日本の百貨店

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百貨店の一例(日本橋三越本店)

日本百貨店は、「一つの事業者が複数の分野にわたる多種類の商品を一つのの店舗で扱う大規模な小売店舗で、セルフサービス方式の売り場が50%以下のもの」を指し、英語のDepartmentStore、フランス語のGrands magasins、ドイツ語のWarenhaus(またはGrossmagazin)がこれに相当する[1]

目次

[編集] 歴史

[編集] デパートの誕生

三越絵葉書明治大正時代
泰文堂「写真図説 大正の名古屋」より1925年頃の松坂屋名古屋店

1904年明治37年)12月20日前後に顧客やお取引先に三井・三越の連名であいさつ状を発送[2]合名会社三井呉服店が1904年明治37年)に株式会社三越呉服店を設立し三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだことを案内するとともに、今後の方針として「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」[3]と述べたことをのちに「デパートメントストア宣言」[4]と呼び、日本における百貨店の始まりとするのが一般的である。

しかし、実際の動きはもう少し早く始まっており、1896年明治29年)に高島屋が京都南店に初めて百貨店の特質のひとつである「陳列式」の象徴ショーウィンドウを設置し、1896年明治29年)には大阪店で初の野外広告の設置[5]に踏み切った他、この宣言で注目された三井呉服店の1900年明治33年)10月に「座売り」を全廃して全館を陳列式への切り替え、白木屋1903年明治36年)に「座売り」の廃止と「陳列式」への全面的な切替を行うと同時に「陳列式」を象徴するショーウィンドウや食堂の設置など各地で百貨店化が行われている。

「デパートメントストア宣言」の後には、松坂屋の前身の「いとう呉服店」も1905年明治38年)の名古屋店で「座売り」の廃止と「陳列式」への切替え、1907年明治40年)4月1日には東京の上野店でも「座売り」の廃止と「陳列式」への全面的な切替を行うと同時に「陳列式」を象徴するショーウィンドウ導入、そして雑貨、家庭用品などへの品揃えの拡充など百貨店化を進めた[6]他、同年高島屋も大阪店を洋風2階建に改装して陳列式デパート方式を一部導入する[7]などこの動きは一層進められた。

従来の呉服店の改装に留まらない近代的な洋館を建設して本格的な百貨店を開設する動きとしては、1903年明治36年)に白木屋が和洋折衷でショーウィンドウや食堂のある店舗を造ったのが始まりで、1907年明治40年)に松屋は神田今川橋に作った洋風3階建ての店舗や三越1908年明治41年)4月に38mに及ぶショーウィンドウと豪華な装飾を施した木造3階建ての仮店舗をオープンして呉服店と異なる百貨店らしい店舗を作って追随し、松坂屋1910年明治43年)3月鈴木禎次設計で名古屋に屋上にドームをもつ3階建てルネサンス風の洋館にホール・食堂などの最新設備を備えた百貨店を開業して東京以外にも広がっていった[8]

以後、1912年明治45年)の大丸京都店の鉄筋木造3階建の建物での百貨店化[9]1916年大正5年)の札幌の今井百貨店(現丸井今井[10]や鹿児島の山形屋の百貨店開店[11]など明治末から大正にかけて、日本全国各地で呉服店などを前身に持つ百貨店の開店がみられた。

三越ハロッズから学んで豪華な建築とした[12]様に各店舗が競って豪華で近代的な建物を使用して人目を引いて集客を図り[13]江戸時代からの呉服に加えて海外から美術工芸品や輸入した舶来品なども扱ったため高級感を持たれ、他所行きの着物を着て、お洒落をしてショッピングを楽しむ、「格式の高い場所」であった[14]面もあるが、京都法科大学教授の戸田海市東京法科大学教授の河津、桑谷克堂らが述べているように百貨店の本質は「よそよりも一銭でも高いものがあればお知らせ下さい。粗品を差し上げます。」という新聞広告を打った[15]大丸が掲げた「どこよりも良い品をどこよりも安く」[16]に代表されるように比較的安く売ることにより大量販売する[17][18][19]もので、大規模な店舗で幅広い商品を扱いいわゆるワンストップショッピングを可能としていたこと[20][21]もあり、比較的低価格な美術工芸品の販売が行われていることや購入品を無料で配送していること、定価(正札)で現金販売であること等と合わせて中流以下の庶民に広く受け入れられ[22]、急速に売上を伸ばすことに成功した。

1930年昭和5年)から1931年昭和6年)にかけての1年間の東京市内における売上で見ると6万の小売業者のうち18しかない百貨店が織物被服類の売上総額の69%、小間物用品類では 59% を百貨店が占める[23]ほど急速に売上が伸びたため、大正時代後期になると中小小売業から営業規制を求める声が上がり、1938年昭和13年)12月に最初の百貨店法が制定されることなった(後に太平洋戦争により百貨店が立ち行かなくなり有名無実化し、GHQの意向もあり1947年昭和22年)に廃止される)[24]

[編集] ターミナルデパートの誕生

1936年の阪急百貨店の雑誌広告

1920年大正9年)11月1日白木屋が阪神急行電鉄(現:阪急電鉄梅田駅構内の旧:阪急ビルディング(5階建)の1階に出張売店として出店して世界初のターミナルデパートとなり、1926年大正15年)9月16日に大阪電気軌道(大軌・後の近畿日本鉄道上本町駅構内の大軌ビルディングの地下1階から地上3階に「三笠屋百貨店」の開設で本格的な売場面積を持つターミナルデパートが誕生した(梅田駅の白木屋は1階のみの小規模な店舗だった為、売り場も広く品揃えも幅広かった三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとする見方もある)[25][26]

その後1925年大正14年)に白木屋との賃貸契約満了に伴う閉鎖後に開いた阪急電鉄直営の阪急マーケットが1929年昭和4年)4月阪急百貨店となることで呉服店系と並んで日本の百貨店の2大潮流のひとつとなった電鉄系百貨店が誕生し、1935年昭和10年)に大阪電気軌道(大軌・後の近畿日本鉄道)が「三笠屋百貨店」を買収して直営化してこれに続いた[27][28]

こうしたターミナルデパートの成功を受けて鉄道事業者(特に大手私鉄)が起点となる都市部のターミナル駅に、系列百貨店の設立、あるいは既存百貨店と提携して、店舗を併設する動きが急速に進んだ。

前者は1934年昭和9年)11月1日渋谷駅東口に出来た東横百貨店(現東急百貨店)や1937年昭和12年)11月阿倍野橋駅に出来た大鉄百貨店(現近鉄百貨店)などであり、後者は1932年昭和7年)7月15日南海髙島屋1931年昭和6年)11月1日東武松屋などが代表的なものである。

大手私鉄による百貨店事業への進出は、1960年昭和35年)代まで続けられ、大手私鉄のほとんどは、系列に百貨店を持つようになった。

阪急百貨店は最上階に豪華な食堂を置き、ライスカレーランチが名物になるなど後に各地の百貨店に広まった「デパート大食堂」のはしりとなり、浅草駅松屋屋上にオープンした屋上遊園地もその後各地に広がるなどターミナルデパートが生んだ新たなサービスは呉服店系の百貨店にも取り入れられることになった。

[編集] チェーンストアの登場

アメリカなどで急速に発達したチェーンストアの概念が「連鎖店」として輸入され、高島屋が経営する1931年昭和6年)に高島屋十銭ストア登場し始めると、広い地域に出店して多数の店から商品を売りさばけるこれらの店との相違点が意識されるようになり、正札(価格表示)販売と現金主義は最早百貨店を定義するものではなくなり[29][30]、アメリカでチェーンストアなどとの競合で1937年昭和12年)当時で既に百貨店が食品の取り扱いからほぼ撤退に追い込まれていたため「百貨店の強敵は連鎖店 米国における最近の傾向」との報道がなされるなど[31]大量販売による低価格も百貨店だけのものではなくなるどころか品目を絞って多数の店舗で販売するチェインストアに適わない[32][33]チェーンストアが厳しい競争相手になるとの見方が急速に広まったが、戦時体制への突入でチェーンストアの多くが姿を消した為、この課題は戦後のスーパーマーケットの登場まで大きな問題とならなかった。

[編集] 戦後の復活とスーパーの登場による変化

戦時中の経営統合や空襲での焼失、戦後のGHQによるPXとしての接収などの結果1938年昭和13年)に全国で概ね206店舗あった百貨店は1945年昭和20年)-1948年昭和23年)には119店舗にまで減少していたが、百貨店法GHQの意向もあり1947年昭和22年)に廃止されたこともあって各地で出店が相次ぎ、1954年昭和29年)には売場面積が1938年昭和13年)の水準を超え1955年昭和30年)には158店舗に達した[34]

こうした急速な店舗拡張に伴い中小小売業者から百貨店法の復活が要求された結果、1956年昭和31年)に、百貨店法(昭和31年法律第116号)が成立し、再び出店規制が行われるようになったが、1960年昭和35年)には310店舗で約152万平方メートル、1966年昭和41年)には364店舗で約225万平方メートル、1971年昭和46年)には477店舗で385万平方メートルとその後も急速に出店や店舗拡大が進んだ[35]

戦後は戦前からの旧富裕階級が没落したことや、店舗拡大が進んだこともあって一般大衆の顧客化も一段と進み、衣料品や雑貨といった日用品が大幅な値引をされた特売価格で販売する特売場を上層階に設け、一般大衆を引きつけた[24]。こうして高級品から一般大衆向けの商品まで幅広く扱う小売業の頂点として君臨し、大食堂や大型遊具まで備えた、家族連れで楽しめる一種のレジャーランド的な場としても親しまれたが、1955年昭和30年)頃のスーパーマーケットの登場は百貨店を大きく変質させることになった。

