宮島連絡船

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宮島連絡船(宮島航路)
宮島桟橋とななうら丸(左)、みやじま丸(右)
概要
現況 運航中
起終点 起点:宮島口桟橋
終点:宮島桟橋
駅数 2駅
運営
開業 1897年9月25日 (1897-09-25)
国有化 1906年12月1日
民営化 1987年4月1日
子会社化 2009年4月1日
所有者 早速勝三(個人)→渡津合資会社→渡津株式会社→宮島渡航株式会社→山陽鉄道
鉄道作業局→帝国鉄道庁鉄道院→鉄道省運輸通信省運輸省
日本国有鉄道(国鉄)→
西日本旅客鉄道(JR西日本)→
JR西日本宮島フェリー
路線諸元
路線総延長 1.0 km (0.62 mi)
航路距離(営業キロ
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宮島連絡船(みやじまれんらくせん)は、広島県廿日市市宮島口桟橋と同市厳島宮島桟橋の間を結ぶ、JR西日本宮島フェリー航路鉄道連絡船)である。路線名は宮島航路

鉄道連絡船ではあるが鉄道線を挟んだ輸送を担うものではない。

概要[編集]

かつては日本国有鉄道(国鉄)の航路であり、1987年昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が運航していた。JR西日本は2009年平成21年)2月2日に新設した完全子会社のJR西日本宮島フェリーへ宮島連絡船の事業を譲渡し、同年4月1日から同社での営業を開始した[1]。分社化の時点で、年間1億円ほどの赤字が10年ほど継続している状態であった[2]

なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通り「青春18きっぷ」など、JRグループや、JR西日本本体が運営するトクトクきっぷでの乗船も可能となっている[3]指定席券売機の乗車券購入機能で、宮島駅の表記が、「JR西日本フェリー 宮島」に変更されている。マルス券の表記は、「宮島」で変更されていない。

JR鉄道線との通し乗車券は、鉄道連絡船ということもあり、分社化後も購入可能で、一貫してJR鉄道線の運賃と航路の運賃との合算だが、JR西日本直営時代は「山陽・宮島航路」の表記だったが、分社化後は連絡運輸の扱いとなり、乗車券の経由表記が「山陽・宮島口」に表記が変更された。

航路の運航距離は2 km程度あるが、並行する宮島松大汽船との運賃のバランスを考慮して、営業キロを1.0 kmとしている。この航路は宮島松大汽船の航路と共に広島県道43号厳島公園線の一部を形成している。そのため、国鉄時代から自動車航送を取り扱っている。

歴史[編集]

宮島行きの渡船については、江戸時代より廿日市などから出港していた(詳細は宮島航路参照)。

1897年明治30年)9月25日山陽鉄道延伸に合わせて、広島市在住の実業家早速勝三[補足 1]が、赤崎海岸に桟橋を設置。宮島間の航路を開設した[4][補足 2]。赤崎海岸の桟橋は、現在の宮島口桟橋の始まりになり、その航路が宮島連絡船の始まりになった。

1899年(明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が出資した「厳島渡津合資会社」が設立され、事業譲渡された。さらに翌年、宮島渡航株式会社が設立され[5]て、事業を継承した[補足 3][6]

1902年(明治35年)4月に、「宮島渡航株式会社」が建造した宮島丸が就航した[補足 4]

1903年(明治36年)に山陽鉄道が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を買収5月8日から山陽鉄道直営航路になる(山陽汽船商社も参照)。宮島駅(現在の宮島口駅)の駅長が宮島航路も兼任することになり、汽車汽船連絡切符を販売した。同年の7月時点で10往復していた。1905年(明治38年)11月に、より大型の厳島丸と交代した。

山陽鉄道は、1906年(明治39年)12月1日国有化され、官設鉄道(当時。後の国鉄)航路になった。

沿革[編集]

運航形態[編集]

宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分間隔だが、多客日は10分間隔になる。宮島口発の便については、9時台から16時台前半の便で厳島神社大鳥居沖経由便を設定するなどのサービスも行っている(航路はJRが西側、宮島松大汽船は東側のため、松大汽船は航路干渉をおこすことから直通コースしか設定できないが、その分、所要時間も短い)。

