豊原市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
豊原市
廃止日 1949年6月1日
廃止理由 国家行政組織法施行
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 樺太地方
都道府県 樺太庁 豊原支庁
総人口 37,160
1941年12月1日
隣接自治体 豊栄郡豊北村
大泊郡富内村千歳村
留多加郡留多加町
真岡郡清水村
豊原市役所
所在地 樺太庁豊原市東3条南6丁目
豊原市役所
1.豊原市
特記事項 1943年4月1日以降は北海地方に所属。
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太(南樺太)に存在した唯一のである。

樺太庁及び豊原支庁が置かれ、日本領有下における政治経済文化の中心であった。市街地は、札幌市と同様、を中心とした「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、市内には運動場を併設した公園競馬場を有していた。住居表示は東西が「条」、南北が「丁目」となっていた。

人口の増加に伴い、空港の建設等を含む更に大規模な都市整備が計画されていたが、太平洋戦争の勃発により実現しなかった。1937年の市制施行により豊原市は旭川市に代わって日本最北の市となり、樺太が内地に編入された1943年以後を含めて、日本最北端の行政中核都市として機能していた。

当該地域の領有権に関する詳細は樺太を、現状に関してはサハリン州またはユジノサハリンスクを参照。

地理[編集]

1930年代の豊原中心部。競馬場が豊原駅の南西にあるので1933年(昭和8年)以降の地図である。昭和7年以前には豊原競馬場は豊原市街東方の樺太神社に隣接するスポーツ施設がある場所に存在した。

西樺太山脈鈴谷山脈に挟まれた鈴谷平野(豊原平原)にある。

沿革[編集]

1930年代(内地編入前)の豊原の風景
豊原市制施行記念祝賀行列

経済[編集]

産業[編集]

王子製紙豊原工場

地域[編集]

官公署[編集]

教育[編集]

以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[1]

国民学校[編集]

  • 樺太公立豊原第一国民学校
  • 樺太公立豊原第二国民学校
  • 樺太公立豊原第三国民学校
  • 樺太公立豊原第四国民学校
    • 大沢分教場
  • 樺太公立唐松国民学校
  • 樺太公立並川国民学校
  • 樺太公立清川国民学校
  • 樺太公立大富国民学校
  • 樺太公立下並川国民学校
  • 樺太公立軍川国民学校
  • 樺太公立緑川国民学校
  • 樺太師範学校附属国民学校

中等学校[編集]

高等教育機関[編集]

報道機関[編集]

金融機関[編集]

商業施設[編集]

その他[編集]

交通[編集]

空港[編集]

鉄道路線[編集]

道路[編集]

西1条通り

著名な出身者[編集]


脚注[編集]

  1. ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1677、p. 1692 - 93

関連項目[編集]