日本車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本車(にほんしゃ)とは、日本で生産される自動車(日本製自動車)、もしくは日本を本拠とするメーカーやブランドが販売する自動車(日本ブランド車)のことである。日本国内では、国産車という言い方もされる。
一般的に世界市場において、韓国車などはAsian Car(アジア車)と呼ばれているが、日本車は別枠でJapanese Carと呼ばれている。
広義には二輪車(オートバイ)も含める場合があるが、ここでは二輪車以外の自動車についてのみ述べる。
目次 |
[編集] 概要
日本車の特徴は世界トップレベルと目される高性能・高品質にある。初期故障の発生率の低さや耐久性が極めて高く、また群を抜く低燃費を売りとする。各ブランドの個性も強く、トヨタのハイブリッド車、マツダのロータリーエンジン、スバルの水平対向エンジンなど国際的に認知された技術的アイデンティティを確立しているものも多い。
その反面、デザインについては戦後に欧米車の模倣から始まっており、アメリカのモデルイヤー制の影響を受けた歴史もあるために時流に応じた頻繁なイメージチェンジを繰り返しており、ブランドの独自性を主張しているものは少ない。そのため、個性よりも機能や流行に重点を置くことが多く、デザインが没個性になりがちという意見もある。
2006年、日本の年間自動車生産台数は1,148万台で、世界第1位であった。以下、アメリカ合衆国(1,126万台)、中国(719万台)、ドイツ(582万台)が続く。(OICA・国際自動車工業連合会)
2008年、日本の自動車メーカーによる自動車生産台数は2321万5057台で、世界の自動車生産台数(7310万1695台)の約3分の1、31.8%を占めている。[1][2][3]。
- 世界主要国の乗用車販売台数に占める、「日本ブランド車」のシェアは以下の通り。(2005年、日本自動車工業会)
[編集] 歴史
- 1904年 日本車第一号と言われている「山羽式蒸気自動車」が電気技師・山羽(やまば)虎夫によって製作される。
- 1907年 日本車初のガソリン自動車「タクリー号」が吉田真太郎と内山駒之助の二人によって約10台製作される。
- 1911年:東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」(日産自動車の源流)設立し、初のエンジンまでも含めた純国産車を開発した。
- 1917年 日本車初の量産乗用車「三菱A型」が三菱造船によって生産開始。
- 1918年 日本車初のトラック「T.G.E.トラック」が東京瓦斯電気工業(英名略称:T.G.E.)によって生産される。
- 1925年 白楊社の豊川順弥が製造した「オートモ号」2台が上海に輸出され、日本車初の輸出車となる。1台は消防の伝令車として使われた(「オートモ号」は約300台製造された。1999年、トヨタ博物館と国立科学博物館の共同プロジェクトで復元され、現在国立科学博物館に展示されている)。
- 1932年 名古屋市長の大岩勇夫が1928年に提唱した、「中京デトロイト構想」に沿い、大隈鉄工所(現オークマ)、愛知時計電機、岡本自転車、日本車輌製造の4社共同による、国産初の乗用車、「アツタ号」が完成、試作一号車を名古屋市役所が買い上げる。しかし、当時の技術力や社会、経済情勢の前に、企業化計画は頓挫した。
- 1935年 トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎がトヨタ初のトラック「トヨダ・G1型トラック」を乗用車に先駆けて完成させた。エンジン部品の鋳造には、「アツタ号」の経験も活かされている。
- 1936年 トヨタ初の生産型乗用車「トヨダ・AA型乗用車」を生産。
[編集] 主なメーカー・ブランド
- トヨタ自動車
- 日産自動車
- 日産
- インフィニティ
- 本田技研工業
- ホンダ
- アキュラ
- マツダ
- 富士重工業
- スバル
- 三菱自動車工業
- スズキ
- ダイハツ工業
- 日野自動車
- いすゞ自動車
- 光岡自動車
- 三菱ふそうトラック・バス
- 日産ディーゼル工業
[編集] 日本国外における日本車
戦後における日本車の本格的な海外輸出は、1957年のトヨタ・クラウン対米輸出から始まった。当時はまだ技術力が低かったため、クラウンは評判が悪くあまり売れなかった。その後各メーカーは欧米の技術を徹底的に模範、研究することで次第に評価が高まっていった。オイルショックや大気汚染問題が深刻化した1970年代に、ホンダによってCVCCが開発されるとその高い技術力や省燃費性に注目が集まるようになり、世界での評価は大きく高まった。今では燃費の良さや、工作精度の高さによる故障の少なさが定評となり、世界各国で高い人気を得るまでになっている。