1953年昭和28年)に東京の「紀伊国屋」が始めて導入したセルフサービス式の売場を主体するスーパーマーケット1956年昭和31年)に小倉の「丸和フードセンター(現丸和)」が大規模店舗でのセルフサービス低価格販売を開始[36]するなど急速に拡大し、1972年昭和47年)にはダイエー三越を上回って小売業第一位になるなど百貨店を取り巻く環境は大きく変化した[37]

セルフサービス式の売場を1962年昭和37年)9月西武百貨店(池袋店)、10月に近鉄百貨店大丸(大阪心斎橋店)が導入したものの、SSDDS(セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)は百貨店ではないとして[38]百貨店では主力の販売手法としては導入されず、スーパーマーケットの登場で大規模な店舗で大量販売による低価格という強みを失うことになった百貨店は、店員が対応する対面販売をスーパーにはまねのできない強みと捉えるようになったり[39]、「値段で売る時代から品質の時代に移り変わりつつある」[40]として品質強化をうたい文句に高価格商品へ主力を移す傾向が現れ百貨店は変質していくことになった。

こうした環境の変化を受け、地方百貨店の中には大手百貨店の傘下に入って資本力と信用を強化して高価格化路線への対応する動きが表れる一方、従来からの価格競争路線を維持する為に自らスーパーマーケットに業態転換したり、大手スーパーの傘下に入ったりするものなどが表れ、独立系の地方百貨店は急速に減少していくことになった。

百貨店の高価格化路線はイメージ的にも定着して「ハイエンド商品を扱う」「最高のサービスを提供する」[41]存在と見られるようになったため、大衆ですらいわゆる「高級ブランド品」の買い物を大いに楽しんだバブル景気の頃などには経済的に大いに潤い、1991年平成3年)には、その総売上高は9.7兆円にまで達した。 そうした活況を受けて、それまでの催事場での美術展開催から館内に美術館を開設して展覧会を専門に行うようにしたり、積極的に地方都市や日本国外に出店したり、と多くの分野で活発な設備拡充が行われた。

しかし1990年代に入ってバブル崩壊がおき平成不況となると、モータリゼーションの進展[42]に伴い新規開業したショッピングセンターの60%強が郊外地域に立地するほど増加した郊外型ショッピングセンター[43]や、ロードサイドショップの台頭とも時期が重なったこともあって、特にその傾向が強い地方都市では無理な増床や改装のツケが祟った丸正和歌山市)や松菱浜松市)、逆に十分な拡張や改装ができず施設の老朽化、商品拡充が出来なかった上野百貨店宇都宮市)、松木屋(青森市)など名門地元百貨店の相次ぐ破産するなど店舗閉鎖が相次いだ。

大都市圏の店舗においても施設の老朽化、商品拡充に問題のあった白木屋に起源とする東急百貨店日本橋店の閉店、無理な増床や出店を続けたそごう経営破綻などが起きたほか、赤字が増加、百貨店美術館の閉館、百貨店の統廃合や採算性の悪い小規模な店舗の閉店が立て続けに起こり、最後の華と「さよならフェア」等と題した閉店特売を行ったニュースが相次いだ。

2000年代に入っても、経営面では依然厳しい状況にあり、郊外ショッピングモールへの出店に活路を求めたり、一部大衆デパート(スーパーマーケット)化して凌ぐ所まで見られるが、他方では、1990年代後半より開始された国外高級ブランド(ルイ・ヴィトンティファニーカルティエなど)が銀座など都心部に開店した直営店や、地方都市に進出した日本国外資本の郊外型量販店専門店コストコトイザらスなど)に客を奪われる傾向も見られる。このため、地方の百貨店でも再建に向けてリストラや閉店による体制再構築が見られる[44]。更に少子高齢化が見込まれる中、売り上げの鈍化に伴い、合併、業務提携が進んでいる。業務提携の中心は当初は電鉄系と非電鉄系の提携が有力であった。駅前の優良資産を生かしきれていない電鉄系と、駅前に注目する非電鉄系の思惑により進められてきた。しかし、近年では大丸松坂屋伊勢丹と三越のように非電鉄系で戦前からの「老舗」「名門」と呼ばれてきた百貨店同士の合併(それぞれJ.フロント リテイリング三越伊勢丹ホールディングス)も行われるようになっている。さらに地方都市を中心に店舗を閉店、中小規模の百貨店や郊外型百貨店を関連会社の専門店ビル化させる動きも見せ、東京大阪京都などの大都市中枢でも小規模な不採算店舗は閉店の動きが進んでいる。さらに百貨店の激戦区にユニクロH&MFOREVER21等のファストファッション専門店が進出し、百貨店に行かなくてもその店で安く買えたり、インターネットショッピングでわざわざ店に行かなくても買えるため百貨店離れが加速した。その一方で、集客力の高い主力店舗は増築を行い、ランドマークとして際立たせる「巨艦」化が行われており、構造の二極化が進んでいる。 大阪2011年問題はその顕著たる例である。

[編集] 経営

古くからの呉服屋が百貨店になったものが多いが(呉服系)、鉄道会社がターミナル駅に系列の百貨店を作る場合もある(電鉄系)。また、信販会社・スーパーマーケット・家電量販店チェーンなどをもつ総合流通企業系列のものある。1990年代以降は流通業界全体で経営統合が繰り返されたため、歴史的な系列と資本的な系列が異なる場合がある(たとえばそごう・西武は、電鉄系の西武百貨店と呉服系のそごうが経営統合したのち、総合流通企業の子会社となった百貨店企業である)。

バブル崩壊以降の消費不況、郊外型の大型店舗の出現とそれに伴う街の中心繁華街の地盤沈下などが響き、経営統合・共同配送・共同仕入れなどを行う企業が増加している。高級志向を強めたり、個性を出したり、集客力をもつテナントを誘致したり、開店時間を早めたり、閉店時間を遅らせたりといった工夫をしている店舗もある。

また、経営不振のために閉鎖される店舗も増加しているが、都市の中心に位置する基幹大型百貨店の閉鎖は周辺の商店街などにも大きなダメージを及ぼすとされている。これが原因でいわゆる「シャッター商店街」化するケースも少なくない。

[編集] 出店規制

1956年昭和31年)制定の第二次百貨店法では、新規出店・増床・経営統合などが中小商業者の保護のため規制されていた。そのため、スーパーマーケットチェーンが、売り場を各系列企業のテナントが運営する形で規制を逃れ大規模な店舗面積で出店するケースが増えた。こうした店舗は「擬似百貨店」と呼ばれて問題視され[45]1974年昭和49年)3月1日に第二次百貨店法を廃止し、大規模小売店舗法が施行してそれらの大型店舗も規制の対象とするようになった。

これもデパートと呼ばれる場合もあり(その場合、あまり百貨店とは呼ばれない)、デパートとスーパーという用語の境界が不明確とされることもあるが、「セルフサービスを主力として採用しているものをスーパーマーケット、対面販売を主力としているものを百貨店とする」考え方が統計など行政側で採用されている[46]ほか、当事者の百貨店業界もそう捉えるのが一般的である[47]

2000年平成12年)、中小商業者の保護など経済的規制を目的とした大規模小売店舗法を廃止し、交通渋滞・騒音・廃棄物処理など周辺環境を悪化させないための社会的規制を目的とした大規模小売店舗立地法が施行された。

[編集] 店舗形態

[編集] 立地条件

百貨店は大きく分けて、都市型及び郊外型に二分されるが、主流なのは前者である。都市型百貨店は、古くは都市の中心部の繁華街、商店街の核として立地することが多かった。この立地形態の代表的な店舗としては日本橋銀座(東京)、(名古屋)、心斎橋(大阪)の各百貨店などが挙げられる。

一方、阪急百貨店1929年昭和4年)4月開店、梅田駅、現:阪急うめだ本店)の成功を皮切りに拠点駅の建物に百貨店を併設する、あるいは駅の近隣に建設することで高い集客力を見込める、いわばターミナル立地型の百貨店が増加した。代表的なものとしては、阪急百貨店に見倣ったとされる東横百貨店1934年昭和9年)11月1日開店、渋谷駅、現:東急百貨店東横店)、武蔵野百貨店(現西武百貨店池袋本店)および、東横百貨店池袋店(現東武百貨店池袋店)(池袋駅)、大鉄百貨店(1937年開店、大阪阿部野橋駅、現:近鉄百貨店阿倍野本店)など電鉄系に多く見られるほか、ジェイアール京都伊勢丹京都駅)、ジェイアール名古屋タカシマヤ名古屋駅JRセントラルタワーズ)などJRが大手百貨店と共同出資するケースも増えた。また、百貨店は駅前や都市中心部の再活性化のための都市再開発事業に核店舗として参加を要請されることがあるが、出店取りやめによる再開発事業の中断のような事態が発生するリスクもあるため、再開発事業者側が撤退を容易に認められない傾向にあり、不採算を覚悟で出店する羽目になる危険もある。

郊外型店の例

一方、郊外型では、高島屋玉川店や東急百貨店たまプラーザ店など所得層が比較的高い新興住宅地の新規顧客を見込んで立地するほか、西武百貨店岡崎店(イオンモール岡崎内)や堺 北花田阪急イオンモール堺北花田プラウ内)など大規模な駐車場を用意したショッピングセンターに出店することもケースもあるが、中三秋田店(イオン秋田ショッピングセンター)や武蔵村山三越イオンモールむさし村山ミュー)、船橋そごうららぽーと東京ベイ)、名取三越(イオンモール名取エアリ)の様に売り上げ不振で撤退することも少なくない。そこでは、他のテナントと共同の催事を行うことも多い。しかし、昨今の消費低迷などから専門店ビルに鞍替えするケースも見られる。この「郊外型」については、2011年以降閉店が相次ぐ見込みで、生き残りが厳しくなっているという指摘がある[48]。 また、近年では地方都市でモータリゼーションが進み[49]GMSによる郊外型ショッピングセンターとの競合[50]に対抗するため、宇都宮福田屋百貨店福田屋ショッピングプラザ宇都宮店FKDショッピングモール宇都宮インターパーク店松本井上百貨店アイシティ21大分トキハトキハわさだタウンの様に、地方百貨店が自ら郊外型ショッピングセンターを開設して進出する例も見られる。

