境線
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| 境線 | |
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境線を走るねずみ男列車 キハ40形2115
(大篠津町(旧・御崎口)駅、2006年11月3日) |
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| 路線総延長 | 17.9 km |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電圧 | 1500 V 米子 - 後藤間、回送列車用 (直流) |
境線(さかいせん)は、鳥取県米子市の米子駅から鳥取県境港市の境港駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):米子 - 境港 17.9km
- 軌間:1067mm
- 駅数:16駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:米子 - 後藤間電化(直流1500V)、後藤 - 境港間非電化
- 境線の列車はすべて気動車で運転。
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
- 最高速度:100km/h
※全区間、JR西日本米子支社の直轄である。
[編集] 路線概要
米子を基点として中海の縁を沿って日本海の境港へ伸びる路線である。JR移行後、駅を増やして大都市並みの駅間距離とし、利用しやすくなった。終点が境港駅であるため「境港線」と呼ぶ人もいる。米子 - 後藤間は電化されているが、電車の運行は後藤総合車両所への出入庫回送列車に限られており、営業運転列車はすべて気動車である。
駅間距離が大都市並みに短いため、車両は高加減速性能に優れているキハ121系気動車を快速・鳥取直通列車を中心に使用、従来型のキハ40系気動車を普通列車に使用しており、キハ40はすべてペイント車両となっている。これは境港市が漫画家水木しげるの出身地であることにちなんで、水木の作品「ゲゲゲの鬼太郎」のイラストを描いた「鬼太郎列車」(現在は三代目)・「ねずみ男列車」・「ねこ娘列車」・「目玉おやじ列車」を運転しているもの。
2003年10月1日の高速化完成により、一部は山陰本線鳥取方面と直通運転するようになった。
[編集] 運行形態
基本的に米子 - 境港間の運転で、運行本数は平日・土曜は22往復、休日は20往復、ダイヤも平日・土曜(列車番号末尾D)と休日(列車番号末尾K)に分かれている。運転間隔は40分に1本程度(日中9時から13時までの間は米子駅毎時30分発車)。優等列車の設定はないが、速達列車としては、2005年3月1日から臨時快速「みなとライナー」が主に土曜・休日・学校休暇中に1往復運転されている。
2009年3月14日現在、普通列車の運転本数は以下の通りとなっている。
- 鳥取 - 境港間: 下り1本(平日のみ。土曜・休日は運休)
- 米子 - 境港間: 下り21本・上り22本(平日。土曜は22往復。休日は20往復)
- うち平日・土曜13往復、休日14往復は「三代目鬼太郎列車」「ねずみ男列車」「ねこ娘列車」「目玉おやじ列車」。
[編集] 歴史
境線は、山陰初の鉄道として1902年に山陰本線の米子 - 御来屋間とともに開業した。これは、境港から鉄道建設用の資材を搬入するためのもので、同様の例は中京地区の武豊線や北陸本線の敦賀港支線に見られる。
- 1902年(明治35年)11月1日 - 境 - 米子 - 御来屋間が開業(境 - 米子間は10M63C≒17.36km)。境駅(現在の境港駅)、大篠津駅(現在の米子空港駅)、後藤駅、米子駅が開業。
- 11月12日 - 営業距離の単位をマイルのみに簡略化(10M63C→10.8M)。
- 1908年(明治41年)4月5日 - 米子 - 安来間開業に伴い、米子 - 境間が支線となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道線路名称設定、境線となる。
- 1914年(大正3年)12月15日 - 境駅移転、大篠津 - 境間が0.4M(≒0.64km)延長。
- 1917年(大正6年)7月1日 - 弓ヶ浜駅が開業。
- 1919年(大正8年)7月1日 - 境駅を境港駅に改称。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(11.2M→17.9km)。
- 1932年(昭和7年)12月22日 - 余子駅が開業。
- 1951年(昭和26年)11月1日 - 和田浜駅が開業。
- 1952年(昭和27年)7月1日 - 博労町駅、河崎口駅、中浜駅、上道駅が開業。
- 1982年(昭和57年)6月21日 - 米子 - 後藤間電化。後藤車両所(現在の後藤総合車両所)入出場列車のため。
- 1984年(昭和59年)8月2日 - 境港駅構内に、船着場仮乗降場を開設。隠岐航路接続用に夏季に限り営業。
- 1986年(昭和61年)9月1日 - 船着場仮乗降場廃止。
- 11月1日 - 全線の貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承。
- 11月1日 - 富士見町駅、三本松口駅、御崎口駅(現在の大篠津町駅)、高松町駅、馬場崎町駅が開業。
- 1993年(平成5年)10月 -「鬼太郎列車」運行開始。
- 11月1日 - 一部列車を除きワンマン運転開始。
- 2000年(平成12年)8月26日 - 「二代目鬼太郎列車」運行開始。
- 2002年(平成14年)3月23日 - 休日の本数削減および保守工事運休導入。
- 2003年(平成15年)10月1日 - 高速化。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 臨時快速「みなとライナー」運行開始。
- 3月17日 - ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪を駅名の愛称に採用する(同年6月22日にJR西日本は、4月25日発生のJR福知山線脱線事故を受け、駅名に妖怪名を付加する一連のキャンペーンの無期延期を決めたが、11月3日から再開)。
