琉球民族

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琉装の男性たち

琉球民族(りゅうきゅうみんぞく)とは、旧琉球王国の領域であった沖縄県沖縄諸島先島諸島鹿児島県奄美群島に住む人々の言語、生活習慣、歴史的経緯から、独自の一民族であると定義した場合、それを指していう。

概要

旧琉球王国領域は日本の文化圏内にあるが、ある程度の特殊性を持ってその他の地域と区別できる。ただし、その差をどうみるかには議論がある。日本文化の範疇にあるか、少なくともきわめて近いものであることはさまざまな点からみても異論のないところである。新崎盛暉は、「日本だと言い切ってしまうとあまりにも多くの非日本的要素が目立つ」、しかし、たとえば朝鮮台湾に比べれば「あまりにも日本的要素が目立つ」と述べている[1]

2007年、琉球大学法文学部准教授の林泉忠香港英国籍)が沖縄県民意識調査を実施(電話帳から無作為抽出して電話をかける方法で、18歳以上の沖縄県民を対象に実施、1201人から有効回答を得た。2005年度より三ヵ年実施)。結果、沖縄県民の内、沖縄人であると答えた人は41.6%、沖縄人で日本人が29.7%、日本人であるが25.5%との回答が得られた(沖縄タイムス2007年11月28日報道)。

日本政府は琉球民族を「先住民族」とは認定していないが、ユネスコは琉球・沖縄に特有の民族性、歴史、文化、伝統があることを認めている。このため、沖縄県が基地問題等で不利を被っていることが人種差別にあたるのではないか等の問題に関して、国連人種差別撤廃委員会は先住民族としての権利を保護するよう日本政府に勧告を行なっている[2][3]

範囲

琉球民族論を主張するものは歴史的に琉球王国として日本とは別の国であったため大和朝廷を中心とした大和民族日本民族)とは別の民族であるとも主張している。しかし、その民族範囲はそれを主張する者の中でも異なっており、琉球処分直前の領土であった沖縄県の大半とする主張(この場合、沖縄民族ともいう)と、これに琉球王国統一後の最大版図であった奄美群島を含むとする主張とがある。

この違いは琉球民族を主張する者が沖縄県のみをもって論ずることの多さにある。その理由として、沖縄県内外において文化や歴史を語る上でも沖縄本島中心であることが多く、特に県外である奄美群島は意識の外にあることが指摘されており、そのことは民族論でも現れているといえる。しかし、近年そのなかにも過去の歴史やその文化的近似性に注目して奄美群島住民を取込もうとの姿勢がみられてきた。

言語

旧琉球王国領域の言葉言語学的に日本語とは別に琉球語とする主張もされ、その場合日本語と共に日本語族に属するとされる。ただし琉球方言とする主張もあり、それ以外の日本語を本土方言と分類し両者をあわせて日本語とする見解が一般的でもある。どちらの主張でも日本人口の7%が使うこの地域の言葉は日本の言語を構成する二大要素といえる。

人種の系統

以下は遺伝子の研究から、九州以北の日本本土の住民と南西諸島(奄美群島以南)の住民との比較のため参考として記するものである。ただし、遺伝的な近さと遠さは民族概念と一致するものではない(日本人ユダヤ人も参考のこと)。

九州以北の本土の住民とは同じ祖先をもつことが最近の遺伝子の研究で明らかになっている。また、中国南部及び東南アジアの集団とは地理的には近く昔から活発な交易がおこなわれていたため九州以北の日本本土住民と違いその影響があったと考えられていたが、遺伝子の研究から中国台湾の集団とはかなり離れていることが判明している。九州以北の日本本土住民との近縁性と共にそれを介して北海道アイヌ民族との近縁性も指摘されている。父系遺伝子YハプロタイプD2(YAP型)を持つのは世界で本土日本、アイヌ民族、沖縄だけであり、お隣の台湾や中国、韓国には全く見られない。むしろ中国、台湾とは非常に離れている。世界的にも珍しいYハプロタイプD型を日本人では40%~50%、アイヌでは90%、沖縄本島では70%もの人が所持しており、日本本土との関係は切っても切り離せない。高宮広士が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘[4]するように、考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測され、それまで居住していた奄美・沖縄諸島と先島諸島の2グループの先住民に取って代わったと考えられている。これらのことから九州以北とは遺伝的・人類学的にみても明瞭な境界線を引くことは難しい。