国交のない北朝鮮や、フセイン政権時代のイラクにも、商社を通じて輸出されている。俗にトヨタ戦争と呼ばれるチャド政府軍対リビア軍・反政府軍によるチャド内戦や、イラン・イラク戦争の際は、両軍ともに日本車を「兵器」として使用していた。
ロシア連邦や東南アジア、アフリカ諸国など、多くの国に日本で使用されていた中古車が大量に輸出されており、ロシアの様に右側通行の国であっても左ハンドルに改造されるでもなく、特に商用車などは日本語の看板が描かれたまま使われるものも多い。
また、日本車に限定されるものではないが、盗難車の輸出も増え続けている。これには、自由貿易港を持ち、ジュベル・アリ・フリーゾーンでもあるドバイが存在する限り、有効な対策は無いといわれている。
イギリスなどではスカイラインGT-Rやランサーエボリューション、インプレッサWRXなどの一部のスポーツモデルがカルト的な人気を誇っている。
ブラジルではあまり売れていない。理由は国策としてフレックス燃料車を推奨しているからであるが、本田技研工業がフレックス燃料車を発売したのを皮切りにトヨタも参入し、今後は状況が変わると言われている。
アメリカ市場での市場シェアは約35%と高い。カリフォルニア州に限ると、シェアは45%になり、41%のアメリカ車より高いシェアを記録した(2006年)。 アメリカメーカーはピックアップトラックが販売の中心になっているのに対し、セダンやSUVでは日本メーカーがリードしている。 2007年、全米最大の新聞であるUSAトゥディ紙が発表した「過去25年間に最もインパクトのあった自動車」では、1位・トヨタ・カムリ(1992年型)、3位・トヨタ・プリウス(2001年型)、7位・レクサスLS400(1990年型)など、トップ10のうち6車が日本車であった[4]
ヨーロッパにおいては、市場シェアは約13.5%であり、1999年の11.7%から増加している。特にイギリスでは18%近くのシェアがある。ドイツでも輸入車としては最も高いシェアがある。 近年、トヨタ自動車が欧州での販売台数を伸ばしているのに対し、日産自動車は大きく落としている。
オーストラリアでは50%近くのシェアがある。現地工場を持つトヨタが全(アメリカ、欧州、日本、韓国)メーカーの中でトップシェアである。また、かつては日産や三菱も現地生産したこともあった。
韓国では、1988年に自動車の輸入が自由化されたものの、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本製自動車に限っては輸入・販売が禁止されていた[5]。日本車の販売は、同制度が1998年6月をもって撤廃された後に開始された。日本車に乗ることに対する心理的な後ろめたさがあるとも言われたが、2005年以降はレクサスが輸入車販売の第一位となっている他、ホンダやインフィニティの販売も好調である[6]。
台湾(中華民国)でも21世紀に入るまでは日本を含むアジア製やオーストラリア製の完成車輸入を禁止していたため、日本のメーカーは現地企業と合弁でKD生産に力を入れていた。中でも日産のモデルを生産していた裕隆汽車(ユーロン、Yulon)は1960年代から創業を始めている。
中国では、ここ数年、日本車が急速にシェアを伸ばしている。 2006年、日本車は中国市場で25.69%のシェアを獲得し、国別では2位の中国メーカーを押さえ1位となった [7]。
[編集] 現地生産の開始
前述のように、1970年代以降、日本製自動車は世界各地に輸出されて好評を博していたが、1980年代後半頃から、いわゆる貿易摩擦(ジャパンバッシング)の激化や円高などにより、トヨタや日産など主要なメーカーでは、アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、東南アジアといった、世界の主要な地域に現地生産工場を設立し、日本から技術が移管されて、現地で日本ブランドの自動車が生産される割合が多くなっている。当初は日本から主要な部品などを輸出していたことが多かったが、やがて主要な部品の現地調達率も高まり、外国拠点の主導で設計された車種も現れるようになった。外国拠点で生産された一部の車種は日本にも輸入(いわゆる逆輸入車)されている。
[編集] 日本国外の文化にみる日本車
アメリカ合衆国では、チューンアップした日本車(スポーツコンパクト)の事をライス・バーナー (Rice burner) あるいはライス・カー (Rice car) と呼ばれ、日本のオートバイメーカーのスポーツバイクの事はライス・ロケット (Rice rocket) と呼ばれ高い人気を誇っている。
日本車をテーマにした『ワイルドスピード』(原題:The "Fast and the Furious")という映画は、アメリカを中心に全世界でヒットし、シリーズ化された。

