さくら野百貨店

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株式会社さくら野百貨店
SAKURANO DEPARTMENTSTORE CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 さくら野
本社所在地 日本の旗 日本
030-8574
青森県青森市新町1丁目13-2
設立 2005年(平成17年)4月1日
(さくら野東北株式会社)
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 臼井 修(代表取締役社長)
資本金 13億5万円
売上高 231億7,300万円(2011年(平成23年)2月期実績)
総資産 53億5,500万円(2011年(平成23年)2月期現在)
従業員数 215名、契約 141名、パート・アルバイト(8時間換算)231名 (2011年(平成23年)4月現在)
支店舗数 店舗一覧を参照
決算期 2月末日
主要株主 武田ふみ 49%
武田株式会社 34%
クレディ・スイス・プリンシパルインベストメンツ・リミテッド 15%
臼井 修 2%
主要子会社 有限会社さくら野商事
外部リンク http://www.sakurano.info
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さくら野百貨店(さくらのひゃっかてん、: SAKURANO DEPARTMENTSTORE)は、東北地方に展開している日本の百貨店である。

この店名となった当時は同名の企業が全店舗を運営していたが、企業分割や社名変更を経て、現在は(3代目にあたる)株式会社さくら野百貨店: SAKURANO DEPARTMENTSTORE CO., LTD. 本社:青森県青森市)が青森店、弘前店、八戸店、北上店の4店舗を運営し、株式会社エマルシェが仙台店を運営している。

歴史・概要[編集]

百貨店連合の誕生からダックビブレへ[編集]

1978年(昭和53年)3月にニチイの支援を受けて丸光カネ長武田百貨店山田百貨店イチムラ小美屋と共に株式会社百貨店連合を設立したのが始まりである[1]、 また、同月三越と提携して商品供給を受けることになった[2]

同年4月に百貨店連合が設立に参加した百貨店5社と経営管理に関する業務委託契約を締結して業務を受託した[1]

その後、1981年(昭和56年)3月に先行して武田百貨店、やまだ百貨店、イチムラの3社が合併して株式会社武田山田百貨店を発足させ[1]1982年(昭和57年)3月に丸光(本社仙台市、資本金8億円)と合併して株式会社丸光小美屋を設立し[3]1982年(昭和57年)3月には丸光と小美屋が合併して株式会社丸光小美屋を設立した[3]

さらに、1982年(昭和57年)9月に株式会社百貨店連合が武田山田百貨店や[1]丸光小美屋と合併して[3]5社が経営していた百貨店の経営を完全に引継いだ。

この間の1981年(昭和56年)11月6日には[4]百貨店連合として初の新店舗として厚木市にダックシティ厚木を開業した[5]のを皮切りに百貨店5社から引継いだ店舗以外の出店に踏み切り、1994年(平成6年)3月1日に[6]ニチイより営業譲渡を受けて山形ビブレを開業し[5]1999年(平成11年)3月に北海道小樽市マイカル小樽に小樽ビブレを開業し[7]2000年(平成12年)3月に岩手県北上市本通りに北上ビブレを開業する[8]など出店を進め、1993年(平成5年)10月1日[4]にカネ長武田百貨店から引継いだ旧弘前店を閉店して城東北に弘前ビブレ[9]1996年(平成8年)3月に丸光から引継いだ旧石巻店を閉店してJR石巻駅前に石巻ビブレ[10]1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引継いだ旧福島店を閉店して福島市曾根田町(現:曽根田町)に福島ビブレ[11]を各々開業するなど既存店のスクラップアンドビルドも積極的に進めた。

その一方で1996年(平成8年)にダックシティ小美屋[12]1997年(平成9年)2月にダックシティイチムラ長岡店[13]を閉店して設立に参加した百貨店5社のうち2社の店舗から完全に撤退したほか、1992年(平成4年)2月にダックシティ厚木をニチイに[5]2001年(平成13年)2月に小樽ビブレを株式会社マイカルに各々譲渡して撤退し[5]、その他にも2000年(平成12年)1月10日に山形ビブレを閉店する[14]など不採算店の閉鎖も行った。

しかし、2001年(平成13年)9月14日に[15]株式の76.4%を直接保有して間接保有と合せて83.4%を保有する[1]親会社のマイカルが民事再生法適用を申請したことに伴い[16]、東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上破綻した[15]

民事再生法の適用申請をした際にはそのまま各店舗の営業を続けた[15]が、破綻直後の2001年(平成13年)10月に[17]集客力が低下して業績が低迷していた[18]気仙沼ビブレの閉店を決定して[17]2002年(平成14年)1月10日に[17]閉店した[18]

なお、ビブレとして営業していた時代にも日本百貨店協会には加盟し続けており[6]、百貨店業態として運営されていた。

ダックビブレから初代さくら野百貨店へ[編集]

2002年(平成14年)2月28日に日本政策投資銀行や取引先の企業約10社などの出資で企業再建ファンドを設立して資本金をいったん100%減資後にそこから出資を受ける形で再建を目指す方針を発表し[19]2002年(平成14年)5月に再生計画案が債権者集会で可決されて裁判所から認可を受け[1]、日本政策投資銀行や不動産会社で青森店などの大家である武田(青森市)など15の地元企業・団体が11億7800万円を出資して事業再生に乗り出した[20]

この増減資を伴った再建策によりマイカルグループから独立した独立資本の百貨店として営業することになったため[21]、一般から公募した新名称から店舗を展開する東北4県には桜の名所が多いことにちなんでさくら野百貨店を選び[21]、同年10月1日にダックビブレからに社名と店名を変更して新たなスタートを切った[20]

しかし、2001年(平成13年)9月以降7店全体の売上高が平均で前年比約75%と落ち込んだ状態[22]からスタートし、2003年(平成15年)3月末に7店全体の売上高の2割以上を占める仙台店は約12億円を投じて全面的に改装して東北初の売場を導入して若い女性客を増やして前年比20%増となったものの再生計画の前年比40%増の半分に留まり[20]、食料品売上が破綻前より25%減に落ち込んだままとなる[20]など、さくら野百貨店として再スタートしてから1年経った2003年(平成15年)9月時点でも破綻で失われた信用を取り戻せず売上の回復は思うように進まなかった[20]

