クラレンス・セードルフ

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クラレンス・セードルフ Football pictogram.svg
C-Seedorf.jpg
名前
本名 Clarence Clyde Seedorf
愛称 プレジテンテ(大統領)、黒豹
カタカナ クラレンス・クライド・セードルフ
ラテン文字 Clarence SEEDORF
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 1976年4月1日(37歳)
出身地 パラマリボスリナムの旗 スリナム
身長 176cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 ボタフォゴFR
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995
1995-1996
1996-2000
2000-2002
2002-2012
2012-
オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 サンプドリア
スペインの旗 レアル・マドリード
イタリアの旗 インテル
イタリアの旗 ACミラン
ブラジルの旗 ボタフォゴFR
64 (11)
32 (3)
121 (15)
64 (8)
190 (31)
代表歴
1994-2008 オランダの旗 オランダ 87 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年5月21日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

クラレンス・クライド・セードルフ(Clarence Clyde Seedorf, 1976年4月1日 - )は、スリナムパラマリボ出身のサッカー選手、元オランダ代表。ポジションはミッドフィールダー

目次

人物 [編集]

スリナムの首都、パラマリボ出身。 名門アヤックス・アカデミー出身。 同期には、パトリック・クライファートレミー・ボンヤスキーがいる。 数多くの名選手を輩出してきたアヤックス・アカデミーにおいても、"最高傑作"と言われている。 また、学業においても非常に優秀であった。 その一面として、超一流のサッカー選手でありながら、会社経営にも真剣に取り組み、練習場には、他の選手たちはそれぞれ自慢のスポーツカーでやってくるそうであるが、彼は運転することはなく、経済紙を読む時間として充てている。 2011年4月28日、オランダ王家であるオラニエ・ナッサウ家から"ナイト"の勲章を与えられた。同賞は「社会に対して特別な貢献をもたらした者」に与えるとされており、長年のサッカー界への貢献と、児童たちへの教育支援基金活動などが評価された。イタリアにおけるオランダ大使としても評価された模様である。

経歴 [編集]

クラブ [編集]

アヤックス [編集]

1992年11月29日(1992-93シーズン)、エールディヴィジFCフローニンゲン戦でプロデビュー。 この時、わずか16歳と242日だった。 ファン・デル・サールライツィハーブリントライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールの兄弟、ダーヴィッツリトマネンクライファートフィニディ・ジョージオーフェルマルスなどアヤックス黄金時代の錚々たる顔ぶれがいた。このプロ最初のシーズンで、オランダ・カップを制覇する。 1994-95シーズンにレギュラーポジションを掴み、1995年5月24日、19歳にして一度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇。 相手は、後に所属することとなるファビオ・カペッロ率いるACミランだった。この試合でも先発出場を果たし、後半9分にヌワンコ・カヌと交代している。

サンプドリア [編集]

1995年夏に、イタリア・セリエAサンプドリアへ移籍。移籍初年度(1995-96シーズン)、若い年齢(19歳)ながら32試合に出場し3得点をあげている。潜在能力の高さを証明しつつも、ホームシック、チーム低迷などの理由から本来の力を発揮出来ないまま、1シーズンで移籍することとなる。

レアル・マドリード [編集]

1996-97シーズンからは、レアル・マドリードでプレー。弱冠20歳ながら、卓越した戦術眼、完成されたフィジカルを備えるセードルフがレアル・マドリードでレギュラーポジションを掴むのもごく自然な流れだった。リーグ戦全38試合に出場、6得点を記録しリ-グ優勝に貢献。 1997-98シーズン、21歳で二度目のチャンピオンズリーグ制覇。トヨタカップも制し世界の頂点に君臨。 その後もチームの中心として活躍するが、1999-2000シーズン、冬の移籍期間にて、チームメイトとの確執、チームの財政悪化などの理由からインテルへと移籍する(推定移籍金: 2300万ユーロ)。

インテル [編集]

インテル移籍後は、徐々に輝きを失っていく。控えの選手として苦しい時期を過ごし、代表でのポジションも絶対的なものではなくなってしまう。2001-02シーズン、後半戦に出場機会を得ると、目覚しい戦果を上げ復活をアピールした。

ACミラン [編集]

