ平和条約締結後

1951年に締結された日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の第2条(a)項「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」について、韓国側はこの条文に竹島の記載がないのは、独島(竹島)が鬱陵島の付属島であるため連合国は韓国領であることを認めていると主張している。

ラスク書簡の再通知

サンフランシスコ平和条約後、日米安保条約に基づく行政協定において1952年7月に竹島を爆撃演習地とすることが日米間で合意されたが[51]、日米に無断で竹島へ調査をしていた韓国人が爆撃に遭遇し韓国政府がアメリカに抗議を行った。韓国の抗議書簡において「韓国領の独島」とされていたことに対して、1952年12月4日に釜山のアメリカ大使館は「アメリカの竹島の地位に関する認識はラスク書簡の通りである」と韓国外交部に再度通知を行った[注釈 12]。しかし、1955年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」では、このラスク書簡に触れた部分を「etc.」で省略したアメリカ大使館の書簡を掲載したことが確認されている[52]。また、韓国の国際法学者である金明基は、この韓国政府によって隠滅されたアメリカ大使館の書簡によってアメリカの意思が「獨島は韓国の領土」と変更されたものとし、ラスク書簡が無効との論拠としている[53]

ターナー覚書

東京領事ウィリアム・ターナーは、1953年11月30日付けで「リアンクール論争に関するメモランダム」を本省に提出した[54]。ターナーはこの覚書でまず、ポツダム宣言ラスク書簡をもとに竹島問題に米国が不可避的にかかわるべき、というアリソン大使の態度に反対し、この問題に介入すれば「敗者側に永遠の憤りをもたらすだけにおわる干渉」(which could only create lasting resentment on the part of the loser) となるので、不介入で中立政策を採るアメリカ政府の立場を支持する。ターナーによればこの件は、ソ連が占領した色丹島問題と似ている。アメリカは「色丹島が日本の主権に属する」と公式に声明したが、日本はアメリカに対して安保条約に基づく武力行使を要請してこなかった。したがって竹島問題についても、日本人が安保条約を呼び出すのではないかと過度に不安になる必要はない。ただし、「遅かれ早かれ、日本人はラスク書簡について嗅ぎ付け (Sooner or later the Japanese will get wind of the Rusk letter)」、我々がそれを知らさなかったことに憤慨するであろうから、ここで手を打っておいたほうがいい、として以下の行動を提案する。それは韓国側にラスク書簡を示し、それが受け入れられないならば日本と和解するか、国際司法裁判所で解決することを勧める。そして衝突がこれ以上続くならば、ラスク書簡を公にしたうえで、この件の仲介から手を引く、というものである。

ヴァン・フリート特命報告書
アメリカ陸軍司令官
ジェームズ・ヴァン・フリート

また1954年のヴァン・フリート特命報告書においても、A)一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法[55]、B) 米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している[56]、C)この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる[57]と記載されており、竹島を日本領とするシーボルド勧告を追認している。また、この内容は当時韓国側にも非公式に伝えられたことが同報告書には記載されている。

マッカーサー2世による電報
ダグラス・マッカーサー2世

8年間続いた韓国の李承晩体制が終焉を迎えた1960年、次の政権に移行するときに当時駐日アメリカ大使であったダグラス・マッカーサー2世が本国国務省に向けて日韓関係改善のために米国が行うべき行為を機密電文3470号[26][27]によって以下の要旨を提言している。その電報の中では、明確に「日本の領土である竹島」を日本に返還させるよう韓国政府に圧力を加えるべきである、と記載されており、1960年当時でさえ米国はラスク書簡当時と変わらぬ認識であったことが確認できる。また、同電報では李承晩の外交を「野蛮な人質外交[58]」と非難し、(李承晩ラインによる拿捕によって)人質となった日本人漁民を解放させるように圧力をかけるべき、とも記載されている。

  • 韓国に違法に拿捕された日本人漁師の人質を全員解放させること。
  • 日本の漁船を公海上で拿捕する行為をやめさせること。
  • 韓国に人質外交 (hostage diplomacy) をやめさせること。
  • 不法占拠された竹島を日本に返還させること。
  • 竹島が日本に返還されるまで、日韓全体の和平が決着することはない。
国際法上における主権移転

国際法上、一時的な占領は主権の移転を意味せず、たとえ占領等により主権が著しく毀損されていたとしても元の保有国の同意がなければ、主権の移転は発生しない[59]。主権の移転には、戦後の処置に関して連合国が竹島の放棄を日本に要求すると共に、日本が竹島の権原や主権の放棄に同意することが重要となる。

韓国の主張の概略 日本の主張の概略
サンフランシスコ平和条約は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているが、その他の付属島ついてまでは述べられていない。竹島(独島)は古来より鬱陵島の属島であるので韓国領である。 サンフランシスコ平和条約最終版は日本が放棄する地域を示しているが、そこには「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているのみで、竹島は含まれていない。
韓国政府は以降もアメリカ合衆国に対し「竹島が日本により放棄された領土である」と認めるよう要望書を提出するが、1952年11月27日の駐韓米国大使館通牒では、アメリカ合衆国はラスク書簡に基づき韓国の要望を拒否し、また1954年のヴァン・フリート特命報告書ではサンフランシスコ平和条約に基づき竹島は日本領としている。またこの問題を国際司法裁判所によって解決するよう促している。
紛争を国際司法裁判所に付託するという日本政府の提案は、司法的な仮装で虚偽の主張をするまた一つの企てに過ぎない。韓国は、独島に対して始めから領土権を持っており、この権利に対する確認を国際司法裁判所に求めなければならない理由は認められない。いかなる紛争もありえないのに擬似領土紛争を作り上げるのは、まさに日本である。 日本政府も国際司法裁判所による解決を韓国側に幾度も提案してきたが、韓国側は国際司法裁判所への付託を拒否し続けているばかりか、提案の親書さえ受け取らない。韓国は国際法上何ら根拠がないまま竹島を不法に軍事占拠しており、韓国のこのような不法占拠によって行ういかなる行為も法的な正当性を有しない。

