日本語の方言

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日本語の方言(にほんごのほうげん)、すなわち日本語地域変種(地域方言)について記述する。

概要[編集]

日本語は語彙文法音韻アクセントなどあらゆる面で地方ごとの方言差が大きく、異なる地方に転居や旅行した際に、言葉が通じず苦労する場合が少なくない。日本語の方言は大きく「本土方言」と「琉球方言」に分かれ、それぞれがさらに細分化できる(区分章を参照)。明治以降、東京方言を基に標準語の確立と普及が進められ、地方の方言はそれを阻害するものとして否定的に捉えられるようになった。太平洋戦争後は標準語(「共通語」とも言い換えるようになった)と方言の共存が模索されるようになったが、実際には各地の伝統的な方言は急速に衰退・変質している(歴史・近代以降章を参照)。

日本では「方言」という語は、「めんこい」「おもろい」「ばってん」のような標準語・共通語とは異なる各地方独特の語彙や言い回し(「俚言」)あるいはアクセントや発音の違い(いわゆる「なまり」)を指す場合が多い。しかし、言語学ではアクセント・音韻・文法などを全てひっくるめ、その地域社会の言語体系全体を指すのが一般的である。すなわち、東京という一地域の日本語の体系ということで「東京方言」も当然存在する。標準語・共通語およびその基となった東京方言に対して、その他の方言は依然「教養のない田舎者の言葉」「訛っている」「崩れている」などと否定的に捉えられがちであり、また特定の方言に対する「○○弁は汚い」「○○弁は上品」などの意識・偏見が存在する。

「言語」と「方言」[編集]

断定の助動詞「だ」「じゃ」「や」の分布図
四つ仮名の分布図。緑色に塗られた地域の方言がいわゆるズーズー弁

本土方言と琉球方言は、文献時代に入る以前に分岐し、その後の往来も少なかったため、一聴する限り外国語同士に聞こえるほどの差が生じた。そのため、琉球方言を「琉球語」として、本土の日本語とは独立した別言語とする考え方がある。また、琉球諸島は地域ごとの方言差が本土以上に著しいため、琉球諸島各地に存在する方言をそれぞれ別個の言語と捉え、琉球方言ないし琉球語を「琉球諸語」として、異なる諸言語の集合と位置づける考え方もある。ただし、本土と琉球諸島の言語に対応関係があることは明らかであり、琉球方言を言語と見なす場合でも、日本語と琉球語(琉球諸語)は全く無関係の別言語ではなく、日本語族(日琉語族)を構成する姉妹言語とされる。

そもそも「言語」と「方言」の客観的な区別方法はなく、言語差の大小よりも、政治的条件や正書法の有無、話者の意識などで判別される傾向にある。ユネスコ2009年に発表した消滅の危機にある言語の調査では、琉球方言および八丈方言は「国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当」であるとして、八重山語与那国語を「重大な危険」、沖縄語国頭語宮古語奄美語八丈語を「危険」の区分に独立言語として分類した[1]

なお、アイヌ語は日本国内で日本国民が用いてきた言語であるが、日本語と系統が異なる言語であり、日本語の方言と見なすことはできない。ただ、アイヌ語を母語第一言語とする話者は減少しており、アイヌにも日本語が浸透しているのが現状である。

方言の分布[編集]

全国の語彙の分布には、中央(京都)を挟んだ離れた地域に、同じような語彙や言い回しが存在し、中央では死語となった語が分布していることがある。このような分布を「周圏分布」と言い、柳田國男が『蝸牛考』でカタツムリを表す単語が同心円状に分布していることを指摘した(方言周圏論)。一方で、語彙は中央から伝播しただけでなく、各地方でも独自に新しく生み出されていった(方言孤立変遷論)。そのため、必ずしも辺境の言葉は古いというわけではない。また、中央で過去に起こったことのない変化なのに、離れた地域で同じような変化を起こして、見かけ上の周圏分布を示すことがある。たとえば東日本や九州などで連母音アイがエーやエァーになっているが、これはこのような変化が起こりやすい変化だからで、相互に交流がなくても同じ変化を起こしたためである。このような見かけ上の周圏分布はアクセントでも見られる。

このほか、いくつかの文法要素や語彙が「東西分布」を示すことが知られている。東西の違いには、文法では打ち消しの「-ない」と「-ん」、結果態の「-てる」と「-とる・ちょる」、形容詞連用形の「白くなる」と「白うなる」など、語彙では「いる」と「おる」などがある。これらの境界は、北側では新潟県糸魚川市付近から北アルプスを南下する線に集中している。明治期の国語調査委員会1908年(明治41年)の報告で、「仮ニ全国ノ言語区域ヲ東西ニ分カタントスル時ハ大略越中飛騨美濃三河ノ東境ニ沿ヒテ其境界線ヲ引キ此線以東ヲ東部方言トシ、以西ヲ西部方言トスルコトヲ得ルガ如シ」と記している。また、愛知県・三重県境付近の揖斐川も、アクセントなどがそっくり変わってしまう大きな方言境界になっている。

区分[編集]

日本語の方言区分の一例。大きな方言境界ほど太い線で示している。本土方言と琉球方言の違いは非常に大きく、また琉球方言の内部の違いもかなり大きい。本土方言は東西に分けられるが、八丈方言は独自の位置を占める。