2002-03シーズン、フランチェスコ・ココとのトレードでライバルチームのACミランへ加入。このシーズン、自身三度目のチャンピオンズリーグ制覇(史上初の異なる三つのクラブでのチャンピオンズリーグ制覇)。 2006-07シーズン、四度目のチャンピオンズリーグ制覇。この大会では、後にバロンドールを受賞することになるカカの活躍が取り上げられたが、セードルフ自身も随所に高いパフォーマンスを披露している。準々決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では、相手ディフェンダーの股を抜いてのゴールと、フィリッポ・インザーギへ絶妙なヒールパスでアシスト。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でも、アレッサンドロ・ネスタのロングパスを頭で落とし、カカのゴールをアシスト。自身もネマニャ・ヴィディッチのプレスにもろともせずエドウィン・ファン・デル・サールの守るゴールに決め、優勝に貢献。UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーUEFAクラブ最優秀MFを受賞。 2007-08シーズン、2007年12月にFIFAクラブワールドカップで来日。浦和戦では、カカのラストパスから決勝ゴールを決めた。また同月、チャンピオンズリーグにおいて通算100試合出場を達成。 2008-09シーズンでは、怪我でアンドレア・ピルロが離脱したときにはレジスタとして中盤の底でプレーし、代役を務めるなど高いユーティリティ性を示した。 2010-11シーズン、序盤、自らのミスから失点の足がかりとなったり、不用意なパスミスなどで、ポジションを一時ケヴィン=プリンス・ボアテングに奪われるなど限界がささやかれた。しかし、終盤になるにつれパフォーマンスが向上。ミラノダービーでの圧巻のプレー、サンプドリア戦では、無回転のフリーキックを直接決めるなど、結果的にミラン7シーズンぶりとなるスクデット獲得に貢献。

ミランにおいても、加入してからほぼ常にレギュラーポジションをつかみ、2011年4月18日現在公式戦395試合に出場している。これはミランにおける、外国人選手の最多出場記録である[1]

2012年6月、ACミラン退団を発表。

ボタフォゴFR [編集]

2012年7月、夫人の母国であるブラジルのボタフォゴFRに移籍決定。契約は2年間。

オランダ代表 [編集]

1994年12月14日、ルクセンブルク戦で代表デビュー。しかし、チームの内紛など問題の多いオランダ代表にあって本来の力を発揮する事が出来ず、1996年の欧州選手権では、自らのPK失敗によりチームも敗退。
1998年のワールドカップでは、4位という好成績に貢献しながらも大きなインパクトを残す事は出来なかった。
2002年のワールドカップでは、欧州予選敗退。
2006年のワールドカップでは、本大会出場に貢献したが、不可解なメンバー漏れを経験するなど不運が続いている。

代表でプレーする際にはエゴイスティックなプレーが多く、マルコ・ファン・バステン元オランダ代表監督に失格の烙印を押された。しかし2006年11月15日のイングランドとの親善試合で久しぶりに代表に招集され、試合では背番号"10"を着けて先発出場。好調なプレーとキャプテンシーを見せ、再びファン・バステンの信頼を得た。

エピソード [編集]