国際法による平和解決への模索

1954年、アメリカのアイゼンハワー大統領特命大使としてアジアを訪問したヴァン・フリート特命報告書には、「竹島が日本の領土であること、アメリカの紛争への不介入、国際司法裁判所への付託提案」について書かれ、非公式に韓国政府へ伝達したことが報告されている。

When the Treaty of Peace with Japan was being drafted, the Republic of Korea asserted its claims to Dokto but the United States concluded that they remained under Japanese sovereignty and the Island was not included among the Islands that Japan released from its ownership under the Peace Treaty. The Republic of Korea has been confidentially informed of the United States position regarding the islands but our position has not been made public. Though the United States considers that the islands are Japanese territory, we have declined to interfere in the dispute. Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice and this suggestion has been informally conveyed to the Republic of Korea.
(日本との平和条約が起草されていたとき、韓国は独島の領有を主張したが、米国は同島は日本の主権下に残り、日本が放棄する島の中に含まれないと結論づけた。米国は内密に韓国に対し、同島は日本領だとする米国の認識を通知しているが、韓国はそれを公表していない。米国は同島が日本の領土であると考えているが、紛争に干渉することは拒んでいる。我々の立場は紛争が適切に国際司法裁判所に付託されることであり、非公式に韓国に伝達している​​。)
1954年ヴァン・フリート特命報告書抜粋)

竹島領有権問題に関して、これまで日本政府は4度、国際司法裁判所 (ICJ) への付託を韓国側に提案してきたが、いずれも韓国は拒否し続けている。

  • 日本政府は1954年9月25日に韓国に対し ICJ への付託を提案したが、韓国は拒否。
  • 1962年3月に行われた日韓外相会談の際にも、小坂善太郎 外務大臣が ICJ 付託を提案したが、韓国は拒否した[60]
  • 1962年11月に訪日した金鍾泌中央情報部長に対して、大平正芳外相が竹島問題を ICJ に委ねることを提案したが、これも韓国側から拒否された[61]
(この時までの韓国は国連に加盟していなかったが、加盟していない国でも国際司法裁判所に付託することは可能であった[62]。)
  • 2012年8月21日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸したことから、日本はこれに反発して韓国に対し ICJ に合意付託すること及び日韓紛争解決交換公文に基づく調停を行う提案をしたが、同月30日、韓国政府より応じない旨を口上書で日本政府に回答した。

国際司法裁判所への付託は、義務的管轄権がない紛争の当事国が拒否すれば裁判を行うことができない。韓国はこの義務的管轄権を受諾しておらず、韓国政府が付託に同意しない限り竹島領有権紛争を ICJ で解決することはできない。しかし、裁判の手続きはできなくとも付託は当事国の一方のみでも可能であることから、この問題を世界に提起する意味で日本だけでも付託すべきだという考えもある。(現在まで日本は付託を一度も行っていない) これまでに領土問題を ICJ で解決した事例は世界で16件に上るため、日本政府は一方的な占拠をやめて平和的解決をするよう要望している。 (国際司法裁判所で解決した領土紛争を参照)

日本による国際司法裁判所への最初の付託提案を、韓国側は1954年10月28日の公文で、以下のようにと述べている。

紛争を国際司法裁判所に付託するという日本政府の提案は、司法的な仮装で虚偽の主張をするまた一つの企てに過ぎない。韓国は、独島に対して始めから領土権を持っており、この権利に対する確認を国際司法裁判所に求めなければならない理由は認められない。いかなる紛争もありえないのに擬似領土紛争を作り上げるのは、まさに日本である。

しかしながら、紛争の存否は、客観的判定または当事者間の合意によって決定されるのであり、紛争当事国の一方が「存在しない」と言えば紛争が無くなるわけではない。ICJ 判決でも国際領土紛争の存否は客観的に判断されるべきことが確認されている[63]

非当事者国の見解と対応

アメリカ

ラスク書簡サンフランシスコ講和条約ヴァン・フリート特命報告書などで示されている通り、アメリカは一貫して竹島は日本領であるとの立場を示している。しかし、同時に本問題は国際司法裁判所での裁定や話し合いによって解決されるべきとの見解を表明している。

国務省の外交公電[64]によると、2006年4月にはシーファー駐日大使が谷内外務事務次官と面談した際に竹島問題について言及し、日本を「国際法の許容範囲内で権利行使をしている」と擁護した[65]。また韓国を「非理性的に行動している」と非難した[66][67]

2011年の日韓での竹島問題の再燃に際して、米国務省は8月2日、両国に自制を促し、 米国務省トナー報道官は「リアンクール岩礁の主権について私たちは(特別な)立場を持っていない」ともした[68]

