フランチェスコ・トッティ
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | イル・プリンチペ(王子様) プポーネ(大きな赤ちゃん) エル・ビンボ・デ・オロ(ゴールデン・ベイビー) |
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| カタカナ | フランチェスコ・トッティ | ||||||
| ラテン文字 | Francesco Totti | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1976年9月27日(35歳) | ||||||
| 出身地 | ローマ | ||||||
| 身長 | 180cm | ||||||
| 体重 | 82kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW / MF | ||||||
| 背番号 | 10 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年3月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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フランチェスコ・トッティ(Francesco Totti、1976年9月27日 - )は、イタリア、ローマ出身でセリエA・ASローマ所属のサッカー選手。ポジションはFW、攻撃的MF。
現在のASローマのキャプテンであり、ローマの歴代通算最多得点記録と最多出場記録の保持者である。元イタリア代表(2007年7月20日に代表引退を表明)で、2006 FIFAワールドカップの優勝メンバーである。
目次 |
[編集] 略歴
1976年9月27日、フランチェスコ・トッティはローマにあるサン・ジョバンニに生まれる。父親のエンツォは銀行員、母親フィオレッラ、そして兄のリッカルドの4人家族。生後9ヵ月で歩き始め、この頃からすでにゴムボールを蹴って遊んでいたという。父親のエンツォは熱狂的なローマのサポーターで、フランチェスコが1歳になると、ローマのロゴのついた本物のサッカーボールをプレゼントした。父親の影響もあって、フランチェスコは週末に家族や友人とスタジオ・オリンピコへ駆けつけるのが最大の楽しみとなり、ジュゼッペ・ジャンニーニの一挙手一投足を追い、彼の妙技に歓喜していたのだという。
ACミランのユースチームからスカウトを受けるも母親がこれを拒否し、1989年にローマのユースチームに入団した[1]。
[編集] クラブ
1993年3月28日のブレシア戦でわずか16歳にしてASローマのトップチームでデビュー。1994年9月4日のフォッジャ戦でセリエA初得点を記録した。1994-95シーズンからレギュラーに定着。甘いマスクで、生粋のローマ育ちのロマニスタであることから、ファンからはジュゼッペ・ジャンニーニに次ぐ「ローマの王子様(イル・プリンチペ)」と呼ばれ特別な存在となった。1997-98シーズンからはズデネク・ゼーマンの下で20歳代前半にしてキャプテンとなりチームを牽引。3トップの左ウィングとしてプレーし、97-98、98-99の2シーズンで30得点を挙げた。1999年にはオスカル・デル・カルチョの若手選手賞を受賞した。
1999-2000シーズンから就任したファビオ・カペッロの下ではトルクアレティスタ(攻撃的MF)にコンバートされ、シュートを積極的に打つなど得点意識が高い一方で、質の高いパスを出せるようになり、万能的な選手へと成長した。2000-01シーズンには13得点を挙げ、ローマの18シーズンぶりの優勝に貢献。スクデット獲得を決めた6月18日のパルマ戦でも得点を挙げ、ユニフォームを脱いでスタンドへ駆け寄り喜びを爆発させた。2000年にはセリエA最優秀選手に選出され、バロンドールの投票でも2000年に14位、2001年に5位に入った[2]。
2003-04シーズンは自身最多となるセリエA20得点を記録し、ローマの優勝争い(最終的に2位)に貢献。2度目のセリエA最優秀選手に選出された。カペッロがチームを去った2004-05シーズンはローマは低迷するものの、トッティ自身は得点を重ね、10月3日のインテル戦でセリエA通算100得点を達成。12月19日のパルマ戦ではセリエA通算107得点とし、ロベルト・プルッツォを抜き、ローマで最も多く得点を挙げた選手となった。
ルチアーノ・スパレッティが就任した2005-06シーズンからはゼロトップと呼ばれる戦術でワントップ気味で起用され、ポストプレーを初めとする多くの役割をこなした。2006年2月前半、好調のトッティは9連勝というクラブ新記録達成に貢献。しかし10連勝をかけたエンポリ戦において、開始まもなくバックチャージをうけ転倒し、足に骨折、靭帯損傷と大怪我を負った。同年のワールドカップ出場は絶望視されたが、脅威の回復力を見せ、5月11日のインテルとのコッパ・イタリア決勝戦に途中出場しピッチに復帰した。