方言の地域区分を「方言区画」と言う。日本語の方言区画は、まず本土方言と琉球方言に分けられる。方言区画は、学者によって異なり、下の分類は東条操の区画案に基づいている。この案では、本土方言は東日本方言北海道から岐阜愛知まで)と西日本方言北陸から中国四国まで)と九州方言の3つに分けられた[2]

東条の目指した方言区画は、方言全体の体系の違いを基準に、日本語が内部でどう分裂し各方言がどういう相互関係を持っているかを示すものだった。しかし、地域間を移動すれば方言が次第に変化し、明確な境界線が引けないということもありうる。個々の項目、たとえば「元気だ」と言うか「元気じゃ」と言うか、あるいは「せ」を「しぇ」と発音するかしないかなどには確かに境界があるが、それぞれがバラバラの境界線(等語線)を持っているため、これらを一つにまとめて方言境界を定めることは簡単ではない。そこで方言区画では、一つ一つの単語の違いよりも、文法や音韻、アクセントの体系的な違いが重視される。特にアクセントは、それ自体が体系を成している。東条が東日本方言と西日本方言の境界を愛知・岐阜と三重・滋賀の間に引いたり、中国方言と四国方言を分けたりしたことには、アクセントの違いが反映していると言われている(徳川宗賢による)[3]

しかし東条の区画は、どういう手続きでその結論に達したか、具体的には示されていない。一方で都竹通年雄奥村三雄は、母音・子音の性質や断定の助動詞、命令形語尾の違いなど、区画に用いる指標を何項目か示したうえで、それらを重ね合わせて境界を決める方法を取った。結果として、都竹案では岐阜・愛知方言は西日本方言に含められ、東関東方言は南奥羽方言の中に入れられた[2]。奥村は、本土方言を東西の2つに分け、さらに東日本方言を東北関東北東部・新潟県北東部と関東大部分・東海東山(岐阜・愛知含む)とに、西日本方言を北陸から九州北東部までと九州中南部とに分けた[4]。加藤正信は、関東方言と東北方言の境界などに関して、東条案では行政区画や地理的区分をある程度重視しているのに対し、都竹案では行政・地理的区分から解放されていると評価している[5]

金田一春彦の説はこれらとはかなり違い、近畿・四国の内輪方言、西関東・中部・中国などの中輪方言、東北や九州などの外輪方言、琉球方言にあたる南島方言に分けた[6]。金田一は、アクセント・音韻体系や活用体系などの言語のより根幹部分の違いを重視しようとした[6]。たとえば外輪方言は、促音・撥音・長音を独立の単位として認めなかったり、形容詞が無活用となったりする傾向がある方言としている。

一方で、方言周圏論を唱えた柳田國男は、方言区画論を否定している。これに対して東条は、方言区画論では方言全体の体系を見ようとしており、語彙だけを見る方言周圏論は方言区画論と対立するものではないと反論している[7]。しかし、日本語での方言の形成においては、日本語の祖語が歴史的に複数の方言に分岐するだけでなく、隣接する土地からの語彙の流入・伝播も起き、両者が複雑に絡んでいる。方言区画は、主に方言の分岐の仕方を捉えて行われている。

東日本方言[編集]

八丈方言[編集]

西日本方言[編集]

観光客向けの方言キャッチコピー(兵庫県養父市
方言での子供向け注意看板(徳島県阿波市。「遊んではいけない」の意)

九州方言[編集]

(学者によっては西日本方言に含める)

琉球列島[編集]

特殊な方言[編集]

第3の言語[編集]

日本国内に使用される言語を日本語(琉球方言を含む)とアイヌ語に2大分した時、ある方言を意図的にそのどちらでもないものとして定義したものを「第3の言語」と呼ぶことがある。

サンカ語
山窩が使用していたとされる言語。暗号の一種とも言われる。
マタギ言葉
マタギが使用していた言語。アイヌ語からの借用語を多く含む。
小笠原語
小笠原諸島に住む欧米系島民が用いるピジン言語八丈方言をベースに英語に由来する単語が用いられる。小笠原クレオール日本語と呼ぶこともある[8]
ケセン語
岩手県気仙地方(旧気仙郡)の方言を文法体系を整備構築し、独立言語とみなす研究の中でこの方言のことをケセン語と呼ぶ。この地方の方言には古代蝦夷の言語の影響があるとの指摘もある。

全国方言概観[編集]

ここでは本土方言を中心に記述し、琉球方言についてはごく簡単に述べる。

音韻・音声[編集]

東北方言的音韻[編集]

東北方言的な音声・音韻の聞かれる範囲は、東北地方を中心に北海道沿岸部や新潟県北部、栃木県茨城県東関東方言)まで及ぶ。これらの地域で聞かれる発音の特徴には、以下の点が挙げられる。

  1. イ段とウ段の母音が近い発音になり、中舌母音[ï]・[ɯ̈]となる。特に、シとス、チとツ、ジ(ヂ)とズ(ヅ)の区別がなくなる[9]
  2. エ段の音は、共通語のエよりもイ段に近い発音となり、母音単独ではイとエの区別がない。
  3. 語中・語末のカ行・タ行子音の濁音化(有声化)が起こる。
  4. 共通語での濁音にあたるもの(ザ行・ダ行・バ行)は直前に入り渡り鼻音を伴って発音されるため、清音が濁音化したものとは区別される(例:[mado]<的>、[ma ̃do]<窓>)。