[編集] ターゲット

百貨店は各の社風や体制などによって外商などを主として法人富裕層をメインに顧客を開拓していったり、また"庶民派"として中堅層を相手に店売りを主として行ったり、地域密着を強調したりするなど、個性の違いが反映される。代表的な例では、法人及び一般向け外商が過半数を占めると言われ、長年の格式を重んじる日本橋三越本店と元々、庶民派として親しまれていた伊勢丹新宿本店の対比がある。他に、京阪百貨店は創業当初「奥様百貨店」というコンセプトを打ち出していたことがあり、従来の百貨店に付きまとっていた入りにくさを取り払うことで、まんべんなく顧客を開拓し、成功を収めている。地域密着の例では、たとえば東北地盤の百貨店「中合」は、同業他社と何度も統合しているが、店舗ブランドは中合に統合せず統合前からある店舗ブランドを引き続き使用し長年親しんでいる地元に配慮することで、地元住民の歓心を買っている。

また、年齢層による客層の絞り込みも重要な点であり、どの世代を主体としていくかで大きく店舗の性格が変わっていく。そして、この判断を見誤った店舗が不採算に陥り閉店に追い込まれたりするほど経営戦略の中で極めて大きな要素となっている。その基準となるのは買い廻りが多い女性客であり、マチュア、マダム、ミセス層に重視すると一人あたりの購入金額は多くなり採算性は上昇する一方で、話題性、集客力は下がり、逆にティーンヤングミドル層を重視すると話題性、集客力は上がるが、購入金額が低くなり採算性は下がるために、そのバランスが難しい。なお、男性客は現在でもさほど重視されていない(伊勢丹メンズ館の成功などはあるが、依然として百貨店売上に対するウェートは断然低いのが現状であり、戦略を左右するほどの事象ではない)。一方で、百貨店に関心を持たないファミリー層の男性客を囲い込もうと、百貨店の近隣に大型家電量販店などが進出するケースがある。

[編集] フロア構成

※あくまでも一例であり、店舗によって配置フロアなどが大きく異なる。

  • 1階は店の顔にあたる部分で、主に有名ブランドバッグ化粧品などの売り場があり、華やかな雰囲気を漂わせている。
化粧品売り場が1階にあるのは、華やかな店の顔という事の他にも理由があり、化粧品や香水は匂いがきついので建物の構造上(密閉に近い)2階以上に売り場を設けると換気が追いつかない。このため1階に売り場を置いている。
なお2階を正面玄関としたり、換気設備の整ったりしている最近の建物では2階以上のフロアに売り場を置く店舗も増えてきた。
  • 2階から4階あたりには、婦人服紳士服の売り場がある。階によって顧客の年齢別となることがあり、ヤングアダルト、ミセス、マダムなどと区別されていることがある。
紳士服売り場は1フロアのところがほとんどだが、ごく一部のデパートでは2フロアとっているところもある。洋服売り場の一角に喫茶室があるデパートも多い。
  • 5階から6階あたりには呉服和装小物、宝飾品時計子供服スポーツ用品おもちゃ文房具書籍日用雑貨、家庭用品、電化製品、CDなどがおかれていることが多い。美術画廊があるデパートもある。下記の外商部門の窓口があることも多く、外商部員を従えて店内を買い物する客もいる。
  • 6階から7階あたりには催事場(最上階か、そのひとつ下の階にあることが多い)。ここでは、駅弁大会や全国各地の物産展、美術展などのスポット的な催し物が行われる。お中元お歳暮のギフトシーズンには、注文窓口になるギフトセンターが開設されることがある。書籍レコードなどの専門店を誘致しているところもある。
  • 最上階の7階ではレストランを集約させることもある。顧客が最上階から降りる際、各階に立ち寄ることを「シャワー効果」という。大都市にある10階を超える大規模な百貨店ではレストランフロアを最上階を含めて2フロア以上とっているところもある。
食事中に建物周辺の景観を眺めやすいよう、他階に比べ窓の面積が広く設計されているケースが多く、その場合は外観でレストランフロアを判別出来る。
名古屋三越栄店 屋上観覧車
  • 屋上は、上流階級のための社交場として庭園が設けられた(いわゆる「空中庭園」)。最初に始めたのは三越日本橋店1907年(明治40年))[14]1931年(昭和6年)には浅草松屋屋上遊園地「スポーツランド」をオープン。この屋上遊園地は、戦後全国の百貨店に広まることとなる[14]。しかし、昭和40年代に百貨店火災が相次いだことにより消防法が改正され、屋上の半分を避難区域として確保することを義務付けられるようになったため、屋上遊園地は姿を消した[14]。その後はペットコーナーやゲーム機、ゴーカートなどがある小規模な遊戯施設や休憩所などが設置されており、現在は夏場のみビアガーデンとして利用される店舗もある。最近ではヒートアイランド現象対策として屋上庭園とするケースも見られる。
なお、最近は遊戯施設を子供服おもちゃ売り場近くに設置するところもある。また地方中枢、中核都市以外の地方都市の場合、採算性の低さ・防犯上の問題から閉鎖されていることがほとんどである。
  • 地下は食料品を扱う場合が多い。揚げ物寿司などの惣菜を扱う店舗や、ケーキや地元の銘菓などを扱う店舗などが並ぶ。近年は、「デパ地下」と呼ばれるようになり、百貨店の中で最も買い物客が多く、活気あふれる売り場であろう。
特に夕方や週末などは多くの買い物客が押し寄せる。
2フロアある場合は、地下1階が菓子類、地下2階が惣菜・生鮮品などと分けていることがある。最近では輸入品や高級食材などを扱い、スーパーのような形式をとっている店舗もある。
また、軽食コーナーを設け、飲食が出来ることもあるが、小規模なカウンターが多く、ショッピングセンターのようなフードコートの形式のものは少ない(阪神百貨店の地下フードコートは有名な例外である)。また、店内でパンを焼くベーカリーがあることがほとんどである。
  • 地下鉄連絡口を設けている場合が多い。また郊外店においても着手しやすい食品売り場に注力し、顧客の店舗内での回遊を図る。これを「噴水効果」という。人気テナントや客が集まりやすいコーナー(書店CDショップなど)を、意図的に入り口やエスカレーターより一番奥に配置するのも噴水効果の一つであり、家電量販店などでも積極的に用いられている手法である。ただし、該当するテナントにとっては、少しでも集客が見込める場所に店舗を構えたいという要望は強い。入居先の百貨店に対する発言力が強い人気テナントなどが希望配置箇所を強く要求し、それが百貨店全体の噴水効果に悪影響を及ぼすケースも存在する。このことは、売り場にテナントを設けず全て直営に拘る百貨店が存在していた理由の一つとも言われる。
  • 地下3階以下に駐車場を持っている百貨店もある。
  • 陳列商品や店内装飾が長期間、陽に照らされて色落ちしないよう、通常は食堂街階以外の階の全ての窓を内側から壁で完全に封鎖することが多かったが、近年は郊外型大型書店などで、回転率が高く売れ残りも出版元へ返本が利く雑誌(週刊・月刊)コーナーを色落ちを考慮する必要の無い商品として、店舗に大きな窓を設け傍に配置するケース(店内照明の電気代経費を幾分か節約出来るだけでなく、店内の雰囲気も柔らかく明るくなる)も増えている。

[編集] デパ地下

デパ地下

日本では食品関連の売場がデパートの地下に設けられることが多いことから、百貨店の食品売り場のことをデパートの地下を略してこう呼ばれるようになった。

野菜や肉・魚介類・加工食品など通常のスーパーなどでも扱われものもあるが、有名な料亭やレストランがその料理を惣菜や弁当などの形で販売したり、有名な菓子店のケーキ和菓子、地元の銘菓などが各々の店ごとに多数並ぶ他、輸入食品も扱うなど食品全般に渡って幅広い品揃えをしているのが特徴である。

1936年昭和11年)に松坂屋が名古屋店に名店街を作り[51])、商品のみを卸売りしたがらない有名菓子店などを出店させることに成功したことで、こうした売場構成が可能になり、現在ではデパートの代表的な売場のひとつとなっている。

[編集] 百貨店のフロア構成の一例

屋上 ペットコーナー、屋上庭園
7階 レストラン催事場
6階 子供服玩具スポーツ用品文具
5階 家庭用品、日用雑貨、呉服宝飾品時計美術画廊
4階 紳士服喫茶
3階 婦人服
2階 婦人服、高級ブティック
1階 化粧品バッグ、婦人靴
地下 食料品

[編集] 外商

百貨店の外商(がいしょう)とは、法人や多額の購買が見込める有力な個人客を対象に店舗外で直接顧客宅を訪問して商品を販売する事業部門で、当然「陳列式」ではなく、「正札」価格より値引きを行い、現金ではなくツケ払いであるなど百貨店の定義とことごとく矛盾するが、「現金掛値なしの呉服店」のほとんどが「固定客に対しての掛売り」を当然の様に行っていた伝統があり、それが番頭制度(またはお帳場制度)とともに引き継がれたもので、呉服店系の百貨店では初期から当然の様に存在していたサービスであり、部門である[52]

売上拡大に直接役立つだけでなく、大切な固定客を大事にするサービスとしての意義が大きい[53]されるほか、百貨店法の成立以降、店舗の出店や拡張に制約が生じた百貨店にとって店外で売上高を伸ばせることはむしろ大きなメリットであり、スーパーマーケットとの棲み分けから進められた高級化路線のターゲットとしてぴったりな高額の購入が期待出来る外商顧客の性格も相俟って、外商部門は強化されるようになったケースが多い[54]