政治的な人種論に対する批判として指摘されることは、日本列島の住民は複数の人種混血であり、その混血度は地域によって異なることである(沖縄県民を含めた日本人は他国に比べれば混血度は少ないとされる[5][6])。

これら以外にも記録や史跡から、中国大陸方面からの移民の子孫や朝鮮半島からと考えられるもの、15世紀の大交易時代の名残からフィリピン系、スペイン系との混血などのルーツを持つ住民も存在している。

2012年11月1日付の日本人類遺伝学会誌電子版の論文で、北海道のアイヌと沖縄(琉球)人が本土日本人よりも遺伝的に近縁性が高いが、遺伝的に琉球人はアイヌ人よりも本土人に近く、また遺伝的に本土人に最も近いのも琉球人であり、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)は現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという研究結果が発表された[7]

運動の歴史

比較

日琉同祖論

九州以北とその起源を同じくする、同一民族の支族であるとする考えを日琉同祖論という。琉球民族論にとっては対論と看做せる論であり、沖縄県における日本復帰運動では思想の根幹となった。歴史的には琉球民族論よりもはるかに古い。琉球王国の正史中山世鑑』や、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、12世紀源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。また、大正11年には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。摂政羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている[8]。17世紀、羽地朝秀が編纂した『中山世鑑』においてこの説は展開された。明治以降も沖縄県の文化人らの間で展開された論であり、伊波普猷沖縄学もその流れにある。

そもそも、琉球王国の異国化薩摩藩によって強制された側面が大きかったことが近年の研究では指摘されている。中国との貿易利権の搾取を狙って侵攻した薩摩藩はその後も琉球王国が進貢貿易を継続するために、徹底的に「大和めきたる(日本風な)」ものを排除して、薩摩支配を隠蔽する必要があった。

瀬長亀次郎は、返還運動のさなか、その著作として、民族三部作の一つ『民族の悲劇』をあらわしているが、そこでの「民族」は明らかに日本民族であって、沖縄県民を異民族支配の下に置かれた日本民族の一部と表現している[9]のも、同じ流れにあると言えよう。沖縄返還後は沖縄県の独自性たる芸能の保護などについても運動しているが、ここでも彼は、沖縄県の芸能は「日本の宝」と表現した[10]

民俗学

初期の民俗学者は南西諸島の文化について九州以北との近縁性をとらえ失われた習俗などが残されているとして重視していた。柳田國男は『海上の道』で黒潮の流れから着想を得て沖縄県との類縁を論じ、その弟子の折口信夫まれびと論・他界観で沖縄県周辺の宗教から多くの論拠を引いている(『古代研究I』[11]など)。昔からあった日琉同祖論の影響もあろうが、地に足の着いた現地研究の成果も見逃せない。

脚注

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  1. ^ 新崎盛暉 『日本になった沖縄』 有斐閣1987年
  2. ^ 琉球新報. “沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告”. 20140831閲覧。
  3. ^ OHCHR. “Committee on the Elimination of Racial Discrimination considers report of Japan”. 20140831閲覧。
  4. ^ 朝日新聞 2010年4月16日
  5. ^ 根井正利ペンシルベニア州立大学教授「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993京都)にて日本人(アイヌ含む)は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果を出している。
  6. ^ 李成柱 「血液分析により民族の移動経路を判明する」東亞日報2001年1月3日日本人韓国人以上に純血度が高い
  7. ^ http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html
  8. ^ 真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「「此国人生初は、日本より為渡儀疑無御座候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為絶故也」。
  9. ^ 瀬長亀次郎 『民族の悲劇』 新日本出版1971年
  10. ^ 瀬長亀次郎 『民族の未来』 新日本出版、1978年
  11. ^ 折口信夫『古代研究Ⅰ』中央公論新社 ISBN 4-12-160036-3

関連項目

外部リンク