宮島連絡船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

宮島連絡船(みやじまれんらくせん)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の子会社であるJR西日本宮島フェリーが運営する、広島県廿日市市宮島口駅と同市厳島宮島駅間の宮島航路を運航する鉄道連絡船である。路線名は宮島航路

概要[編集]

かつては日本国有鉄道(国鉄)が、1987年国鉄分割民営化後はJR西日本が運航していた。JR西日本は2009年2月2日に新設した完全子会社のJR西日本宮島フェリーへ宮島連絡船の事業を譲渡し、同年4月1日から同社での営業を開始した[1]。分社化の時点で、年間1億円ほどの赤字が10年ほど継続している状態であった[2]。なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通りJR線の一路線として扱われ、JRグループの企画乗車券「青春18きっぷ」での乗船も可能となっている[3]。ただし、宮島航路の分社化後は、JRグループの乗車券は社線連絡として扱われ、宮島航路単独の乗車券を、全国のみどりの窓口で購入することはできなくなった。

航路の運航距離は2km程度あるが、並行する宮島松大汽船との運賃のバランスを考慮して、営業キロを1.0kmとしている。この航路は松大汽船と共に広島県道43号厳島公園線の一部をなしている。そのため国鉄時代から自動車航送を取り扱っている。

鉄道連絡船と称するが、宮島駅には接続する鉄道路線バス路線などが存在せず、実際には厳島への観光航路、地元民の生活航路である。

歴史[編集]

宮島行きの渡船については、江戸時代より廿日市などから出港していた(詳細は宮島航路参照)。

1897年(明治30年)9月25日山陽鉄道延伸に合わせて、広島市在住の実業家早速勝三[補足 1]が、赤崎海岸に桟橋を設置。宮島間の航路を開設した[4][補足 2]。赤崎海岸の桟橋は、現在の宮島口桟橋の始まりになり、その航路が宮島連絡船の始まりになった。

1899年(明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が出資した会社「渡津合資会社」に事業譲渡された。翌年に株式会社に組織変更され「渡津株式会社」になった。

1902年(明治35年)4月に、「宮島渡航株式会社」が建造した宮島丸が就航した[補足 3]

1903年(明治36年)に山陽鉄道が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を買収、5月8日から山陽鉄道直営航路になる(山陽汽船商社も確認)。宮島駅(現在の宮島口駅)の駅長が宮島航路も兼任することになり、汽車と汽船の連絡切符を販売した。同年の7月時点で10往復していた。1905年(明治38年)11月に、より大型の厳島丸と交代した。

山陽鉄道は、1906年(明治39年)12月1日国有化され、国鉄航路になった。

沿革[編集]

運航形態[編集]

宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分毎だが、多客日は10分毎になる。宮島口発の便については、9時台から16時台前半の便で厳島神社大鳥居沖経由便を設定するなどのサービスも行っている(宮島松大汽船側は直通コースを取り、その分所要時間が短い)。

運賃[編集]

自動車航送[編集]

  • 自動車航送料金は、3m未満が790円、3m以上4m未満が1,210円、4m以上5m未満が1,690円、5m以上6m未満が2,210円となっており、ドライバー1人の運賃が含まれている。
  • 乗船当日に自動車航送券を購入する。

自転車・オートバイ航送[編集]

  • 自転車・オートバイ航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが125cc以下が190円、125cc超750cc以下が290円、750cc超が380円となっているが、運転する人の運賃は含まれておらず、別途運賃が必要となる。
  • 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。

対応乗車カード[編集]

  • 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、2009年10月17日よりIC乗車カードPASPY」を導入し、同カードのエリア使用可能な「ICOCA」も使用可能となった。同じ区間を運航する宮島松大汽船と同時実施になっている。ただしICOCAの場合はPASPY割引は発生しない。2011年3月31日まではバスカード (広島県)が利用できた。なおPASPY、ICOCA、バスカードいずれの利用の際も宮島側にしかカードリーダーがないため宮島口から乗船する際は、そのまま乗船し宮島側で精算するようになっている。
  • 自動車航送は、「ICOCA」や「PASPY」などのIC乗車カードは使用できない。