2006-07シーズンは自身初のセリエA得点王を獲得、同時にヨーロッパトップスコアラーに与えられるゴールデンブーツ賞を獲得した。セリエAでも2位に入り、コッパ・イタリアでは前年敗れたインテルに決勝で雪辱を果たし、トッティ自身6シーズンぶりのタイトル獲得となった。2007年のバロンドールにもノミネートされ、10位にランクインした。2008年1月16日のコッパ・イタリア、トリノ戦でキャリア通算200得点を達成。4月19日のリヴォルノ戦で膝に怪我を負いシーズンの残りを棒に振ったが、ローマはクラブ記録となる勝ち点82を記録しインテルと最終節まで優勝争いを演じ、またコッパ・イタリアでは再びインテルを降し連覇を達成した。この決勝戦にはトッティは出場していなかったものの、キャプテンとして優勝カップを受け取った。
2008-09シーズン、2009-10シーズンは怪我が多く、シーズンを通して出場することができなかった。2009年7月に、2014年まで契約を延長[3]。また2009-10シーズン開幕直後にルチアーノ・スパレッティが辞任した際には、トッティとの衝突が囁かれた[4]。クラウディオ・ラニエリ就任後、セリエA24試合無敗を記録するなど優勝争いを展開。トッティもガブリエル・バティストゥータ、ジュゼッペ・シニョーリ、クルト・ハムリンらの通算得点数を抜き、セリエA歴代単独6位の得点数となった。コッパ・イタリア決勝では2シーズンぶりにインテルと対決したが、終了間際にマリオ・バロテッリを後ろから蹴りつけ、退場処分を受けた[5]。この行為でトッティは多くの批判を受け、一時は引退を考えるほどに悩むこととなった[6][7]。
2011年3月11日のラツィオとのローマダービーでは全2得点を挙げる活躍で勝利に貢献。続く3月20日のフィオレンティーナ戦でも2得点を挙げ、セリエA史上6人目となる通算200得点を達成した。また、1点目のゴールはトッティにとって初めてスタディオ・アルテミオ・フランキで挙げた得点でもあった[8]。4月9日のウディネーゼ戦でも2得点を挙げ、9シーズン連続12回目のセリエA2桁得点を達成した。4試合で6得点を挙げる活躍にトッティは「20歳の時でもこれほど好調だったことはない」と話した[9]。5月1日のバーリ戦で直接フリーキックとPKにより2得点を挙げ通算206得点とし、ロベルト・バッジョを抜き歴代単独5位となった[10]。
[編集] 代表
代表レベルでは、世代別代表でUEFA U-21欧州選手権と地中海競技大会を制覇。1998年10月10日のEURO2000予選、スイス戦でフル代表デビューを果たした。
EURO2000ではグループステージのベルギー戦と準々決勝のルーマニア戦で得点を上げるなど活躍。準決勝のオランダ戦のPK戦ではエトヴィン・ファン・デル・サールからチップキック(クッキアイオ)でゴールを奪い、観客の度肝を抜いた。決勝のフランス戦で敗れたもののトッティはマンオブザマッチに選出され、大会選定の優秀選手にも選ばれた。
2002年ワールドカップの韓国戦ではシミュレーションをとられ退場(後にFIFAが誤審を認める)。EURO2004では、グループステージ、デンマーク戦でクリスティアン・ポウルセンの顔面に唾を吐いたシーンが映像に残ったため3試合出場停止処分を受け活躍できなかった。
ドイツW杯では前述の怪我から復帰したばかりで本調子ではなかったものの、決勝トーナメント1回戦のオーストラリア戦でPKを決めるなどイタリアの優勝に貢献し、大会選定のオールスターチームにも選出された[11]。
2007年、代表引退を発表。2010 FIFAワールドカップ前になると同じく代表引退を発表していたアレッサンドロ・ネスタとともに代表復帰説が囁かれ、トッティももし招集されたならそれに応える旨の発言をしていた[12]。しかし前述のバロテッリへのファールもありトッティがイタリア代表に復帰することはなかった。大会でイタリアはグループリーグで敗退することとなったが、ディエゴ・マラドーナやファビオ・カンナバーロ、ジャンルイジ・ブッフォンはイタリアの敗因に「トッティのような創造性を持った選手の不在」を挙げた[13][14][15]。
[編集] 人物
ローマでプレーすることに大きなこだわりがある。04-05シーズンにはレアル・マドリード、ACミランという錚々たるビッグクラブから破格の移籍金でのオファーを受けていたが、すべてのオファーを断りローマにとどまった。世界トップレベルと呼ばれる選手でありながら、決してビッグクラブとは言えないローマにとどまっている事に対し、勿体ないという意見も多数存在するものの、トッティ自身はインタビューで「ローマから移籍はしないし引退後もローマに残り続けるよ。この街のサポーター達が俺を作ってくれたんだ、ファンの愛情ってどんなビッグタイトルの価値より勝るものなんだ」と語っており、ファンからの信頼も厚い。
