アラ・フバイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アラ・フバイル Football pictogram.svg
名前
本名 アラー・アフマド・ムハンマド・イブラーヒーム・フバイル
ラテン文字 A'ala Ahmed Mohamed Hubail
アラビア語 علاء أحمد محمد إبراهيم حبيل
基本情報
国籍 バーレーンの旗 バーレーン
生年月日 1982年6月25日(32歳)
身長 170cm
体重 66kg
選手情報
在籍チーム オマーンの旗 en:Talia Club
ポジション FW
代表歴
2003- バーレーンの旗 バーレーン 67 (24)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アラー・アフマド・ムハンマド・イブラーヒーム・フバイルعلاء أحمد محمد إبراهيم حبيلA'ala Ahmed Mohamed Hubail1982年6月25日 - )は、バーレーンサッカー選手。ポジションはフォワード

経歴[編集]

1997年にバーレーンのクラブ、アル・アハリ・マナーマに加入。若い世代の代表チームに度々招集され、多くの国際大会を経験した。2003年にはアテネオリンピックのアジア予選にもU-23代表の一員として参加。翌年の最終予選まで勝ち進み、同じグループに入った日本を最後まで苦しめた。

2003年、バーレーン代表監督を務めるクロアチア人のスレツコ・ユリチッチ (Srecko Juricic) によって見出され、バーレーンA代表に招集される。2004年に開催されたアジアカップでは、バーレーンのカウンター戦術の核として活躍。準決勝の日本戦では自慢の快足で日本守備陣を翻弄し、2得点を挙げた。最終的にチームは4位に終わったが、自身計5得点を挙げ、アリ・カリミイラン)と共に大会得点王に輝いた。また同年度のアジア年間最優秀選手賞にもノミネートされた。

その後2006 FIFAワールドカップ・アジア予選においても主力選手として期待されたが、2005年2月にクラブチームでの試合で膝の靭帯を負傷し離脱。チームはプレーオフの末破れた。

カタールリーグの2005-06シーズンでは、開幕にこそ間に合わなかったものの、シーズン後期に復帰しゴールを量産。終了時には得点ランキング4位にまで食い込んだ。

2011年、バーレーン政府への抗議デモに賛同したとして逮捕される。同国代表及び国内リーグでの活動停止処分を受けたため、国外への移籍を余儀なくされた[1]

人物[編集]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 1997 - 2002 : バーレーンの旗 アル・アハリ・マナーマ
プロ経歴

脚注[編集]

外部リンク[編集]

en:A'ala Hubail