運賃[編集]

自動車航送[編集]

  • 自動車航送料金は、3 m未満が800円、3 m以上4 m未満が1,250円、4 m以上5 m未満が1,700円、5 m以上6 m未満が2,250円となっており、ドライバー1名の運賃が含まれている[15]。車両の最大高さは2.2 m以下。
  • 乗船当日に自動車航送券を購入する。車検証の提示は不要だが、提示を求められる場合がある。

自転車・オートバイ航送[編集]

  • 自転車オートバイ航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが125 cc以下が200円、125 cc超750 cc以下が300円、750 cc超が400円となっているが[15]、運転者の運賃は含まれておらず、別途運賃が必要となる。
  • 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。

対応乗車カード[編集]

  • 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、交通IC乗車カードPASPYICOCASuicaなども利用できる。同じ区間を運航する宮島松大汽船も同様。ただしICOCA等を利用する場合はPASPY割引適用外である。過去にはバスカードが利用できた。交通ICカードの利用の際は、ICカードリーダーが宮島側にしかないため、宮島口から乗船する際はそのまま乗船し、宮島側で精算するようになっている。
  • 自動車航送に交通IC乗車カードは利用できない。

駅一覧[編集]

  • 両駅とも広島県廿日市市内に所在。
  • 山陽本線宮島口駅は、宮島口桟橋から徒歩6分の距離にある。
駅名 営業キロ 接続路線
宮島口桟橋 0.0 西日本旅客鉄道山陽本線宮島口駅
広島電鉄宮島線広電宮島口駅
宮島桟橋 1.0  

使用船舶[編集]

現在就航している船舶[編集]

以下の3隻が就航しており、現在ではすべての船を自動車搭載可能なフェリーとしている。また、ななうら丸の3代目の入れ換えをもって所有している船舶は全て両頭船となっている。

船名 用途 総トン数 就航日 備考
ななうら丸(3代目) 旅客フェリー 275t[18] 2016年11月7日[19]
みせん丸(4代目) 旅客フェリー 218t 1996年4月27日[20]
みやじま丸(4代目) 旅客フェリー 254t 2006年5月23日 後記の事故で就航が遅れる

現在のみやじま丸は当初2006年3月15日に就航予定だったが、試験航行中に松大汽船側の桟橋に衝突したため、2か月8日遅れて同年5月23日に就航し、これに伴い旧みやじま丸は運航を終了した。

過去就航していた船舶[編集]

船名 用途 総トン数 就航日 終航日 備考
宮島丸 客船 30.32 t 1902年4月 1905年11月8日
厳島丸 客船 70.00 t 1905年11月8日 1924年9月1日
みやじま丸(初代) 客船 242.08 t 1954年10月9日 1970年3月20日 1962年車載対応
1964年転籍、大島丸(2代目)になる
みやじま丸(2代目) 客貨船 117.16 t 1965年10月1日 1978年9月19日
みやじま丸(3代目) 旅客フェリー 266.40 t 1978年9月27日 2006年5月12日
七浦丸 客船 188.83 t 1920年
1954年7月
1946年4月24日
1955年8月25日
1901年5月27日に下関丸として大島航路に就役
1920年転籍時に七浦丸に改称
ななうら丸(2代目) 旅客フェリー 196t 1987年2月18日 2016年11月7日
弥山丸 客船 188.83 t 1920年 1956年3月 1901年5月27日に大瀬戸丸として大島航路に就役
1925年6月5日に弥山丸に改称
みせん丸(2代目) 客貨船 117.22 t 1965年10月1日 1976年7月24日
みせん丸(3代目) 旅客フェリー 266.49 t 1978年8月10日[21] 1996年4月25日
山陽丸 客貨船 158.20 t 1965年7月15日 1978年7月31日 大島航路・仁堀航路の予備船兼用
安芸丸(2代目) 旅客フェリー 267.03 t 1976年 1987年1月28日 1970年3月20日に大島丸 (3代目)として就役
五十鈴丸 - - 1964年 1965年 150t魚雷運搬船を改造
玉川丸 - - 1964年 1965年 150t魚雷運搬船を改造
かざし - - - -
みゆき - - - -
みさき - - - -

