千徳百貨店

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株式会社千徳百貨店
Sentoku Department Store
本社所在地 日本の旗 日本
熊本県熊本市安政橋通45[1]
設立 1917年大正6年)[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店
代表者 千場惣四郎(社長)[1]
資本金 8万3400円[1]
従業員数 350[1]
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千徳百貨店(せんとくひゃっかてん)は、熊本県熊本市にあった日本の百貨店である[1]

歴史・概要[編集]

1906年(明治39年)に江戸時代の熊本藩で槍の師範を代々努めていた千場家に養子入りしていた千場惣四郎が熊本県熊本市の安政橋通りに千徳呉服店を開業したのが始まりである[2]

この呉服店を母体に千場惣四郎が実父で代々材木業や土木業を営んでいた徳永家を率いていた徳永慶八[3]と共同で1926年大正15年)12月11日千徳百貨店として木造3階建ての熊本県内初の本格的な百貨店を開業した[2]

1931年(昭和6年)には熊本県内初のエレベーターを設置した鉄筋コンクリート造5階建ての新館を増築して増床[4]して、1927年(昭和2年)1月に開店した「いずみや百貨店」[5]などのライバルを圧倒し、1930年(昭和5年)に京都の時計商だった鈴木弥三郎が開いた「銀丁百貨店[6]と共に第二次世界大戦前は熊本の2大百貨店として多くの買い物客を集めていた[7]

1945年(昭和20年)7月の熊本大空襲で店舗が焼失したため第二次世界大戦後に店舗の再建を果たしたが、昭和20年代中頃に開業して非常な勢いで勢力を伸ばした鶴屋百貨店大洋デパートという戦後の熊本の新たな2大百貨店との競争に敗れ[8]1955年(昭和30年)3月に破産宣告を受け[9]、その歴史に終止符を打った。

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 百貨店年鑑 昭和16・17年度, 日本百貨店通信社, (1941-1-25), pp. 641 
  2. ^ a b 桑野豊助『くまもと商売事始めと企業のルーツ』くまもと企業のルーツ刊行会、1979年8月。 
  3. ^ 桑野豊助『くまもと商家物語』くまもと商家物語刊行会、1977年12月15日。 
  4. ^ 『昭和史アルバム・熊本50年』熊本日日新聞社、1975年3月。 
  5. ^ 『写真集・熊本100年』熊本日日新聞社、1985年11月。 
  6. ^ 銀丁会事務局『銀丁物語』銀丁会、1995年10月。 
  7. ^ 熊本日日新聞社熊本県大百科事典編集委員会『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年。 
  8. ^ 新熊本市史編纂員会『新熊本市史 通史編 第8巻 現代1』熊本市、1997年3月30日。 
  9. ^ 熊本県県議事務局 『熊本縣議會史 第5巻』 熊本県県議事務局、1979年3月

関連項目[編集]

  • 銀丁百貨店:第2次世界大戦前の最大のライバル
  • 鶴屋百貨店:第2次世界大戦後にその地位を奪った現在の熊本最大の百貨店
  • 大洋デパート:鶴屋百貨店と共に第2次世界大戦後にその地位を奪ったが大火災事故を起こして破綻