教科用図書検定

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教科用図書検定(きょうかようとしょけんてい)とは、小学校中学校中等教育学校高等学校並びに特別支援学校の小学部・中学部・高等部で使用される教科用図書教科書)の内容が教科用図書検定基準に適合するかどうかを文部科学大臣文部科学省)が検定する制度のことで(学校教育法第34条、第49条、第49条の8、第62条、第70条、第82条など)[1]行政処分に当たる。教科書検定(きょうかしょけんてい)とも呼ばれる。

学校教育法で、これらの課程学校)においては「文部科学大臣の検定を経た教科用図書(文部科学省検定済教科書)又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書(文部科学省著作教科書)を使用しなければならない」と定められている。

ただし、高等学校、中等教育学校の後期課程、盲学校、聾学校、養護学校、種種の学校の特別支援学級においては文部科学省検定済教科書・文部科学省著作教科書が存在していなかったり、教育で使用するのが適当でなかったりする場合は条件に応じて、他の適切な教科用図書を使用することもできる(学校教育法附則第9条、学校教育法施行規則第58条・第65条の10第3項・第73条の16第2項・第73条の12・第73条の19・第73条の20)。

論点[編集]

日本国憲法との関連[編集]

教科用図書検定が日本国憲法第21条の「検閲の禁止」に反するとの議論がある。これに対し、最高裁判所は「教科用図書検定で不合格となった教科書が一般図書として販売されることは禁止されていないのだから、検閲ではない」と判断した。

歴史教科書問題[編集]

社会科教科書(主に歴史)検定には中国韓国などの近隣諸国に配慮する「近隣諸国条項」があり、これが義務教育への近隣諸国からの“内政干渉”をもたらしているとする議論がある。

沖縄戦「集団自決」記述削除問題[編集]

それまで沖縄戦における集団自決の軍命をしてきたとされる人物が「命令はしていない」と否定し、裁判となった(「集団自決」訴訟)。それを理由の一つとして文科省は集団自決の軍による強制記述に意見をつけた。

2007年9月29日宜野湾市で沖縄県の県議会各派や市長会が実行主体となり、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた。参加人数は主催者によって当初11万人と発表された。その報道を受けて渡海紀三朗文部科学大臣は教科書会社による自主修正に応じる姿勢を示した。しかし産経新聞は“関係者”(=沖縄県警察幹部)の話として実際は4万人程度であったとし、日経新聞も4万人と報じた。

10月10日、文部科学省は教科書検定にかかわった職員を外郭団体に異動させた。

10月11日2008年度から使用される高校日本史の教科書検定で5社7冊の教科書の沖縄戦「集団自決」に日本軍の強制があったとする記述を削除する検定意見の原案となる「調査意見書」が教科調査官によって作成され、文部科学省の「実態について誤解するおそれがある」という「検定意見」となっていたことが第168回国会の衆議院予算委員会で明らかにされた。同委員会で文部科学省の検定意見は「政治介入」であり、その撤回と記述回復が求められた。20年間意見がついたことがなかった記述を削除したことも分かった。

なお、教科書検定は発行者の申請を受け文部科学省職員の教科書調査官が検定意見の原案である「調査意見書」を作成し、初等中等局長等の決裁を受け教科用図書検定調査審議会で審議し、検定意見がつくられる。高校日本史教科書の検定の場合は審議会で第2部会の日本史小委員会が審議し、その結果をさらに第2部会が審議し、教科書調査官の調査意見書に異論が出なければ、それが文部省の「検定意見」になる。

結果的に教科書検定審議会は「軍の関与」などの表現での記述を認め、文科省もこれを承認した。

2008年3月28日、「集団自決」訴訟の判決を言い渡し、原告側の主張を棄却した。特に、審議会が検定意見の根拠のひとつとした「元戦隊長の証言」については、「信用性に疑問がある」として全面的に排除を強制する結果となった。原告側は判決を不服として控訴したが、大阪高裁も2008年10月31日に地裁判決を支持して控訴を棄却、最高裁への上告も2011年4月21日、最高裁第一小法廷により棄却され、判決は確定している。[2]

検定年[編集]

現行では4年ごとに行われているが、かつては2~6年ごとと時代によって変化している。小中学校で検定年が同じになった2014年(平成26年)度より前は、それぞれバラバラであった。

小学校[編集]

中学校[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]