中国

2010年4月15日、中国新聞社は「日本は済州島、巨文島、鬱陵島と含む朝鮮の一切を放棄した」とのサンフランシスコ条約における日本の放棄領を記した条文を紹介したうえで、武正副外務大臣の「同条約は日本が放棄する領土を定めているが、竹島は含まれていない」と指摘を掲載。条約締結時に韓国が条約中の日本の放棄領土に竹島を含めるよう要求したが、米国の拒絶で断念した経緯も説明した。中国メディアではそれまで、「独島(日本名は竹島)」と竹島を表記していたが、同記事中では「竹島」とのみ表記している[69]。また、2010年に中国新聞網が「在米韓国人によってニューヨークのタイムズ・スクエアで「独島は韓国の領土」との広告放映について報じたところ、中国ネット上で、「竹島は日本の領土だ。だが、釣魚島(尖閣諸島)は中国の領土だ」、「韓国人はいっそのこと、宇宙全体が韓国人のものだと広告を出すべきでは?」、「世界全体が韓国の領土なのに、独島が何だと言うのだ」などと皮肉を交えたコメントが寄せられたという[70]

韓国による占領の状況

東島に一方的に建設された韓国の警備隊宿泊施設
東島に一方的に建設された停泊場に接岸する韓国の警備艇

島内の現況

現在、韓国による実効支配が続いており、海洋警察庁を傘下に持つ大韓民国海洋水産部の管理下に置かれている。軍に準ずる装備を持つ韓国国家警察 慶北警察庁 独島警備隊の武装警察官40名と、灯台管理のため海洋水産部職員3名を常駐させている。また韓国海軍や海洋警察庁が、その領海海域を常時武装監視し、日本側の接近を厳重に警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台ヘリポート[71]レーダー、船舶の接岸場、警備隊宿舎などを設置している。また、西島には竹島(独島)の韓国領有を主張する漁民2人が宿舎を建設し居住している。

  • すでに建設された主な施設
東島・・・警備隊宿舎、灯台、ヘリポート、気象観測台、船舶接岸施設、送受信塔、レーダー
西島・・・漁民宿舎

韓国は領有の既成事実化を着々と進め、1991年からは、キム・ソンド(김성도)、キム・シンヨル(김신열)夫婦の居住を認め、住所を独島里山20番地としている[要出典]。2005年4月には、韓国人の結婚式が竹島で初めて執り行われた他、独島防衛として992名の韓国人が竹島に戸籍を置いている。

観光地化

2005年には島根県竹島の日に反発した韓国政府は韓国人観光客の入島を解禁し、3月28日に一般観光客が初めて竹島に上陸した。2013年9月現在では、1日平均805人もの人が入島している[72]鬱陵島からの観光船があり、不定期運航している。船で2時間程度。鬱陵島との間に水陸両用機による航空路を開設する計画もある[73]。外務省はこのような手段により渡航する方法は「韓国による竹島の不法占拠が続いている状況の中で、我が国国民が韓国の出入国手続に従って竹島に入域することは、当該国民が竹島において韓国側の管轄権に服することを認めたとか、竹島に対する韓国の領有権を認めたというような誤解を与えかねません。そのような入域を行わないよう、国民の皆様のご理解とご協力をお願いします。」としている[17]

射撃訓練の実施

韓国は2014年6月20日に竹島南西沖の日本領海内を含む海域で射撃訓練を行うと日本側に対して通報し、これに対して日本政府は在韓国大使館を通じて抗議するとともに訓練中止を要請した[74][75]

竹島に関する社会情勢

韓国は日本の領有主張に対して敏感に反応している。韓国側が竹島周辺の海盆に韓国名を付け国際機関に申請しようとしたことに対抗して、日本が竹島領海外の周辺海域に調査船を派遣しようとするや、韓国政府は猛反発、韓国海軍が出動した。

韓国社会における状況

日本の竹島に対する抗議行動に対して、韓国市民は街頭で日章旗を燃やす、日本の首相の顔写真を貼った人形を吊るし上げる、抗議の切腹を演じる、日本の国鳥であるを惨殺する、など過激な抗議行動を繰り広げている。また報道でも日本の行動を痛烈に批判している。

韓国では、独島は日本のものであると主張する者に対する誹謗中傷は「脅迫」ではなく「叱責」であるとして合法行為とされている[76]

韓国の過激な反発の原因は、韓国政府が歴史を客観的に見ることを避け、自国に有利な資料を探し出し、国民に領土認識を植え付けるための教育と広報方策をとってきた点にあるといわれる[要出典]。また、日本の韓国併合(および小中華思想)からの反日感情を利用したともされる。

日章旗損壊

日本の竹島に対する抗議行動に対し、韓国市民は街頭で日章旗を燃やすパフォーマンスを演じているが、韓国刑法109条で外国国章損壊罪は2年以下の懲役と制定されている[77]。しかし、同第110条には「(被害者である)外国政府の意思に反して公訴を提起することができない」とされているため、日本政府が日章旗への損壊について被害者として抗議しない限りこれらの刑法は適用されない。

