大丸
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | 大丸 |
| 本社所在地 | 〒542-8551 大阪市中央区南船場四丁目4番10号 |
| 本店所在地 | 〒542-8501 大阪市中央区心斎橋筋一丁目7番1号 |
| 設立 | 1920年(大正9年)4月16日 |
| 業種 | 小売業 |
| 事業内容 | 百貨店事業 |
| 資本金 | 20,283,044,920円 |
| 売上高 | 4,670億円 (2009年2月期中間予想・単独) |
| 総資産 | 2,839億200万円 (2009年2月期中間・単独) |
| 従業員数 | 3,292人 (2007年8月31日現在・単独) |
| 決算期 | 2月末日 |
| 主要株主 | J.フロント リテイリング 100% |
| 主要子会社 | 博多大丸、高知大丸、下関大丸、鳥取大丸、ピーコックストア |
| 関係する人物 | 下村彦右衛門正啓 北沢敬二郎 下村正太郎 井狩彌治郎 里見純吉 |
| 特記事項:2010年3月1日:松坂屋と合併。 | |
大丸(だいまる、英称:DAIMARU)は、J.フロント リテイリング株式会社傘下の株式会社大丸松坂屋百貨店が運営する日本の百貨店。また、株式会社大丸は、2010年2月28日までこれを運営していた企業である。
近畿地盤の老舗百貨店で、大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・東京・札幌に主力店舗を構えており、この6店舗だけで単体の91%の売り上げを占めている。
目次 |
[編集] 沿革・概要
1717年に下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区京町北八丁目77に呉服店 大文字屋を開業し、呉服商を出発点として両替商を兼営していた。1726年大阪心斎橋に進出。1728年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。
大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れたという。これは往時の豪商が施餓鬼(せがき)として毎年貧しい人に食料や衣服等を、今日の援助物資やボランティア的な活動を行って利益の再分配をしていたことへの庶民感情を汲みした表れでもある。また幕末には幕府軍に物資を調達した[1]。これら『先義後利』の精神は現在も大丸の企業理念として継承されている。
1908年11月、個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換。その際、下村家当主が早稲田出身であった縁から大隈重信の配慮で、早稲田出身の銀行家杉山義雄を専務理事として迎え入れ改革に乗り出した。杉山は専務理事就任時に資本金50万円のうち3万円を出資し、従業員や別家が20万円を出資していた[2]が、約40軒の別家は旧態依然としていたところに杉山が急激な改革を実施。これが古手の店員や別家の反感を買い、更に不況と重なったことから杉山は退任に追い込まれる。
その後、1910年に東京信託会社の岩崎一が改革案を作成し、ついで大隈重信の斡旋で日本生命社長片岡直温が改革に乗り出す。同年秋には東京・名古屋の両店を閉店する一方で、京都・大阪・神戸店を拡張して再建に乗り出した。下村家も秘蔵の書画骨董を売却して約30万円を調達して資力を増強、1911年1月22日に別宅会を解散して積立金を割り戻す決定をした。それでも1914年には大阪店が不渡りの手形を出して京阪二店が休業するなど問題が続発するなど、呉服店から百貨店への転換過程において幾度の多難を乗り越え、1928年大丸と改称し近代化に成功した。
大丸のマークは、当初は「大」の字を丸で囲んだ意匠[3]だったが、1983年の梅田店開店の際に現在の孔雀の羽根を図案化[4]したCIマークに改められた。但し正式な社章は現在も旧来のもので、心斎橋店・南館屋上のネオンサインや、一部店舗(下関大丸など)の外装にも健在である。