このうち、1、2は「裏日本式」発音と呼ばれ、島根県出雲鳥取県西伯耆雲伯方言)にもあり、また弱いながら北陸でもこれらの傾向がある。3、4は雲伯方言にはない。これらの現象にも地域によって濃淡があり、シ・チ・ジとス・ツ・ズの区別がなくなるのは主に東北地方であり、東関東では区別がある。また母音単独のイとエは、東北北部日本海側の老年層(1986年時点)では区別がある。

濁音の前の鼻音は高知県や紀伊半島の一部にもあり[10]、中央では失われた古い日本語の発音を残していると考えられる。ウ段母音については、東京方言でもuよりやや中舌寄りで円唇性の弱いɯであるが、西日本方言では唇の丸みを帯びかつ奥舌母音の[u]で発音される。

母音の無声化・脱落[編集]

西日本では母音を強く子音を弱く発音し、東日本や九州では子音を強く母音を弱く発音する傾向がある。東京方言では、i、uは、無声子音に挟まれた場合や無声子音の直後で語末に来た場合には無声化が起こる。このような無声化は、東日本方言と九州方言では盛んだが、西日本方言では少ない[11][12]薩隅方言では無声化の傾向がさらに進んで語末のi、uが脱落して促音となり、「書く」「柿」がカッ、「首」「口」「靴」がクッのように発音される。また、九州のほかの地域でも、薩隅方言ほどではないものの、このような傾向がある。

拍と音節[編集]

東北北部や九州南部では、促音(ッ)・撥音(ン)・長音(ー)をアクセントの単位として独立して数えない。これらの地域では、モーラ(拍)ではなく音節が単位となっており、例えば「学校新聞」は「ガッ・コー・シン・ブン」と4つの単位に区切られる。このような方言をシラビーム方言と言う。古い中央語でも、特殊拍(促音・撥音・長音)は独立性が弱かったと見られる。東北北部・九州南部以外の地域では、モーラ(拍)を単位とし、「学校新聞」は「ガ・ッ・コ・ー・シ・ン・ブ・ン」の8拍として捉えられる。このような方言をモーラ方言と言う。

連母音融合[編集]

「無い」を「ねー」、「寒い」を「さみー」のようにする連母音の融合は、東日本方言や中国方言、九州方言で盛んで、北陸方言・近畿方言・四国方言ではほとんど起こらない。連母音aiは、東日本・中国・九州のほとんどで融合するが、地域によりエー、エァー[ɛː]、アェー[æː]、アーなどと変化に富んでいる。連母音融合が起こらないのは京阪式アクセントの領域とおおむね一致し、この地域では「木」を「きい」、「目」を「めえ」のように一音節語を伸ばして二拍に発音する傾向もある。

古音の残存[編集]

濁音の鼻音化のほかにも、各地方には以下のような、かつて中央で使われた古い発音の残る地域がある。

  1. 共通語のセに対しシェ、ゼに対しジェと発音する。
  2. ハ行子音で、ɸを使ってファ、フィ、フ、フェ、フォと発音する。
  3. 合拗音「くわ」「ぐわ」をkwa、gwaと発音する。
  4. 「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を区別する(詳しくは四つ仮名参照)。
  5. エをイェと発音する。

これらの古音は、近年では衰退する傾向にある。特に、ハ行子音の[ɸ]や「じ・ぢ・ず・づ」の区別は現在(2002年時点)では最高齢の話者にしか認められず、合拗音kwa・gwaやシェ・ジェも衰退が進んでいる[10]。濁音の鼻音化も、ほとんど高年層に限られるようになっている[10]

(以上、「音韻・音声」の出典は、個別に脚注で示したもの以外は、加藤正信「音韻概説」、平山輝男「全日本の発音とアクセント」、佐藤亮一「現代日本語の発音分布」)

アクセント[編集]

日本語のアクセント分布

日本語の方言のアクセントには、大きく分けて、京阪式アクセント東京式アクセント二型式アクセント一型式アクセントがあり、アクセントによる区別のない無アクセントの地域もある。諸アクセントの分布は右図のとおり。近畿地方付近に京阪式が横たわり、その東西に東京式が広がるという周圏分布になっているが、日本語のアクセント史については方言周圏論とは逆で、京阪式から東京式が生まれたとする説が有力である。京都のアクセントの記録が平安時代から残っており、その平安期京都アクセントと一定の対応関係のあるアクセントが、琉球方言を含む全国の現代方言に存在する。これら京都アクセントの記録や現代方言同士の比較から、金田一春彦や奥村三雄は、平安期の京都アクセントに近いものが各地で変化して、今日のようなアクセントの方言差を生んだと推定している。

