クリスチャン・ディオール

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クリスチャン・ディオール
Christian Dior
生誕 1905年1月21日
フランスの旗 フランスマンシュ県・グランヴィル
死没 1957年10月23日(満52歳没)
イタリアの旗 イタリアモンテカティーニ・テルメ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 ファッションデザイナー
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ディオール表参道ビル(東京表参道

クリスチャン・ディオールChristian Dior, 1905年1月21日 - 1957年10月24日)は、1950年代に活躍したフランスファッションデザイナー、および彼が創立したファッションブランドを展開する企業である。企業としてはディオールDior)と呼ばれることが多く、フランスを本拠地とする複合企業LVMHに属する。

現在、ディオールのブティックは、パリミラノローマロンドンニューヨークビバリーヒルズ東京名古屋大阪神戸香港上海ボストンホノルルサンフランシスコの世界の都市中心部にある。

日本では、「ディオール・オム」を含む大多数の商品をクリスチャン・ディオール本社で扱うが、時計はLVMHウォッチ&ジュエリージャパン ディオールウォッチ(Dior Watches)、化粧品・香水部門はパルファン・クリスチャン・ディオール(Parfum Christian Dior)という別会社となっている。また、メガネ・サングラス類はサフィロジャパンが輸入している。

目次

[編集] 人物

1905年、クリスチャン・ディオールはフランス北西部ノルマンディーマンシュ県・グランヴィルで実業家の家庭に生まれた。1920年から1925年12月までフランスのパリ政治学院に学ぶ。彼の両親の願望に応じて外交官になる望みがあったが、ディオールは芸術に強い興味を持っていた。

1928年に彼が小さなアートギャラリーを親からの出資で持ち、パブロ・ピカソマックス・ジャコブなどの絵を置いた。だが、家庭の財政的な問題により2年でギャラリーを閉鎖する事になる。1930年代に、ディオールはオートクチュールハウスのためにスケッチデザインをやることによって、生計を立てた。1938年に、彼はロバート・ピゲと仕事をして、後にリュシアン・ルロンのファッションハウスのデザイナーとして仕事に加わった。そこで、ディオールとピエール・バルマンは主要なデザイナ-であった。

1945年、ディオールは彼自身で事業を始めた。ディオールのファッションハウスは1946年12月マルセル・ブサック(綿のファブリック王)の援助もありパリ、アヴェニュー・モンテーニュ30番地に設立され、翌1947年2月には最初のファッションショーを開催。この1947年の春夏コレクションにディオールが採用したラインが、いわゆる「ニュールック」である。これはアラビア数字の8にも似た、細く絞ったウェストとゆったりしたフレアスカートを特徴とするもので、戦時中の資材不足によりフランスのクチュリエたちが1着の服に使える布の面積に厳しい制限を抱えていたのに対し、贅沢に布を使用した点にも特徴を持っていた。『ハーパース・バザー』誌の編集長であったカーメル・スノウはこのコレクションに衝撃を受け、「ニュールック」と呼んだ[1]

戦後のファッションの指針を示したディオールは47年から57年までの11年間、パリオートクチュール界の頂点に君臨する。彼は毎シーズン、ラインというテーマに沿って作品を発表した。

[編集] 略歴

[編集] 企業としてのディオール

銀座店(東京銀座

[編集] デザイナー

[編集] 主なブランド名

  • Dior
  • Dior Homme
  • Parfums Christian Dior

[編集]

  1. ^ FASHIONPRESS.NET

[編集] 外部リンク

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