戸田光洋

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戸田 光洋
名前
カタカナ トダ ミツヒロ
ラテン文字 TODA Mitsuhiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 1977年9月10日(31歳)
出身地 宮崎県都城市
身長 180cm
体重 74kg
血液型 A型
選手情報
ポジション FWMF
クラブチーム1
クラブ App (G)
2000-2006
2007-2008
FC東京
清水エスパルス
140 (20)
12 (01)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は宮崎県都城市出身の元プロサッカー選手。現役時のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー。身長180cm・体重74kg、血液型A型。

目次

[編集] プレースタイル

関東大学リーグ得点王の看板を引っさげてプロ入りしたが、その後の実績を見ても得点能力はあまり高くないと評される。足元の技術は凡庸で、単純なシュートもふかしてしまったり(ただし、1年に1、2度スーパーゴールを決め観客の度肝を抜く)、トラップなどが流れて折角のチャンスを潰すこともしばしばある。

その反面、オフザボールの動きには秀逸なものがあり、左サイドのウイングのような位置取りから中に入ってきてチャンスを演出する。また足の速さと疲れを知らない運動量を生かしたプレーは、プレッシングサッカーを追求する原博実前監督の戦術に無くてはならない存在であった。90分DFラインの裏を狙い続ける積極性、相手DFラインを追い掛け回す前線での守備力の高さは折り紙つきで、足の速さは、原からは「走っているだけで驚異の存在」とのお褒めの言葉ももらう。

このようなプレイスタイルから、FC東京のサポーターからは「シュートを打つまでなら最高の選手」「東京の得点チャンスの殆どは戸田が作りだし、その殆どを戸田が外す」との声もあった。

その後移籍した清水ではサイドハーフや層の薄い右サイドバックへとコンバート。

[編集] 経歴

筑波大学時代は関東大学リーグ得点王、MVPにも輝く。2000年、J1昇格の年にFC東京に入団。 2002年に就任した原博実監督の下、主に左サイドMFのポジションで出場機会を増やす。2003年には自己最多のリーグ戦8ゴールを記録した。2007年に清水エスパルスへ完全移籍。しかし、開幕前のプレシーズンマッチロッソ熊本戦で左腓骨を骨折。全治3ヶ月の診断を受け、そのリハビリもあり前半戦は全く出場できなかった。2008年10月4日、清水へ移籍後初ゴール。移籍当初からコンバートされていた右SBとしてではなく本来のFWとして途中出場しての得点であり、古巣FC東京戦での得点であった。なお、この試合は戸田の公式戦出場150試合目のメモリアルマッチでもある。2008年シーズン終了後に現役引退。

[編集] エピソード

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1996 筑波大 - - - 2 1 2 1
1998 筑波大 - - - 3 5 3 5
1999 筑波大 10 - - - 1 1 1 1
2000 FC東京 29 J1 14 0 0 0 1 0 15 0
2001 FC東京 29 J1 12 2 3 0 1 0 16 2
2002 FC東京 13 J1 23 4 7 1 0 0 30 5
2003 FC東京 13 J1 30 8 8 3 2 0 40 11
2004 FC東京 13 J1 22 2 6 1 1 0 29 3
2005 FC東京 13 J1 26 3 6 1 0 0 32 4
2006 FC東京 13 J1 13 1 3 0 1 0 17 1
2007 清水 11 J1 4 0 0 0 0 0 4 0
2008 清水 11 J1 8 1 2 0 0 0 10 1
通算 日本 J1 152 21 35 6 6 0 193 27
日本 - - 6 7 6 7
総通算 152 21 35 6 12 7 199 34

[編集] 関連項目

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