全国各都市のアクセント[13]
  語例 秋田 東京 富山 京都 高知 広島 鹿児島
一拍名詞 1類 蚊・子・戸 かが かあが かが かが
2類 名・葉・値 なが あが なが
3類 木・手・目 きい
二拍名詞 1類 牛・口・水 うしが しが しが うしが うしが うしが
2類 音・川・紙 おとが が、みが※ とが とが
3類 足・池・犬 が、しが※ しが しが あし
4類 空・舟・箸 が、しが※ らが らが そら らが らが そら
5類 雨・春・前 が、るが※ めが が、るが※ めが あめ
二拍動詞 1類 行く・着る・寝る いく いく いく いく
2類 書く・待つ・降る
三拍動詞 1類 上がる・捨てる あがる がる あがる あがる あがる
2類 動く・起きる 五段うごく、一段おき ごく うご
三拍形容詞 1類 軽い・遅い かるぃ るい るい かる かるい るぃ
2類 白い・早い ろい ろい ろぃ

※前者は二拍目が広母音(a,e,o)、後者は二拍目が狭母音(i,u)を持つもの。

文法[編集]

動詞[編集]

共通語の動詞活用の種類には五段活用(四段活用)、上一段活用下一段活用カ行変格活用サ行変格活用がある。このほかに、紀伊半島の一部や九州地方などには上二段活用下二段活用がある。

本土方言のほとんどで終止形と連体形の区別はない。長野県秋山郷や、伊豆諸島利島八丈島では「書こ」「見ろ」のような形があり、区別する島もある。琉球方言でも終止形と連体形を区別するが、本土方言の終止形・連体形に由来する形ではない。終止形は、宮古方言を除き、「連用形+をり」から派生したと見られる形を用いる[14]

近畿南部や九州などでは、一・二段動詞の未然形で「起きらん」(起きない)、「起きろー」(起きよう)のように五段化させて言う。一・二段動詞の未然形に「う」の付いた形は、中国地方や九州で「みゅー・みょー」(見よう)、「うきゅー・うきょー」(受けよう)のように言う(「うきゅー」は九州のみ)。五段動詞では、山陰では「行か(ー)」(行こう)のようにア段になる[15][16][17]

連用形の音便のうち、ア・ワ行五段動詞は、東日本と山陰で「思って」のように促音便、山陰を除く西日本で「おも(ー)て」のようにウ音便になる。サ行五段動詞は、西日本には「起こいた」のようなイ音便がある。またバ行・マ行五段動詞は、「飛んだ」「読んだ」のように撥音便の地域が広いが、西日本の一部(特に九州)に「とーだ(飛)」「のーだ(飲)」のようなウ音便がある。

一・二段動詞の命令形は、東日本と肥筑方言で「起きろ」のような「ろ」の付いた形、西日本(糸魚川-静岡県中部以西)では「起きよ」のような「よ」の付いた形や「起きい」「食べえ」のような形を用いる。このほかに、北海道[18]や九州などで「受けれ」のような五段化した形を用いる。

動詞に付く接辞[編集]

動詞の打ち消しには、東日本で「行かない」のように「未然形+ない・ねー」、西日本(糸魚川-大井川以西)から琉球では「行かん」のように「未然形+ん」を用い、近畿中央部では「-へん」も用いる。打ち消しの過去・完了には、東日本では「書かなかった」のような「未然形+なかった・ないかった」を用いるが、西日本には「書かなんだ」「書かざった・書かだった」「書かんじゃった・やった・だった」などの形式がある。また西日本の若い世代では「書かんかった」のような「未然形+んかった」が盛んである。

「〜ている」は、東日本(糸魚川-浜名湖以東)や近畿中央部では「降ってる」のように「連用形(音便)+てる」、北陸や近畿大半などでは「降っとる」のように「連用形(音便)+とる」と言う。上記以外の西日本、すなわち岐阜県や中国・四国・九州などでは、進行・継続を表すに「降りよる」のような「連用形+よる・よー・ゆー」など、完了後の状態を表す相に「降っとる」のような「連用形(音便)+とる・ちょる・とー・ちょー・ちゅー」などを用いて区別する。

推量を表すには、西日本で広く「行くやろー」のような「-やろ(ー)・じゃろ(ー)」を用いるほか、全国所々に「-だろ(ー)」や「-だら(ー)」がある。北海道・東北・関東には意志・推量を表す「-べ(ー)」(例:起きんべー、起きっぺー、起きべー)が分布する。推量には他に、「書くら・書くずら」のような「終止形+ら・ずら」を長野県・山梨県・静岡県・愛知県三河で[19]、「書くろー」のような「終止形+ろ(ー)」を高知県などで、「-のー」を八丈島で[20]用いる。意志を表す「行かず・行かす」のような「未然形+ず・す」が長野県・山梨県・静岡県・愛知県三河にある[19]。沖縄県では未然形単独で意志を表す。

形容詞[編集]

形容詞の終止形・連体形は、北海道・本州・四国・豊日で「たかい(高)」のようなイ語尾を用いる。一方、肥筑方言では「たかか」のようなカ語尾で、薩隅はイ語尾とカ語尾の併用である[21]。八丈島では終止形語尾が「-きゃ」(たかきゃ)、連体形語尾が「-け」(たかけ山)である。琉球方言のうち、宮古島では「たかかい」[takakaï](平良方言での例)のように「語幹+くあり(かり)」に由来する形、その他の地域では「たかさん」(首里方言での例)のように「語幹+さあり」に由来する形を用いる[22]