一方でローマの顔として大きな力を持っているため、監督と対立することも多い。前述のルチアーノ・スパレッティとの対立では、ルカ・トーニの獲得を進言したトッティにスパレッティが苦言を呈したとされ、これに対しトッティも不満を漏らしている[16]。クラウディオ・ラニエリも何度もトッティとの衝突が報じられたが[17][18]、一方でラニエリはトッティに強い信頼を示し[19]、またトッティも同じローマ人でロマニスタであるラニエリを信頼していた[20]。
年々聞くことは減ったが、2000-2001年に優勝して以来、バロンドールに強い憧れを持っている。それ故、「ローマでもう一度スクデットを獲って、バロンドールを獲る。」と語っていたこともある。しかし、2005年には「2000-2001年は運が良かった。良い選手がいたから優勝できた。今度は実力でスクデットを獲りたい。」と語っており、近年は優勝を強く意識しているようである。
ユーロ2004のデンマーク戦においてクリスティアン・ポウルセンの執拗なマークに怒り、唾を吐くなど精神的な脆さが以前のトッティには見受けられた。しかし2005年に結婚し息子も生まれたことにより、精神的な強さを見せるようになってきている。普段は控えめな好青年とされている。ちなみに前述の唾を吐いた事件はトッティの精神的な弱さに起因するものであったが、イタリアでは、逆にポウルセンを目の敵として見る場合が多い。実際にポウルセンのユヴェントス移籍に関してイタリア中から抗議の一報が届き、ポウルセンは純粋なユーヴェファンからも激しく罵られた。
アントニオ・カッサーノが入団したときは、トッティは自ら兄貴分をかって出た。二人の息のあったコンビネーション・プレーに、ヴィンチェンツォ・モンテッラを加えた3トップは当時のセリエAにおいて屈指の攻撃布陣を形成するに至った。しかし、カッサーノの問題児ぶりは解消されず、トッティに対しても傲慢さを見せるようになり、2005年の秋にトッティは兄貴役を解消した。しかし、自身もかつては問題を起こしていた時期があったこと、ローマで優勝したいとの思いから、その後もカッサーノの説得を試みるものの、翌年、カッサーノはレアル・マドリードに移籍してしまった。そのため、関係は最悪になってしまったが、2009年12月には試合前に抱擁をかわすなど旧交を懐かしんでいた。
私生活では長年交際していたタレントのイラリー・ブラージと2005年6月18日に結婚。2005年11月6日に第一子となる長男、クリスティアン(Cristian)が誕生し、2006年には長女シャネルが誕生している。長男が生まれた頃から得点した際に右手の親指を咥える「おしゃぶりパフォーマンス」をしているが、これは2人の子供ではなく、指をくわえる癖のあるイラリー夫人へ向けたものである[21]。
[編集] その他
- ローマではとても愛されている存在であり、トッティがあるレストランで財布を落としたが、拾い主はお金を盗るどころかトッティの家までわざわざ財布を届けた。
- 日本でいう"ウイニングイレブン"では自身の能力の評価に満足している模様。ナイジェリア代表を愛用しているらしい。たまに自身をレアル・マドリードに移籍させて遊んでおり、曰く「僕には白ユニが似合う」。(そのためか、ASローマを使うときはアウェーにすることが多いらしい)。
- 今や十八番のチップキックによるPKはEURO2000準決勝のPK戦においてウイニングイレブンの技を真似て実践、成功したことに端を発する。チームメイトには「二度とやるな」と怒られたらしいが、2006年ワールドカップのオーストラリア戦でロスタイムに奪ったPKを蹴る際も一瞬だけだがやろうかと思った、と述べている。
- 昔、ドッキリ番組で友人とレストランに入り、セクシーなレストランの奥さんに挑発されて服を脱いだ事がある(ただしこれはカメラマンが直近におり、別のアングルからでは普通に立っている姿が映り込んでいることなどからも分かるように、単なる企画物である。)。
- トッティの話すイタリア語はローマ訛りが強く、イタリアのコメディアン達は皆トッティの喋り方を真似するらしい。また天然ボケのような発言も多く、イタリアでは「おバカなキャラクター」で定着し、サポーターからも「プポーネ」(「大きな赤ちゃん」の意)と呼ばれている。フジテレビではその情報をいち早くキャッチしすぽると!の『サッカーの頂』(現在終了)のコーナーナレーターが「トッティなのら~」というセリフでトッティの出来事を紹介していた。同局のフットボールCXではセリエAを青嶋達也(フジテレビアナウンサー)が担当し、トッティのダイジェストシーンには「○○○なのら~」というナレーションがついた。ちなみにトッティのこのようなキャラクターは日本でも本(「トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話」)として紹介されている。この本は元々イタリアで彼をネタにした小話を自身公認の元に刊行された前代未聞の本であり、売上は彼の要望で全て慈善団体へ寄付されている。
