財前宣之
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| 財前 宣之 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ザイ | |
| カタカナ | ザイゼン ノブユキ | |
| ラテン文字 | ZAIZEN Nobuyuki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年10月19日(32歳) | |
| 出身地 | 北海道 | |
| 身長 | 170cm | |
| 体重 | 66kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | モンテディオ山形 | |
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
財前 宣之(ざいぜん のぶゆき、1976年10月19日 - )は、Jリーグ1部・モンテディオ山形所属のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。兄は元サッカー選手の財前恵一。
目次 |
[編集] 来歴・人物
中田英寿も認めた才能の持ち主(運動量なら中田、パスセンスなら財前と言われていた)だったが、度重なる膝の怪我に苦しんだ(靭帯断裂を3度)。戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1993年のU-17世界選手権U-17日本代表のチームメイトからは中田を含め4人が後の日本代表に選出されたが、彼らはまず如何にして財前に認められるかを考えていたという。
中学時代から読売ユースに所属。読売への入団テストでは、当時の小見幸隆コーチをして「ボールをもった瞬間に合格」と言わしめ、サッカーファンは「まだ見ぬ財前」に期待を高めた。高校時代は東京実業高校に通いながら読売ユースに所属し、1993年のU-17世界選手権ではU-17日本代表の中心選手として、ベスト8進出に貢献、大会ベストイレブンにも選出される。1995年にヴェルディ川崎のトップチームに昇格し、直後にイタリアの名門SSラツィオへと留学。ラツィオではプリマヴェーラ(ユース)所属だったが、トップチームの紅白戦にも出場した。 1996年にスペインのログロニェスに移籍。監督にもその実力を認められていたが(当時チームは下位に低迷していたが、監督をして「うちには財前がいる。彼の怪我が治れば大丈夫」と言わしめていた)、リーグ戦への出場を前にして、靭帯断裂のため帰国を余儀なくされる。
帰国から約1年後にヴェルディ川崎にて公式戦初出場。クロアチアのリエカを経て、清水秀彦監督の誘いに応じてベガルタ仙台に入団。ここでクラブの中心選手として存在感を発揮。2001年J2最終戦、京都パープルサンガ戦で試合終了直前にベガルタ仙台をJ1昇格に導く決勝ゴールを挙げた。
2005年シーズン終了後、1999年から在籍していたベガルタ仙台から戦力外通告を受けたものの、2006年1月にモンテディオ山形に入団。仙台と同じ東北の地で再出発を果たした。
ベガルタ仙台時代の応援歌の原曲はゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』であった。モンテディオ山形での応援歌の原曲はGOING STEADYの『愛しておくれ』。
[編集] プレースタイル
ファンタジスタタイプの選手でトップ下を務めることが多いが、フォーメーションによってはFWに上がることもある。長短のパスに長け、アシストをよく決める。仙台では岩本輝雄が加入する2001年までフリーキッカーを務めており、山形でもキッカーを任されることが多い。すでにベテラン世代であるがドリブルのキレは健在で、度々相手DFを翻弄している。右利きだが、左足もミドルシュートを決められるほど正確である。
怪我に悩まされる時もあるが、山形では彼がいるか否かで流れが変わる。
逆サイドに一人戻り遅れている場合が多いが、フリーのためカウンターのチャンスにもなる。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1989年 - 1991年 読売ジュニアユース
- 1992年 - 1994年 読売ユース
プロ経歴
- 1995年 ヴェルディ川崎
- 1995年途中 - 1996年途中 ラツィオ・プリマヴェーラ(イタリア) (レンタル移籍、留学)
- 1996年途中 CDログロニェス(スペイン) (レンタル移籍)
- 1996年10月 - 1998年 ヴェルディ川崎
- 1999年 NKリエカ(クロアチア)
- 1999年途中 - 2005年 ベガルタ仙台
- 2006年 - モンテディオ山形
[編集] 背番号10
上記のプレースタイルから1993年のU-17世界選手権で背番号10を背負っていた財前は、Jリーグでは仙台移籍2年目の2000年に初めて10番を背負い、以後チームの顔として2005年まで背負い続けた。Jリーグが1997年の固定背番号制を導入以後、同一チームで10番を背負う期間は澤登正朗(清水エスパルス・1997年-2005年)、藤田俊哉(ジュビロ磐田・1997年-2003年8月、2004年-2005年6月…FCユトレヒト移籍中は空き番)に次いで長かった。