反日感情に訴える韓国の広報活動や教育

韓国側では、官民挙げての広報が盛んであり、韓国国内の多くの場所で「独島はわが領土」という看板や横断幕が見られる。また、韓国内だけでなく、アメリカのロサンゼルスでの国道沿いの巨大看板、ニューヨークタイムズスクエアの電光掲示板、ニューヨーク・タイムズ紙への全面広告など、特にアメリカでの領有アピールを活発に行っている。その他、独島(竹島)の切手を発行したり、独島(竹島)の地質や環境の情報をインターネットサイトで英語や日本語で紹介するなど、実効支配が確立した平和的な島であるかのようにもアピールしている。また、韓国政府及び自治体での広報や学校教育では領有の根拠に関する説明に乏しく、ほとんどの場合で「日本による歴史歪曲」「捏造」「軍国主義による略奪」など反日感情に依拠しているところが多い。政府の発言や街頭示威行動、これらを紹介するテレビ番組においても同様のことが言える。

1999年に創設された韓国に関する情報宣伝工作活動を行うことを目的とした韓国の民間組織 VANK (Voluntary Agency Network of Korea)に対し、韓国政府はこの組織のインターネット上の行動に対して公式に支援しており、李明博大統領は2008年に5000万ウォン(約328万円)の予算を公表している[78][79]。VANK は「世界に日本の「歴史歪曲」を知らせて国際社会における日本の地位を失墜させること」を目的としたディスカウントジャパン運動を行い[80]、サイバーデモと称する抗議活動を行っている。その手法は、世界の各機関への韓国側の主張の大量送信、英語版wikipediaの組織的編集[81]などである[注釈 13]

また、VANK は韓国観光公社との共同事業として、韓国の歴史認識に基づいた『韓国観光広報小冊子』を発行し世界中の観光団体や学校などに発送したり、慶尚北道との共同事業として、竹島問題について組織的・計画的に情報宣伝工作を行うサイバー独島士官学校を設立、2009年の時点で生徒数は1万人を突破した[82]

韓国における領土教育

韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民安龍福が松島(現在の竹島)を朝鮮の領土であることを認めさせるために日本に渡ったことが強調されている。また、小学、幼稚園児にも竹島の領有を教育しているほか“独島はわが領土”という歌も歌われている。このような領土意識の教育は、韓国領有の正当性を幼い頃から定着させる政府政策の一環である。

「独島の月」・「対馬島の日」

島根県議会は2005年に「竹島の日条例」を可決し、政府に問題解決へ向けた行動を促したが、韓国慶尚南道馬山市は対抗して「独島の月」、さらに対馬に対する領有権を主張する目的で「対馬島の日」を制定した。

学術界における活動

「独島」呼称の国際認知を目的とした韓国のキャンペーンは多方面で行われ、たとえば学術界においても、新規に発見された生物種の学名の名付けなどによって続行されている。竹島では多くの新種微生物が発見されているが、2005年頃より韓国系生物学者によって、新規学名に「独島」が含まれるようになっている。新属としては、Dokdonia donghaensis (Yoon et al. 2005) ほか6種[83]、新種としては、Maribacter dokdonensis (Yoon et al. 2005) ほか11種の「独島」を含む学名が提唱された[84]

日本社会における状況

日本では政府が韓国の行動に対し毎年抗議を行っているものの、一部の右翼団体による街宣活動を除けば、国民の関心度は低い。しかし韓国の一方的な実効支配の行動や猛烈な抗議行動が、日本のマスコミで取り上げられるたび、日韓問題の特集番組にも取り上げられ、逆に日本国民の竹島問題に対する関心が高まっている。日本政府は韓国に対し抗議するも韓国政府や市民の猛反発を抑えることに苦慮し、問題を国際法に則って平和的に解決するよう促しているが、韓国は領土問題は存在しないという立場を崩していない。

  • 以下は日本の竹島領有権主張に反対する発言や行動

小沢一郎秘書の発言

小沢一郎の国際担当秘書の韓国人金淑賢自民党政府時代に日本が領有権を主張していたのは支持率低下を防ぐためと述べている[85]

北海道教職員組合による資料配布

日教組の傘下の北海道教職員組合が2008年(平成20年)11月、竹島について「韓国の主張が事実に則っている」、北方領土について「日本固有の領土式の観点ではなく、アイヌ民族や戦争との関係でとらえさえて考えさせる」などとした資料を各校に配布したことがある。

動労千葉による日本政府弾劾

日本の新左翼中核派の影響下にあるとされる、東日本旅客鉄道(JR東日本)の労働組合国鉄千葉動力車労働組合は、2008年の新学習指導要領の解説書で竹島を「日本固有の領土」と教えるよう求めると発表したことについて、「日本政府が、帝国主義的領土略奪と国益主義排外主義の扇動で危機を突破しようとする許し難い攻撃である。」と批判し、「日韓労働者連帯の立場から、怒りを込めて弾劾する。日本政府は解説書を撤回し、今後一切、独島強奪策動を中止せよ。」と宣言した[86]

民主党による竹島領有権放棄問題

2011年(平成23年)2月27日、韓国を訪問した土肥隆一民主党党倫理委員長は、金泳鎮韓国国会議員との共同記者会見で日本が竹島の領有権を放棄する「日韓共同宣言」に署名を行った。この署名に対する批判に対して、土肥は「共同宣言は外交交渉上有効になるようなものではない」と述べ、共同宣言の撤回は行わなかった[87]

創価学会

創価学会創価学会インタナショナルテーマソング『21世紀のマーチ』の中で「竹島は韓国のものである」と人文字ハングル文字)でアピールされていたことを知らずに放送した結果、学会幹部や学会員から指摘を受け21世紀のマーチの内容を差し替えた[88]。またこれとは別に創価学会が韓国で複数回反日集会を開いていた事実も発覚している[89]

