ジェリコ・カラッツ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | Željko Kalac | |||||
| カタカナ | ジェリコ・カラッツ | |||||
| ラテン文字 | Zeljko KALAC | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1972年12月16日(40歳) | |||||
| 出身地 | シドニー | |||||
| 身長 | 202cm | |||||
| 体重 | 95kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1994-1995 1995-1996 1996-1998 1998-2002 2002-2005 2005-2009 2009-2010 |
93 (0) 1 (0) 22 (0) 115 (0) 80 (0) 38 (0) 9 (0) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1992-2006 | 54 (0) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年9月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ジェリコ・カラッツ(Željko Kalac, 1972年12月16日 - )は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州シドニー出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
現在はシドニーFCのGKコーチ。
目次 |
来歴 [編集]
名前から分かるとおり旧ユーゴスラビア系移民の血を引く。シドニー・ユナイテッドで経験を積んだ後、プレミアリーグに挑戦するも1試合の出場にとどまった。再びシドニー・ユナイテッドに復帰したが、オランダのローダJCから声がかかり移籍すると、ここで活躍の場を得た。
2002年にはイタリアのペルージャへ移籍するもチームのセリエB降格によりジーダの控えを探していたミランへ加入した。
ミランに移籍して数年間は不安定なセービングや致命的なミスが多く、出場する度にメディアやサポーターからの批判が絶えなかったが、2008年に入るとジーダの負傷とマルコ・ストラーリの移籍によって出場機会を得ると水を得た魚のように飛び回りミランのゴールマウスを死守した。しかし、2008-09シーズンのプレシーズンマッチに於いてボールを空振りするなど再び以前のような不安定なプレーを連発した事によりレンタルから復帰したクリスティアン・アッビアーティに正GKの座を明け渡した。
2009年8月11日、ミランとの契約を双方の同意の下に解除。9月1日、ギリシャのカバラFCに加入した。リーグ戦9試合に出場し、2010年に現役引退を表明した。
代表 [編集]
オーストラリア代表には1992年から名を連ねていたが、その殆どがマーク・ボスニッチとマーク・シュワルツァーの控えであった。
2006年、ドイツW杯の代表に選出。自身初のW杯となったが、やはりシュワルツァーの控えだった。しかし、1勝1敗で迎えたグループリーグ第3戦のクロアチア戦にシュウォーツァーに変わって出場した。試合は2-2の引き分けに終わったが、初戦で勝利した日本が既に決勝トーナメント進出を決めていたブラジルに1-4で大敗したため、日本とクロアチアののグループリーグ敗退と同時に決勝トーナメント進出が決まった。しかし、決勝トーナメント1回戦のイタリア戦では再びシュワルツァーが起用され、結局PK戦で敗退した。
10月4日、代表引退を表明した。
その他 [編集]
所属クラブ [編集]
シドニー・ユナイテッド 1994-1995
レスター・シティ 1995-1996
シドニー・ユナイテッド 1996-1998
ローダJC 1998-2002
ペルージャ・カルチョ 2002-2005
ACミラン 2005-2009
カバラFC 2009-2010
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