また2010年3月の大丸松坂屋百貨店の発足後は、各店の正面入り口脇の店名の銘板の表示も、「丸に大」のマークと、「大丸 創業1717年」と記されるようになった。ちなみにそれ以前のものは、銘板の上部に「丸に大」のマークが孔雀の羽で縁取られ、その下に「株式会社大丸 The Daimaru,Inc.」と記されたものであった。特に心斎橋店のものには、「創業1717年」の文言が当初から付記されていた。なお梅田店の正面入り口の銘板は、孔雀をモチーフとしたCIマークに、「DAIMARU UMEDA」と記されたものであったが、2011年4月19日の増床グランドオープンに合わせて、「丸に大」のマークのものに変更された。
高度成長期は三越と並び「西の横綱」といわれたが、バブル崩壊後業績は低迷。奥田務が社長就任後、他の百貨店よりも一足早く1998年より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖や海外店舗の全面撤退、人員削減に取り組んだ。その一方、2003年には札幌店を開店し軌道に乗せている。結果として改革は成功し、収益力を業界首位級に押し上げた。
なお、店名の呼称については通常、「〜〜てん」と案内されるが、近畿圏の各店舗に関しては以前から「〜〜みせ」と案内されるのが通例で、同地区の同業他店舗を含めて他に例を見ない特徴でもある。直営店では、札幌店・東京店は「てん」、心斎橋店・京都店・神戸店・梅田店が「みせ」と呼ばれている。
名物は白餡のカステラ饅頭に「大」の焼き印が押された「大丸饅頭」。現在は大丸梅田店と博多大丸福岡天神店で販売している[5]。かつては神戸店でも販売していたが、1995年の阪神・淡路大震災で製造機械が壊れ販売中止となった。その後、震災10年の記念として2005年に1週間だけ再現された。
[編集] 店舗
[編集] 直営店
- 心斎橋店(1726年開店:大阪市中央区)
- 大丸の本店で、大阪を代表する繁華街である心斎橋駅すぐに位置し、外商優良顧客を多数抱えた店舗。本館はウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計によるアール・デコの重厚な近代建築として知られており[6]日本におけるDOCOMOMO100選に選定されている。本館・南館の2館体制時の店舗面積は37,490m²だったが、2009年11月14日に北館が開店(隣接する旧そごう心斎橋本店の建物買取)したことで、梅田店の増床を前に77,000m²と大丸では最大規模の店舗となった。
- 京都店(1912年開店:京都市下京区)
- 店舗面積50,830m²。創業地店舗ではあるが現在は本店ではない。心斎橋店と同じくヴォーリズ設計であるが、四条通側の外壁は改装されている。
- 神戸店(1927年開店:神戸市中央区)
- 元町・旧居留地、別館はウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の旧ナショナル・シティバンク神戸支店の建物。1995年、村野藤吾設計の本館は阪神淡路大震災で被災し解体されるも、1997年に新装。長らく売上で水をあけられていたそごうを抜き、地域一番店となる。店舗面積50,656m²
- 東京店(1954年開店、2007年第1期工事により移転:東京都千代田区)
- 2段階に分けての建替えの最中で、現段階ではグラントウキョウノースタワー地下1階~13階に入居、店舗面積34,000m²。2012年夏に第2期工事終了後46,000m²にまで増床予定。
- 梅田店(1983年開店:大阪市北区)
- 大阪駅駅ビルサウスゲートビルディング(2011年3月16日に、旧・アクティ大阪より改称)地下2階~15階。店舗面積は従来の40,416m²だったものが、2011年3月から順次増床部分が開業した後、同年4月19日のグランドオープン時には既存部分と合わせて、64,000m²となった。「新百貨店モデル」の集大成として、「東急ハンズ」や「ユニクロ」、また「ポケモンセンターオーサカ」(2010年11月26日に先行して開店)など大規模なテナントが出店している。
- 札幌店(2003年開店:札幌市中央区)
- 札幌駅南口JRタワー、店舗面積45,000m²。札幌店はパート・アルバイトの活用によって正社員を最小限に抑えるなどの合理化を図ったため、出店後半年で営業黒字を達成した[7]。また、その立地環境の良さも手伝い、2009年からは老舗の丸井今井を抜き、地域一番店となっている。
[編集] 関連会社の店舗
- 松坂屋については当該項目を参照されたい。
[編集] 連結子会社運営店舗
- 高知大丸(1947年開店)
- 店舗面積16,068m²
- 下関大丸(1950年開店、1977年現在地に移転)
- JR下関駅前「シーモール下関」、店舗面積23,912m²。以前はマルハグループの資本がメインだった。