切手の発行

韓国が1954年に発行した竹島の切手

大韓民国郵政事業本部は、独島を題材とする切手を1954年、2002年、2004年の3回出している[90]。1954年の切手は普通切手で、当時日本の郵政省はこの切手を貼った韓国からの国際郵便物の受取拒否をした[注釈 14]。2002年の切手はセットの一部であったため日本では認知されなかった[注釈 15]。2004年1月16日発行の切手は「独島の自然」と題されたもので、日本のマスコミでも大きく報道された。しかしこの時には日本の郵政事業庁国際郵便受取拒否といった強硬措置は採らなかった。

また北朝鮮も2004年と2005年に「竹島切手」を発行した。しかしあくまで「韓国が主張する領域は北朝鮮の領土」との主張と、対南融和的な政治的目的があったといえる。なお切手の図案には絶滅したはずのニホンアシカが登場していたり、北朝鮮の版図として韓国を含む朝鮮半島全体が描かれている。

日本政府は、韓国による竹島切手の発行を万国郵便連合憲章に抵触するとして抗議している[91]

「竹島切手」

2004年1月の韓国での「独島の自然」切手を発行を受けて、新宿郵便局が取り扱っていた写真持込による製作サービスに対して、日本の市民が数万枚に上る大量の写真付き切手である「竹島切手」を申し込み、郵政事業庁も当初受け付けたが、同年2月17日日本郵政公社は「外交上相応しくない」と判断[92]、国際友好を掲げた万国郵便連合憲章の精神にも反する」として拒否し、同サービスも中止された。ただしトラブル以前に通信販売による「竹島切手」が受け付けられていたと見られ、多くの「竹島切手」が写真付き切手で製作されているといわれている[93]

なお、日本の郵政当局は北方領土については2005年に「最北の自然・北海道」として、択捉島に現存する旧紗那郵便局などを題材とする切手を発行している[94]。だが、竹島切手については島根県から要望もあったにも関わらず、日本側が韓国による竹島切手の発行を万国郵便連合憲章に抵触するとして抗議していることから[91]、今後も発行しないとみられる。

地図等での名称・位置の表記

「独島博物館」のレリーフ

韓国政府によって鬱陵島に建設されている「独島博物館」の八道総図のレリーフが、本来の地図とは逆に、于山島の位置が鬱陵島の東(竹島の位置)に移動してあり、于山島を竹島とする韓国の主張に合うように捏造されていることが下條正男によって指摘され[95]、「博物館という公的機関による虚偽展示の影響は計り知れない」と批判していた[96]。このレリーフは竹島が韓国領だと視覚的に示すために作られた同館のシンボルであったが、2007年の産經新聞の取材に対して、同館研究員は、位置が違う理由について「来館者がより見やすいように」と説明する一方、「日本の研究者からクレームが多く、紛争の火種になるので近く撤去する予定だ。年内には別の展示に取り換える」と同館は誤りを認めたうえで、撤去予定である旨を答えた[96]。しかし2011年、水島総が「独島博物館」を訪問したところ、このレリーフがいまだ掲示されていることが伝えられた[97]

Xbox Live

2007年秋の Xbox 360 アップデートにおいてユーザーのプロフィール機能が強化された。この際住所の項目には「独島」と入力することができるのに対して、「竹島」と入力すると登録できない。これが一部の利用者の反感を買い、Xbox 360 のボイコットが発生、問題になったため後日「竹島」も入力できるように変更された[98]

オレゴン州自動車管理局朝鮮語版マニュアル

アメリカのオレゴン州自動車管理局のホームページ朝鮮語版における運転マニュアルに、翻訳者である韓国系アメリカ人が「独島は韓国の領土である」といった記述を数ページにわたって追加した。日本の外務省はオレゴン州政府に対し公式に抗議した。オレゴン州政府は遺憾の意を表明しこのような表現を認めたことはないと釈明、当局は直ちに閲覧中止にし、当該ファイルをウェブサイト上から削除した。翻訳者の韓国系アメリカ人は「韓国系の住民が見る物であるので問題はない」と話した[99][100][101][102][103]

韓国紙幣上の地図表記

韓国銀行2007年に100,000ウォン紙幣の図案として、表に金九の肖像を採用すると発表[104]したが、裏面の韓国国宝の古地図『大東輿地図』に原版にない独島を記入していたため、韓国国内で「文化財の改竄」と批判があった。この紙幣は2009年1月に発行中止になったが、これは従来よりも10倍の高額紙幣であること、金九が南北統一政府の樹立を主張していたことから、保守系の李明博現政権が問題視し、見送られたとの指摘[105]があるが、「文化財の改竄」が理由ではない。

Google マップなどでの記述

Google の提供する Google マップにて竹島について日本語で「ウルルン郡」という記述があることに関し、自民党佐藤正久参院議員により質問主意書が提出され、政府は2012年3月17日、「閲覧者に対し竹島が韓国領であるかのような誤解を与えるもので、わが国の立場に照らし受け入れられない」とする答弁書を決定した。

また、Google マップにおいて、竹島が韓国領として表記されているとして、島根県が Google日本法人に対し、「閲覧者に対し、韓国領であるとの誤解を与える虞がある」として、表記を改めるよう、2012年6月15日付で要望書を提出している[106]

アップルが独自に提供する iOS 用の地図サービスでは、当初「独島」だけの表記だったが、日本からの抗議を受け「竹島」「独島」「リアンクール岩礁」の併記に変更された[107]

