ユージン・ガレコヴィッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユージン・ガレコヴィッチ
名前
本名 エウゲン=ヨシップ・ガレコヴィッチ
Eugen-Josip Galeković
愛称 Eugene
ラテン文字 Eugene Galeković
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1981-06-12) 1981年6月12日(42歳)
出身地 メルボルン
身長 188cm
選手情報
ポジション GK
ユース
1993-1997 オーストラリアの旗 Dandenong City SC
1997-1998 オーストラリアの旗 Bulleen, Victoria
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2001 イースタン・プライド 11 (0)
2002-2004 サウス・メルボルン 37 (0)
2004-2005 ベイラ・マル 2 (0)
2004-2005 マルコ 6 (0)
2005-2007 メルボルン・ビクトリー 15 (0)
2007-2017 アデレード・ユナイテッド 250 (0)
2017-2019 メルボルン・シティ 35 (0)
代表歴
2003-2004  オーストラリアU-23 4 (0)
2009-2013 オーストラリアの旗 オーストラリア 8 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エウゲン=ヨシップ"ユージン"・ガレコヴィッチEugen-Josip "Eugene" Galeković, 1981年6月12日 - )は、オーストラリアメルボルン出身の同国代表の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)

経歴[編集]

2000年12月、19歳の時にガレコヴィッチはビクトリア州モーウェル英語版をホームにするNSLギプスランド・ファルコンズ英語版でキャリアを始めた。翌シーズンにサウス・メルボルンFCへ移籍し、NSLが消滅する2003-04シーズン終了まで在籍。

その後、アテネオリンピック正GKとして鳴り物入りでポルトガルSCベイラ・マルへ移籍するも、トップチームでの出場機会は僅かにとどまり失敗に終わった。2005-06シーズンのAリーグ開催に伴い創設されたメルボルン・ビクトリーFCへ加入し、開幕戦のシドニーFC戦でデビューした。このシーズンは、当時監督を務めたアーニー・メリックの意向でGKでは非常に珍しいローテーションを採用したことで11試合にとどまり、残りの10試合をマイケル・セオクリトス英語版がゴールマウスを守った。2006-07シーズンは、セオクリトスが負傷するまでを第2GKとして過ごし、第13節サンコープ・スタジアムブリスベン・ロアーFC戦で先発出場した。

アデレード[編集]

2007年10月30日、ダニエル・ベルトラム英語版が負傷したことにより、その代役としてライバルチームのアデレード・ユナイテッドFCに引きぬかれ、ハインドマーシュ・スタジアムでブリスベン・ロアーFC相手にデビュー[1]。2008年1月20日、ブリスベン・ロアーFC戦で2-0と勝利し初めてクリーンシートを達成すると、12月27日の1-0で勝利したパース・グローリーFC戦まで5回クリーンシートを記録した。

2011-12シーズン途中からジョナサン・マッケインに代わりキャプテンに就任した。

メルボルン・シティ[編集]

2017年6月16日、メルボルン・シティFCに移籍した[2]

2019年5月、現役を引退した[3]

引退後[編集]

2019年5月29日、アデレード・ユナイテッドFCのゴールキーパーコーチに就任した[3]

代表[編集]

2009年、リーグとAFCチャンピオンズリーグで印象的なパフォーマンスを見せたことから、同僚のスコット・ジェイミーソン, ポール・リード英語版と共にオーストラリア代表に招集され、1月28日のAFCアジアカップ2011 (予選)インドネシア戦でデビューした。同大会のクウェートに2-0で勝利した試合を最後にしばらく代表から遠ざかっていたものの、2010 FIFAワールドカップ開幕前にブラッドリー・ジョーンズが息子の白血病を看病するために辞退したことで、代役としてメンバー入りを果たした[4]。2013年7月、東アジアカップ2013のオーストラリア代表に選出された。

タイトル[編集]

代表[編集]

オーストラリア代表

クラブ[編集]

メルボルン・ビクトリーFC
アデレード・ユナイテッドFC

個人[編集]

  • Aリーグ 最優秀GK賞:2008-09, 2009-10, 2013-14, 2014-15

脚注[編集]

外部リンク[編集]