- 博多大丸(1953年開店、1975年現在地に移転:福岡市中央区)
- 店舗は福岡・天神店、西館は西日本新聞社本社ビル地下2階~8階、店舗面積44,192m²。法人としては本体に次ぐ規模にあり、J.フロントグループにおいても九州地区の重要拠点と位置づける。
[編集] 持分法適用会社運営店舗
- 鳥取大丸(1949年開店、1975年現在地に移転)
- 店舗面積13,637m²
[編集] 自主編集売場
- サロン・ド・グゥ・ブランシェ
- 特選ブランド・インポート雑貨のセレクトショップ 心斎橋店、神戸店、福岡天神店
- サロン・ド・グゥ
- 特選ブランドウェアのセレクトコーナー 神戸店、京都店、札幌店
- サロン・ド・グゥ・オム
- メンズ特選ブランド・インポート雑貨のセレクトコーナー 心斎橋店、神戸店、東京店
- ufufu girls(うふふガールズ)
- 18 - 34歳の女性をターゲットにした低価格帯のカジュアルな衣料品・雑貨のフロア。2009年11月14日に心斎橋店北館の地下1・2階に開設し、好評となった。その後、2010年4月22日には京都店の1・2階に、同年10月22日には松坂屋銀座店の本館1・2階に開設した。さらに翌2011年2月23日には神戸店の3階に、同年3月23日には札幌店2階に、また梅田店でも増床リニューアルオープンにあわせ(同年4月19日にグランドオープン)、同店の1階と5階に新設された。
[編集] 過去に存在した店舗
[編集] 日本国内旧店舗
- 八王子大丸 - 1972年開店。八王子そごうとの熾烈な売り上げ競争を演じた末、1985年閉店。跡地は忠実屋がファッションビルFAMを開店するが94年にダイエーに吸収されたときに撤退。現在は高層マンション。午後6時30分の閉店5分前に、ロバート・マクスウェル「引き潮」の楽曲に乗せた終了放送「ラストポエム」が流れた。
- 米子大丸 - 1990年に現「米子しんまち天満屋」に営業譲渡。
- 大丸和歌山店 - 1998年閉店。心斎橋店の分店で、売り場面積は4000平方mの小型であった。その後、和光デンキのアウトレット店、ダイソーなどを経て、現在はドン・キホーテ和歌山店となっている。
- 町田大丸 - 1971年大丸町田店として開店。1980年ごろ町田大丸として分社し「プラザビーミー」としてリニューアルしたが、2000年に閉店し、撤退(かつては屋上で日曜日にラジオ関東→文化放送の歌番組「大丸ミュージックスクエア」の公開録音が行われていた。公開録音は八王子大丸屋上でも行われていた)。
旧店舗は既に向かいにも店舗を持っている丸井が買い取り、建物の内外装をリニューアル。「マルイビィ (OIOIbe)」を経て現在は丸井の子会社が運営する「モディ」の第一号店として、町田モディになっている。
直接関係はないが、大丸ホームショッピング受注センター及び配送センターが町田大丸の反対側(神奈川県相模原市南区上鶴間本町)に有ったが、町田大丸は閉鎖された数年後に閉鎖された。 - 新居浜大丸 - 1951年に別子大丸として開店。1975年新居浜大丸に社名変更。2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「ママイ」の店舗が建っている。
- 大丸旧東京店 - 店舗面積31,500m²。1954年に鉄道会館ビルに開店。2007年10月31日に閉店、その後、グラントウキョウノースタワー内に、同店の新店舗(第1期分)が開業。
- 今治大丸 - 2008年12月31日閉店
- 博多大丸長崎店 - 元々は地元の老舗百貨店「岡政」であった。1988年に「岡政」から「長崎大丸」となった後、2003年に博多大丸に吸収合併。売れ行き不振のため、2011年7月31日に閉店。店舗面積9,176m²
[編集] 日本国外旧店舗
- 香港大丸 - 1960年開店。1998年撤退。
- 大丸フランス - 1998年撤退。
- タイ大丸 - 1964年開店。1999年撤退。
- 大丸オーストラリア - 2002年撤退。
- 大丸シンガポール - 2003年撤退。
- 台湾建台大丸 - 台中市、高雄市。1998年開店。技術提携のみで資本関係は無し。現在は提携解消。
[編集] 出店を断念した店舗(店名は仮称)
