ウーゴ・デレオン
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | ウーゴ・エドゥアルド・デ・レオン・ロドリゲス | |||||
| 愛称 | カウディージョ(頭領) | |||||
| カタカナ | ウーゴ・デ・レオン | |||||
| ラテン文字 | Hugo Eduardo De León Rodríguez | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1958年2月27日(55歳) | |||||
| 出身地 | リベラ | |||||
| 身長 | 188cm[1] | |||||
| 体重 | 81kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1979-1990 | 48 (0) | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ウーゴ・デレオン(Hugo De León, 1958年2月27日 - )は、ウルグアイ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元ウルグアイ代表。
1980年代のウルグアイを代表するディフェンダー。現役時代はEl Caudillo(司令官)、El Patriarca(家長)、エル・ウーゴ(El Hugo)のニックネームで呼ばれる人気選手であった。
晩年には日本サッカーリーグの東芝(現、コンサドーレ札幌)に移籍して、1シーズンプレーしている。
目次 |
略歴 [編集]
- 1977年:ウルグアイのナシオナル・モンテビデオでプロデビュー。
- 1979年:ウルグアイ代表に初選出。
- 1980年:ナシオナルの一員としてコパ・リベルタドーレス優勝。
- 1981年:ウルグアイ代表でコパ・デ・オロ優勝。
- 1983年:グレミオ(ブラジル)の一員としてコパ・リベルタドーレス、トヨタカップ優勝。
- 1988年:ナシオナルの一員としてコパ・リベルタドーレス、トヨタカップ優勝。
- 1990年:ウルグアイ代表でワールドカップイタリア大会出場。ベスト16進出。
- 1991年:日本サッカーリーグ1部の 東芝サッカー部(現在のコンサドーレ札幌)へ移籍。20試合出場1得点4アシスト。
所属クラブ [編集]
- 1977-1980
ナシオナル・モンテビデオ - 1980-1984
グレミオ - 1985
コリンチャンス - 1986-1987
サントスFC - 1987-1988
CDログロニェス - 1988-1989
ナシオナル・モンテビデオ - 1990
CAリーベル・プレート - 1991
ボタフォゴFR - 1991-1992
東芝 - 1992-1993
ナシオナル・モンテビデオ
個人成績 [編集]
日本国内成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1991-92 | 東芝 | 6 | JSL1部 | 20 | 1 | 2 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | JSL1部 | 20 | 1 | 2 | 0 | |||||
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 4試合0得点
経歴 [編集]
- JSL(1部)初出場:1991年9月15日 対ヤマハ発動機戦(ヤマハ東山サッカー場)
- JSL(1部)初得点:1991年9月15日 対ヤマハ発動機戦(ヤマハ東山サッカー場)
代表歴 [編集]
- ウルグアイ代表 1979-1990
- 代表通算:48試合出場 0得点
- 1981 コパ・デ・オロ(優勝)
- 1990 FIFAワールドカップ(ベスト16、4試合0得点)
指導歴 [編集]
- 199?-200?
ナシオナル・モンテビデオ - 200?-200?
グレミオ - 2004-?
CFモンテレー
参考文献 [編集]
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
脚注 [編集]
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