読売広告社

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株式会社 読売広告社
YOMIKO ADVERTISING INC.
種類 株式会社
略称 読広
本社所在地 日本の旗 日本
104-8686
東京都中央区銀座一丁目8番14号
設立 1946年(昭和21年)7月11日
業種 サービス業
事業内容 広告業
代表者 中田 安則(代表取締役社長)
資本金 14億5,874万8,919円
売上高 734億4,200万円
(単独・2012年3月期)
従業員数 580名(2012年6月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)博報堂DYホールディングス 100%
外部リンク http://www.yomiko.co.jp/
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株式会社読売広告社(よみうりこうこくしゃ)は、東京都中央区に本社を置く広告代理店博報堂DYホールディングス傘下。

概要[編集]

  • 1929年に山元國三が設立した山元新光社が前身であり、1946年に株式会社となった際に現社名に変更する。
  • 社名に読売とあるが、これは読売新聞の広告枠買付けから発祥したものであり、読売新聞社および日本テレビなど読売グループとの資本関係を示すものではなかったが、経営統合後は、親会社となった博報堂DYホールディングスの第8位の大株主に日本テレビが、第9位の大株主に読売新聞社が名を連ねている(2006年3月現在)。
  • 売上構成上新聞の比率は1割強と高くはなく、主力は3割を超えるテレビ広告となっている(2007年4月現在)。
  • アニメ番組の広告枠買付けおよびプロデュース(製作)が得意分野で、1990年代に電通が参入するまでは旭通信社(現アサツー ディ・ケイ)とシェアを二分していた。
  • 初製作作品は1965年タツノコプロ作品『宇宙エース』で、以来タツノコ作品のプロデュースを数多く手がけていた。
  • アニメ以外のテレビ番組枠買付けでは、1987年より続く日本テレビ系『東京箱根間往復大学駅伝競走』(箱根駅伝)が主に知られている(2004年度より博報堂DYメディアパートナーズ預かりとなる)。
  • 元社長の岩切靖治開高健椎名誠と交友が深く、椎名と共に映画制作プロダクション「ホネ・フィルム」を設立。また椎名と共に「やまがた林間学校」を主催した。
  • 2003年10月に博報堂大広と経営統合し、博報堂DYホールディングスの傘下となる。同時にメディア関連事業(広告枠買付け、コンテンツプロデュース等)を新設会社博報堂DYメディアパートナーズに移管したが、制作上のクレジットにおける読売広告社の社名は現在も残されている。
  • かつて存在した大阪読売広告社と、その大阪読売広告社の事業を継承した読売連合広告社とは全く関連のない別の企業であり、読売広告社の関西支社が大阪に存在する。

プロデューサー[編集]

製作に関わっているアニメ作品[編集]

1960年代[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

製作に関わっている実写作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 但馬オサム 著『世界の子供たちに夢を タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡』メディアックス、2013年1月30日初版、144頁
  2. ^ 但馬オサム 著『世界の子供たちに夢を タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡』161頁
  3. ^ 但馬オサム 著『世界の子供たちに夢を タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡』180頁
  4. ^ ガッチャマンやキャシャーンなどの題名は、読売広告社の専務だった松山貫之が命名
  5. ^ 読売広告社の社員だった木本隆彦も、ガリアンとレイズナーのプロデュースを担当
  6. ^ 磯野理 著『東宝見聞録 1960年代の映画撮影現場』アスペクト、2011年11月2日初版、306頁
  7. ^ エンディング映像の「制作担当」には、読売広告社の社員だった内間稔や鈴木利幸の名も表記
  8. ^ マシンマンとバイクロッサーは、当時の脚本表紙に「制作:日本テレビ、東映、読売広告社」と印刷
  9. ^ 当時の脚本内における連絡先には「読売広告社 番組企画部(直通)」の名で、電話番号も印刷されていた

外部リンク[編集]