形容詞の連用形は、東日本と琉球で「赤くなる」のような「-く」を用いるが、西日本では「赤うなる」のようなウ音便を用いる。

形容動詞[編集]

共通語では形容動詞の終止形語尾は「だ」であり、各地の方言でも断定の助動詞(体言につくもの)と同じく「だ」「じゃ」「や」とする地域が多いが、西日本の所々(特に中国・四国)では、形容動詞の終止形を「静かな」のように「-な」の形とする。一方、北奥羽方言では連体形の場合も「静かだ晩」のように言う。

助詞・その他[編集]

断定の助動詞には、東日本と山陰で「だ」を用い、西日本では「じゃ・ぢゃ」(山陽・四国・九州など)、「や」(北陸・近畿・九州北部など)を用いる。

格助詞は、「窓は→まだ」「鳥を→とりゅー」のように、直前の母音と融合して発音される地域が全国各地にある。主格には、北海道・本州・四国・豊日・薩隅で主に「が」[23][21]、肥筑で「の・ん」、琉球方言で「ぬ」を用いる。

理由を表す順接の接続助詞には、北海道・東北・関東や宮崎県などで「から」を用いるほか、東海や鹿児島県などで「で」、近畿・北陸・東北の一部で「さかい」系の語、中国・四国・九州で「けん・けー・きー」系の語が使われる。逆接の接続助詞には、「けど・けれど」系のほか、「ども」が北奥羽方言や島根県出雲、「どん」が九州の一部、「ばってん」系が肥筑方言で使われる。

(以上、「文法」の出典は、個別に脚注で示したもの以外は、都竹通年雄「文法概説」)

歴史[編集]

琉球方言の分岐[編集]

現代の日本語の方言は本土方言と琉球方言に大別され、琉球方言が本土方言と分岐したのは非常に古い時期と考えられる。服部四郎は京都方言と首里方言の分岐年代を1500〜2000年前と推定しており、また外間守善は琉球方言の日本祖語からの分岐を2〜7世紀と考えた。

上代東国方言[編集]

奈良時代万葉集の東歌・防人歌には、多くの東国方言による歌(今の長野県・静岡県から東北地方南部まで(新潟県は除く))が載せられている。東歌・防人歌から例として4首を挙げる。

筑波嶺(ね)に雪かも降る否(いな)をかもかなしき児(こ)ろが布(にの)乾るかも
(筑波山に雪が降ったのか。それともいとしいあの児が洗った布を乾したのだろうか)(常陸、3351番)
上毛野(かみつけの)伊香保の嶺(ね)ろに降雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
(通り過ぎることのできない妹の家のあたりよ)(上毛、3423番)
昼解けば解けなへ紐のわが夫(せ)なにあひ寄るとかも夜解けやす
(昼解くと解けない紐がわが背子に逢うからとでもか夜は解けやすい)(未勘国、3483番)
草枕旅の丸(まる)寝の紐絶えば吾(あ)が手と付けこれの針(は)持
(草を枕の丸寝をして紐が切れたらこの針で自分の手でお付けなさい)(武蔵の防人の妻、4420番)

万葉集に載せられたこれらの歌が、当時の方言を純粋に反映したものかどうかは明らかでないが、上代東国方言を今に伝えるものとして資料的価値が高い。これらの歌には、中央語との間に次のような違いが見られる(上記4首の下線部分にもある。なお、万葉集などの上代の文献ではイ列・エ列・オ列音の一部に甲乙の書き分けが見られ、なんらかの発音の区別があったとみられる。詳しくは上代特殊仮名遣を参照)。

  1. チがシになる。
  2. イ列音がウ列音になる。
  3. エ列甲類音がア列音になる。完了の「り」(中央語ではエ列に接続)がア列に接続する。
  4. エ列乙類音がエ列甲類音になる。
  5. オ列乙類音とイ列音、エ列乙類音が混同される(ただし長野県・静岡県に見られる)
  6. 「なふ」という打ち消しの助動詞を使う。活用は未然形「なは」、連体形「なへ・のへ」、已然形「なへ」で、連用形・命令形を欠く。(例)「あはなふよ」(逢わないよ・3375)、「あはなはば」(逢わないならば・3426)、「あはなへば」(逢わないので・3524)。
  7. 一段型動詞の命令形語尾に「ろ」を用いる。(例)「ねろ」(寝よ・3499)、「せろ」(せよ・3465・3517)。
  8. 四段・ラ変活用動詞の連体形語尾がオ列甲類音になる。(例)「ゆこさき」(行く先・4385)
  9. 形容詞の連体形語尾が「き」ではなく「け」になる。(例)「ながけこのよ」(長きこの夜・4394)
  10. 推量に「なむ・なも」を用いる。

1〜10のほとんどは足柄峠以東の関東・東北南部の歌に見られ、長野県・静岡県では方言色は薄い。このうち音韻的な特徴については、上代特殊仮名遣いの甲乙の混同が中央語よりも早く進んでいたものと見られ、エ列の甲類と乙類の区別はすでになくなっている。1については、当時中央で[ti]と発音したチを、東国方言では[ʧi]または[tsi]と発音していたことを表していると見られる。2が現代のズーズー弁に直接つながるものかどうかについては明らかでない[24]。3のア列に接続する「り」は、八丈島の過去表現「書から」にその名残がある。