- EURO2004の合宿中、足の付け根を痛めその原因を当時契約していたナイキのスパイクであると発言。これに対して、ナイキはスパイクではなくイタリア代表のスポンサーであるプーマのソックスが原因と抗議し、大会終了後にナイキ側から契約を破棄された。その後トッティはディアドラと契約している。
- 好きな食べ物はきゅうり。
- トッティは漫画Roma君の登場人物である。
- 2006年ワールドカップでは自慢の長髪をばっさりとカットした。それ以降は短髪にしている。
- できるならば38歳ぐらいまでプレーしたいと語り、引退後はダニエレ・デ・ロッシにキャプテンを継いでもらいたいと考えている。
- ベリッシモ・フランチェスコ曰く、ローマではトッティの実家とすぐ傍らしい。
- クラブではもちろんのこと、イタリア代表でも背番号10番を背負った(EURO2000では20番)。そしてこのナンバーに強いこだわりをもっており、2002年ワールドカップではデル・ピエロに掛け合って背番号を譲ってもらうなどプライドが高い。
[編集] 個人成績
- 2010年5月12日現在
| クラブ | シーズン | セリエA | コッパ・イタリア | 欧州カップ1 | その他2 | 合計 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| ローマ | 1992–93 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
| 1993–94 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |
| 1994–95 | 21 | 4 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 7 | |
| 1995–96 | 28 | 2 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 36 | 4 | |
| 1996–97 | 26 | 5 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 30 | 5 | |
| 1997–98 | 30 | 13 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 36 | 14 | |
| 1998-99 | 31 | 12 | 3 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 42 | 16 | |
| 1999-00 | 27 | 7 | 2 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 34 | 8 | |
| 2000-01 | 30 | 13 | 2 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | 35 | 16 | |
| 2001-02 | 24 | 8 | 0 | 0 | 11 | 3 | 1 | 1 | 36 | 12 | |
| 2002-03 | 24 | 14 | 5 | 3 | 6 | 3 | 0 | 0 | 35 | 20 | |
| 2003-04 | 31 | 20 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 32 | 20 | |
| 2004-05 | 29 | 12 | 7 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 40 | 16 | |
| 2005-06 | 24 | 15 | 2 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 29 | 17 | |
| 2006-07 | 35 | 26 | 5 | 2 | 9 | 4 | 1 | 0 | 50 | 32 | |
| 2007-08 | 25 | 14 | 3 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 35 | 18 | |
| 2008-09 | 24 | 13 | 0 | 0 | 7 | 2 | 1 | 0 | 32 | 15 | |
| 2009-10 | 23 | 14 | 2 | 0 | 6 | 11 | 0 | 0 | 31 | 25 | |
| 2010-11 | 32 | 15 | 0 | 0 | 7 | 2 | 1 | 0 | 40 | 17 | |
| 合計 | 474 | 207 | 45 | 17 | 86 | 37 | 5 | 1 | 610 | 262 | |
1UEFAチャンピオンズリーグとUEFAヨーロッパリーグ(UEFAカップを含む)