その他の見解

東京大学教授姜尚中は、2010年1月2日、韓国MBCの取材に「独島は韓国が実効支配してるじゃないか。だから日本は戦争をしない限り、独島を実効支配することは不可能です。日本が竹島だと主張しても、放っておいてかまいません。私達が我々の領土を実効支配しているからね」と述べ[108]、また同年3月10日、韓国中央日報の取材を受けて、「日本から独島問題を巡る妄言が出てきても、韓国は実効的支配をしているため感情的に対応する必要はない」と韓国側に立った主張を行っている[109][110]。また、在日本朝鮮人総聯合会の関連団体である在日本朝鮮留学生同盟(留学同)は、日本の領有権主張に反対する声明を行っている[111]

年表

江戸時代

  • 1618年元和4年):伯耆国米子町人大谷甚吉村川市兵衛らが、幕府から許可を得て“竹島”(現在の鬱陵島)に渡航。
  • 1692年元禄5年):“竹島”(現在の鬱陵島)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人と遭遇。翌年にも遭遇し、安龍福朴於屯の2名を米子に連行したのを契機に、日本と朝鮮との間に紛争が発生(竹島一件)。
  • 1696年(元禄9年):江戸幕府が“竹島”(現在の鬱陵島)への渡航を禁止。朝鮮の漁民安龍福が、鬱陵島ならびに于山島(韓国では于山島を独島と解釈している)は朝鮮領であると訴えるため、伯耆国へやって来た。
  • 1849年嘉永2年):フランスの捕鯨船 Liancourt 号が竹島(現在の竹島)を発見し、リアンクール島と名付けた(以後、日本では、りゃんこ島、リアンクール岩、リアンコールト列岩とも呼ばれる)。

明治以降

ポツダム宣言受諾後

サンフランシスコ平和条約署名後

  • 1951年
  • 1952年(昭和27年)
  • 1953年(昭和28年)
    • 1月12日:韓国政府が李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。
    • 2月4日済州島付近で日本漁船の漁労長が韓国軍の銃撃を受け死亡。(第一大邦丸事件
    • 2月27日:韓国国防部は、「アメリカは竹島の領有権が韓国にあることを認めた。」と一方的に発表[117]
    • 3月:日米合同委員会は竹島を爆撃訓練場の範囲から外すことを決定。
    • 4月20日:韓国の独島義勇守備隊が、初めて竹島に駐屯。
    • 6月27日:日本国海上保安庁と島根県の約30名が竹島調査を実施、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。
    • 7月12日:竹島に上陸していた韓国の独島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」に発砲。以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。
    • 7月13日:日本政府は発砲事件に抗議、島からの即時退去と領有権主張の国際法的根拠の照会を要求。
    • 7月27日朝鮮戦争の休戦協定が締結。
    • 9月9日:韓国政府は、日本政府の照会に対し『于山島』『沈興澤報告書』等の古文献を提示。(1回目の往復)
  • 1954年(昭和29年)
    • 2月10日:日本政府は、韓国側が提示した根拠に反論する口上書を提出。
    • 8月15日:朝鮮戦争に出征したジェームズ・ヴァン・フリートが大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、ヴァン・フリート特命報告書を作成。竹島問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカ合衆国の意向を、非公式に韓国に伝達したなどのことを大統領に報告した。
    • 9月20日:韓国が竹島を図柄にした切手を発行、日本国外務省は抗議。
    • 9月25日:日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府は拒否し、日本の2月の反論に再反論した。(2回目の往復)
    • 11月21日:韓国側が竹島の西島、北西3マイルの地点を航行中の日本の海上保安庁巡視船「おき」と「へくら」に対し、午前6時58分から午前7時にかけて5発の砲撃を加える[118][119]
    • 11月30日:砲撃事件に対し、日本の外務省が抗議[118][119]
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月:韓国警察、鬱陵警察署警官8名が島に常駐。
    • 9月20日:日本政府は、韓国側の反論に再反論。
    • 12月25日:独島義勇守備隊解散
  • 1959年(昭和34年)1月7日:韓国政府は、日本側の反論に再反論。(3回目の往復)
  • 1960年(昭和35年)4月27日:当時の駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世より、米国国務省に李承晩体制が終わるタイミングで「竹島を日本に返還させるよう圧力を加えるべき」との電報による提言が行われる[27]
  • 1961年(昭和36年)12月26日:日本国外務省は在日韓国代表部に対し抗議の口上書を送り、韓国政府に抗議。翌27日に韓国が反駁する[120][121]
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月12日:東京で行われた日韓外相会談において、小坂善太郎外務大臣が崔徳新外務部長官に対し、竹島領有権問題を国際司法裁判所に付託することを再び提案、韓国側は拒否。
    • 7月13日:日本政府は、韓国側の反論に再反論。
  • 1964年(昭和39年):鬱陵島安龍福を顕彰する「安龍福将軍忠魂碑」が建立される[122]
  • 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約が調印され、日韓漁業協定により李承晩ラインが廃止される。同時に日韓紛争解決交換公文が取り交わされたが竹島の明記は見送られ、その後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉に応じていない。