そのため、2004年(平成16年)1月に高島屋と業務提携して営業部長などの人材派遣を受け[23]、同年11月に高島屋の業務支援を受けて基幹店の仙台店の地下食品売り場を改装してさくら野ごちそう館とする[24]など攻めの投資を行う一方で、2005年(平成17年)3月21日に民事再生法適用後に離れた顧客を取り戻せないまま業績が低迷していた福島店を閉店して山田百貨店の歴史に終止符を打って福島県での百貨店運営から撤退する[25]などして再建を進めた。

初代さくら野百貨店の分割[編集]

2005年(平成17年)4月に初代さくら野百貨店を仙台店を運営する2代目さくら野百貨店(現エマルシェ)、仙台店の資産管理をするさくら野DEPT仙台、仙台以外の東北の店舗を運営するさくら野東北[26](現さくら野百貨店=3代目)に3分割して新たなスタートを切り、翌月5月に東京地裁から民事再生手続き終結決定を受けた[26]

2代目さくら野百貨店は2005年(平成17年)4月27日に高島屋の業務支援を受けて仙台店の7階のレストラン街を含む2-7階のフロアに約60の新規ブランドや売場を導入する大改装を行い[24]2007年(平成19年)5月29日に株主総会で当時28.2億円だった資本金を1億円に大幅に減資して減損会計に伴う損失処理に対応し[27]、さくら野東北は蛇田地区へのイオン石巻ショッピングセンターの進出とそこへのシネマコンプレックスの移転で集客力と売上が減少していた[28]2008年(平成20年)4月27日にさくら野百貨店石巻店を閉店して丸光以来の歴史に終止符を打って[29]現在と同じ店舗数へ縮小するなど別々に改革が進められた[30]

しかし、分社化以降進めた改革の進展が遅れた2代目さくら野百貨店は[30]2009年(平成21年)2月期に売上高が約120億円とピークから半減して約5億円の当期赤字となる[31]など経営不振が続いた[30]

2代目さくら野百貨店の経営陣の交代から社名変更へ[編集]

2009年(平成21年)7月15日の臨時株主総会と取締役会で分社化以降不振が続いていた2代目さくら野百貨店の社長らを退任させてさくら野東北社長と2代目さくら野百貨店会長だった臼井修がさくら野東北社長と兼務で社長に就任すると共に役員もさくら野東北から派遣し、分社化以降別々に行っていた商品調達や販促活動を再び一本化して合理化を図る方針が打ち出された[30]

この再建策の一環として2010年(平成22年)2月期中に外商部門の新規の顧客開拓をやめて既存顧客の対応にとどめて事実上撤退して店頭販売に集中する[32]一方で、共同持ち株会社の設立による経営統合の検討などが進められたが[33]、紳士服や子供服、食器、寝具など6-8階の売場を縮小して[34]7階と8階の一部にブックオフを入居させるなど外部企業に貸し出してテナント化を進めてテナント収入比率が大きく上昇する仙台店の方向性がさくら野東北が運営している他店の店舗戦略と大きく異なってきたため[33]、2010年(平成22年)4月7日にメリットが少ないとして経営の再統合を断念して2代目さくら野百貨店の保有するさくら野東北株すべてを不動産会社の武田とその関係者に譲渡して株式の持ち合いを解消すると共に社長の兼任も解消することになった[35]

この方針に沿って同年5月に経営体制を一新し[36]、同年8月1日から2代目さくら野百貨店がエマルシェに社名変更し[36]、同年9月12日に佐々木社長らエマルシェの経営陣で組織する持ち株会エマルシェ・フェニックス・プロジェクトが大株主の不動産会社の武田とクレディ・スイスグループから全株式の約80.48%にあたる3万2513株を取得するMBOを実施して資本関係の整理を進めて資本的な独立を高めることになった[37]

また、このエマルシェの社名変更と同時に[5]さくら野東北は3代目のさくら野百貨店となっており[26]、現在企業名としてのさくら野百貨店はこの企業を指している。

なお、この社名変更後も店舗名は従来通りでエマルシェの経営する店舗はさくら野百貨店仙台店として営業し[36]、エマルシェと3代目さくら野百貨店の間の商品調達や販促活動などの連携も継続することになっている[35]

3代目さくら野百貨店[編集]

3代目さくら野百貨店は従来1 - 4階を賃借して売場としてきたうちの3階の40%と4階の売場での営業を終了させて2010年(平成22年)9月から衣料や雑貨、飲食などの外部テナントを導入するという北上店の大幅な規模縮小を伴う大改装を行い[38]2012年(平成24年)2月期末に主要株主の不動産会社武田から約15億-20億円の債権放棄を受けて債務超過を解消し[26]2013年(平成25年)2月期中に食料品売り場を約2,600m²から約2,000m²に縮小して他の品目の売場に転換するなど弘前店の改装を行う[26]のを皮切りに、2014年(平成26年)2月期中には八戸店[26]2015年(平成27年)2月期中には青森店[26]2016年(平成28年)2月期中には北上店と順次各店の改装を進めて全店舗を改装して競争力を高め[26]、毎年20人前後の人材採用を行って人材育成も行うなど店舗と人材への前向きな投資を進め[39]、コスト削減と平行して進めることで売上高経常利益率3%を目指す事業成長の段階への移行を図っている[39]

株式会社さくら野百貨店の沿革[編集]

上述の通り、2010年(平成22年)8月1日に社名変更する以前には、現在のエマルシェが「株式会社さくら野百貨店」で、現在の株式会社さくら野百貨店はさくら野東北株式会社であった。