駅一覧[編集]

両駅とも広島県廿日市市内に所在

駅名 営業キロ 接続路線
宮島口駅 0.0 西日本旅客鉄道山陽本線
広島電鉄宮島線広電宮島口駅
宮島駅 1.0  

山陽本線宮島口駅は、宮島航路宮島口駅から徒歩6分の距離にある。

使用船舶[編集]

現在就航されている船舶[編集]

以下の3隻が就航しており、現在ではすべての船を自動車搭載可能なフェリーとしている。また、ななうら丸以外は両頭船になっている。

船名 用途 総トン数 就航日 備考
ななうら丸(2代目) 旅客フェリー 196t 1987年2月18日
みせん丸(4代目) 旅客フェリー 218t 1996年4月27日
みやじま丸(4代目) 旅客フェリー 254t 2006年5月23日 後記の事故で就航が遅れる

現在のみやじま丸は当初2006年3月15日に就航予定だったが、試験航行中に松大汽船側の桟橋に衝突したため、2か月8日遅れて同年5月23日に就航し、これに伴い旧みやじま丸は運航を終了した。

過去就航されていた船舶[編集]

船名 用途 総トン数 就航日 終航日 備考
宮島丸 客船 30.32t 1902年4月 1905年11月8日
厳島丸 客船 70.00t 1905年11月8日 1924年9月1日
みやじま丸(初代) 客船 242.08t 1954年10月9日 1970年3月20日 1962年車載対応
1964年転籍、大島丸(2代目)になる
みやじま丸(2代目) 客貨船 117.16t 1965年10月1日 1978年9月19日
みやじま丸(3代目) 旅客フェリー 266.40t 1978年9月27日 2006年5月12日
七浦丸 客船 188.83t 1920年
1954年7月
1946年4月24日
1955年8月25日
1901年5月27日に下関丸として大島航路に就役
1920年転籍時に七浦丸に改称
弥山丸 客船 188.83t 1920年 1956年3月 1901年5月27日に大瀬戸丸として大島航路に就役
1925年6月5日に弥山丸に改称
みせん丸(2代目) 客貨船 117.22t 1965年10月1日 1976年7月24日
みせん丸(3代目) 旅客フェリー 266.49t 1978年8月10日 1996年4月25日
山陽丸 客貨船 158.20t 1965年7月15日 1978年7月31日 大島航路・仁堀航路の予備船兼用
安芸丸(2代目) 旅客フェリー 267.03t 1976年 1987年1月28日 1970年3月20日に大島丸 (3代目)として就役
五十鈴丸 - - 1964年 1965年 150t魚雷運搬船を改造
玉川丸 - - 1964年 1965年 150t魚雷運搬船を改造
かざし - - - -
みゆき - - - -
みさき - - - -

運送実績[編集]

2009年(平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、宮島松大汽船の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51%のシェアである。2001年(平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「宮島駅#利用状況」を確認のこと。

参考文献[編集]

  • 古川達郎『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07319-9
  • 長船友則『山陽鉄道物語』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07028-0
  • 廿日市市統計書 2006年版(廿日市市)
  • 廿日市市統計書 2010年版(廿日市市)
  • 廿日市町史 通史編(下)(廿日市町)
  • 廣島県 大野町誌(広島県佐伯郡大野町役場)

補足[編集]

  1. ^ 当時広島で最大の部数だった新聞芸備日日新聞の社主だった
  2. ^ 書籍によっては同年6月就航開始とする物も存在するが、その時は届出を行ったのみの可能性もある
  3. ^ 「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ www.westjr.co.jp - 船舶事業子会社の設立について JR西日本・2008年12月4日プレスリリース
  2. ^ 「宮島フェリー」誕生 JRが出資し分社化 西広島タイムス2009年2月6日
  3. ^ www.westjr.co.jp - 「青春18きっぷ」の発売について JR西日本・2010年2月10日プレスリリースより。JR他社公式ウェブサイトにも同様の内容あり。
  4. ^ 芸備日日新聞 1897年9月23日付の新聞広告に、同月25日から連絡船就航開始の旨が記載されている

外部リンク[編集]