日韓国交正常化後

  • 1977年(昭和52年)2月5日:福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。
  • 1982年(昭和57年)11月16日:韓国、竹島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。
  • 1997年平成9年)11月:韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。日本政府は抗議。
  • 1998年(平成10年)12月:韓国、有人灯台設置。日本政府は抗議。
  • 2004年(平成16年)
    • 1月:韓国、竹島を図柄にした切手を発行。日本政府は抗議。
    • 2月17日:日本郵政公社、竹島の写真付き切手の発行を拒否。
    • 3月1日:「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。
  • 2005年(平成17年)島根県慶尚北道とは姉妹都市関係であったが、日本が竹島の日を制定すると関係を撤回した。
  • 2006年にはウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員が国際法上の領土紛争にするよう提唱したが[注釈 17]、進展しなかった。実現すれば1954年以来日本が要求し続けた「国際的な解決」を韓国が受け入れた形となるはずだった。
  • 2008年(平成20年)2月:日本外務省は「竹島問題を理解するための10のポイント」という広報をサイトに掲載[124]
    • 7月28日:米国務省報道室長が、米政府機関の「地名委員会」によるリアンクール岩礁(竹島)の表記をこれまでの「韓国領」から「主権未確定」に変更。
    • 8月8日韓国外交通商部が「独島に対する基本的な立場」をホームページに掲載[125]
    • 10月22日:北東アジア歴史財団独島研究所を VANK の支援主体に。李明博大統領は VANK への予算支援を続けると発表[126]
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 3月26日衆議院外務委員会で、自民党新藤義孝議員が竹島問題に対して政府に質疑。岡田克也外務大臣は「類似の機会にわたって説明している」「個別案件については答えられない」との政府答弁書を受け取る[128]
    • 4月14日:衆議院外務委員会にて、新藤義孝議員が再質疑。「竹島は日本固有の領土」と記述した日本の小学校の歴史教科書検定に合格したことに対し、韓国外交通商省大臣が在韓日本大使を呼び出し抗議されたことと、李明博大韓民国大統領や国会議員・議長も「竹島の実効支配を強化しなければならない」、と発言したことにも触れた。
    • 4月22日衆議院本会議において、新藤義孝議員が鳩山由紀夫総理(当時)に対し、竹島問題に対する対応について答弁を求める[129]
  • 2011年(平成23年)
    • 6月16日、大韓航空が新型機を投入する際に、同社会長、マスコミ、省庁長官等を搭乗させ、竹島上空でデモ飛行を実施。日本の外務省は「領土侵犯に当たる」として、全職員が公務での大韓航空機の利用を同年7月18日から1ヶ月間、自粛することを決定し発表した[130][131]。韓国は撤回を要求したが[132]、自粛は予定通り実施された[133]
    • 7月11日:韓国の国会議員が竹島に上陸し(直近3ヶ月間で4人目)、駐屯警備隊を激励。報道でヘリコプター着陸地増築の様子が伝えられた[134][135]
    • 7月27日:日本の国会議員が鬱陵島訪問を計画していることに対して、李明博大統領は「日本議員が入国する場合、身辺の安全上の憂慮がある」と日本政府に通知し協議するよう韓国外交通商部に指示した[136]
    • 7月31日:日本の自民党議員と大学教授が竹島調査のため鬱陵島訪問を計画して韓国に入国しようとしたが、韓国は空港で入国拒否を行った[137]。これはきわめて異例で初めてのこととされる[137]。李明博政権閣僚でハンナラ党首脳の李在五特任相(無任所相)は「自民議員の鬱陵島訪問は主権侵害」「おれが独島を守る」と発言[137]枝野幸男官房長官は、合法的な入国で「極めて遺憾」と批判、在韓日本大使館から韓国に抗議するとした[138]
  • 2012年(平成24年)
    • 8月10日李明博大統領が韓国の現職大統領としては初めて、竹島を訪問。報道によると、背景には、韓国の国民の民族感情に訴えることで、失いつつある求心力を回復しようという狙いがあるものとみられ、残り半年余りの任期である李明博大統領の周辺では、国会議員だった兄や側近たちの不祥事が続いていて、政権の求心力の低下に歯止めが掛からなくなっている。李明博政権の日本への対応は、12月に控える大統領選挙での与党候補の戦いに影響を及ぼしかねない情勢となっており、光復節で国民の民族感情が一段と高まる時期を迎えて、李明博大統領としては、こうした時期に、歴代の大統領が避けてきた竹島訪問に踏み切ることで、国民感情に訴え求心力を回復するとともに、大統領選挙で野党が勢いづくのを抑えたいという狙いがあったとみられる[139]
    • 10月23日:韓国国会の国防委員会に所属する議員ら15人が竹島に上陸した[140]
  • 2013年(平成25年)
    • 5月21日:「独島は歴史的に韓国の領土」 日本の有識者らが韓国釜山市で記者会見。久保井規夫、黑田伊彦、坂本悠一、一戸彰晃の日本人4人。久保井は日本の古地図などの史資料を提示して、「1775年に制作された古地図には、鬱陵島(ウルルンド)と独島を日本領と表示していたが、幕府側が1779年の改訂版でそれを正し、韓国領と表記した」と主張した。坂本を除く3名は5月23日に韓国から独島に上陸している[141]
    • 5月23日:日本の元大学講師2人と曹洞宗僧侶1人が竹島に上陸し、韓国語で「独島は韓国のものだ」と宣言した[142]。これら3人は市民団体『竹島の日』を考え直す会のメンバーで、そのひとり久保井規夫は「独島が韓国領であることを確信して来た。この確信を日本国民にも伝えたい」旨のコメントを述べた。同じく上陸した一戸彰晃は曹洞宗青森県雲祥寺住職。2012年9月16日の東国寺における石碑建立を主導した「東国寺を支援する会」の代表者。一戸の上陸行為について、所属する宗派教団は「本宗は一切関与しておらず、またその支援、支持等を一切行って」いない旨の告知を公表している[143]。一行は当初4人での訪問を予定していたが、うち1人が「独島は韓国領」と書かれたTシャツの着用を拒否したため、韓国の警察当局によってフェリーから降ろされたという。
  • 2014年(平成26年)