  • 1978年(昭和53年)3月 - 丸光宮城県)、カネ長武田百貨店青森県)、小美屋神奈川県)、山田百貨店福島県)、イチムラ新潟県)の5つの百貨店事業者が、ニチイ(マイカルを経て、現在はイオンリテール)の支援を受けて百貨店連合を設立。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月 - 先行して武田百貨店、やまだ百貨店、イチムラの3社が合併して株式会社武田山田百貨店が発足[1]
    • 11月6日[4] - 厚木市にダックシティ厚木を開店[5]
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月に丸光(本社仙台市、資本金8億円)と合併して株式会社丸光小美屋を設立[3]
    • 9月 - 株式会社百貨店連合が[1]武田山田百貨店や丸光小美屋と合併して営業を引継ぐ[3]
  • 1985年(昭和60年)3月 - ダックシティに社名変更[1]
    • ダック(DAC)のブランド名は当時の社名である百貨店連合の英語読みである「デパートメントストア・アライド・チェーン ( DEPARTMENTSTORE Allied Chain)」の頭文字を取ったものである[40]
  • 1990年(平成2年)9月 - マイカルビブレ事業本部と業務提携[5]
  • 1992年(平成4年)2月 - ニチイにダックシティ厚木を譲渡して撤退[5]
  • 1993年(平成5年)10月1日 - 旧店舗を閉店して郊外の現在地に弘前ビブレとして移転[4]
  • 1994年(平成6年)4月 - ニチイより営業譲渡を受けて山形ビブレを開業し[5]
  • 1996年(平成8年) - ダックシティ小美屋川崎店を閉店[12]
  • 1997年(平成9年)2月 - ダックシティイチムラ長岡店を閉店[13]
  • 1998年(平成10年)
    • 2月 - ダックビブレに社名変更[1]
    • 3月 - 旧店舗を閉店して郊外の新店舗へ福島ビブレとして移転[11]
  • 1999年(平成11年)3月 - 小樽市マイカル小樽に小樽ビブレを開店[7](後にマイカルへ譲渡され、2002年閉店。跡地はSE-Bとなる)。
  • 2000年(平成12年)3月 - 岩手県北上市に北上ビブレを開業[5]
  • 2001年(平成13年)
    • 2月 - 小樽ビブレを株式会社マイカルに譲渡して撤退[5]
    • 9月14日 - 親会社のマイカルの事実上の経営破綻の影響により民事再生法の適用を申請する[15]
  • 2002年(平成14年)
    • 1月10日 - 気仙沼ビブレを閉店[17]
    • 7月 - 既存株の100%減資を行い、マイカルグループを離脱。
    • 10月1日 - 社名を一般公募で決めた (旧)さくら野百貨店へと変更[21][20]
  • 2004年(平成16年) - 高島屋ハイランドグループに加盟[23]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月21日 - 福島店を閉店(地元の要望を受け、閉店後は長崎屋福島店跡地の「ニュー福ビル」にて仙台店のサテライトショップとして営業していたが、1年後に完全閉店)。
    • 4月1日 - 初代株式会社さくら野百貨店より分社化し、仙台店以外の5店舗を運営するさくら野東北株式会社として発足[26]。(旧)株式会社さくら野百貨店は本社機能と仙台店の運営を残し[26]、仙台店の設備管理などに当たるさくら野DEPT仙台[26](資本金1,000万円)も分社化している。
    • 6月 - 東京地方裁判所より民事再生手続終結決定[37]
  • 2008年(平成20年)4月27日 - 石巻店を閉店(分社後の初の閉店)[29]
  • 2010年(平成22年)8月1日 - 社名を(新)株式会社さくら野百貨店に変更、同時に(旧)さくら野百貨店は株式会社エマルシェに社名変更した。
  • 2012年(平成24年)2月期末 - 主要株主の不動産会社武田から約15億-20億円の債権放棄を受けて債務超過を解消[26]

店舗[編集]

青森店[編集]

さくら野百貨店青森店
店舗概要
正式名称 さくら野百貨店青森店
所在地 030-0801
青森県青森市新町1丁目13-2[41]
北緯40度49分35.2秒東経140度44分20.9秒座標: 北緯40度49分35.2秒 東経140度44分20.9秒
開業日 1951年(昭和26年)6月[41]
施設管理者 さくら野百貨店
商業施設面積 16,894[43]m2
駐車台数 347[41]
前身 カネ長武田百貨店青森店[42]
ダックシティカネ長武田青森店[42]
青森ビブレ[42]
さくら野
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1951年(昭和26年)6月に現在地に開店して[41]規模を拡大して百貨店化したカネ長武田百貨店青森店[42]が経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティカネ長武田青森店[42]、青森ビブレ[42]と変遷しながら営業を続けて来た。

そして経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店青森店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[26]ものの店名はこの間同一で営業している。

2005年(平成17年)4月に企業分割でさくら野東北が誕生した[26]後は本社が当店に置かれており、本店格の店舗となっている。

1976年(昭和51年)に開業したサンロード青森[42]を皮切りに郊外型店の出店が相次いでモータリゼーションの進展と相俟って郊外への買い物客の流出が生じ[42]2003年(平成15年)に第2次世界大戦以前から百貨店として営業していた歴史を持ち同じ商店街に店舗を構えていた老舗百貨店の松木屋が閉店したため[42]、現在は同じく青森に本拠を置く地場百貨店中三青森本店や青森市の第三セクターの運営するアウガなどと共に青森市の中心市街地の集客の核となっている[42]

2015年(平成27年)2月期中に改装を予定している[26]

ビルの所有者が現在の親会社でカネ長武田関連の不動産会社武田であるため、看板の上部にはビブレ時代からカネ長武田のロゴタイプがある。

弘前店[編集]

さくら野百貨店弘前店
店舗概要
正式名称 さくら野百貨店弘前店[9]
所在地 036-8092
青森県弘前市城東北3丁目[9]
北緯40度36分24秒東経140度29分45.1秒
開業日 1993年(平成5年)10月1日[4]
カネ長武田百貨店弘前店:1971年(昭和46年)[44]
施設管理者 さくら野百貨店
商業施設面積 24,491[9]m2
駐車台数 2,200台
前身 カネ長武田百貨店弘前店[9]
ダックシティカネ長武田弘前店[9]
弘前ビブレ
さくら野
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1971年(昭和46年)に土手町の中三弘前店に隣接して開店したカネ長武田百貨店弘前店[44]が経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティカネ長武田弘前店[9]となり、1993年(平成5年)10月1日[4]土手町の旧店舗を閉店して郊外の城東北の現在地に弘前ビブレとして移転した[9]ものである。

