上野百貨店

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上野百貨店本館
上野百貨店新館「新うえの」
上野百貨店大田原店

上野百貨店(うえのひゃっかてん)は、栃木県にかつて存在した百貨店

宇都宮市民から親しみを込めて“さん付け”で呼ばれた「三つの『さん』(二荒さん、上野さん、須賀さん)」の一つ。明治中期創業で県都宇都宮市のシンボル的存在の百貨店だったが、2000年12月に倒産した。

目次

[編集] 概要

1895年、初代上野房之助が宇都宮町(現・宇都宮市)本郷町に呉服太物商を開業、1925年に2代目上野小七(上野房之助の娘婿、旧姓・植竹/旧黒磯市出身)が宇都宮一の繁華街であったバンバ・宇都宮二荒山神社の参道東側に百貨店を出店した。

明治創業の老舗で地域一番店として隆盛を極め、栃木県内(特に県央から県北)では贈答品に同店の商標「山十」が描かれたえんじ色の包み紙を重宝がるファンも多かった。

地域一番店であった同店も1960年代から1970年代にかけて電鉄系を中心とした大手百貨店の相次ぐ宇都宮進出により商戦の渦にのみ込まれていく。バブル経済崩壊後、消費低迷に加え郊外展開の進む大型小売店の波にも乗れず、1990年代以降は縮小・減量経営を余儀なくされる。

1996年に本館をテナントビルに業態転換、復活を懸けて1999年には大田原市に新規出店するなど業績向上に努めたが、その大田原店の売上げが思うように伸びず、結果的にこの際の借入金が経営を圧迫。2000年12月21日、新世紀を目前にした年末商戦の最中に自己破産を申請、倒産した。負債総額は約164億円。

[編集] 店舗

百貨店

  • 本店(宇都宮店)
    • 本館 - 栃木県宇都宮市馬場通り四丁目1番17号
    • 新館「新うえの」 - 栃木県宇都宮市馬場通り一丁目1番4号
  • 大田原店 - 栃木県大田原市美原一丁目3537番地2

[編集] 沿革

  • 1895年(明治28) - 河内郡宇都宮町本郷町三丁目(現・宇都宮市泉町/清住通り沿い)に開業
  • 1910年(明治43) - 店舗を新築
  • 1925年(大正14) - 宇都宮市相生町2番地(現・馬場通り四丁目1番17号)に馬場町支店開店
  • 1929年(昭和4) - 馬場町支店で北関東最初の百貨店「上野百貨店」を名乗る
  • 1945年(昭和20)
    • 7月 - 宇都宮空襲により店舗焼失、営業休止
    • 9月 - 法人化して「株式会社上野百貨店」となる
焼け野原の二荒山神社参道東側に店舗を再建し営業再開
  • 1964年(昭和39) - 本館を新築開店
  • 1969年(昭和44) - 新館「新うえの」を開店
  • 1995年(平成7) - 創業100周年
  • 1996年(平成8) - 本館をテナントビルに業態転換、「上野百貨店マルチメディア館 T-ZONE」として開店
  • 1999年(平成11) - 大田原店を開店
  • 2000年(平成12)
    • 3月 - 家電量販店「コジマ」への本館売却交渉が明らかになる(翌月に破談)
    • 8月下旬 - 新館の売場を縮小、外商・ギフト主体店舗に業態転換
    • 12月20日 - 午前中、宇都宮地方裁判所自己破産申し立て(同日が百貨店営業最終日となる)
    • 12月21日 - 宇都宮地裁が同百貨店に対し破産を宣告

[編集] 倒産に至る経緯

倒産の一番の原因は1999年に出店した「大田原店の失敗」。

1960年代から1970年代にかけて宇都宮市内は東武福田屋十字屋丸井西武と次々に百貨店が開店してオーバーストア状態となり、地域一番店だった同店の勢いに陰りが見えはじめる。売り場拡大のために新館「新うえの」を建設したほか、本館の増築・増床を何度も計画したが地元の反対で頓挫。1977年、ついに売上高が東武に抜かれ地域一番店の座を譲り渡すと、売上高も徐々に下降線をたどる。さらに地方都市特有のモータリゼーションが進み、店舗と直結した駐車場を持たない同店は売上げの落ち込みが止まらず苦境に立たされた。1990年代に入り、売場を新館に集約し本館をテナントビルに転換するなどリストラを断行。そして起死回生策として打ち出したのが「大田原市」への出店計画だった。

得意とする外商を含め同店の顧客も多く「百貨店の空白地帯」であった県北地区の大田原市に白羽の矢を立て、大きな駐車場を備えた郊外型店舗を建設し、その大田原店をメインに巻き返しを図る戦略だった。1994年に郊外脱出して大成功を収めた福田屋百貨店を参考にしたところは大きい。

大田原店の初年度売上目標を70億円と設定したが、実際は42億円に留まり、店舗建設等に投資した52億円が負債として経営に大きくのしかかった。宇都宮店を外商・ギフト主体の店舗に縮小し経費を抑制、得意とする外商部門を強化するなど売り上げ向上を目指したが、自己破産申請に至った。

[編集] 関連企業

  • 株式会社うえのユーマート(食品スーパー運営) - 2000年12月20日に民事再生法の適用を申請、株式会社たいらや北関東(現・株式会社たいらや)がスポンサーとなり営業継続 → 2002年3月、たいらや北関東に吸収合併される(法人消滅)
  • 株式会社上野楽器(楽器販売、ヤマハ音楽教室等の運営) - 百貨店自己破産前にヤマハの支援を受け、独立していた

[編集] 倒産後の店舗

  • 本館 - 1・2階フロアは2002年頃までテナントビルとして活用され(テナントとの賃貸契約の関係)閉鎖。2006年春に取り壊されて馬場通り中央地区再開発事業用地の一部となる。2007年7月にうつのみや表参道スクエアがオープン
  • 新館「新うえの」 - 馬場通り西地区再開発事業地区内にあり、両隣の足利銀行・栃木銀行とともに2008年初夏より取り壊し工事が行われている。跡地には24階建て高層マンションの建設が計画されている。
  • 大田原店 - 2002年に「東武宇都宮百貨店大田原店」として再オープン

[編集] 参考文献

  • 下野新聞社「とちぎ20世紀」取材班 『とちぎ20世紀 上巻』 下野新聞社、2000年、262-267頁。

[編集] 外部リンク

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