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賈秀全 |
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| 名前 |
| カタカナ |
カ シュウゼン |
| ラテン文字 |
Jiǎ Xiùquán |
| 基本情報 |
| 国籍 |
中国 |
| 生年月日 |
1963年11月9日(49歳) |
| 出身地 |
大連 |
| 身長 |
185cm |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF |
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| 代表歴 |
| 1982-1992年 |
中国 |
136(14) |
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
賈 秀全(か しゅうぜん、Jiǎ Xiùquán、1963年11月9日-)は、中華人民共和国大連出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1980年代の中国を代表するディフェンダー。
来歴 [編集]
中国人民解放軍のサッカークラブ、八一足球隊で頭角を現し、1980年に中国代表に初招集される。1984年のアジアカップでは決勝で中国はサウジアラビア代表に敗れるも、賈秀全は大会最優秀選手に選ばれる。
1988年からはユーゴスラビアリーグのパルチザン・ベオグラードに移籍し、UEFAカップにも出場した。これは中国人として初めてのヨーロッパ三大カップ出場である。その後は怪我のために長期のリハビリを余儀なくされる。1991年、温暖な気候での療養も兼ねてマレーシアのクラブへ移籍。1992年からは日本のガンバ大阪でプレーした。
2012年現在、J1に所属した唯一の中国人プレーヤーである(J2に所属した中国人選手は徐暁飛、他にもJFL以下のカテゴリに中国人選手が出場した前例はある)。
賈秀全といえば、ラモス瑠偉との小競り合いで退場となったシーンが有名であるが、それを含め1年で3度退場になっている(1993年7月10日サントリーシリーズ第17節vsヴェルディ川崎、同10月23日ナビスコカップ準決勝vs清水エスパルス、同11月13日NICOSシリーズ第12節vsサンフレッチェ広島)。
2007年は中国サッカー・スーパーリーグの河南建業、2008年より上海申花の監督を務めた。2010年1月に中国サッカー界の八百長問題に絡んで当局に拘束されたことが判明した。
所属クラブ [編集]
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1992 |
G大阪 |
- |
J |
- |
7 |
0 |
|
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| 1993 |
25 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
27 |
0 |
| 通算 |
日本 |
J |
25 |
0 |
9 |
0 |
|
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| 総通算 |
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現在は、日本国内成績のみ。
タイトル [編集]
代表歴 [編集]
指導歴 [編集]
- 1994年 - 1995年
八一足球倶楽部(監督)
- 1996年 - 1999年
陝西国力(監督)
- 1999年 U-17中国代表(コーチ)
- 2000年
上海申花(コーチ)
- 2002年
八一足球倶楽部(監督)
- 2003年 - 2004年 U-22/U-23中国代表(コーチ、監督)
- 2004年
上海申花(コーチ)
- 2005年 - 2007年 オリンピック中国代表(コーチ、監督)
- 2007年
河南建業(監督)
- 2008年 - 2009年
上海申花(監督)
関連項目 [編集]