クレジットカードが普及した為、近年は外商の顧客には、その百貨店でだけ優待価格で決済できる、外商カードと呼ばれるクレジットカードが付与されることが多い。

百貨店外商の顧客であることを外商である(例:うちは○○百貨店の外商でして)と表現することがある。

多くの百貨店で行われており、店舗販売とともに重要なもので、遠方の顧客の為に店舗とは別の場所に(住宅地など郊外に所在することもある)「ギフトショップ」のような名称で外商の拠点(ほとんどは小型の事務所のような感じ)を持っていることも多い。

外商部門の販売品目としては、一般法人に対してはギフト品、販売促進用の物品(ノベルティ)、制服・制帽、店舗やホテルの食器などの備品や客室などの内装デザインが多く、個人に対してはギフト品・高級ブランド品・高級食材などである。

また、一般顧客向けに百貨店のブランドイメージを生かした通信販売を行っていることも多い。特にギフトシーズンになると、コンビニエンスストアにギフトカタログが置かれ、商品の注文を受ける場合もある(ファミリーマートでの三越ギフト、デイリーヤマザキでの松坂屋のギフトの取り扱いなど)

[編集] 友の会

外商と同じく顧客を優遇し、固定客としていくものとして導入されている制度で、一般的は毎月一定額を1年間積立、満期になるとそれを商品券などとして顧客に戻し、自店で購入してもらう仕組みである。

1925年大正14年)に鹿児島市の山形屋がお得意様の要望ではじめた「山形屋七草会」がその最初のもので、1951年昭和26年)に佐世保玉屋、鹿児島丸屋、1953年昭和28年)に岩田屋井筒屋でも導入されるなど九州地方で早くから普及が進み、1953年昭和28年)の阪急百貨店1964年昭和39年)の京王百貨店などと全国的に広まることになった[55][56]

1972年昭和47年)に割賦販売法が改正され、友の会は、前払式特定取引業として規制対象となり、資金の別管理が要求された為、友の会を別会社として設立して営業を継承し、現在に至っている[57]


[編集] 仕入

百貨店が誕生した当時は欧米などと同じく、現金販売による資金回収の速さと大量販売・大量仕入による低価格戦略を採っていた為、「買い取り仕入れ」と呼ばれる完全に買い取り、売れ残っても返品しない仕入形態を採るのが普通であった。

下表の通り1958年昭和33年)にはまだ70%近くを買い取り仕入で行っており、在庫リスクを自社で背負いながらも高い粗利益率を確保する欧米と同様の営業形態が残っていたが、1987年昭和62年)には逆に一時的に買い取りはするが、商品が売れ残ると返品できる「委託仕入れ」[58]が約2/3を占め比率が完全に逆転し、「買い取り仕入」は約20%にまで減少している。 そして現在では推計が正しければ売れた時点で仕入と見なす「売上げ仕入れ(消化仕入)」[59]と一段と百貨店側のリスクも関与も少ない仕入形態の比率を高めており、幅広くきめ細かな品揃えを可能にしてきたが[60]、アメリカの百貨店の最終粗利益率は40%に対して、日本の百貨店は26%程度と極めて低収益で売り方や価格設定などの自主性もほとんどなくしてしまった[61]との厳しい評価がされることも多い。

しかし、こうした批判に対して大丸や「「松坂屋]]を傘下に持つJフロントリテイリングのCEO奥田務はむしろ日本特有のユニークな制度として強みとして捉え[62]、「買い取り仕入」による「自主運営売場」と「売上仕入」による「ショップ運営売場」を混同して各々に合わせた管理・運営を行ったこなかったために高コストになり[63]、その結果として「粗利益率は低いが顧客が求める新鮮な商品やショップを導入できなかった」[64]ことにより「顧客の求める商品やブランドが百貨店に少なくなり、お客様が離れる」という悪循環に陥った[65]ことこそが問題だとしている。

全売上の80%を占める“売上仕入”中心の「ショップ運営売場」を最終粗利益率は低いものの、低経費で高収益な売場である[66]として、運営方法の見直しによる低コスト化を推進することで「粗利益率や既存の取引先に拘り過ぎずに新たなショップやブランド導入」を進めて魅力的な売り場作りを行うことが重要だと反論しており[67]、専門家と実際の経営を行う経営者との間で見解の相異があることが浮き彫りになっている。

仕入形態 1958年 1987年 現在(推定)
買い取り仕入れ 69.1% 21.0% 10.0%
委託仕入れ 23.6% 66.4% 40.0%
売上げ仕入れ(消化仕入) 7.3% 12.6% 50.0%
  • 「百貨店返品制度の研究」江尻弘著 中央経済社 2003年より[68]

[編集] その他の事業

  • 多くの店舗を持つ百貨店は、改装工事も多いのでデザイン事務所や工事業者を系列に持つこともある。
  • 系列ゴルフ場を持っていたがその経営不振のため多額の損失を出したといわれる企業もある[69]
  • モータリゼーションとともに1960年代~1980年代にかけて、自動車ディーラー(特に輸入車)を子会社に持っていた百貨店も存在する。代表的な例として三越(三越ワールドモーターズ、ユーノス系列)や西武百貨店西武自動車販売)、高島屋トヨタカローラ高島屋)など。

[編集] 主な百貨店

[編集] 全国的に展開

近年は、大手百貨店同士による経営統合が進んでいる。

  • 株式会社髙島屋(近畿・関東・中部・中国・四国地方で展開)
  • J.フロント リテイリング株式会社 - 2007年9月1日発足。
    • 株式会社大丸松坂屋百貨店 - 2010年3月1日、旧株式会社松坂屋が旧株式会社大丸を合併し発足。
      • 大丸(近畿・北海道・関東・中国・四国・九州地方で展開する屋号)
      • 松坂屋(中部・関東・近畿地方で展開する屋号)
  • 株式会社三越伊勢丹ホールディングス - 2008年4月1日発足。
    • 株式会社三越伊勢丹 - 2011年4月1日、旧株式会社三越が旧株式会社伊勢丹を合併して、関東地区の店舗を運営する会社として発足。関東地区以外の各店は、地域ごとに持株会社傘下の各社の運営となっている。
      • 伊勢丹(関東・中部・近畿地方で展開する屋号)
      • 三越(関東・北海道・東北・中部・近畿・中国・四国・九州地方で展開する屋号)

[編集] 北海道中心

  • 札幌三越(札幌) - 三越伊勢丹ホールディングス傘下
  • 丸井今井(札幌・函館) - 三越伊勢丹ホールディングス傘下の札幌丸井今井と函館丸井今井が運営する店舗。
  • 丸ヨ池内(札幌)
  • 藤丸(帯広) - 建物としては三代目。二代目建物(現 北洋銀行帯広中央支店)の完成による移転で在庫商品倉庫化されていた初代建物を解体化し、跡地に新築された。

[編集] 東北地方中心

[編集] 関東地方中心

[編集] 中部地方中心

[編集] 近畿地方中心

[編集] 中国・四国地方中心

[編集] 九州地方中心

[編集] 専門店ビル

経営母体が仕入を行って売場を運営せず、各店舗に完全に売場運営を委ね、売上が法律上も入居している各店舗で計上し、各々が個別に直接小売事業を行う業態を専門店ビル」や「ファッションビル」と呼ぶ。

かつては中小の小売業者が集まって一つのビルに入居して、各々が独自に店舗を運営しながら全体としては「百貨店」の様な多品種を扱う形態が多かったため、「寄合百貨店」と呼ばれることが多く、現在でも経済産業省や市町村などの行政機関では個別に経営する店舗が集まって形成されるこうした大型店を「寄合百貨店」として統計などを採っていることが多い。

近年はパルコルミネラフォーレ原宿メルサに代表されるような大手企業が全体を統括し、全体の店舗構成やイメージコントロールを行いながら運営するケースが多くなり、ファッション関連のテナントが多かったことから、ファッションビルという呼び方がされるようになった。

近年は百貨店もインショップと呼ばれるアパレル業者(卸売業者)が自社のブランドで運営し、売上が上がった段階で仕入を起こす売上仕入のスタイルを採る売り場も多く、この部分が専門店に見えるため、専門店ビルと百貨店ビルの違いが素人目には判り難くなってきている。