1994年(平成6年)9月に隣接する形でシネマコンプレックスワーナー・マイカル・シネマズを開設し[9]、そして経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店弘前店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[26]ものの店名はこの間同一で営業している。

2013年(平成25年)2月期中に食料品売り場を約2,600m²から約2,000m²に縮小して他の品目の売場に転換するなど改装を行う計画が進んでいる[26]

現在の施設構成・交通[編集]

  • 弘前市の城東地区(JR弘南鉄道弘前駅からみて若干北東側の位置)に所在する郊外型店舗。地上4階建ての本館に加え、車道を挟んで斜め向かいに立体駐車場併設の別館「ラフォルテ」、また「ラフォルテ」に隣接する形でシネマコンプレックスイオンシネマ弘前(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)があり、これらを総称して「弘前さくら野シティ」と呼ばれる場合がある。
    • 本館の1階から3階がメインの売場であり、1階は食品と服飾雑貨・化粧品・都市型ドラッグストアのアインズ&トルペ、2階は紳士服・婦人服、3階は呉服・子供服・生活用品とメガネ(富士メガネが運営)・文具・CD・書籍(宮脇書店が運営)をそれぞれ主体としたフロアで構成されている。
    • 「ラフォルテ」1階は各種カジュアル衣料品を扱うテナントやアウトドアセレクトショップなどが入居、また2階ではボウリング場が営業している。当初は「一兆Vボウル」としてオープンしたが、その後「エスタディオVボウル弘前」→「マスターズVボウル弘前」と名称が変わり、現在は「Vボウルカフェ弘前」の名で営業中。
    • 本館4階は弘前ねぷたの展示コーナーとゲームコーナーと洋食・中華のレストラン、ラーメン店、そば店、パキスタン料理の専門店のほか、津軽地方各地の特産品・名産品を販売するスペース「津軽遊学館」が営業している。また3階には和食レストラン、2階には喫茶コーナー、1階には不二家ショップがあるほか、「ラフォルテ」内でも飲食店が営業している。
    • 弘前バスターミナルや弘前駅城東口から城東環状100円バスも乗り入れている為、列車を利用してくる買い物客などもいるほか、国道7号弘前バイパスにも近接することから、マイカーでのアクセスも比較的容易であり、地元の弘前市・黒石市平川市など津軽地方一円の各市町村のみならず、秋田県北部の大館市北秋田市などからの買い物客も少なくない。
リコルソ弘前[編集]
  • 弘前ビブレ時代からプール付きホテルの「RISONARE MELA」〔リゾナーレ メラ〕(のちに「EXCCELENT MELA」〔エクセラン メラ〕に改名)が営業していたが、2004年2月頃に閉鎖され、2004年12月、4階に「ホテルさくら野」 と「さくら野温泉」が開業した。開業当初「さくら野温泉」は24時間営業であったが、2005年秋より営業時間が10時から深夜1時、さらに2006年(詳細時期不詳)にはさらに深夜0時までに短縮され、その後6時から9時まで早朝営業していた(早朝営業では岩盤浴の利用不可)。2006年ころまでは利用料金1500円で岩盤浴も利用出来たが、1000円になった頃からは、岩盤浴利用料金700円が別途必要となり、2009年3月をもって「ホテルさくら野」 と「さくら野温泉」は閉店した。
  • 2009年4月、前月に閉店した「ホテルさくら野」 と「さくら野温泉」に代わり、「リコルソ弘前」が開業した。
  • 入浴料については、以前の入浴のみの利用料金である1000円から500円に、入浴と岩盤浴の利用も1700円から900円に値下げされたが、この入浴料金値下げと引き換えに、これまでタオルが無料貸し出しだったものが、有料(250円)での貸し出しに変更された。
    • また「さくら野温泉」に引き続き、早朝割引は実施され、朝10時までに入館した人は350円となる。
    • さくら野カードの割引もあり、450円で入館できる。
    • 小学生については家族同伴に限り無料。
  • 営業時間は8時(岩盤浴は10時)から22時。
  • なお、「リコルソ弘前」への改装に伴い、入口で靴を脱ぐ方式から温泉入口(休憩室入口)で靴を脱ぐ方式に変更された。

八戸店[編集]

さくら野百貨店八戸店
2007年(平成19年)7月撮影
2007年(平成19年)7月撮影
店舗概要
正式名称 さくら野百貨店八戸店
所在地 031-0032
青森県八戸市三日町
北緯40度30分36.8秒東経141度29分27.8秒
開業日 1968年(昭和43年)6月28日[45]
施設管理者 さくら野百貨店
商業施設面積 13,423[43]m2
前身 丸光八戸店
ダックシティ丸光八戸店
八戸ビブレ
最寄駅 JR本八戸駅
さくら野
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1968年(昭和43年)6月28日に青森県八戸市三日町に丸光八戸店として開店し[45]、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティ丸光八戸店、八戸ビブレと変遷しながら営業を続けて来た。

そして経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店八戸店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[26]ものの店名はこの間同一で営業している。

近年はモータリゼーションの進展の影響で1995年(平成7年)に約33.2万人だった八戸市の中心市街地の通行量が2005年(平成17年)に約18.1万人に減少して、1997年(平成9年)に合計約730億円あった八戸市の中心市街地の売上高が2002年(平成14年)に合計約508億円と急激に落ち込んでラピア、イオン下田、ピアドゥなどの郊外型ショッピングセンターの売上が2002年(平成14年)に合計約440億円と匹敵するレベルに達するなど急激に進んだ中心市街地の空洞化の影響を受け[46]1985年(昭和60年)に開店したファッションビルヴィアノヴァ[47]と同じくファッションビルのチーノの債権が青森銀行から外資系ファンドに売却され[48]2003年(平成15年)4月に[49]郊外に自社の店舗を開設したことを理由にイトーヨーカドー八戸店が撤退する[50]など店舗周辺の商業環境は厳しくなっているが、ライバルの百貨店三春屋と共に八戸中心市街地の中核店舗の1つとして営業を続けている[50]

現在も百貨店として展覧会などの各種催事も行われている[51][52]