文法的特徴のうち、7は現代東日本方言にそのままつながるもので、命令形の「-よ」と「-ろ」の対立は奈良時代にまでさかのぼることになる。ただし、命令形「-ろ」は現代の九州北西部にもある形で、これについては方言周圏論を適用して奈良時代よりも前に中央で「ろ」から「よ」への変化があったとする説が提出されている[25]。また、6については現代の東日本方言の「ない」に通じるものの可能性があるが、定かではない。一方、8・9・10は八丈島青ヶ島などごく限られた地域に残るのみで、東日本方言のほとんどで平安時代以降に中央語からの同化作用を受けたことになる。現代の東日本方言・西日本方言の違いのうち、断定の助動詞「だ」対「じゃ・や」、動詞・形容詞で起こる音便の違いは、万葉集よりも後の時代に現れたもので、平安時代以降の畿内方言から分岐したものである。

中古・中世[編集]

平安時代から鎌倉時代にかけての文献では、地方の言葉は粗野なものであるとするにとどまり、少数の語彙が記録されるのみで方言の全体像は不明である。その中で、命令の「ろ」が使われていた記録として、鎌倉時代の「塵袋」に

「坂東人ノコトバノスヱニロノ字ヲツクル事アリ、ナニセロ、カセロト云フヲ」[26]

と指摘されている。この間に中央語では、二段活用の動詞で「起く」のような旧終止形を廃止し連体形「起くる」を終止形として用いたり(終止・連体形の合一)、「打ちて」を「打って」とするなどの音便、語中・語尾のハ行音がワ行に変化するハ行転呼が起きた。一方、古代東国方言は中央語からの影響を受け、徐々に中央語に近い形に変化したと見られる。古代東国方言の文法的特徴が、現代では伊豆諸島の八丈島や利島、長野県・新潟県境付近の秋山郷、山梨県奈良田、静岡県井川など中部地方付近に残るのに対し東北地方に見られないことから、現代東北方言は中央語の影響を受けた後の東国方言が東北地方に広まったものだとする見方がある[27]

日本大文典[編集]

戦国時代以降には、各地の方言を記録した書物が現れるようになった。この頃には「京へ筑紫に坂東さ」ということわざがあり、当時、中央と九州と東国の3つの方言圏が意識されていたことを物語る。特にキリシタンの宣教師ジョアン・ロドリゲスの著した『日本大文典』(1604年)では、各地の方言の特徴が詳述されている。日本大文典では東国の方言について、

「三河から日本の涯にいたるまでの東の地方では、一般に物言ひが荒く、鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない」

とあり、これは当時も東日本では子音を強く発音し母音の無声化が盛んだったことを表現したものと解釈されている[28]。さらに、日本大文典では関東方言について、次の8点を挙げている。

  1. 未来を表すのに「べい」を用いる。例えば「参り申すべい」「上ぐべい」など。
  2. 打ち消しの「ぬ」の代わりに「ない」を用いる。例えば「上げない」「読まない」など。
  3. 形容詞で、「良う」「甘う」の形の代わりに「良く」「甘く」の形を用いる。
  4. 動詞で、「払うて」「習うて」の形の代わりに「払って」「習って」の形を用いる。
  5. 「張って」「借って」の形の代わりに「張りて」「借りて」の形を用いる。
  6. 移動の「へ」の代わりに「さ」を用いる。例えば「都さ上る」。
  7. 「しぇ」の音節は「せ」と発音する(当時の京都では「せ」を「しぇ」と発音した)。
  8. 尾張から関東にかけては、「上げんず」「聞かんず」のように未来形「〜んず」を盛んに用いる。

上記は、現代の関東方言と異なる部分もあるにしろ、万葉集に記された方言と比べると、はるかに現代のものに近くなっている。江戸時代初期の他の文献にも、東国でハ行四段動詞の連用形促音便や、断定の助動詞「だ」、打消しの助動詞「ない」が現れている。

『日本大文典』では、中国地方の方言について、アイをアーと発音すること(「なるまい」を「なるまぁ」)、「上げざった」「参らざった」のように打ち消しの助動詞「ず」「ざる」を使うことを記しており、これは現在の中国地方西部の方言にあてはまる。また備前ではガ行音の前の鼻音がないことを記している。

『日本大文典』は九州の方言についても詳しい。九州全般の特徴として、合音をウーと発音すること(「一升」を「いっしゅー」)、移動を表す「へ」の代わりに「に」「のやう(yŏ)に」「のごとく」「さまえ」「さな」などを使うこと、推量の助動詞「らう(Rŏ)」「つらう(Tçurŏ)」「づらう(Dzurŏ)」を使うことが記されている(ŏは開音のオー)。九州方言のうち豊後では、エイ・オイをイーと発音し(「礼」を「りい」、「良い」を「いい」など)、打消しの助動詞「ざる」や尊敬の助動詞「しゃる」を使う。肥前・肥後・筑前では、動詞の命令形に「上げろ」「見ろ」のように「-ろ」を用い、形容詞の語尾が「良か」「古か」のようにカ語尾になり[29]、推量の助動詞「いらう(Irŏ)」「やらう(Yarŏ)」を使い、尊敬の助動詞「させめす」「せめす」を使う。また肥前などではアイ、オイがアエ、オエとなる(「世界」を「せかえ」、「黒い」を「くろえ」など)。これらを現在の九州方言と比較すると、「合音→ウー」や命令形「-ろ」、カ語尾などは、現在の方言にそのまま当てはまる特徴で、九州方言を多く採録した『日葡辞書』(1603年)に記録された「かるう」(背負う)などの多数の語彙と合わせると、現在の方言の大枠が当時すでに出来上がっていたことが推察される[29]