「ファッションビル」(パルコルミネなど)についてはファッションビルを参照」

[編集] 専門店

全体を単独の企業が運営して特定分野の商品だけを扱う店舗は大規模であっても専門店とされる。

[編集] 規模縮小し百貨店でなくなったもの

百貨店の規模を持たず(売り場面積1,500m²未満)で、専門店ビルでも単独の専門店でもないもの。

[編集] 過去にあった日本の百貨店

[編集] 同一法人が名称変更したもの

うち百貨店業態の店舗:仙台・白河・足利・佐野・銚子・藤沢 → コスタ → OPA・ポポ佐原SC・ポポ八千代SC
ただし山形店は中合に譲渡された後も、十字屋の名称で運営されている。
  • そごう・西武
  • 三越グループ
    • 奈良屋(千葉)→ 千葉駅前に移転しニューナラヤとして開店、翌年奈良屋店をセントラルプラザに業態変更 → 千葉三越 → (三越本体へ統合され、直営店として運営)三越千葉店 → 千葉三越
      奈良屋(ニューナラヤ)と千葉三越は同一法人。後に三越本体へ統合され、直営店となった。
    • 小林百貨店(新潟)→ 新潟三越百貨店 → 名古屋三越新潟支店 → 三越新潟店 → 新潟三越(新潟三越伊勢丹が運営)
      小林百貨店が新潟三越百貨店に社名変更。その後名古屋三越(初代)に吸収された後、三越本体に統合され直営店となったが、伊勢丹との経営統合により、再度分社化され(新潟伊勢丹とともに)「株式会社新潟三越伊勢丹」が運営。
    • オリエンタル中村百貨店(名古屋)→ 名古屋三越 → 三越名古屋栄店 → 名古屋三越栄店
      オリエンタル中村百貨店が「株式会社名古屋三越」(初代)に社名変更。その後、三越本体に統合され直営店となったが、再度分社化され「株式会社名古屋三越」(2代目)が運営。
    • 大越百貨店(那覇)→ 沖縄三越
      三越との提携で社名変更。
  • 東急百貨店グループ
    • 東横百貨店 → 東横百貨店渋谷店 → 東急百貨店東横店
    • 日吉東急百貨店(横浜市)→ 東急百貨店日吉店 → 日吉東急(専門店ビル化)→ 日吉東急avenue
    • まちだ東急百貨店(町田市)→ 東急百貨店まちだ店 → 町田東急ツインズ(専門店ビル化)
    • 港北東急百貨店(横浜市)→ 東急百貨店港北店 → 港北東急(専門店ビル化)
    • 丸善銀座屋(長野市)→ ながの丸善 → ながの東急百貨店
  • 丸井今井
  • そうご
    • 旭川本店(北海道・旭川)→ ファッションプラザオクノ
  • エイトデパート(札幌)→ Arche(アルシュ)
  • 和光デパート(函館)→ wako函館
  • カネ長武田百貨店(青森・弘前)→ ダックシティ → ダックビブレ → さくら野東北
  • 丸光
    • 仙台店 → ダックシティ → ダックビブレさくら野百貨店
    • 八戸店 → ダックシティ → ダックビブレ → さくら野百貨店
  • 中合に買収された店舗。いずれも名称は不変
    • 丸実屋(八戸)→ 呉服専門店だった三春屋が買収後、百貨店「三春屋」へ
      • かつて一関市水沢市に存在していたヤマニ三春屋はこの三春屋の子会社だった。
    • 清水屋(しみずや、酒田)
    • 十字屋(百貨店業態、山形)
  • 志満津百貨店(水戸)→ 京成志満津 → 水戸京成百貨店 → 京成百貨店
  • 東京デパート(新橋)→ 京急ストア
  • 野澤屋(横浜)→ ノザワ松坂屋 → 横浜松坂屋2008年平成20年)10月26日閉店)
  • 江ノ電百貨店藤沢)→ 藤沢小田急 → 小田急百貨店藤沢店
    • 江ノ電百貨店は経営不振で小田急子会社が継承。のちに変則的再編実施
  • 田中屋(静岡)→ 田中屋伊勢丹 → 静岡伊勢丹
    • 伊勢丹の子会社化。
  • 丸物京都近鉄百貨店近鉄百貨店と合併し法人としては存続しているが、旧丸物 → 旧京都近鉄百貨店だった店舗は全て閉鎖され、事実上消滅した。
  • 枚方丸物→ 枚方近鉄百貨店→ 近鉄百貨店枚方店2012年平成24年)2月29日閉店予定)
  • 米子大丸(米子)→ 米子しんまち天満屋
  • 岡政(長崎)→ 長崎大丸 → 博多大丸長崎店
  • 井筒屋関連

[編集] 同一法人が商業施設のままフロアの殆どをテナント化したもの

[編集] 同一法人が商業施設以外(および飲食店ビル、貸しビル)の用途に変えたもの

  • 丸正(北見)→ テナントビル → 地元スーパーの仮店舗
  • 西銀(北見)→ テナントビル
  • オリエンタルデパート(釧路)→ オリエンタルプラザに改称 → 飲食店テナントビルに業態変更
  • サニーデパート(帯広)→ 飲食店テナントビルに業態変更 → 商号を坂本ビルに改称
  • アサヒビルデパート(旭川)→ 飲食店・海鮮品物販店・事務所およびバス営業所のテナントビルに業態変更
    • 建物の解体・全面建て替えの方向で計画進行中
  • ナカムラデパート(都城)→ メインホテルナカムラ(法人としては株式会社中村のまま業態変更)

[編集] 閉店・移転・撤退で空いた建物を、他法人に商業施設として引き継がれたもの

[編集] 閉店・移転・撤退で空いた建物を、他の法人が商業施設以外(および飲食店ビル、貸しビル、ホテル、公共施設)の用途で引き継いだケース

  • 緑屋月賦百貨店 → 現クレディセゾン
  • ほくそうデパート → 倒産(1970年3月26日) 参考HP
    下記の店舗の他、道内に11店舗存在した。現在は別に珍しく無いが、当時画期的だった月賦販売主体の百貨店。
  • 丸興(月賦百貨店 → オーエムシーカード → 現・セディナ
  • ショッピングヤスモト(釧路市)→ リビングヤスモトに改称 → 太平洋建設工業に売却
  • 千歳まるせん千歳市)→ 閉店 → 北海道銀行千歳支店入居。
  • 藤丸本店 ※ 二代目(帯広市)→ 北海道拓殖銀行帯広支店 → 北洋銀行帯広中央支店
  • ぎんやデパート(G FRESH ginya、室蘭)→ 閉店 → 平川魚屋
  • 大国屋×(小樽)→ 閉店 → 建物は解体 → 駐車場 → オーセントホテル小樽
  • 丸井今井
    • 旧函館店(函館市)→ 移転(市内)→ 函館市末広町分庁舎(交通局、水道局、市史編さん室、函館圏開発事業団、庁舎建設事務局、道立内職相談センター、北方領土復帰期成同盟)→ 閉所 → 函館市地域交流まちづくりセンター
    • 旧室蘭店 ※ 初代店舗(室蘭市中央町)→ 移転(室蘭市中島町)→ 室蘭プリンスホテル
      • 現室蘭店(市内中島町)も、二度目の移転(東室蘭)で空きビル化の予定。
  • ハトヤデパート(札幌市豊平区)→ 閉店 → 倉庫
  • 彩華デパート×(函館)→ 建物は解体。跡地にマルハン函館大門店
  • マエダ百貨店(むつ、スーパーマーケットに業態転換)
  • 丸友(五所川原)→ 立佞武多の館(たちネプタ
  • 松木屋×(青森)→ マンション
    • むつ松木屋は破産前に本体から分離
  • ヤマダイ(弘前)→ 閉店(建物自体は雑居ビルとして存続)中土手町紀伊国屋書店向かい
  • 酒田大沼×(庄内交通バスターミナル)→ ダイエー酒田店 → 建物は解体。跡地にマルハン酒田店
  • 釜石丸光× → ニチイ釜石店 → 閉店、解体
  • 大黒屋×(いわき市) → 結婚式場「ベルマシェリ」(改名し現在は「ピュアベルヴィいわき」)
  • 郡山丸光 → 朝日生命郡山センタービル
  • 丸光×(長野)→ 丸光そごう → 長野そごう → 閉店 → 再開発施設「TOiGO
  • 足利ショッピングデパート(足利)→ サンパルコ足利店 → 「ホテルおりひめラドン会館」として現存
  • 山崎×(宇都宮)→ 緑屋 → ams宇都宮 → 109宇都宮 → 閉店 → 市民広場「オリオンスクエア」
  • すみや(太田)→ 倒産後建物は富士重工業群馬工場西本館として現存
  • 前三百貨店(前橋)→ 「前橋テルサ」
  • 松屋の閉鎖店
    • 船橋店 → 丸興船橋店が移転・短期間で閉店 → 雑居ビル(船橋セントラルビル)として現存
    • 越前屋百貨店 → 震災で倒壊再建 → 寿百貨店 → 松屋横浜店が移転入居 → 松坂屋に売却、横浜松坂屋西館 → JRAエクセル伊勢佐木
  • 美松(3年10ヶ月で解散)→ 朝日生命日比谷ビル(日比谷マリンビル)
  • 高田馬場菊屋 → BIG BOX
  • 東急百貨店関係
  • イトーヨーカドー
    • 帯広店(帯広)→ 閉店 → チーズ帯広(開店準備中)
  • 八王子西武(八王子)→ グランド東京ビル
  • 山吉百貨店(川越) →丸木百貨店→丸広百貨店→パチンコ店→キャバレー→廃墟→人力車駐車場→山吉ビル
  • 橋本そごう(相模原)→ 出店中止 → シティプラザはしもと
  • 鎌倉西武 → みずほATMコーナー× → 割烹「鯉の助」
  • 中込百貨店(アーバンなかごみ、甲府)→ 西友中込店 → 甲府西武(西友経営) → 閉店 → 山梨県民情報プラザ
  • 松林軒デパート×(甲府)→ 甲府松菱(のちの山交百貨店)→ 甲府会館 → 空家 → 取り壊し → ホテル「ドーミーイン甲府」
  • はやしや(松本)→ はやしやジャスコ・移転 → 信州ジャスコ → ジャスコ松本店
    • はやしや旧店舗に松本パルコが入る
  • 豊橋丸物×(豊橋)→ 豊橋西武 → 閉店 → 再開発ビルが建設 → ココラフロント
  • 名鉄丸栄百貨店×(一宮)→ 閉店 → 名鉄不動産の分譲マンション
    • 現在の名鉄百貨店一宮店とは別店舗だが、実質後継店。当初は名鉄と丸栄の合弁店舗だった
  • 丸物岐阜店 → 京都近鉄百貨店岐阜店 → 閉店・改築中日新聞社岐阜支社
  • 大手町デパート(津山)→ 津山高島屋 → 閉店 → 玉野競輪場車券売り場
  • 山城屋×(北九州)→ 解体後西日本鉄道がマンションを建設
  • 丸柏×(まるかし、若松)→ 若松井筒屋 → 閉店 → ホテルルートイン
  • 博多大丸旧店舗(福岡・呉服町)→ エレデ博多寿屋 → 建物老朽化のため移転エレデ博多寿屋空港店寿屋倒産により閉店 → 跡地に福岡地所のオフィスビル
  • 大越百貨店(唐津)→ テナントビル
  • ヤギデパート(熊本)→ 熊本商工会議所
  • 日田岩田屋× → 2002年に閉店 → ロフティ日田駅前テリオ
  • 中村百貨店×(別府)→ 別府近鉄会館 → 別府近鉄百貨店 → 近鉄百貨店別府店 → 閉店
    • 跡地に複合高層ビル
  • 都城橘 → 旭化成サービス× → SEGA WORLD

