ジェームズ・ヴァン・フリート
| ジェームズ・ヴァン・フリート James Alward Van Fleet |
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| 1892年3月19日 - 1992年9月23日(満100歳没) | |
ジェームズ・ヴァン・フリート大将
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| 生誕地 | ニュージャージー州 ホーンスデール |
| 死没地 | フロリダ州 ポークシティ |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1915年 - 1953年 |
| 最終階級 | 陸軍大将 |
| 廟 | アーリントン国立墓地 |
ジェームズ・アルワード・ヴァン・フリート(英: James Alward Van Fleet、1892年3月19日 - 1992年9月23日)は、アメリカ合衆国の軍人。第二次世界大戦および朝鮮戦争中、アメリカ陸軍司令官を務めた。
[編集] 経歴
ニュージャージー州コイテスビルにて生まれた。1915年にウェストポイント士官学校を卒業後、同時に歩兵将校となる。
第一次世界大戦時、アメリカ海外派兵軍としてジョン・パーシング司令官の下で大隊長として着任した。第二次世界大戦時には当初連隊長として着任。士官として飛びぬけて優秀な者として知られたが、当時の陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャルが彼をアルコール中毒と間違えたため、昇進はできなかった。後にマーシャルが自分の間違いに気づいたとき、すぐに彼は師団と兵団の司令に昇格された。彼はアメリカ第4歩兵師団第8歩兵連隊長として 1944年6月のユタ浜上陸のD-day(ノルマンディー上陸作戦)を目の当たりにし、後にジョージ・パットン司令官のアメリカ第3軍で行動を共にした。
1946年ヴァン・フリートはギリシャに送られ共産主義者の暴動を沈静化。
1951年には朝鮮戦争における国連軍とアメリカ第八軍の司令官マシュー・リッジウェイの後任司令官となる。数において勝る共産党軍に対抗するため、彼はリッジウェイが努めた第8軍の軍事行動の増強を続けた。また、士官教育や軍士官学校の設立など韓国軍の精鋭化にも努め「韓国軍の父」とも呼ばれている。1953年3月31日陸軍を退役。なお1952年4月、朝鮮戦争において空軍将校であった一人息子を失っている。
1954年、ウェストポイント士官学校での同期生であると同時に、当時の大統領でもあるドワイト・D・アイゼンハワーの特使として韓国・日本・台湾・フィリピンなどを訪問し、中国・共産主義勢力に対する韓国を中心とした竹島問題を含む動向、懸案をまとめたヴァン・フリート特命報告書を作成した(1986年機密解除)。
1992年、フロリダ州ポークシティにて100歳を迎えた数ヶ月後に死亡し、後にアーリントン国立墓地に埋葬された。
[編集] 叙勲
- Distinguished Service Cross with two Oak leaf clusters
- Distinguished Service Medal with three Oak leaf clusters
- Silver Star with two Oak leaf clusters
- Bronze Star with two Oak leaf clusters
- Purple Heart with two Oak leaf clusters
- World War I Victory Medal
- American Defense Service Medal
- European-African-Middle Eastern Campaign Medal
- World War II Victory Medal
- National Defense Service Medal
- Korean Service Medal
- Combat Infantryman Badge
- United Nations Service Medal