アレッサンドロ・マンシーニ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | アレッサンドロ・ファイオリェ・アマンチーノ | |||||
| ラテン文字 | Alessandro MANCINI | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1980年8月1日(32歳) | |||||
| 出身地 | ベロオリゾンテ | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | MF / FW | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2004- | 16 (0) | |||||
| 2. 2009年5月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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アレッサンドロ・ファイオリェ・アマンチーノ "マンシーニ"(Alessandro Faiolhe Amantino "Mancini", 1980年8月1日 - )はブラジル出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
イタリア系のブラジル人であり、イタリアの国籍も保有している。
目次 |
経歴 [編集]
1999年にアトレチコ・ミネイロにてプロデビューを果たし、翌2000年にはチームの中心選手に成長、州選手権優勝に貢献した。2001年にポルトゲーザへと移籍したがチームに馴染めずに1シーズンでアトレチコに復帰、このシーズンに13得点を上げる活躍をしてセリエA行きのきっかけとなった。ローマ保有の下2003年1月から半年間ヴェネツィアで経験を積み2003-2004年にカフーの抜けた穴を埋めるべく満を持してローマに入団した。メディアなどはマンシーニには注目せず、カフーの穴を不安視する見方が多かったが、開幕からマンシーニは前任者を上回るほどの貢献を見せ不安を一掃。その後はフランチェスコ・トッティらと共に完全にチームの中心選手として定着した、2005-2006シーズンにはセリエAシーズンベストイレブンに選出された。2008年7月、インテル・ミラノへの移籍が決定した。移籍金はおよそ1300万ユーロ(約22億円)。このシーズンから監督に就任したジョゼ・モウリーニョはマンシーニとリカルド・クアレスマをズラタン・イブラヒモビッチの両サイドに据えた3トップを構想したものの、これが上手く機能しなかったため早々に2トップに移行。このためマンシーニの出場機会は減少し、20試合の出場、無得点に終わった。2009-10シーズンも出場機会は少なく1月にはオリンピック・マルセイユへのレンタル移籍が発表されたものの、結局破談に終わった[1]。残留かと思われたが、移籍期限ギリギリでACミランへシーズン終了までのレンタル移籍で合意した。2011年1月5日、古巣のアトレチコ・ミネイロに3年契約で移籍。
2010年12月に婦女暴行をはたらいたとして、2011年10月に3年8ヶ月の懲役が求刑された[2]。
ブラジル代表としては2004コパ・アメリカにて初招集を受けるとこの大会のチリ戦で初キャップ、優勝メンバーに名を連ねた。
獲得タイトル [編集]
クラブ [編集]
- ミネイロ
- ミラスジェライス州選手権 : 2000
- ローマ
- コッパ・イタリア - 2006-07, 2007-08
- イタリア・スーパーカップ : 2007
- インテル
- イタリア・スーパーカップ : 2008
- セリエA : 2008-09
代表 [編集]
- コパ・アメリカ : 2004
個人 [編集]
- ボラ・デ・プラタ(ブラジルリーグ・ベストイレブン) : 2002
所属クラブ [編集]
アトレチコ・ミネイロ 1998-2000
ポルトゲーザ・デスポルトス 2000-2001
ADサン・カエターノ 2001
アトレチコ・ミネイロ 2001-2002
ヴェネツィアAC 2002-2003
ASローマ 2003-2008
インテル・ミラノ 2008-2010
- →
ACミラン 2010
出典・脚注 [編集]
- ^ Goal.com マルセイユ、マンシーニ獲得が破談に 2010年1月18日
- ^ かつてのセリエA選手、婦女暴行で懲役求刑Goal.com 2011年10月11日
外部リンク [編集]
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