平本一樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平本 一樹
名前
愛称 カズキ
カタカナ ヒラモト カズキ
ラテン文字 HIRAMOTO Kazuki
基本情報
国籍 日本
生年月日 1981年8月18日(27歳)
出身地 東京都八王子市
身長 180cm
体重 75kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム 東京ヴェルディ
ポジション FW
背番号 25
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1999-2000
2001-2007途
2007
2008-
ヴェルディ川崎
東京ヴェルディ1969
横浜FC
東京ヴェルディ
15(2)
154(34)
14(3)
?(?)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月14日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

平本 一樹(ひらもと かずき、1981年8月18日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー選手東京ヴェルディ所属、ポジションはFW。既婚。

目次

[編集] 略歴

幼少から読売ユース(ジュニア、ジュニアユース、ユース)で育ったクラブ生え抜き選手である。2006年は副主将としてチームを牽引。2007年途中にJ1残留を目指す横浜FCレンタル移籍したがJ2へ降格。2008年からは東京Vへ復帰。

かつて東京Vを指揮したオズワルド・アルディレスは、「平本はある時はペレで、ある時は(通訳の)羽生だ」というコメントで、そのパフォーマンスの波が大きいことを表現したことがある[1]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

  • - 1995年 読売日本SCジュニア(現ヴェルディジュニア)
  • 1994年 - 1996年 読売日本SCジュニアユース(現ヴェルディジュニアユース)
  • 1997年 - 1999年 読売日本SCユース(現ヴェルディユース)

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 V川崎 27 J1 6 1 1 0 3 1 10 2
2000 V川崎 25 J1 9 1 2 0 0 0 11 1
2001 東京V 25 J1 7 0 1 0 3 0 11 0
2002 東京V 25 J1 25 2 4 2 1 0 30 4
2003 東京V 11 J1 28 5 6 0 1 0 35 5
2004 東京V 11 J1 25 6 6 2 5 3 36 11
2005 東京V 11 J1 26 6 5 1 0 0 31 7
2006 東京V 25 J2 40 15 - 1 0 41 15
2007 東京V 25 J2 3 0 - - 3 0
横浜FC 25 J1 14 3 1 0 0 0 15 3
2008 東京V 25 J1 23 2 1 0 1 0 25 2
2009 東京V 25 J2 -
通算 日本 J1 163 26 27 5 14 4 189 32
日本 J2 43 15 - 1 0 44 15
総通算 206 41 27 5 15 4 233 47
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2006 東京V 25 1 0
通算 AFC 1 0
  • 1999年はユース所属

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

[編集] プレースタイル

突破力のあるドリブルと、左足から繰り出される強烈なシュートが持ち味。非常に負けん気の強い闘志溢れる選手である。だがその闘志が悪い方向に向いてしまう事もあり、審判への暴言などでカードをもらうこともしばしばだったが、2007年ごろからは悪態をついての警告は少なくなった。 平本がペナルティエリア内で倒れると「ダイビング」とみなされてPKをもらえない場合も多い。

[編集] 飯尾一慶との関係

東京ヴェルディの同僚であるFW飯尾一慶とは中1の時から共にヴェルディユースでプレーしていた。今でこそ一緒に買い物行ったり、良くつるんでいる仲だが、2003年頃までは仲が悪かった(中学、高校の時は喋ってはいたが、トップチームに昇格してから仲が悪くなった)。その理由を平本は「お互いに性格が悪いと思っていたから」と話している。

また、2人がトップチームに昇格した年、遠征前の時間に飯尾と美容院に行ったところ、別々にオーダーしたのにカットし終わったら髪型が全く一緒になっていたというエピソードがある。

上記のことから、平本は飯尾との出会いを、「運命的な出会い」だと話している。

2004年の天皇杯では5回戦以降、平本と飯尾が2トップを組み、見事優勝に貢献する。その後は外国人FWの獲得や互いのレンタル移籍などでこの2トップはしばらくなかったが、2008年8月9日のJ1第20節アルビレックス新潟戦で久々に飯尾・平本の2トップが実現。飯尾が2ゴール、平本が1ゴールを挙げ、チームを勝利へ導いた。また、この試合は飯尾のJ1通算100試合出場、平本のJ1通算150試合出場のセレモニーが行われた記念の試合だった。

[編集] エピソード

  • ユースの同期には飯尾一慶(現東京V)、戸川健太(現横浜FC)、相馬崇人(現CSマリティモ)がいる。
  • 地元である南大沢によく出没する。
  • シーズンオフに自主トレを全くしないで完全にオフにする(本人が公言)。
  • 2002年名古屋グランパス戦において、控え選手としてベンチにいる時に審判に対して暴言を吐きレッドカードを受けた。試合出場前に退場になるのはJリーグでは1995年中西哲生に次いで2例目のことだった。
  • 2005年10月にサテライトリーグの試合で倒れた相手選手の顔を蹴った上に退場を命じた審判の胸を手で突き、3試合の出場停止の処分を受けた。
  • 2005年12月、ヴェルディJ2降格が決まり、J1クラブへと去る選手も多い中、缶ジュースを買おうと握っていた100円玉と10円玉を差し出し「もし年俸がこれだけだって言われても、自分はここでプレーします」と言ってヴェルディに残留し男気を見せた。
  • 2006年9月に結婚。
  • 2006年のシーズン終了後には、前年のナビスコ杯王者であるジェフ千葉から正式オファーが届き、J1リーグ王者である浦和レッズや、名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)からも興味を示される中、「本当に悩んだが裏切りたくなかった。お誘いはうれしかったんですけどね」と強豪クラブからの話を断り、来季こそJ1復帰を目指すヴェルディに残ることを決めた。いずれのクラブもJ1の強豪で、2006年の推定年俸2000万円よりも好条件を用意していたとされ、またもヴェルディに対する深い愛情を見せた。
  • 2007年5月、J1昇格後苦戦続きの横浜FCからオファーがあり、ヴェルディで出場機会が減っていた事も重なり「眠れないほど悩んだ」末にレンタル移籍を決断。「愛するヴェルディがJ1に復帰することを信じています」と公式コメントを残す。
  • 2007年オフに柱谷哲二監督(当時)は「戦力として考えていない。アイツ(平本)自身の人間性と練習への姿勢が変わらない限り、練習もさせない」と平本の期限付き移籍からの復帰に対して厳しくコメントした。その後、横浜FCからヴェルディに復帰したが、年俸は異例の72%ダウンの600万円(推定)。しかし、一定のノルマを達成すれば年俸は平年通り貰えるという契約になった。
  • 鈴木亜美の元彼。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 引用 - J's GOAL東京ヴェルディ1969・2006戦力分析レポート
他の言語