1996年(平成8年)10月に地権者25人が設立した三日町番町地区市街地再開発準備組合の核店舗として当店が想定されていたが、ダックビブレの経営破綻で構想が宙に浮いて地権者全員の同意が得られなくなり、2004年(平成16年)4月に組合が解散して再開発構想自体が挫折した[49]

その後2007年(平成19年)1月に中心市街地活性化策の一環として当店と近隣の金入や類家大学堂薬局を合せた敷地面積7,750m²を一体的に再開発する構想が浮上して再び店舗の再開発構想が進み始めている[53]

また当社の成長戦略の一環として2014年(平成26年)2月期中に改装を行う方向で構想も進められている[26]

施設およびビル内に同居する他施設[編集]

  • 丸光時代には地元八戸出身の菊地陽子が幼少期に描いた絵がシャッターに描かれていた(集英社発行のアイドル雑誌『明星』にも写真が掲載された)。
  • 地上6階・地下1階の構造で、屋上部にはかつての展望台(現在は閉鎖)も設置されている。
  • 4階 - 6階と地下1階部分については、1階 - 3階よりも天井が低くなっている。
  • エスカレータについても、1階 - 3階方向では2人分のスペースであるが、3階 - 6階方向および1階?地下1階方向については1人分のスペースである。
  • その他、ビル内には薬局や貴金属買取専門店も入居している(かつてはロッテリアが入居していたが、2008年3月16日をもって閉店し、撤退した)。
  • また、入口とは独立されているが、このビル内には「街カフェみなと」が入居している[54]
  • 隣には「カネイリビル」が建っているが、さくら野との直接通路が繋がっており、相互連絡が可能である。

北上店[編集]

さくら野百貨店北上店
店舗概要
正式名称 さくら野百貨店北上店[55]
所在地 024-0094
岩手県北上市本通りツインモールプラザ東館[55]
北緯39度17分17.8秒東経141度6分56.5秒
開業日 2000年(平成12年)3月[8]
施設所有者 北上都心開発[55]
施設管理者 さくら野百貨店
北上都心開発[55]
商業施設面積 約28,000[55]m2
駐車台数 1,600
前身 北上ビブレ
最寄駅 JR北上駅[56]
最寄IC 東北自動車道北上江釣子IC
さくら野
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2000年(平成12年)3月に岩手県北上市本通りにダックビブレが経営する北上ビブレとして開業し[8]、経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店北上店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店からさくら野東北そして3代目さくら野百貨店と変遷している[26]ものの店名はこの間同一で営業している。

従来1 - 4階を賃借して売場としてきたうちの3階の40%と4階の売場での営業を終了させて2010年(平成22年)9月から衣料や雑貨、飲食などの外部テナントを導入するという北上店の大幅な規模縮小を伴う大改装を行い[38]経営効率の改善を目指した[55]

この改装に伴ってビルを所有・管理している北上都心開発は賃貸が返上された約3,000m²の新たなテナントを募集を行う[55]など対応に追われると共に、国から借りている市街地再開発事業資金の返済を5年間先延ばしたため、その間北上市が肩代わりを余儀なくされるなどの影響が生じている[56]

施設構成など[編集]

  • 岩手県北上市の中心部に位置する都市型ショッピングモール「ツインモールプラザ」の東館として営業している(地図)。
    • 売場は1階 - 4階で、1階が食料品とファッショングッズ・婦人靴・化粧品・フラワーショップ・薬局、2階が婦人服・紳士服・子供服・呉服・時計・宝石と軽食喫茶、3階がインテリア・生活用品とカジュアルウェア(ライトオンがテナントとして入居の上運営)・靴(紳士靴・スポーツシューズ・カジュアルシューズ。シュープラザが運営)・メガネ・100円ショップセリアが運営)・手芸用品(クラフトハートトーカイが運営)・家具、4階は書籍・楽器・雑貨とゲームコーナー(ソユーの運営)・レストラン街の各フロアで構成されている。
    • 1階のフラワーショップ・薬店、2階の呉服・時計・宝石売場、3階のメガネコーナー・家具売場、4階の書籍売場はそれぞれ地元資本の専門店が入居し営業している。
    • 1階食料品売場にはインストアベーカリーのほか、休憩・イートインスペースを兼ねたフードコートも併設され、サブウェイドトールコーヒーなどの各種ファストフード店が入居している。
    • 4階にはエステティックサロンエルセーヌが、また5階には弘前店同様シネマコンプレックスのイオンシネマ北上が入居している。
  • 東館2階と西館2階とは『りぼん橋』の愛称を持つ連絡通路で繋がっている。
  • 東館に隣接する市営本通り駐車場(立体)が主な駐車場である。
  • 道路を挟んだ西館には市民交流プラザや商業テナント(1階 - 2階)、フィットネスクラブのコナミスポーツクラブ(7階、8階)が入居している。3階 - 6階は立体駐車場となっている。
  • 1,600台収容の駐車場(収容台数は上述の市営/西館両立体駐車場の合計)を備え、国道4号北上バイパス国道107号との交差点や東北自動車道北上江釣子ICにも近い位置にあることから、中心市街地の都市型店舗ながらマイカーでも比較的スムーズにアクセスできる。このこともあって地元の岩手県内のみならず、隣接する宮城県北部・秋田県南部からの買い物客の利用も少なくない。休日になると家族連れなどで賑わい、周辺道路が混雑する。

仙台店[編集]

さくら野百貨店仙台店
Sakurano Sendai Shop.jpg
店舗概要
正式名称 さくら野仙台店[57]
所在地 980-0021
宮城県仙台市青葉区中央一丁目9番33号
北緯38度15分40.3秒東経140度52分48秒
開業日 1946年(昭和21年)6月1日[58]
施設所有者 三菱UFJ信託銀行株式会社[57]
さくら野DEPT仙台[26]
他5名
施設管理者 株式会社エマルシェ
商業施設面積 23,150[43]m2
前身 丸光仙台店
ダックシティ丸光仙台店
仙台ビブレ
最寄駅 仙台駅
さくら野
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1946年(昭和21年)6月1日に丸光合名会社として雑貨店を開業し[58]1953年(昭和28年)10月に百貨店としての営業を開始した丸光仙台店が経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティ丸光仙台店、仙台ビブレと変遷しながら営業を続けて来た。