山形へ移籍した2006年は、入団当時既に27番まで埋まっていたので、事務的に充てられたものと思われる背番号は28だった。が、ファンの間では「財前=10番」というイメージが強かったのか「2+8で10番だ!」という声が挙がっていた。
そして、山形移籍2年目の2007年、本橋卓巳から譲られる形で再び背番号10が与えられた。本橋はベテラン・永井篤志の仙台移籍で空いた8番を背負うこととなったが、奇しくも仙台時代の2000年、財前に10番を譲った中島浩司(現・サンフレッチェ広島)がベテラン・越後和男の引退で空いた8番を背負ったのと似たケースとなった。
[編集] エピソード
- 留学していたSSラツィオ時代に元イタリア代表のアレッサンドロ・ネスタが在籍しており、練習中に財前は彼にほとんどボールを触らせなかった。のちにSSラツィオがベガルタ仙台と親善試合をする際、ネスタ自ら財前に握手を求めに行った。
- モンテディオ山形の木藤健太、鈴木亮平、渡辺匠らと仲が良く、何度も食事に行く仲である。特に木藤とは仲が良く、自身のブログで彼女とまで紹介している。
- キャプテン翼に登場する「弓倉宣之」は、財前がモデルといわれる。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995年 | V川崎 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995年-1996年 | ログロニェス | セグンダ | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996年 | V川崎 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1997年 | V川崎 | 42 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1998年 | V川崎 | 13 | J | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
| クロアチア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998年-1999年 | リエカ | クロアチアリーグ | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999年 | 仙台 | 29 | J2 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 |
| 2000年 | 仙台 | 10 | J2 | 20 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 21 | 2 |
| 2001年 | 仙台 | 10 | J2 | 39 | 7 | 1 | 0 | 3 | 0 | 43 | 7 |
| 2002年 | 仙台 | 10 | J1 | 18 | 0 | 6 | 0 | 2 | 1 | 26 | 1 |
| 2003年 | 仙台 | 10 | J1 | 8 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 13 | 1 |
| 2004年 | 仙台 | 10 | J2 | 36 | 5 | - | 0 | 0 | 36 | 5 | |
| 2005年 | 仙台 | 10 | J2 | 27 | 3 | - | 1 | 0 | 28 | 3 | |
| 2006年 | 山形 | 28 | J2 | 35 | 4 | - | 0 | 0 | 35 | 4 | |
| 2007年 | 山形 | 10 | J2 | 38 | 1 | - | 2 | 0 | 40 | 1 | |
| 2008年 | 山形 | 10 | J2 | 21 | 0 | - | 0 | 0 | 21 | 0 | |
| 2009年 | 山形 | 10 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 26 | 0 | 14 | 1 | 3 | 1 | 43 | 2 | |
| 日本 | J2 | 222 | 23 | 1 | 0 | 7 | 0 | 230 | 23 | ||
| スペイン | セグンダ | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
| クロアチア | クロアチアリーグ | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
| 総通算 | 248 | 23 | 15 | 1 | 10 | 1 | 273 | 25 | |||
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- 1992年U-16日本代表
- 1993年U-17日本代表
- 1993年 FIFA U-17選手権ベスト8、ベストイレブン選出(日本選手として唯一)
- 1994年U-19日本代表
[編集] 外部リンク
- zai's blog - 本人によるブログ
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