- 11月3日 - 「三代目鬼太郎列車」運行開始。
- 2006年(平成18年)2月19日 - 「ねずみ男列車」運行開始。
- 2007年(平成19年)2月11日 - 「目玉おやじ列車」運行開始。
- 2008年(平成20年)6月15日 - 御崎口駅を大篠津町駅に、大篠津駅を0.8km中浜寄りに移転し米子空港駅に改称。また、美保飛行場(米子空港)の滑走路拡張に伴い大篠津町 - 中浜間経路変更。これに伴う営業キロの変更はなし。
- 2009年(平成21年)3月14日 - この日のダイヤ改正より年4回昼間に行われていた保守工事運休廃止。
[編集] 駅一覧
- 凡例
- 停車駅 … ●:停車、|:通過
- 列車交換 … ◇・∨・∧:交換可、|:交換不可
| 駅名 | 愛称(妖怪名) | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 快速 | 接続路線 | 列車交換 | 所在地 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 米子駅 | ねずみ男駅 | - | 0.0 | ● | 西日本旅客鉄道:山陰本線・伯備線[* 1] | ∨ | 米子市 |
| 博労町駅 | コロポックル駅 | 1.0 | 1.0 | | | | | ||
| 富士見町駅 | ざしきわらし駅 | 0.5 | 1.5 | | | | | ||
| 後藤駅 | どろたぼう駅 | 0.7 | 2.2 | ● | ◇ | ||
| 三本松口駅 | そでひき小僧駅 | 1.1 | 3.3 | | | | | ||
| 河崎口駅 | 傘化け駅 | 2.0 | 5.3 | | | | | ||
| 弓ヶ浜駅 | あずきあらい駅 | 1.9 | 7.2 | ● | ◇ | ||
| 和田浜駅 | つちころび駅 | 2.5 | 9.7 | | | | | ||
| 大篠津町駅 | 砂かけばばあ駅 | 1.4 | 11.1 | | | | | ||
| 米子空港駅 | べとべとさん駅 | 1.6 | 12.7 | ● | | | 境港市 | |
| 中浜駅 | 牛鬼駅 | 0.5 | 13.2 | ● | ◇ | ||
| 高松町駅 | すねこすり駅 | 1.1 | 14.3 | | | | | ||
| 余子駅 | こなきじじい駅 | 0.7 | 15.0 | ● | | | ||
| 上道駅 | 一反木綿駅 | 1.3 | 16.3 | | | | | ||
| 馬場崎町駅 | キジムナー駅 | 0.9 | 17.2 | ● | | | ||
| 境港駅 | 鬼太郎駅 | 0.7 | 17.9 | ● | ∧ |
[編集] 米子空港拡張に伴う線路移設
美保飛行場(米子空港)の滑走路拡張に伴い、2008年6月15日に御崎口駅(現・大篠津町駅) - 中浜駅間(2.1km)が県道と共に滑走路を大きく迂回するよう路線が変更され、大篠津駅が米子空港ターミナル近くに移転し米子空港駅と改称された。なお、線路と滑走路の干渉について、解決策が「迂回」とされるまでに時間がかかり(地下化も検討された)、2008年の予定だった空港拡張は、2年程度遅れる見込みである。
- JR境線の迂回計画、来月にも着工 日本海新聞 2007年7月5日
大篠津駅の移転・改称と同時に地元からの大篠津の駅名存続の要望を受け御崎口駅が大篠津町駅と改称された。なおそれぞれの駅の妖怪駅名は改称後も継承される。
- 米子の空の玄関新駅名は「米子空港駅」に 日本海新聞 2008年4月16日
- 境線 大篠津駅、御崎口駅の駅名改称について 西日本旅客鉄道 2008年4月15日
- 境線 駅間キロ改正・駅名改称 概要図PDF 西日本旅客鉄道 2008年4月15日
なお、路線変更に伴って実際の距離(実キロ)は長くなるが、2008年6月15日以降も大篠津町駅 - 中浜駅間の営業キロは従来通り2.1kmのままとなるため、実キロよりも短くなる。
[編集] 日本海新聞の報道による争い
1997年10月7日付日本海新聞1面「鳥取発特報」に『境線を廃止したらどうか』という記事が佐伯健二記者の署名付きで掲載された[1]。記事の内容は、米子空港拡張による境線の一部地下化または線路移動工事に際して、その費用対効果に疑問を呈し「役目は終わった」として廃止を提案するものだった。記事では廃止論の根拠として利用者減少と路線収支を挙げていたものの、その根拠とした数字は以下のように杜撰なものであった。
- 利用者数については、境港駅の乗車人数(「乗降」人数ではない、419人/日)を挙げたのみで、それ以外の駅については調査すらしていない
- 路線収支についても「百円の収入を得るのに必要な経費の額を示す営業係数は、現在は部外秘で知らされないが、六九八だった昭和五十六年(鳥取県大百科事典)の国鉄当時の境線と、厳しい状況は変わっていないのではなかろうか」と、十数年前のデータを提示したのみでその後の推移について全く言及しない
この指摘に関して佐伯記者は「確かな数字を教えないJR西日本が悪い」と反論しているが、運輸局などで公開されている資料を佐伯記者が調査した形跡はない。
記事掲載後、西日本旅客鉄道労働組合(JR連合系、以下西労組)は電話で抗議。これに対し日本海新聞社が「新聞に何を書いて載せてもいいではないか」と返答したため、西労組は対抗策として同紙の不買運動に踏み切る。
やがて不買運動の影響が大きくなるにつれ、日本海新聞は「新聞の不買運動は、民主主義を破壊する」「激しく闘う」と社長・編集総局長名で抗議したが、境線利用者数についての訂正はなく、さらに「あれは、記者の個人的な意見であって、新聞社の意見ではない」と逃げに廻った。
記事掲載から一か月後、日本海新聞は「不買をやめたら西労組の反論を載せる」ことを表明し不買運動は終結したが、現在まで反論は掲載されておらず、事の真相が有耶無耶のまま事態は一応の収束を見た。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 「鳥取発特報」『境線を廃止したらどうか』 日本海新聞 1997年10月7日 (Internet Archive)
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