そして経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店仙台店となり、その後運営する企業は初代さくら野百貨店から2代目さくら野百貨店そしてエマルシェと変遷している[26]ものの店名はこの間同一で営業している。

初代さくら野百貨店は2003年(平成15年)3月末に当時の7店全体の売上高の2割以上を占める当店を約12億円を投じて全面的に改装して東北初の売場を導入して若い女性客を増やして前年比20%増となったものの再生計画の前年比40%増の半分に留まり[20]2004年(平成16年)11月に高島屋の業務支援を受けて地下食品売り場を改装してさくら野ごちそう館とする[24]など改装を続けててこ入れし、2代目さくら野百貨店も2005年(平成17年)4月27日に高島屋の業務支援を受けて仙台店の7階のレストラン街を含む2-7階のフロアに約60の新規ブランドや売場を導入する大改装を行った[24]が、2代目さくら野百貨店は3期連続で純損失を計上して[30]2009年(平成21年)2月期に売上高が約120億円とピークから半減して約5億円の当期赤字となる[31]など当店の経営不振が続いて、2代目さくら野百貨店の社長らを退任させてさくら野東北社長と2代目さくら野百貨店会長だった臼井修がさくら野東北社長と兼務で社長に就任すると共に役員もさくら野東北から派遣し、分社化以降別々に行っていた商品調達や販促活動を再び当店も含めて一本化して合理化を図る方針が打ち出された[30]

この再建策の一環として当店は2010年(平成22年)2月期中に外商部門の新規の顧客開拓をやめて既存顧客の対応にとどめて事実上撤退して店頭販売に集中する[32]と共に7階と8階の一部にブックオフを入居させるなど外部企業に貸し出してテナント化を進めてテナント収入比率が大きく上昇させる方針が打ち出され[33]、6階に1坪程度の小さな店でも出店可能な仙台楽座[31]、7階にブックオフの売り場[31]、8階にブックオフの買い取りセンターと事務所が入居するなどの改装が行われた[31]

2010年(平成22年)5月に経営体制を一新し[36]、同年8月1日から2代目さくら野百貨店がエマルシェに社名変更し[36]、同年9月12日に佐々木社長らエマルシェの経営陣で組織する持ち株会エマルシェ・フェニックス・プロジェクトが大株主の不動産会社の武田とクレディ・スイスグループから全株式の約80.48%にあたる3万2513株を取得するMBOを実施して資本関係の整理を進めて資本的な独立を高める[37]など経営母体の資本構造や名称の変更が行われ、現在はエマルシェが当店を運営している。

かつて存在した店舗[編集]

石巻店[編集]

さくら野百貨店石巻店
店舗概要
所在地 986-0825
宮城県石巻市穀町[59]
北緯38度26分3.3秒東経141度18分9.5秒
開業日 1996年(平成8年)3月[10]
旧店舗:1955年(昭和30年)[29]
閉店日 2008年(平成20年)4月27日[29]
商業施設面積 14,592[28]m2
延床面積 約24,000[59]m2
前身 丸光石巻店[28]
ダックシティ丸光石巻店[28]
石巻ビブレ[10]
後身 エスタ[60]と石巻市役所[61]
最寄駅 JR石巻駅[59]
さくら野
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1955年(昭和30年)に宮城県石巻市の橋通りに開店した丸光石巻店[28]1967年(昭和42年)11月1日に[58]旧北上川沿いの中央2丁目11番に移転し、百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれながら営業して中央2丁目時代の最後はダックシティ丸光石巻店として営業した[28]1996年(平成8年)3月にJR石巻駅前に新店舗が完成すると、石巻ビブレに店名を変更して移転し[10]、新店舗で営業を引き継いだが、経営母体のダックビブレの破綻とその後の再建に伴って、2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店石巻店となった[28]2005年(平成17年)4月に民事再生計画に基づいて企業分割された[35]後は、さくら野東北が運営していた[28]

JR石巻駅前の新店舗は、当初シネマコンプレックスも併設していたが[59]2007年(平成19年)1月に郊外の蛇田地区に開業したイオン石巻ショッピングセンターへ移転して閉鎖となる[59]と共に、前後して同店周辺に郊外型店の出店が相次ぐなどして顧客を奪われて[59]、売上高がピーク時の1998年(平成10年)の約89億円から2007年(平成19年)に約36億円に減少して2億円を超える赤字となった[59]2004年(平成16年)から続く赤字が拡大する恐れがあるとして[59]2008年(平成20年)4月27日に閉店して、丸光以来の歴史に終止符を打った[29]

閉店後、同店と旧店舗跡の土地・建物と共に現金2億円を石巻市に寄付し[62]、閉店から約2ヵ月後の2008年(平成20年)6月28日に1階部分がスーパーを含む複合商業施設エスタとして開業し[60]、2010年(平成22年)3月から石巻市役所が移転した。旧庁舎より市内各地からのバスが便が良く、高齢化時代にふさわしい立地と評価されている[61]

福島店[編集]

さくら野百貨店福島店
店舗概要
所在地 960-8051
福島県福島市曾根田町(現:曽根田町[11]
北緯37度45分31.8秒東経140度27分36.3秒
開業日
平和ビル旧店舗:1973年(昭和48年)11月13日[63]
本町通旧店舗:1948年(昭和23年)[63]
閉店日 2005年(平成17年)3月21日[25]
施設所有者 三井住友銀リース[11]
商業施設面積 16,261[43]m2
店舗数 32店[11]
駐車台数 1,000[11]
前身 山田呉服店[25]
山田百貨店[11]
ダックシティ山田福島店
福島ビブレ[11]
後身 曽根田ショッピングセンターMAXふくしま[64]
最寄駅 JR福島駅[11]
さくら野
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1930年(昭和5年)に山田呉服店として創業し[25]1948年(昭和23年)に福島県福島市の本町通に百貨店を開業し[63]1973年(昭和48年)11月13日にJR福島駅前の平和ビルに移転・増床した山田百貨店[63]が、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれて、店名もダックシティ山田福島店[42]、福島ビブレ[42]と変遷しながら営業を続けた。

