實好礼忠
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| 實好礼忠 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ノリ | |
| カタカナ | サネヨシ ノリタダ | |
| ラテン文字 | SANEYOSHI Noritada | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1972年10月19日(36歳) | |
| 出身地 | 愛媛県南宇和郡 | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 72kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | DF | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
實好礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - )は、愛媛県南宇和郡の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 選手として
1995年、立命館大卒業後にJリーグ・ガンバ大阪に加入(同期入団に宮本恒靖、森下仁志、中口雅史、高木健旨、松山明男)。 入団1年目から安定したプレーを武器にレギュラーポジションを獲得。1997年からの2年間はゲームキャプテンを任され、1998年にはリーグ戦フルタイム出場も記録している。
順調にキャリアを重ねて、左サイドバックのポジションでレギュラーを獲得していた2000年6月、右足アキレス腱を断裂し選手生命の危機に瀕する(この欠場で出番を得たのがのちに攻撃的左サイドバックとして名をはせる新井場徹である)。懸命なリハビリの甲斐もあり、約1年後に復帰。西野朗監督の信頼を勝ち取り、守備のユーティリティプレイヤーとして確固たる地位を築く。
2001年、川崎フロンターレの監督をしていた元ガンバ大阪コーチの堀井美晴氏は、当時ガンバで出場機会を失っていた實好の獲得を打診したが断られていたことを、後年、語っている。
2005年シーズン終了後、ガンバ大阪から戦力外通告。この年リーグ戦24試合に出場しており、貴重な戦力としてチームに貢献していた矢先の出来事であった為に本人や他の選手たちに衝撃を与えた。しかし3週間後に再契約。これは西野監督の強い要望と、翌シーズンのACLへの参戦によるガンバ大阪の試合数増加を考慮してのものだった。
2006年からはチームキャプテン(主将)を任される。
2007年11月24日、ヴィッセル神戸戦のホーム最終戦セレモニーで引退を発表した。
[編集] 指導者として
引退後の翌年、2008年はガンバ大阪のユースチームのコーチに就任。 2009年シーズンよりガンバ大阪のトップチームのコーチを務めることが決まった。
[編集] プレースタイル
空中戦に強く、対人プレーに定評があるベテランDF。センターバックを本職とするが、両サイドバックをこなすこともできる。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 1995年 - 2007年 ガンバ大阪
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 立命大 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
| 1995 | G大阪 | - | J | 31 | 0 | - | 4 | 0 | 35 | 0 | |
| 1996 | G大阪 | - | J | 28 | 0 | 10 | 0 | 4 | 0 | 42 | 0 |
| 1997 | G大阪 | 4 | J | 30 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 38 | 0 |
| 1998 | G大阪 | 4 | J | 34 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 38 | 0 |
| 1999 | G大阪 | 4 | J1 | 28 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 |
| 2000 | G大阪 | 4 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
| 2001 | G大阪 | 4 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
| 2002 | G大阪 | 4 | J1 | 15 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 20 | 0 |
| 2003 | G大阪 | 4 | J1 | 15 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 |
| 2004 | G大阪 | 4 | J1 | 22 | 0 | 7 | 0 | 4 | 1 | 33 | 1 |
| 2005 | G大阪 | 4 | J1 | 24 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 31 | 1 |
| 2006 | G大阪 | 4 | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 8 | 0 |
| 2007 | G大阪 | 4 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
| 通算 | 日本 | J1 | 236 | 1 | 47 | 0 | 25 | 1 | 307 | 2 | |
| 日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
| 総通算 | 236 | 1 | 47 | 0 | 26 | 1 | 308 | 2 | |||
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 指導歴
[編集] エピソード
- Jリーグが1997年に背番号固定制を導入して以降、ガンバ大阪の背番号4は實好だった。
- 南宇和高校2年次に、第68回全国高校サッカー選手権大会で優勝。
- Jリーグ初出場は1995年サントリーシリーズ ヴェルディ川崎戦であるが、公式戦初得点は2004年天皇杯4回戦のサガン鳥栖戦(公式戦261試合目)、リーグ戦初得点は2005年4月の横浜F・マリノス戦(リーグ戦213試合目)。これは共に当時の最スローゴール記録であった(リーグ戦最スローゴールは、同年桑原裕義に破られた)。
- 戦力外通告3週間後の再契約についてコメントを求められ、「えらいことになりましたねぇ、ミラクルですね」と語る。
- 座右の銘は、「集中力は超能力」。
- 馬(競馬)をこよなく愛する。オフは馬に会うために北海道を訪れる。
- 一部のサポーターからスピードワゴンの井戸田潤に似ていると言われている。
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