[編集] 完全に消滅したもの

旧店舗建物が解体されて現存しない、もしくは旧店舗建物全体が買い手も付かず空き不動産状態。

旧日本領 南樺太

「大江戸百貨店」商号説もある。

北海道
  • そうご ※ 現OKUNO(本店:旭川)。そごう・西武との資本的関係は一切無い。
  • 五番舘(札幌)→ 西武セゾングループ傘下入りを機に、五番舘西武に改称 → 札幌西武に改称 → 西武札幌店に改称→閉店(2009年9月30日)→建物解体後、跡地にヨドバシカメラ札幌店三代目店舗建物が新築され、現二代目店舗(初代は高架下にあった)より移転の予定。
  • 中央デパート(根室)×→閉店→建物は解体。跡地は駐車場化。
  • ヤマイチデパート(根室)
  • 丸三鶴屋 → 丸井今井に経営譲渡(1996年)・廃業(2006年)
    • 釧路本店【本館】(釧路)→ 丸井今井釧路店大通館 → 閉店(2004年。売却先での再利用について、計画すら立ち上がらない状態)
    • 北見店(北見)→ 閉店(1945年)
  • ほくそうデパート → 倒産(1970年3月26日) 参考HP

下記の店舗の他、道内に9店舗存在した。現在は別に珍しく無いが、当時画期的だった月賦販売主体の百貨店。

    • 函館店(函館) → 閉店
    • 旭川店(旭川) → 閉店
    • 釧路店(釧路)×→ くしろ家具センター → ニトリ釧路店 初代店舗 → 郊外(釧路町)の二代目店舗へ移転し、建物は解体。跡地は駐車場化。
  • 丸ト北村(釧路)
    • 釧路市が買収・建物解体し、跡地に釧路市民交流プラザを建てる計画があった。
  • くしろデパート(釧路)→ KOMに改称 → 閉店(2002年)
  • 大一デパート(釧路)→ 閉店。建物も解体し、跡地は北洋銀行共栄大通支店の駐車場になっている。
  • はとや百貨店(帯広)→ はとやビル(サウナ)→ 閉店。建物も解体。
  • 藤丸 初代店舗(帯広)→ 二代目店舗への移転。系列子会社であるふじともスーパーが入居。 → ふじともスーパー閉店(他支店は健在)→ 藤丸の商品倉庫化 → 閉鎖・建物解体 → 三代目にあたる現店舗建物新築。
  • まるいいとう×(北見)→ きたみ東急百貨店 駅前プラザHOW(賃貸ビル)→ 建物は解体。跡地に北見信用金庫本店ビル 建設。
  • ビルディング百貨店(北見)→ 閉店 → 金市舘 北見店 入居 → ラルズプラザ北見店に店名改名 → 閉店 → 建物は解体。跡地にホテル ルートイン北見駅前店 建設。
  • 鶴丸(苫小牧)→ 錦町再開発商業ビル「トピア」(現「ビッグジョイ」)に移転後、元社屋建物は解体。跡地は駐車場化
    • なお、移転先店舗も閉店
  • 丸丹おかむら×(夕張)→ 建物解体後、同跡地に「ホテル・シューパロ」が建設・開業され、現在に至る
  • 北川デパート(札幌市白石区本通2丁目南)→ 閉店(1980年代後半頃。同じ企業系列の深夜スーパー「ナイトショップPAL」白石本通店入居) → 閉店 →コープさっぽろ白石本通店 → 閉店。建物は解体され、跡地にマンション「クリーンリバー白石本通」建設 →UR都市機構に移管され、白石本通ハイツに改名。
  • 本通デパート(札幌市白石区白石本通沿い)→ 閉店(1975年)→ダイエー白石店が入居し、こちらも後に閉店。現在、建物は解体され、跡地にパチンコ店プレイランド・ハッピー白石店が建っている。
  • 下白石百貨店(札幌市白石区)→ 閉店→建物解体後、同跡地に焼肉レストラン「一心亭」が建設・開業・撤退 → 焼肉「徳寿」開業
  • サンエーデパート(札幌市白石区白石本通沿い)→閉店
  • 月寒デパート(札幌市豊平区月寒中央通国道36号一部区間。東豊線月寒中央駅傍)沿い)→ 閉店(1990年代半ば頃) → 建物は解体。跡地に賃貸マンション「AMSタワー月寒」(後に「月寒タワーマンション」に改名)建設。
  • ハトヤデパート(札幌市豊平区)→ 閉店 → 倉庫化
  • ダイヤデパート(札幌市西区発寒地区)→ 閉店
  • 丸井今井 旭川店 初代店舗(旭川)→ 買い物公園を挟んだ向かい側に新築移転後、暫くは市民ホール的役割を担ったが、その後、建物は解体。跡地に商業ビル アッシュ。後に移転先店舗も閉店。
  • ラルズプラザ(アークスグループ百貨店部門企業)
    • 丸友金市舘 釧路店×(釧路)→ ラルズプラザ 釧路店 → 閉店 → 建物は解体。跡地にホテルルートイン釧路駅前店
    • 丸友金市舘 旭川店×(旭川)→ 閉店 → 建物は解体。跡地に藤田観光ワシントンホテル旭川(ビル名に金市舘の名称が残る)
    • 丸友金市舘 帯広店×(帯広)→ 閉店 → パチンコ店 テミス中央店 → 閉店
  • ニューギンザデパート(小樽)→ 閉店 → 建物は解体。跡地に小樽グランドホテル建設(同ホテルも2009年に閉店)
  • 丸井マルサ(丸井今井系ファッションビル)
    • 小樽マルサ(小樽)→ 丸井アネックス → 長谷川家具 → 閉店
東北地方
  • マルキ飛島(五所川原)→ イトーヨーカドーマルキ → 閉店。エルムの街内でイトーヨーカドー五所川原店が開店するのに伴うもの。
  • みなみ百貨店(青森)
  • 菊屋百貨店(青森)
  • 富士屋百貨店(青森)
  • 新幸百貨店(弘前)
  • かくは宮川(弘前)→ 消防法の問題により建て替え(ヤマダイ廃業の二~三年後)・ハイローザ(ファッションビル)に → 閉店
  • 二戸中三(二戸)→ 二戸ダイエー → 閉店
  • 及新(釜石)
  • マルサン百貨店(水沢) → 閉店 → 北ホテル
  • ヤマニ三春屋(水沢)→ 水沢ダイエー → ダイエー水沢店 → 閉店
  • ダイコーデパート(水沢)
  • 東光デパート(一関)→ ヤマニ三春屋一関店 → 一関ダイエー → ダイエー一関店 → 閉店後しばらく建物は放置されたが、1F部分に「新鮮館おおまち」が入居。その他のフロアは2階のトイレ1箇所を除いて閉鎖中。
  • ショッピングデパート千葉久(一関)→ 移転・一関サティ
  • 正札竹村(大館)
  • 協働社(秋田)
  • 大丈(湯沢)
  • 小袖屋(酒田)
  • 気仙沼丸光 → ダックシティ → ダックビブレ → 閉店 → イコーレ気仙沼 → 閉店
  • 山田百貨店(福島)→ ダックシティ山田 → 福島ビブレ(ダックビブレ) → さくら野百貨店福島店 → 閉店
  • ファミリーデパートノムラ(原ノ町)→ サンホーユー原ノ町店 → 原町サティ → 閉店
関東地方
中部地方
近畿地方
中国・四国地方
  • 三原天満屋
  • つるや百貨店× → 倉敷天満屋 → 閉店 → 駐車場
  • 菊屋百貨店× → 倉敷天満屋 → 閉店 → 駐車場
  • 柳井大丸(柳井)
  • マルト百貨店(岩国)
  • 八木百貨店(萩)
  • 丸新百貨店×(徳島)→ 倒産・閉店:後に建物を解体、現在は東新町商店街のイベント広場となっている
  • つぼみや(徳島)→ 徳島ビブレ → ラスタ徳島(複合商業ビル) → 閉店・現在は空ビル
  • 土電会館(高知)→ とでん西武 → 高知西武 → 閉店:後に建物を解体、現在は延田エンタープライズが経営しているパチンコ店「123」となっている
  • 今治高島屋
九州・沖縄地方
  • アヅマヤ百貨店×(延岡)→ 解体後に商業施設「ココレッタ」
  • 渕上(福岡)→ 火災焼失後の再建で、丸栄本店 → ユニード本店 → ユニードダイエー本店 → ダイエー渕上店 → ダイエーグルメシティ渕上店 → 閉店 → 再開発ビルにダイエーがテナントとして入居(ダイエーグルメシティ博多祇園店)
  • 大光(博多駅、渕上傘下)→ 博多井筒屋 → 閉店 → JR博多シティ博多阪急が入居)
  • ヤオハンネクステージ小倉店(未開業)→ IDC大塚家具小倉店 → 空き店舗
  • 寿屋百貨店(本来の業態はスーパーマーケット)
    • 宮崎・熊本下通・カリーノ天文館 → カリーノ
    • 都城・延岡・八代・佐伯・中津など → 閉店
      • 都城:IT産業ビル、八代:老人施設、水俣:生協(商業ビルとして存続)、島原:エレナ(スーパー)、日向:トライアル、エレデ博多・延岡・佐伯・行橋・柳川・田川・鳥栖(旧店)など×:解体、中津、串木野(旧店):空き店舗、八女:トライアルとなった後に空き店舗
  • 大牟田松屋[71](東京の百貨店の松屋とは関係なし)→ 閉店
    • 清水屋(きよみずや)→ 戦後大牟田松屋に買収される → 閉店
  • すぎやデパート(鹿島)
  • 井筒屋中津店(中津)→ 閉店後ゆめタウン中津で小型店として営業再開
  • 丸吉デパート× → ニチイ中津店 → 中津サティ → 閉店(解体) → 駐車場
  • 臼杵トキハ× → 解体
  • 和泉屋(熊本)古荘グループ
  • 都城大丸(大浦株式会社) → 2011年1月3日に経営破綻し、翌4日より閉店
  • 桜デパート×(鹿屋)→ 駐車場
  • 沖縄山形屋×(やまかたや、那覇)→ 建造物撤去、跡地にホテルJALシティ那覇が開業
  • 円山号×(那覇)→ 現在、那覇市西消防署通り琉球サンロイヤルホテル近辺(区画整理により跡地消滅)
旧日本領 台湾

