朴斉純

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朴斉純
議政府参政大臣
Park Che-soon.JPG
本貫 潘南朴氏
朴齊純
生年 咸豊8年11月3日1858年12月7日
出生地 李氏朝鮮京畿道龍仁
没年 大正5年(1916年6月20日
没死地 日本の旗 朝鮮京畿道京城府
朴洪寿
配偶者 高氏
子女 朴富陽

朴 斉純(ぼく せいじゅん)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。現在の大韓民国では庚戌国賊乙巳五賊及び親日派の一人とされている。

生涯[編集]

京畿道龍仁に生まれる。父の朴洪寿金允植と同じの門下で学んでいた経験がある事から、金允植とは密接な関係を持つ事となる。

光緒9年(1883年)に別試文科(丙科)に及第した後は、天津に従事官として派遣されたのを皮切りに、吏曹参議・参判・漢城府尹などを務めた。

光緒24年(1898年)10月9日には外部大臣に就任し、光武9年(1905年には全権大臣として第二次日韓協約を締結した。同年11月28日には議政府参政大臣となった。

光武11年(1907年)の李完用内閣でも内部大臣を務め、隆熙4年(1910年)8月22日には日韓併合条約に署名し、同年10月16日には、朝鮮貴族として子爵に列せられ、朝鮮総督府中枢院の顧問を務めた。

死後の評価[編集]

2002年に「民族の精気を立てる国会議員の集い」が光復会とともに発表した親日派708人名簿と、2005年民族問題研究所で親日人名辞書に収録するために整理した親日人名辞書収録予定者1次名簿において選定された。また、2006年日本統治時代初期の親日反民族行為106人名簿が発表された際にも選定された。