運送実績[編集]

2009年(平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、宮島松大汽船の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51 %のシェアである。2001年(平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「宮島桟橋#利用状況」を確認のこと。

参考文献[編集]

  • 古川達郎『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』 JTBパブリッシングJTBキャンブックスISBN 978-4-533-07319-9
  • 長船友則『山陽鉄道物語』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07028-0
  • 廿日市市統計書 2006年版(廿日市市)
  • 廿日市市統計書 2010年版(廿日市市)
  • 廿日市町史 通史編(下)(廿日市町)
  • 廣島県 大野町誌(広島県佐伯郡大野町役場)

補足[編集]

  1. ^ 当時広島で最大の部数だった新聞芸備日日新聞社主であった。
  2. ^ 書籍によっては同年6月就航開始とする物も存在するが、その時は届出を行ったのみの可能性もある
  3. ^ この間の経緯は不明ながら、厳島渡津合資会社は1902年5月に解散している
  4. ^ 「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている

脚注[編集]

  1. ^ www.westjr.co.jp - 船舶事業子会社の設立について JR西日本・2008年12月4日プレスリリース
  2. ^ 「宮島フェリー」誕生 JRが出資し分社化 西広島タイムス2009年2月6日
  3. ^ www.westjr.co.jp - 「青春18きっぷ」の発売について JR西日本・2010年2月10日プレスリリースより。JR他社公式ウェブサイトにも同様の内容あり。
  4. ^ 芸備日日新聞 1897年(明治30年)9月23日付の新聞広告に、同月25日から連絡船就航開始の旨が記載されている
  5. ^ a b 大蔵省印刷局 [編]『官報』1900年09月25日,日本マイクロ写真 ,明治33年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2948465 (参照 2024-03-15)
  6. ^ a b 大蔵省印刷局 [編]『官報』1902年05月30日,日本マイクロ写真 ,明治35年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2948972 (参照 2024-03-15)
  7. ^ 大蔵省印刷局 [編]『官報』1899年07月01日,日本マイクロ写真 ,明治32年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2948089 (参照 2024-03-15)
  8. ^ 1929年(昭和4年)12月29日鐵道省告示第293号「各航路ニ於ケル運輸營業範圍等」
  9. ^ 1968年10月31日日本国有鉄道公示第428号「宮島口・宮島間航路に営業所を設置する等の件」
  10. ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第209号「荷扱所及び営業所の営業範囲の改正」
  11. ^ 1974年(昭和49年)9月30日日本国有鉄道公示第244号「旅客運輸営業を変更する件」
  12. ^ 1985年(昭和60年)3月12日日本国有鉄道公示第181号「駅の営業範囲の改正」
  13. ^ “JR西日本 宮島フェリーを分離独立”. MSN産経ニュース. (2008年12月4日). オリジナルの2008年12月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081219141828/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081204/biz0812042235013-n1.htm 2022年10月2日閲覧。 
  14. ^ JR西日本宮島フェリー「ICOCA」新サービス、連絡乗車券は販売終了 マイナビニュース(佐々木康弘)、2023年8月31日(2023年9月5日閲覧)。
  15. ^ a b c d 運賃”. JR西日本宮島フェリー. 2023年10月11日閲覧。
  16. ^ 宮島訪問税の概要 - 広島県廿日市市(はつかいち)けん玉発祥・宮島のあるまち”. www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp. 2023年9月5日閲覧。
  17. ^ 青春18きっぷのみで乗船不可に「宮島フェリー」 ICOCA導入の一方で改札方式も変更”. 乗りものニュース (2023年8月30日). 2023年8月31日閲覧。
  18. ^ 「ななうら丸」老朽化に伴う新船建造のお知らせ』(プレスリリース)JR西日本宮島フェリー株式会社、2015年7月3日https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/07/page_7327.html2016年11月19日閲覧 
  19. ^ 新「ななうら丸」が来月7日就航 宮島航路、定員2割増”. 日本経済新聞 (2016年10月29日). 2016年11月19日閲覧。
  20. ^ “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日) 
  21. ^ 「新造船「みせん丸」きょう就航」『交通新聞』交通協力会、1978年8月10日、1面。

外部リンク[編集]