  • 従兄弟のステファノ・セードルフもサッカー選手で、アヤックスFCフローニンゲンに所属していた。現在は、FCデン・ボスに所属。
  • ミラノで人気日本食レストラン(Finger's)を経営している。[2]
  • 髪型が以前はドレッドロックスだったが、2004年頃にスキンヘッドにする。トヨタカップPKを蹴りたがらない選手がいたと発言し、ミランの選手たちを怒らせたことへの反省の表れでもあった。
  • 2005年に自宅に強盗が入り、10万ユーロの被害を受けたが、幸いにも本人、家族ともに無事だった。
  • ACミランマヌエル・ルイ・コスタがチームを離れることになり、その背番号10番を自ら志願して受け継いだ。
  • 異なる3つのクラブアヤックス・アムステルダムレアル・マドリードACミランでのUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたのは歴代でセードルフ唯一人だけである。
  • 複数の国でプレーしてきたため、語学力に長けている。母国語のオランダ語の他、英語イタリア語スペイン語、更にはポルトガル語も自由に操ることができるマルチリンガルである。
  • オランダ代表レアル・マドリードインテルACミランで背番号10をつけている。
  • かつては、特に代表チームにおいて自身の望み通りのポジション・背番号を強く要求し、叶わなければ試合を欠場すると公然と言い放つなど、エゴの強さで知られていた。こういった言動は加齢と共に落ち着き、近年では殆ど見られない。
  • 妻はブラジル人であり、オフシーズンにはブラジルで過ごす。そのためか、CRフラメンゴ(Clube de Regatas do Flamengo)に愛着を持っており、将来的にはフラメンゴでもプレーしたいとの発言をしている。
  • 長年lotto社と契約していたが、2007-2008シーズンのオフからadidas社のスパイクを履いている。
  • 北京オリンピックにオーバーエージ枠で参加する予定であったが、ファン・バステン監督の下での代表の要請を断ったことによって、協会の規定によって白紙になった。
  • ユーロ2008は辞退したが、同時期に日本で行われた中田英寿主催のチャリティーマッチに出場している。
  • 2003年から2007年まで、副業として元ブラジル代表のロベルト・カルロスと共にバイクチームを運営していた。[3]
  • スリナムで生まれたセードルフは、スリナムの子どもたちへの支援・基金活動に積極的に取り組んでいることで知られ、私財を投じて学校や病院、スポーツ施設などを建設している[4]。自身4度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた時にもスリナムを訪問し、そのビッグイヤーを披露するとともに、チャリティー活動を行った[5]
  • また「フットボーラーは模範になるべき」[6]とも語っている。
  • アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』にコラムを掲載している。「セードルフが答える」と題されたコラムで、おなじみの背番号10と同じ数の毎月10個の質問に答えている。その内容は、サッカー界だけにとどまるものではない。[7]

個人成績 [編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1992-93 アヤックス エールディヴィジ 12 1
1993-94 19 4
1994-95 34 6
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1995-96 サンプドリア 17 セリエA 32 3
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1996-97 R・マドリード 10 プリメーラ 38 6
1997-98 36 6
1998-99 37 3
1999-00 10 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1999-00 インテル 14 セリエA 20 3 5 2
2000-01 10 24 2 4 0
2001-02 20 3 2 1
2002-03 ミラン 20 29 4 3 2
2003-04 29 4 5 0
2004-05 32 5 4 1
2005-06 36 4 2 1
2006-07 10 32 7 7 5
2007-08 32 7 - -
2008-09 27 5
2009-10 29 5
2010-11 24 3
通算 オランダ エールディヴィジ 65 11
イタリア セリエA 254 34
スペイン プリメーラ 121 15
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA EL
1992-93 アヤックス 3 0
1993-94 2 0
UEFA UEFA CL
1994-95 アヤックス 11 0
1997-98 R・マドリード 11 0
1998-99 10 8 3
1999-00 10 6 0
UEFA UEFA EL
2000-01 インテル 10 7 3
2001-02 10 0
UEFA UEFA CL
2002-03 ミラン 20 16 1
2003-04 8 0
2004-05 13 1
2005-06 11 1
2006-07 10 14 3
2007-08 7 2
通算 UEFA 127 14

獲得タイトル [編集]

クラブ [編集]

アヤックス [編集]

レアル・マドリード [編集]

  • リーガ・エスパニョーラ優勝 1回 (1996-97)
  • スペインスーパーカップ 1回 (1997)
  • UEFAチャンピオンズリーグ 1回 (1997-98)
  • トヨタカップ 1回 (1998)

ACミラン [編集]

個人 [編集]

脚注 [編集]

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出典 [編集]

  1. ^ ACミラン公式サイト. “歴史的なマイルストーン”. 2011年4月18日閲覧。
  2. ^ セードルフ公式サイト. “Finger's Restaurant”. 2011年6月22日閲覧。
  3. ^ Valsir. “Valsir - Team Valsir Seedorf Racing”. 2011年6月22日閲覧。
  4. ^ スポルティーバ公式サイト. “【イタリア】Calcioの真実 vol.7「選手たちのサイドビジネス、その真実」”. 2010年6月22日閲覧。
  5. ^ livedoor スポーツ. “セードルフ、祖国スリナムでCLトロフィを披露(FOOTBALL WEEKLY)”. 2010年6月22日閲覧。
  6. ^ Goal.com. “セードルフ:「フットボーラーは模範になるべき」”. 2011年4月27日閲覧。
  7. ^ livedoor スポーツ. “セードルフが『ニューヨーク・タイムズ』でコラム執筆”. 2009年12月23日閲覧。

外部リンク [編集]