江戸時代[編集]

現代の方言分布は、江戸時代の藩の領域に沿うことがあり、特に津軽藩仙台藩薩摩藩など東北や九州でこの傾向が強い。このことから江戸時代の藩制によって今日の方言圏が形成されたことが分かる。当時、藩の間の移動は制限され、藩が小さな国家のように機能していたためである。

江戸時代には方言を集めた書物が増えた。越谷吾山著の『物類称呼』(1775)の以下の記述などから、東西方言の違いが意識されていたことも分かる。

「大凡我朝六十余州のうちにても山城と近江又美濃と尾張これらの国を境ひて西のかたつくしの果まで人みな直音にして平声おほし、北は越後信濃東にいたりては常陸をよひ奥羽の国々すへて拗音にして上声多(し)」
「今按に東海道五十三次の内に桑名の渉より言語音声格別に改りかはるよし也」

江戸時代の前半までは、京都方言が中央語の地位を占めていたものの、江戸幕府が成立して以降、江戸言葉の地位が次第に高まっていった。また、江戸時代には三河や上方の言葉が江戸に流入したため、江戸・東京方言は周辺の関東方言に比べてやや西日本的な方言になった(「行くべ」ではなく「行こう」など)。やがて上方方言に対して江戸方言の優位が固まっていき、明治時代に東京方言を基に標準語を確立することになった。

(以上の「歴史」章の出典は、個別に脚注で示したもの以外は、徳川宗賢「東西のことば争い」、馬瀬良雄「東西両方言の対立」、佐藤武義「方言史」、外間守善「沖縄の言語とその歴史」)

近代以降[編集]

明治になって言葉の統一が求められるようになると、東京方言を基に標準語を確立し普及させようとする動きが起こった。同時に、方言を排除しようとする動きが広がり、標準語こそが正しい日本語であり、方言は矯正されなければならない「悪い言葉」「恥ずかしい言葉」とみなされた。昭和40年代頃まで、方言撲滅を目的の一つとする標準語教育が各地の学校で行われ、なかには地域・家庭ぐるみで自発的に方言追放活動を推進するところもあった。都会出身者の方言蔑視と地方出身者の方言コンプレックスが強固に形成され、方言にまつわるトラブルが殺人・傷害・自殺事件に発展することもあり、とりわけ集団就職などで国民の国内移動が活発化した高度経済成長期に多かった[30]

戦後、特に高度経済成長期後の日本では方言に対する評価が変化し、標準語・共通語と方言の共存(ダイグロシア)が図られるようになった。政治的な意図に基づく強力な言語の統一は行われておらず、厳密な意味での「標準語」は存在しない。しかし、テレビ映画などのマスメディアによる共通語の浸透、交通網の発達による都市圏の拡大、高等教育の一般化、全国的な核家族化や地域コミュニティの衰退による方言伝承の機会の減少などから、伝統的な方言は急速に失われている。

伝統的な方言の衰退に伴って、自分達の方言を見直そうという機運が各地で高まっている。例えば、「おいでませ山口へ」をきっかけとする観光面での積極的な活用、地元の子供向けの看板での活用、地元住民向けの公共物や商品のネーミングなどでの活用、方言を用いた弁論大会、方言自体の商業利用(もとは地元ラジオ番組の一コーナーだった「今すぐ使える新潟弁CD版の全国発売、「DA.YO.NE」各方言盤や「大きな古時計秋田弁盤などの人気曲の方言カバーの発売など)がある。2000年代前半には首都圏の若者の間で方言がブームとなり、方言を取り上げるバラエティー番組(Matthew's Best Hit TVなど)や仲間内で隠語的に使えるように方言を紹介する本が話題を集めた。

また近年、日常の口語に近い文面を多用する電子メールチャットなどの出現によって、これまで書き言葉とされることの少なかった方言が、パソコンや携帯電話で頻繁に入力されるようになった。それに対応して、ジャストシステム日本語入力システムATOKは『ATOK 2006』から「北海道東北」「関東」「中部北陸」「関西」「中国四国」「九州」の各方言入力モードを用意している。

伝統的な方言の衰退は進んでいるが、一概に共通語化しているわけでもない。語彙については共通語化が著しいが、文法やアクセントの特徴は若年層でも比較的保たれている[31]。また、ウチナーヤマトグチのような伝統的な方言でも共通語でもない言葉や、「マクド」「なまら」のように特定地域だけに広まる若者言葉も生まれている(新方言も参照)。方言だと気付かれずに公的な場でも使われやすいもの(例:西日本の「なおす(=片付ける)」、東北の「投げる(=捨てる)」)や共通語に存在しない事柄・概念・文法のために共通語化できないもの(例:青森の「あずましい」、九州などでの存在動詞の進行形)もある。若年層では方言コンプレックスも薄れつつあり、東京の言葉に影響を与えることも増えるなど(若者言葉#方言由来の若者言葉参照)、むしろ日本の方言は安定期に入ったとする声もある[31]