1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引き継いだJR福島駅東口の平和ビルの旧店舗を閉店し、1000台収容の立体駐車場や7館からなるシネマコンプレックスを持つJR福島駅北側の福島市曾根田町(現:曽根田町)の新店舗へ移転して[11]営業を引き継ぎ、若い女性を主要顧客として2001年(平成13年)2月期には売上高約90億円[11]を上げた。

しかしその翌年の経営母体のダックビブレが破綻した影響で、信用不安から売れ筋商品が1年近く入らなくなって一気に客足が遠のいた[11]。その後の再建に伴って、2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店福島店となったものの、2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円[11]に落ち込み、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億円から4億円の負担軽減がされていた[11]にもかかわらず、2億円弱の赤字[11]に陥った。

賃料の減免は当初2年間とされていたため、2003年(平成15年)7月から三井住友銀リースと減免延長の交渉行ったが決裂して、2004年(平成16年)10月28日に契約解除が決まった[11]。初代さくら野百貨店は2005年(平成17年)3月21日に福島店を閉店し、山田呉服店として創業して以来75年の歴史に終止符を打った[25]

閉店後は、JR福島駅前の福島駅前通りのニュー福ビルに贈答品や制服などを扱うサテライト店を開設して、一部業務を引き継いだが[25]、こちらも閉店した。

跡地には、閉店直前に福島商工会議所などの提案で福島市役所移転が検討された[65]が実現せず、2010年(平成22年)にビルを所有していた積水ハウスから、福島市の第三セクター福島まちづくりセンターが約9億円で土地と建物を取得し[66]、同年11月25日に同社が運営する曽根田ショッピングセンターMAXふくしまが開業している[64]

気仙沼ビブレ[編集]

気仙沼ビブレ
店舗概要
所在地 988-0017
宮城県気仙沼市南町[17]
開業日 1965年(昭和40年)6月10日[58]
閉店日 2002年(平成14年)1月10日[17]
延床面積 7,300[17]m2
前身 丸光気仙沼店[18]
後身 イコーレ気仙沼[18]
最寄駅 JR気仙沼駅
VIVRE
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1965年(昭和40年)6月10日に宮城県気仙沼市に丸光気仙沼店として開店し[58]、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれて、店名もダックシティ丸光気仙沼店、気仙沼ビブレと変遷しながら営業を続けた[18]

しかし、ダックビブレが経営破綻直後の2001年(平成13年)10月に閉店を決定し[17]2002年(平成14年)1月10日に気仙沼ビブレは閉店して[17]、丸光以来の歴史に終止符を打った。

この閉店を受けて、ダックビブレの部長級の市街地再開発担当や元従業員や地権者らの出資により、資本金1200万円でイコーレ気仙沼が設立され[17]2002年(平成14年)5月9日に新たな百貨店として開業させた[18]。しかし、テナント招致などが順調行かず、徐々に規模を縮小して経費削減などに取り組んだものの[18]2007年(平成19年)5月11日に「都合により臨時休業します」という張り紙が出され、事実上閉店に追い込まれた[18]

小樽ビブレ[編集]

小樽ビブレ
店舗概要
所在地 047-0008
北海道小樽市築港[67]
開業日 1999年(平成11年)3月[7]
閉店日 2002年(平成14年)8月末[67]
施設所有者 小樽ベイシティ開発[67]
施設管理者 小樽ベイシティ開発[67]
商業施設面積 約40,000[7]m2
最寄駅 JR小樽築港駅[68]
VIVRE
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1999年(平成11年)3月に小樽市のマイカル小樽の中核店舗として開業した[7]

マイカル小樽全体の総売上高は目標の80%以下になるなど、施設全体の業績が低迷した影響で当店も低迷したため、2001年(平成13年)2月に小樽ビブレを株式会社マイカルに譲渡してダックビブレは撤退し[5]2002年(平成14年)8月末に閉店した[67]

同店の土地・建物を所有・管理していた小樽ベイシティ開発は、マイカル破綻後の2001年(平成13年)9月27日に東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上倒産し[68]、同店の店舗後の一部を閉店した翌月9月、小樽市に公的利用を前提に無償譲渡を提案したが、移転させる公共施設がない上、維持管理に年間1億円以上の負担が見込まれるとして譲渡を断られた[67]。翌10月にはキャンパスの移転を模索していた小樽短期大学が、文部科学省の許可を得るのが難しいとして断念するなど[69]、大口債権者の日本政策投資銀行が債権放棄をする上で条件とした非物販の公共施設の導入[67]は順調に進まなかった。

山形ビブレ[編集]

山形ビブレ
店舗概要
所在地 山形県山形市
開業日 1994年(平成6年)3月1日[6]
閉店日 2000年(平成12年)1月10日[14]
施設所有者 山形駅前ビル[70]
敷地面積 約1,800[70]m2
前身 ニチイ山形店
最寄駅 JR山形駅[70]
VIVRE
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ニチイ山形店をは1973年(昭和48年)3月3日に開業したのが始まりである[71]

1994年(平成6年)3月1日に[6]ニチイより営業譲渡を受けて山形ビブレを開業したが[5]、業績不振により2000年(平成12年)1月10日に閉店した[14]

店舗跡のビルは2001年(平成13年)に解体されて、ホテルの招致が行われたが、実現しなかった[70]

ダックシティ厚木[編集]

ダックシティ厚木
店舗概要
正式名称 厚木ガーデンシティビル[72]
所在地 243-0018
神奈川県厚木市中町1丁目5番10号
北緯35度26分32秒東経139度22分0秒
開業日 1981年(昭和56年)11月6日[4]
施設所有者 厚木市役所
権利床共有者組合
厚木ガーデンシティビル株式会社
敷地面積 7,391.04m2
商業施設面積 21,359m2
延床面積 37,066.71m2
後身 厚木ビブレ

厚木サティ

イオン厚木店
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1981年(昭和56年)11月6日[4]、百貨店連合として初の新店舗として神奈川県厚木市小田急電鉄本厚木駅前に開業したが、1992年(平成4年)2月にニチイに譲渡して撤退した[5]