2スーペルコッパ・イタリアーナ
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] クラブ
- セリエA 2000-01
- コッパ・イタリア 2006-07、2007-08
- イタリア・スーパーカップ 2001、2007
[編集] 代表
- UEFA U-21欧州選手権 1996
- 地中海競技大会(U-23) 1997
- FIFAワールドカップ 2006
[編集] 個人
- FIFA 100
- ASローマ クラブ歴代最多得点記録
- セリエA最優秀若手選手 1999
- イタリア最優秀選手 2000, 2001, 2003, 2004, 2007
- セリエA最優秀選手 2000, 2003
- EURO 2000大会選定優秀選手
- ヨーロピアン・スポーツ・マガジン選定ベストイレブン 2000-01、2003-04、2006-07
- 2006 FIFAワールドカップ・オールスターチーム(優秀選手賞)
- セリエA得点王 2006-07
- ゴールデンブーツ 2006-2007
- セリエAフェアプレー賞 2007-08
- ゴールデンフット賞 2010
[編集] 出典
- ^ One Club Men: Eleven Of The Best Goal.com 2009年2月18日
- ^ A Owen il Pallone d'Oro
- ^ トッティ、ローマと新たに5年契約 Livedoorスポーツ 2009年7月27日
- ^ トッティ:「スパレッティ退任は避けられなかった」 2009年10月16日 Livedoorスポーツ
- ^ 悪質ファウルで退場のトッティ 南アフリカも遠ざかる?Livedoorスポーツ 2010年5月6日
- ^ 過ちを犯したトッティ 「自分は孤独」Livedoorスポーツ 2010年5月7日
- ^ トッティ:「バロテッリを蹴って引退を考えた」Livedoorスポーツ 2010年7月21日
- ^ トッティ、セリエAで201得点の記録達成 「これで終わりじゃない」Livedoorスポーツ 2011年3月21日
- ^ トッティ:「これほど好調だったことはない」 Livedoorスポーツ 2011年4月10日
- ^ トッティ:「バッジョを超えたことは誇り」Goal.com 2011年5月2日
- ^ Azzurri prominent in All Star Team FIFA.com 2006年7月7日
- ^ Roma Ace Francesco Totti Confirms Italy Temptation Goal.com 2009年10月13日
- ^ World Cup 2010: Italy Had No World Class Players - Argentina Coach Diego MaradonaGoal.com 2010年6月26日
- ^ Juventus crock Buffon: Italy deserve to go hometribalfootball 2010年6月25日
- ^ Italy - Italy captain yearns for new Totti, Del Piero STRAIT TIMES 2010年6月25日
- ^ トッティ、スパレッティに皮肉 Goal.com 2010年1月5日
- ^ ラニエリ、交代に激怒のトッティと話し合い Livedoorスポーツ 2010年9月27日
- ^ トッティとラニエリが再び衝突? Goal.com 2011年1月10日
- ^ ラニエリ:「トッティを100%以上信頼している」Goal.com 2010年9月28日
- ^ トッティ、ラニエリ批判を否定 Livedoorスポーツ 2010年9月18日
- ^ イラリー夫人の告白 “おしゃぶり”パフォーマンスは誰のため? Livedoorスポーツ 2008年12月5日
[編集] 外部リンク
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1 ロボンツ | 2 シシーニョ | 3 J・アンヘル | 4 フアン | 5 エインセ | 7 ピサーロ | 8 ラメラ | 9 オスヴァルド | 10 トッティ | 11 タッデイ | 14 ボージャン | 15 ピアニッチ | 16 デ・ロッシ | 18 クルチ | 19 ガゴ | 20 ペッロッタ | 21 ネゴ | 22 ボリエッロ | 23 グレコ | 24 ステケレンブルフ | 29 ブルディッソ | 30 F・シンプリシオ | 31 ボリーニ | 44 シェアー | 47 カプラーリ | 77 カッセッティ | 87 ロージ | 89 オカカ・チュカ | 92 ヴィヴィアーニ | 93 パグリアツェッリ | 94 ヴェッレ 監督: L・エンリケ |
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