注釈

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  1. ^ a b 北朝鮮も、竹島を朝鮮民族固有の領土と主張し、南北共同の歴史学者討論会を開いたり、韓国での対日抗議行動を好意的に報道している。
  2. ^ かつて日本政府外務省は北緯37度9分、東経131度55分と記していた。2005年(平成17年)7月に毎日新聞によって誤りが指摘されると、正しい記述に訂正された。
  3. ^ 日本政府外務省のパンフレット「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント(2008年2月発行)」では、隠岐と竹島の距離を約157km、鬱陵島と竹島の距離を約92kmと記載している。これは、隠岐との距離では、両島の一番近い所を取って、鬱陵島との距離では中心間を取ったものである。
  4. ^ 他に Dokto, Tokdo, Tokto とも表記する
  5. ^ 李承晩ライン#南米諸国による漁業独占権宣言とそれに対する欧米諸国の抗議
  6. ^ 朝鮮の1里は400m、100里では40km、鬱陵島から竹島までは90kmある。しかし、ここで使われている里は古代東夷(九州王朝説)で使われていた短里 (75~90m) である可能性が高い。この場合7.5km四方または9km四方となり実寸に近い値となる。その他、方百里は面積が百里四方であるとの意味もある。
  7. ^ 日本が1854年、米国と小笠原群島の領有権を巡って争う過程で、独島(ドクト、日本名・竹島)と鬱陵島(ウルルンド)が‘朝鮮に属する’(a La Coree) と明示されたフランス版地図を提示しながら、小笠原群島の領有権を獲得したと、世宗(セジョン)大の保坂祐二教授 (49) が主張した。[1]
  8. ^ 『河北新報』に掲載された林子平を題材とする新聞小説が元ネタだそうです(若松正志「小笠原諸島の領有と林子平恩人説の展開」『日本史研究』536, 2007.4, p.103)[2]
  9. ^ 編入当時の典型的な国際法の解説書として、立作太郎訳述『ホール氏国際公法』東京法学院1900。原著William Edward Hall, A Treatise on International Law, 4th ed. Oxford: Clarendon Press, 1895。またエリトリア-イエメンの判例[3]においても、国家の許可を受けた個人の活動や軍事基地の建設は実効支配として有効とされる。
  10. ^ ko:독도#1951년 ~ 1960년より。
  11. ^ suspended と表現。
  12. ^ The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that "Dokdo Island(Liancourt Rocks)...is a part of the territory of the Republic of Korea". The United States Government's understanding of the territorial status of this islands was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk's note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10, 1951.[4][5]
  13. ^ 近年の主な活動を参照
  14. ^ 実際には多くが日本で配達されたとの指摘もある
  15. ^ 『韓国訪問の年』の記念切手の一つとして発行。図案に著名な観光地や民族舞踊なども含む20種にもおよぶ大セットであったため、日本では韓国切手収集家以外にはほとんど認知されていなかった。
  16. ^ 反論内容要約:1.現に島根県穏地郡五箇村の一部である。2.SCAPIN-677 それ自身が、諸小島の最終的決定に関する連合国の政策と解してはならないと断っているため根拠無効。3.マツカーサー・ラインそれ自身が、国際的境界に関する連合国の政策を表明するものではないと断っており、なおかつすでに撤廃されているため議論の意味がない。4.竹島が「独島」として数世紀の間韓国領だったとする事実はない。
  17. ^ 2006年4月6日韓国FMラジオ平和放送で国際法上の領土紛争にすると発表。金議員は独島を領土紛争にすることの必要性を、次の国会で公式に提起すると話していた。

出典

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  39. ^ THE MINQUIERS AND ECREHOS CASE "The Court does not, however, feel that it can draw from these considerations alone any definitive conclusion as to the sovereignty over the Ecrehos and the Minquiers, since this question must ultimately depend on the evidence which relates directly to the possession of these groups.[9]
  40. ^ CASE CONCERNING SOVEREIGNTY OVER PULAU LIGITAN AND PULAU SIPADAN "The Court finally observes that it can only consider those acts as constituting a relevant display of authority which leave no doubt as to their specific reference to the islands in dispute as such."[10]
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    保坂教授は「日本地図は1871年に本土に併合された沖縄と1876年に帰属した小笠原諸島さえも下段に別途表示したほどなのに、独島と鬱陵島は出ていない。結局“17世紀中ごろから独島を領有した”という日本の主張がウソなのがわかる。」と述べている。
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参考文献

関連項目


外部リンク

日本
韓国
  • 独島 (韓国外務省)
  • FACTS ON DOKDO慶尚北道
    • 慶尚北道の公的サイトで各国語で翻訳されているが、トップページの竹島(独島)の地図は竹島(独島)の位置が韓国寄りに記され、日本の領海を意味するような点線では対馬や隠岐が外されていた。また日本のみ黒く表示されていたが、2008年1月全面的に更新され削除された。
  • 独島博物館
その他のサイト