小倉北区

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小倉北区(こくらきたく)は、北九州市を構成する7区の行政区の一つである。北九州市の実質的な中心地区であり、市の中心となる駅である小倉駅北九州市役所がある。

小倉北区
こくらきたく
日章旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
北九州市
団体コード 40106-4
面積 39.28km²
総人口 182,311
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 4,640人/km²
隣接自治体
行政区
戸畑区八幡東区
小倉南区門司区
区の木
区の花
他のシンボル
小倉北区役所
所在地 〒803-8510 福岡県
北九州市小倉北区大手町1番1号
電話番号 093-582-3311
外部リンク 小倉北区役所の公式ページ

小倉北区位置図

テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)
足立公園から見る小倉市街の夜景
紫川に架かる常盤橋

目次

[編集] 歴史

1602年細川忠興小倉城を築城した後、城下町小倉が形成されていった。1632年には大名の配置換えにより譜代大名である小笠原忠真が小倉 - 豊前国15万石の藩主となる。その後小倉城は、1866年には長州戦争の際に小倉藩自らの手により火をつけられ焼失する。明治時代には廃藩置県により小倉県が誕生し小倉はその県庁所在地となる。福岡県に併合された後も豊前地方の経済の中心地として栄え、工業の分野でも住友金属工業小倉工場などのような重工業が盛んであった。現在では、北九州市の中心的な区としてふさわしい商業地区・施設や街路河川橋梁などの整備が進んでいる。

  • 1889年(明治22年) - 町村制が施行され、小倉町・長松浦村・平松浦村が合併し、企救(きく)郡小倉町となる。
  • 1900年(明治33年) - 市制施行により、小倉市になる。
  • 1925年(大正14年) - 企救郡板櫃(いたびつ)町が小倉市に編入される。
  • 1927(昭和2年) - 企救郡足立(あだち)村が小倉市に編入される。(これによりおおよそ現在の小倉北区の範囲が小倉市となった)
  • 1937年(昭和12年) - 企救郡企救町が小倉市に編入される。
  • 1941年(昭和16年) - 企救郡西谷村・中谷村が小倉市に編入される。
  • 1942年(昭和17年) - 企救郡曽根町が小倉市に編入される。
  • 1948年(昭和23年) - 企救郡東谷村が小倉市に編入される。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1974年(昭和49年) - 小倉区が小倉北区小倉南区に分区される。

北九州市、列びに小倉市の項目も参照。

[編集] 交通

[編集] バス

[編集] 鉄道

[編集] 船舶

  • 北九州市営渡船(藍島~小倉航路)
    • 小倉(浅野)- 馬島 - 藍島

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

[編集] 小学校

[編集] 特別支援学校

[編集] その他の学校

  • 北九州予備校
  • KCS北九州情報専門学校
  • 北九州調理師専門学校
  • 美萩野臨床医学専門学校

[編集] 産業

小倉井筒屋

[編集] 小倉北区に本社を置く主な企業

[編集] 小倉北区に拠点を置く報道機関

[編集] 新聞社

[編集] 放送局

[編集] 祭事

[編集] 施設

北九州市役所
小倉駅
森鴎外旧居
リバーウォーク北九州
小倉駅北口
小倉駅南東
小倉駅南西紫川以東
紫川以西
その他

[編集] 市外・市内局番

西日本電信電話北九州支店管轄
  • (093)5ax-xxxx
    aは紫川以東が0〜5(北九州収容局)、紫川以西が6〜9(小倉西収容局)
  • (093)9bx-xxxx(小倉南収容局、bは概ね2〜5)
  • (093)65x-xxxx(槻田収容局、到津周辺)

他の事業者は総務省制定のルールにより別の番号が割り当てられているので、上記には依らない。

[編集] 出身有名人

政財界・軍事


芸術家


芸能


スポーツ
その他

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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