参考文献[編集]

  • 飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学』シリーズ、国書刊行会
    • 『講座方言学 1 方言概説』1986年
    • 『講座方言学 4 北海道・東北地方の方言』1982年
    • 『講座方言学 5 関東地方の方言』1984年
    • 『講座方言学 6 中部地方の方言』1983年
    • 『講座方言学 7 近畿地方の方言』1982年
    • 『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』1982年
    • 『講座方言学 9 九州地方の方言』1983年
    • 『講座方言学 10 沖縄・奄美の方言』1984年
  • 大野晋柴田武編『岩波講座 日本語11方言』岩波書店、1977年
    • 加藤正信「方言区画論」
    • 馬瀬良雄「東西両方言の対立」
    • 外間守善「沖縄の言語とその歴史」
    • 徳川宗賢「方言研究の歴史」
  • 平山輝男「全日本の発音とアクセント」NHK放送文化研究所編『NHK日本語発音アクセント辞典』日本放送出版協会、1998年4月
  • 徳川宗賢「東西のことば争い」『日本語講座 -第6巻 日本語の歴史』大修館書店、1977年
  • 佐藤武義『概説日本語の歴史』朝倉書店、1995年
    • 第13章「方言史」
  • 柴田武、加藤正信、徳川宗賢編『日本の言語学 第6巻 方言』大修館書店、1978年
    • 東条操「国語の方言区画」1954年
    • 奥村三雄「方言の区画」1958年
    • 平山輝男「八丈方言の特殊性」1960年
  • 佐藤亮一「現代日本語の発音分布」飛田良文・佐藤武義編『現代日本語講座 第3巻 発音』明治書院、2002年
  • 平山輝男編 『現代日本語方言大辞典』明治書院、1992年 ISBN 4625521378
  • 平山輝男編『日本のことばシリーズ』全48巻 明治書院
  • 金田一春彦『金田一春彦著作集第八巻』玉川大学出版部、2005年
    • 「東国方言の歴史を考える」
    • 「音韻」
  • ジョアン ロドリゲス原著、土井忠生訳註『日本大文典』三省堂、1955年

脚注[編集]

  1. ^ 「八丈語? 世界2500言語 消滅危機――「日本は8言語対象 方言も独立言語」ユネスコ」『朝日新聞』2009年2月20日付夕刊、第3版、第1面。
  2. ^ a b 『岩波講座 日本語11方言』 57-73頁。
  3. ^ 大野・柴田編(1977) 344-345頁。
  4. ^ 奥村三雄「方言の区画」
  5. ^ 大野・柴田編(1977) 62-67頁。
  6. ^ a b 金田一春彦(2005)『金田一春彦著作集第7巻』「日本の方言」
  7. ^ 大野・柴田編(1977) 366-367頁。
  8. ^ 「小笠原諸島における言語接触の歴史」ダニエル・ロング1998年[1]
  9. ^ 『講座方言学 1 方言概説』 78-81頁。
  10. ^ a b c 『現代日本語講座 第3巻 発音』 29-30頁。
  11. ^ 『NHK日本語発音アクセント辞典』付録 169頁。
  12. ^ 金田一春彦「音韻」『金田一春彦著作集第8巻』玉川大学出版部
  13. ^ 平山輝男「全日本の発音とアクセント」
  14. ^ 『講座方言学 10 沖縄・奄美の方言』 63頁
  15. ^ 鎌田良二(1979年)「兵庫県方言文法 -但馬編-」、井上史雄ほか編(1996年)『日本列島方言叢書17 近畿方言考5(兵庫県)』ゆまに書房。
  16. ^ 『日本のことばシリーズ 31 鳥取県のことば』(1998年)
  17. ^ 『日本のことばシリーズ 32 島根県のことば』(2008年) 27頁。
  18. ^ 『日本のことばシリーズ 1 北海道のことば』(1997年) 14-15頁
  19. ^ a b 『講座方言学 6 中部地方の方言』 21-23頁。
  20. ^ 『講座方言学 5 関東地方の方言』 261-268頁。
  21. ^ a b 上村孝二「九州方言の概説」『講座方言学 9 九州地方の方言』
  22. ^ 『講座方言学 10 沖縄・奄美の方言』 70-71頁。
  23. ^ 『日本のことばシリーズ 1 北海道のことば』(1997年) 19-20頁。
  24. ^ 『日本語講座 -第6巻 日本語の歴史』 254頁
  25. ^ 『概説日本語の歴史』 248頁。
  26. ^ 『概説日本語の歴史』 234頁。
  27. ^ 『講座方言学 1 方言概説』 62-63頁。
  28. ^ 『岩波講座 日本語11方言』 263頁
  29. ^ a b 『日本のことばシリーズ 42 長崎県のことば』(1998年) 5頁。
  30. ^ 小松代融一『負けるな方言』熊谷印刷、1981年。
  31. ^ a b 佐藤亮一「21世紀の方言語彙 -『日本言語地図』の追跡調査から-」 日本方言研究会編『21世紀の方言学』国書刊行会、2002年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]