[編集] 百貨店が消えた街

前述の通り、近年の消費構造大変革により、規模の大小・地域を問わず、百貨店業界は厳しい状況が続いている。このため、大都市圏以外では、主だった都市ですら百貨店が姿を消す事例が珍しくなくなっている。以下、百貨店協会加盟の百貨店が姿を消した主要都市を百貨店協会のブロックごとに挙げる。

なお、県庁所在地で該当する街は2010年7月末時点では存在しない。

※は日本百貨店協会加盟店の店舗が規模縮小により百貨店協会を離脱したり、ギフトサロンの形式で営業を継続している都市。

△は別会社の百貨店が小規模店舗やギフトサロンを開設している都市。

北海道
小樽市室蘭市苫小牧市釧路市北見市
東北
青森県五所川原市岩手県二戸市宮城県石巻市△・気仙沼市福島県会津若松市※・いわき市
関東
茨城県土浦市栃木県足利市千葉県木更津市茂原市△・市川市※、東京都墨田区品川区
(2012年に予定される「そごう八王子店」閉店後は東京都八王子市も加わる予定。百貨店が消えた都市としては全国最大規模の都市。)
中部
新潟県長岡市上越市石川県小松市※、長野県諏訪市三重県松阪市伊勢市
近畿
中国・四国
島根県出雲市※、広島県三原市愛媛県今治市△・新居浜市
四国は県庁所在地以外の店舗が全滅した。地域ブロックでこのような事例は四国だけ。
九州・沖縄
福岡県大牟田市※・飯塚市※、大分県中津市※△・日田市△・臼杵市宮崎県都城市
大分県はいずれも県縁部地域唯一の百貨店が消え、県央部だけに残る結果となった。