その後、経営母体が社名変更でマイカルとなった後、イオンリテールに吸収され、店名も厚木ビブレ・厚木サティを経て、現在はイオン厚木店となって営業を続けている。

ダックシティイチムラ長岡店[編集]

百貨店連合の結成時より参画していたが[1]1997年(平成9年)2月にダックシティイチムラ長岡店のまま閉店した[13]

店舗跡は再開発されて、長岡市役所大手通庁舎などが入居するフェニックス大手の一部となっている。

ダックシティ小美屋川崎店[編集]

百貨店連合の結成時より参画していたが[1]1996年(平成8年)にダックシティ小美屋川崎店のまま閉店した[12]

店舗跡は再開発されて、TOHOシネマズ川崎などが入居する川崎DICEとなっている[12]

関連事業[編集]

  • さくら野<セゾン>カード

2008年(平成20年)5月1日より、クレディセゾン発行による「さくら野<セゾン>カード」の開始[73]し、旧マイカルカード時代から継続してきたポケットカードとの提携による「さくら野カード」の新規の加入を停止し、既存のカードのサービスも徐々に縮小している。

  • イオンシネマ(旧・ワーナー・マイカル・シネマズ
    • 弘前さくら野シティと、さくら野北上店5階にある。かつてはさくら野石巻店6階にもあったが破綻後に親会社のマイカルと共にイオン傘下に入ったため郊外にできたイオンのショッピングセンター内に移転した。[74]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l ダックビブレ 第24期有価証券報告書 (Report). ダックビブレ. (2002). 
  2. ^ 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
  3. ^ a b c d e 『川崎市史 通史編 4 下 現代 産業.経済』 川崎市、1997年。
  4. ^ a b c d e f g h 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n さくら野百貨店 企業概要”. さくら野百貨店. 2012年6月6日閲覧。
  6. ^ a b c d 『平成6年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1995年3月。
  7. ^ a b c d e “マイカル、赤字19店舗の閉鎖決定”. 読売新聞 (読売新聞社). (2002年1月29日) 
  8. ^ a b c “今春三月オープンの北上ツインモールは予想以上の大成功”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年7月3日) 
  9. ^ a b c d e f g h i 弘前市中心市街地活性化基本計画 (Report). 弘前市. (2008-7-9). 
  10. ^ a b c d “旧丸光石巻店 解体本格化へ”. 石巻かほく (三陸河北新報社). (2010年7月10日) 
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “さくら野福島店3月閉店/賃借料交渉が決裂/赤字経営続き継続断念”. 福島民報 (福島民報). (2004年10月30日) 
  12. ^ a b c d “旧国鉄川崎駅 ペーパークラフト製作 市電など忠実に再現”. 東京新聞 (中日新聞社). (2010年4月17日) 
  13. ^ a b c 長岡市中心市街地活性化基本計画 平成24年3月29日 変更認定版 (Report). 長岡市. (2012-3-29). 
  14. ^ a b c “山形ビブレ1月10日に閉店 山形県山形市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年2月7日) 
  15. ^ a b c d “東北の8店舗は通常営業/ダックビブレ社長が表明”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年9月15日) 
  16. ^ “マイカルが再生法を申請”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年9月15日) 
  17. ^ a b c d e f g h i j “商店街あげ存続運 - 来月9日開店”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2002年4月11日) 
  18. ^ a b c d e f g h “イコーレ、事実上閉店 気仙沼中心部核店舗”. 河北新報 (河北新報社). (2007年5月13日) 
  19. ^ “政策投資銀など基金創設へ/マイカル子会社再建で”. 四国新聞 (四国新聞社). (2002年2月28日) 
  20. ^ a b c d e f g “「のれん」回復になお時間 さくら野再出発から1年”. 河北新報 (河北新報社). (2003年9月29日) 
  21. ^ a b c “再生ビブレの新社名「さくら野百貨店」に”. 河北新報 (河北新報社). (2002年7月30日) 
  22. ^ “ダックビブレ 企業再建ファンド適用 10-20億 政策投資銀など設立”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2002年3月1日) 
  23. ^ a b “高島屋、さくら野百貨店支援、営業部長など派遣”. 繊研新聞 (繊研新聞社). (2004年1月7日) 
  24. ^ a b c d “さくら野百貨店仙台店、4月27日グランドオープン 仙台駅前の上質百貨店”. 週刊デパートニューズ (ストアーズ社). (2005年5月4日) 
  25. ^ a b c d e f “涙こらえ…/さくら野福島店75年の歴史に幕”. 福島民報 (福島民報). (2005年3月22日) 
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “さくら野百貨店、全店を改装 今期末に債務超過解消”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年11月14日) 
  27. ^ “さくら野百貨店、大幅減資・減損会計適用で負担軽減”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2007年5月29日) 
  28. ^ a b c d e f g h “さくら野石巻店撤退へ 売り上げ激減 蛇田の商業集積、シネコン移転 どうなる中心街活性”. 石巻かほく (三陸河北新報社). (2008年1月11日) 
  29. ^ a b c d e “さくら野石巻店が閉店”. 河北新報 (河北新報社). (2008年4月28日) 
  30. ^ a b c d e f “さくら野百貨店改革急ぐ 臼井新社長に聞く”. 河北新報 (河北新報社). (2009年7月16日) 
  31. ^ a b c d e “駅前刷新 さくら野、仙台ホテル跡地”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年4月16日) 
  32. ^ a b “さくら野百貨店仙台、外商事業から撤退 店舗改装に集中”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2009年10月16日) 
  33. ^ a b c “さくら野百貨店とさくら野東北 経営統合を断念”. 河北新報 (河北新報社). (2010年4月8日) 
  34. ^ “さくら野百貨店20人削減 大型テナント誘致へ”. 河北新報 (河北新報社). (2009年9月9日) 
  35. ^ a b c “さくら野経営再統合見送りへ”. デーリー東北 (デーリー東北). (2010年4月8日) 
  36. ^ a b c d e “さくら野百貨店、社名を8月から「エマルシェ」に変更”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年7月29日) 
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  74. ^ なお、企業としてのさくら野百貨店それ自体はイオングループとの資本関係はない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]