- 浜松店 - 静岡県浜松市にあった松菱百貨店跡地の再開発で、地元不動産業者のアサヒコーポレーション・浜松市・大丸の三者で出店基本協定を締結。営業面積約34,000m²、地下4階地上9階建の規模で2010年開店予定であった。その後、多量の地下水による難工事を理由に開店の一年延期を発表。だが実際は、一部の地権者が交渉を強硬に拒否し着工の見通しが立たないのが理由であり、後日一部マスメディアでも報道された。これにより大丸は基本合意を解除した。浜松市長も2008年9月の市議会答弁に於いて用地取得の難航を認め、2011年秋の開店は不可能という見解を示した[8]。その後、急激な景気後退による消費不振が表面化する中、2009年1月26日、大丸側も正式に出店断念を発表した[9]。
[編集] 関連会社
[編集] 大丸出身の著名人
- 小林繁(元読売ジャイアンツ、阪神タイガース投手、プロ入り前は大丸の社員であり、都市対抗野球に大丸野球部の一員として出場している)
- 古川勝(競泳選手、第16回夏季オリンピックメルボルン大会金メダリスト。日本大学卒業後に大丸に就職し、実業団大会に出場)
- 後藤忠治(競泳選手、現:セントラルスポーツ社長、第18回夏季オリンピック東京大会出場。日本大学卒業後に大丸に就職し、実業団大会に出場)
- サトウサンペイ(漫画家になる前は、宣伝部社員だった)
「Category:大丸松坂屋百貨店の人物」および「Category:大丸硬式野球部及びその前身チームの選手」も参照
[編集] 提供番組
[編集] 現在
[編集] 過去
- 大丸名作劇場(一社提供、1966年10月20日から1968年9月26日まで毎日放送製作・NET(現:テレビ朝日)系列で放送されたテレビドラマ枠)
- ピーコック劇場(一社提供、NET(現:テレビ朝日)系列)
- 宇宙パトロールホッパ(一社提供、NET(現:テレビ朝日)系列)
- MBSナウ(毎日放送・関西ローカル)
- バラエティワイド こんな時α(朝日放送・関西ローカル)
[編集] 脚注
- ^ 新選組の制服は1863年に前身の大文字屋が受注して作成したものである。
- ^ 株式の譲渡については無限責任社員(出資者全7人)の同意を必要としたので、下村一族や従業員以外に株式が流れる心配はなかった。
- ^ なお、他社商標との混同を避けるため、大の字の下部と横棒の左端に「七・五・三」本の「ヒゲ」が付けられている(本数は七五三にちなむ)。
- ^ クジャクが象徴とされており、心斎橋店、京都店にレリーフが飾られている。系列スーパー「ピーコックストア」(旧大丸ピーコック)の名称もクジャクに由来する。
- ^ 梅田店では改装工事のため一時販売を行っていなかったが、2011年3月5日より販売を再開している。
- ^ 心斎橋店、京都店は著名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品で、ことに心斎橋店は日本の百貨店建築の最高傑作として名高い。また、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・ゴシック様式の豪壮な建築として知られている。神戸店の南一号別館「旧居留地38番館」もヴォーリズ作品「旧ナショナルシティバンクオブニューヨーク神戸支店ビル」である。
- ^ この成功を受け、同様の合理化は他店舗でも行われることとなった。
- ^ 2008年9月13日付日本経済新聞紙面より
- ^ J.フロント リテイリング株式会社の2009年1月26日付プレスリリース「浜松市鍛冶町地区再生事業への出店の断念について」より
[編集] 関連項目
- 大丸ヴィラ(迎賓館)
- 阪神タイガース(日本シリーズ優勝の際は、こちらで優勝セールを行う)
- 大和(石川県・富山県を地盤とする地方百貨店。創業時は大丸との提携により「宮市大丸」を名乗っており、旧社紋は大丸旧社紋の丸を加賀藩主前田氏家紋の梅の形に置き換えた物を使用。経営統合前の大丸の株主でもあり、現在もJフロントリテイリングの株主。)
- デッチーくん 元は京都店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、松坂屋上野店のマスコットであった「さくらパンダ」とともに、同社のイメージキャラクターとなった。長崎大丸のキャラクターであった「政どん(現:でっちー)」も、デッチーくんとほぼ同じ造形である。
- 中田ダイマル
- 毎日放送(設立当初からの大株主。但し、現在は株主から離れている)
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||