[編集] 脚注

  1. ^ 「英のDepartmentStore-仏のGrands magasins-独のWarenhaus(od.Grossmagazin)」の様な商業組織の制度を「大商店制度」(又は「大店舗制度」-Magazinsystem)と云う 小売商業の革新(其二) 神戸高等商業学校講師坂西由蔵「商業界」1905年
  2. ^ 1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 東京新聞2007年平成19年)12月19日
  3. ^ 企業情報 歴史 | 三越
  4. ^ 1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 東京新聞2007年平成19年)12月19日
  5. ^ 「高島屋百五十年史」 1982年
  6. ^ 松坂屋「ひと・こと・もの」語り(ウェブサイト
  7. ^ 「高島屋百五十年史」 1982年
  8. ^ 松坂屋「ひと・こと・もの」語り
  9. ^ 「大丸二百五拾年史」 大丸250年史編集委員会編 1967年
  10. ^ 札幌丸井三越 | 企業概要(ウェブサイト
  11. ^ 山形屋|沿革(ウェブサイト
  12. ^ ハロッズの責任者は「わびしい店に客が来ると思いますか。店内を豪華にし、客を豊かな気分にさせることに使う資金こそ、生きた資本です」と日比翁助に述べたとされる。 「その時歴史が動いた 第34巻」 NHK取材班・編 中央出版 ISBN 4-87758-347-5
  13. ^ 「店舗の設備を華麗にし人目を驚かし以て顧客を招く」 「デパートメント、ストア」に就て 東京法科大学河津教授(読み判らない漢字のため、氏のみ記述) 国民経済雑誌1907)
  14. ^ a b c d 白土健、青井なつき『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』創成社、2008年5月
  15. ^ 「(1930年ごろには)競争が激しくて、先ほどのように、特徴ある商品、大丸として品位のある商品を取り扱う方針に従って努力しました。また、大丸はよそよりも高いものは売らない。「よそよりも一銭でも高いものがあればお知らせ下さい。粗品を差し上げます。」ということを新聞に発表した」 井狩弥治郎副社長、1960年15巻132号
  16. ^ 「戦前に使用していた「どこよりも良い品をどこよりも安く」の標語を高らかに掲げて進みたいと思う。」 北沢敬二郎副社長、大丸社内報1950年5巻31号
  17. ^ 「廉売を以て大量に販売し所謂数でこなす」 百貨店に就て(其一) 京都法科大学教授戸田海市 国民経済雑誌1907)
  18. ^ 「消費者に比較的廉売便利に貨物を供給する」 「デパートメント、ストア」に就て 東京法科大学河津教授(読み判らない漢字のため、氏のみ記述) 国民経済雑誌1907)
  19. ^ 「デパートメントストア」という用語を用いて「商業界」の巻頭言で「本当に大安売りを実行して繁盛を独りで占めしようといふには何か新規の営業法を工夫するより他に仕方がない」その営業法を工夫し、本当に大安売りを実行し始めた存在こそがデパートメントストアだとしている。 巻頭言「商業経営の最新方式」「商業界」第3巻第4号 1905年
  20. ^ 「集注的な大経営を行ひ、あらゆる種類の商品を一同の下に買い整ふることをせしむる制度」神戸高等商業学校講師坂西由蔵 小売商業の革新「商業界」1905
  21. ^ 「大規模の小売商業にして商品取り扱い上若しくは消費の目的上必ずしも密接の関係を有せざる多種類の商品を取り扱うもの」 京都法科大学教授戸田海市 百貨店に就て(其一) 国民経済雑誌第7巻第5号1909年
  22. ^ 百貨店が消費者にもたらす便益として商品が自由に眺められること、正札をつけていること、廉価であること、ワンストップショッピングが可能であること、現金払いによって消費経済の健全な発達を促進していること、低廉な美術工芸品が陳列販売されているので、中流以下の庶民の趣味嗜好を発達させること、購入品を無料で配送していることを上げて、今日ではその存在価値を疑うべき余地なし…としている。 京都法科大学教授戸田海市(百貨店に就て(其二)国民経済雑誌1909年
  23. ^ 昭和5年から6年にかけての1年間の東京市内における百貨店対小売商人物品販売高を、商工省と東京市が共同で調査したところ、数の上では個人小売業者が6万、百貨店は18(同じ百貨店の本支店は1と数える。)であるのに対し、織物被服類の売上総額の69%、小間物用品類では 59% を百貨店が占めていた「呉服類の七割百貨店独占 小売店が浮ばれぬも道理」『読売新聞』1932年昭和7年)8月30日
  24. ^ a b 『わが国クレジットの半世紀』社団法人日本クレジット産業協会1992年12月
  25. ^ 大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと|大阪市史編纂所|大阪市(ウェブサイト
  26. ^ 「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み 近畿日本鉄道
  27. ^ 「昭和10年に全店舗を大軌鉄道が買収して翌11年(1936年)11月大軌百貨店と改称」浪速・商人・老舗・歴史 大阪「NOREN」百年会 かわら版 <2000 第6号>(ウェブサイト
  28. ^ 「新しい兼営事業として、大軌ビルにおいて直営の大軌百貨店(現 近鉄百貨店上本町店)を経営することとなり、昭和10年8月ビルの改装工事に着手した。そして翌11年7月1日まず1階と地階に食料品売場を開業し、続いて9月26日5階まで全館を開業した。営業面積7,706平方メートル“自慢の百貨”をモットーに実用品を主体 とした品揃えを行い、好評のスタートを切った。 」近畿日本鉄道80年の歩み 近畿日本鉄道
  29. ^ 「連鎖店は現金持帰主義を原則」 連鎖店の展望(研究資料)高島屋本店調査本部1932年
  30. ^ 「現金主義に重点を置いているに変わりはない」 松田槇三「デパートメントストア」 日本評論社1931年
  31. ^ 「アメリカ百貨店の発展史乃至は動向なるものを見ると現在すでに高級専門店の集合だ、すなわち大衆的商品であるがわが国で食料品といえば大抵の百貨店の重要な部門を占めるが、あちらはこの扱いを既に中止するかたとい販売していても進物用のキャンディーとか輸入食料品に限られる、どこへ行ってもあるような食べものは全百貨店から影を沒したといって敢て過言でないのである。原因は連鎖店の百貨店に対する攻勢である、アメリカにおいては「食」に関する商品の配給機関が素晴しく発逹し集中経営のデパートは遂に地域的に分散経営の独立またはチェーン・ストアに敵わずその牙城の一角をおとされた(大丸百貨店調査課長 田中盛和氏談)」「東西商売気質(1) 百貨店の強敵は連鎖店 米国における最近の傾向」 大阪朝日新聞 1933年昭和8年)10月2日
  32. ^ 「如何なるデパートメントストアも、大連鎖程大量に仕入れる事は出来ない」「デパートメントストア」 松田槇三 日本評論社1931年
  33. ^ 「商品の種類を限り而も広い地域における多数の店から売捌き得る連鎖店には及ぶべくもない」「百貨店経営学」 水野祐吉日本評論社1933年
  34. ^ 「流通経済の手引1974年版」 日本経済新聞社編 1973年
  35. ^ 「通商産業政策史 第11巻」 通商産業調査会 1992年
  36. ^ 「通商産業政策史 第11巻」 通商産業調査会 1992年
  37. ^ 「高島屋百五十年史」 1982年
  38. ^ 「今日アメリカではSSDDS(セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)が、百貨店のひとつとして扱われている面があるように思うのですが、わたしはああいうものは、百貨店とは考えない。質的に百貨店でない。百貨店の形はとっておっても、本質的には百貨店でないという風にさえ考えているのです。」 瀬戸秀雄東京店宣伝部広告課係長 大丸社内報18巻152号 1963年
  39. ^ 「百貨店はスーパーにはまねのできない対面販売をしている」 植村通生取締役京都店長大丸社内報23巻197号 1968年
  40. ^ 「商品政策面において考えるならば、値段で売る時代から品質の時代に移り変わりつつあるといえると思う。」 小野雄作専務取締役大丸社内報8巻64号 1953年
  41. ^ 「百貨店の未来」 伊藤元重 日本経済新聞社1998年
  42. ^ 宇都宮市が行ったアンケートによると、中心市街地への交通手段としては自家用車が 54.1%と最も高く、郊外への交通手段としても自家用車が 70.7%となっている。出典:宇都宮市民の目的地別交通手段、宇都宮市
  43. ^ 「1990年代に新規開業したショッピングセンターの60%強が郊外地域に立地している」「わが国SC の現況」日本ショッピングセンター協会 (ウェブサイト
  44. ^ 地方百貨店、再建へリストラ・再編急ぐ 大和は4店閉鎖を発表日本経済新聞2009年10月15日付(ウェブサイト
  45. ^ 「1970年5月の日本百貨店協会定時総会で「擬似百貨店問題対策について」と題する決議を行った」 「協会50年の歩み」 日本百貨店協会50周年記念誌編集委員会1998年
  46. ^ 「百貨店とは産業分類上の百貨店からセルフサービス店を除いたもの」通商産業省官房調査統計部「わが国の商業」とされ、セルフサービス方式(小売業のみ) [1]商品が無包装,あるいはプリパッケージされ,値段が付けられていること,[2]備付けの買物カゴ,ショッピングカートなどで客が自由に商品を取り集められる形式,[3]売場の出口などに設けられた勘定場で客が一括して代金の支払いを行う形式,の三つの条件を兼ね備えている場合をいう。商業統計調査でいう「セルフサービス方式採用」の事業所とは上記条件による販売を売場面積の50%以上で行っている事業所をいう。 商業統計調査(指定統計第23号) 経済産業省経済産業政策局調査統計部産業統計室
  47. ^ 「百貨店はスーパーにはまねのできない対面販売をしている」 植村通生取締役京都店長大丸社内報23巻197号 1968年
  48. ^ 2011年2月24日の朝日新聞朝刊13面
  49. ^ 宇都宮市が行ったアンケートによると、中心市街地への交通手段としては自家用車が 54.1%と最も高く、郊外への交通手段としても自家用車が 70.7%となっている。出典:宇都宮市民の目的地別交通手段、宇都宮市
  50. ^ 「まちづくり三法見直し後、平成19年から21年5月までに開店した大規模店舗の立地を見ると、郊外型が56%と依然高い比率を示している」わが国大規模店舗政策の変遷と現状 林雅樹 (ウェブサイト
  51. ^ 大丸松坂屋百貨店|沿革(ウェブサイト
  52. ^ 「現金掛値なしの呉服店は、江戸末期から明治初期においては大店化していたが、固定客に対しての掛売りも当然行われており、それが百貨店業態になってからも番頭制度(またはお帳場制度)とともに引き継がれた、と指摘されている」「現代の百貨店」高丘季昭小山周三 日本経済新聞社 1984年
  53. ^ 「申すまでもなく、掛売は売上増新の一方策としての意義も大きいが、それにもましてサービスとしての意義はさらに大きいわけであり、それぞれの店に固定された顧客ほど大切なものはない」「大丸二百五拾年史」 大丸250年史編集委員会編 1967年
  54. ^ 「第2次百貨店法の成立以降、店舗の出店や拡張に制約が生じた百貨店にとって、外商部門の強化は高度成長期の重要な課題であった。多店舗展開を探る一方で、既存店舗を中心とした売上高の拡大が不可避となったのである。そして、百貨店は外商部門を強くするため、個人外商客を対象に、ホテルなどの店外で、呉服だけでなく宝石や高級時計、特選品などを販売することで売上を伸ばしていった。まさに、高級化戦争のなかで外商部門が強化されるようになったのである」「小売業の業態革新」石井淳蔵向山雅夫編著 中央経済出版社 2009年
  55. ^ 「山形屋の七草会は、お得意様の要請によって企画された。月掛3円、12回満期で、満期時36円で発足し、嫁入り支度、正月用品購入資金等に利用された。佐世保玉屋、鹿児島丸屋も昭和26年(1951年)から友の会を始めた。大阪では、阪急百貨店が、昭和28年(1953年)に「阪急友の会」を設立」「日本百貨店協会10年史」日本百貨店協会 1959年
  56. ^ 「昭和28年(1953年) には、岩田屋井筒屋でも友の会が設立昭和39年(1964年)には、京王百貨店が新規開店時に友の会を設立」「顧客組織化システム:友の会・自社カード・互助会・会員制ビジネス」工業市場研究所 1985年
  57. ^ 「昭和47年(1972年)に割賦販売法が改正され、百貨店、専門店の友の会は、前払式特定取引業として規制の対象となった。このため、それ以降百貨店各社は友の会を別会社として設立し、営業を継承することになった。」「顧客組織化システム:友の会・自社カード・互助会・会員制ビジネス」工業市場研究所 1985年
  58. ^ 「委託販売は一時的に買い取りはするが、商品が売れ残ると返品できる制度」 我が国の百貨店の課題と未来展望 第1回「百貨店の課題」ストアーズレポート 2009年7月号
  59. ^ 「消化仕入は売れた時点で仕入と見なす制度」 我が国の百貨店の課題と未来展望 第1回「百貨店の課題」ストアーズレポート 2009年7月号
  60. ^ 「幅広い商品構成と木目の細かい品揃えで総合化を極めて戦略的に進めることを可能にする」「わが国の百貨店の歴史的経緯とその評価」木綿良行
  61. ^ 「アメリカの百貨店の最終粗利益率は40%に対して、日本の百貨店は26%程度と14ポイントの差がある。」「百貨店の自主性が欠落し、適正なる商品を適正なる価格で、適正なる場所で、適正なる売り方で売るという小売業のノウハウが希薄」 我が国の百貨店の課題と未来展望 第1回「百貨店の課題」ストアーズレポート 2009年7月号
  62. ^ 「日本の百貨店の営業構造が諸外国と異なり非常にユニークで、売上の構成率が80%を占める“売上仕入”中心の「ショップ運営売場」と20%の米国流の“買取・自主販売小売業”タイプの「自主運営売場」のミックスで運営されていることです。」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  63. ^ 「マーケット変化への具体的な対応方法も「ショップ運営」ではブランド単位、「自主運営」ではアイテムやSKU単位で行われるなど大きく異なるにもかかわらず、日本の百貨店の歴史的な経緯もあり、この2つの運営形態が曖昧なまま整理されず、同一であるかのように混同して理解され運営されてきました。これが、「マーケット対応力の弱さ」と低い人的生産性による「高コスト構造」を招いた大きな要因の一つであると考えます。」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  64. ^ 「顧客が求める新鮮で魅力的な商品や、百貨店にとって“売上の上がる”商品やブランドは総じて益率が低いため、高コスト構造のままでは導入が難しい」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  65. ^ 「“顧客の求める商品やブランドが百貨店に少ない”という事実と「高コスト構造」の間で悪循環が起こり、「お客様離れ」が起こっています。」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  66. ^ 「「ショップ運営」売場のコンセプトは、取引先がSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)の全プロセスの計画と管理を行い、“消化仕入”が前提で当社は在庫責任を負わず、自主運営に比べると低益率ですが、低経費で高収益な運営形態です。」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  67. ^ 「既存のお取引先の枠にこだわらず、顧客ニーズに積極的に対応した新しいショップやブランドへの取り組みを行います。」「既存のお取引先の枠にこだわらず、顧客ニーズに積極的に対応した新しいショップやブランドへの取り組みを行います。」「顧客に注目され支持される最適なブランドやショップの導入とミックス、スクラップ&ビルドによる新陳代謝を 加速するなど、新しいマーケットへの対応を強化し、常に商業施設としの店舗の魅力維持・向上を図ります。」 “歴史的な転換期”には、 百貨店ビジネスの枠組みを構造的に変革 CEO奥田務トップインタビュー
  68. ^ 「百貨店返品制度の研究」江尻弘著 中央経済社 2003年 ISBN-13: 978-4502367106
  69. ^ 「当社の子会社、株式会社レオ・エンタープライズおよび株式会社ワイ・シー・シーが千葉県八街市において参画してきたゴルフ場開発事業につきましては、三越グループでは事業を継続しないことを決定いたしました。これに伴い約113億円を今期の特別損失として計上いたします。」平成10年度の実施事項 - 三越プレスリリース(ウェブサイト
  70. ^ 次のような記述で百貨店として扱っている「SCのモール専門店を独自に取り込みSC化した百貨店(福田屋百貨店、伊勢丹相模原店、三越星ヶ丘店)」「RSCのモール型専門店(物販専門店+飲食専門店+サービス専門店)は、「モールというランブリングショッピングゾーンに売場面積2万から3万m²、売上高200億から250億円、店舗数150から250店」の規模で展開し、1つの業態、すなわちカジュアル百貨店化したのである。」「多核・モール型SCにおける郊外百貨店をどう再生するか 」-三越がイオンを去った日-六車秀之 ダイナミックマーケティング社代表 販売革新 2009年4月号
  71. ^ 松屋の24362日
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[編集] 関連項目


[編集] 外部リンク

[編集] 旧日本統治化地域 百貨店関連

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