リーガ・エスパニョーラ

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リーガ・エスパニョーラ
分類 サッカー
開始年 1928年
参加チーム 20
スペインの旗 スペイン
前回優勝チーム FCバルセロナ
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リーガ・エスパニョーラ (Liga Española) は、プリメーラ・ディビシオンセグンダ・ディビシオンからなるスペインのプロサッカーリーグである。スペインではラ・リーガ (La Liga) と呼ばれる。2008年6月5日ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行 (Banco Bilbao Vizcaya Argentaria, BBVA) と2008-09シーズンから3年6千万ユーロでスポンサー契約を結び、プリメーラ・ディビシオンプリメーラ)をリーガ BBVA (Liga BBVA) 、セグンダ・ディビシオンセグンダ)をリーガ・アデランテ (Liga Adelante) と呼称する。2010年10月7日、2013年まで契約を更新した。

セグンダ・ディビシオンまではプロリーグ (LFP) が統括し、その下にセグンダ・ディビシオンBセグンダB)、テルセーラ・ディビシオンテルセーラ)というアマチュアリーグが位置する。

一般にリーガ・エスパニョーラと言うとプリメーラ・ディビシオンのことを指すことが多い。

歴史[編集]

全国選手権創設前[編集]

1872年、アンダルシア州ウエルバにイギリスからサッカーが伝えられ、それから17年を経た1889年、スペイン初のサッカークラブであるレクレアティーボ・ウエルバが誕生。これを機にマドリードバルセロナなどの大都市にも次々にサッカークラブが生まれた。1904年にはスペインサッカー連盟の前身団体が国際サッカー連盟(FIFA)に加盟し、1913年にはスペインサッカー連盟(RFEF)が設立された。1920年、アントウェルペンオリンピック出場を主目的としてスペイン代表が創設され、銀メダルを獲得してスペイン国内に一大ブームを巻き起こした。

リーガ・エスパニョーラ創設[編集]

1927年4月、アレナス・クルブ・デ・ゲチョのホセ・マリア・アチャ監督は全国選手権の創設を提案した。リーグの規模や参加クラブなどについて議論が重ねられた結果、スペインサッカー連盟(RFEF)は1929年にプリメーラ・ディビシオンを創設した。参加クラブは10クラブであり、コパ・デル・レイの優勝経験があったFCバルセロナレアル・マドリードアスレティック・ビルバオレアル・ソシエダ、アレナス・クルブ、レアル・ウニオンはすべて選出された。それ以外には、コパ・デル・レイで準優勝の経験があったアトレティコ・マドリードRCDエスパニョールCEエウロパの参加が決定し、トーナメント戦を通じてラシン・サンタンデールが10クラブ目に選ばれた。

プリメーラ・ディビシオン創設時の10クラブ
クラブ 本拠地 創設年 リーグ
優勝
13-14
所属
備考
FCバルセロナ カタルーニャ地域, バルセロナ 1899年 22回 プリメーラ コパ・デル・レイ優勝26回
レアル・マドリード マドリード 1902年 32回 プリメーラ コパ・デル・レイ優勝18回
アスレティック・ビルバオ バスク地域, ビルバオ 1898年 8回 プリメーラ コパ・デル・レイ優勝24回
レアル・ソシエダ バスク地域, サン・セバスティアン 1909年 2回 プリメーラ コパ・デル・レイ優勝2回
アレナス・クルブ・デ・ゲチョ バスク地域, ゲチョ 1909年 なし テルセーラ コパ・デル・レイ優勝4回
レアル・ウニオン バスク地域, イルン 1915年 なし セグンダB コパ・デル・レイ優勝4回
アトレティコ・マドリード マドリード 1903年 9回 プリメーラ コパ・デル・レイ優勝10回
RCDエスパニョール カタルーニャ地域, バルセロナ 1900年 なし プリメーラ コパ・デル・レイ優勝4回
CEエウロパ カタルーニャ地域, バルセロナ 1907年 なし テルセーラ
ラシン・サンタンデール カンタブリア地域, サンタンデール 1913年 なし セグンダB

1930年代[編集]

アスレティックのリーグ支配とスペイン内戦

1929年の第1回大会を制したのはバルセロナであり、1931-32シーズンと1932-33シーズンにはレアル・マドリードが2連覇したが、初期のリーガでもっとも成功を収めたのはアスレティック・ビルバオだった。1929-30シーズン、1930-31シーズン、1933-34シーズン、1935-36シーズンに優勝し、1931-32シーズンと1932-33シーズンには2位となった。1934-35シーズンにはベティス・バロンピエが初優勝したが、これは現在でもベティスにとって唯一のリーグ優勝である。スペイン内戦中はリーグ戦そのものが中断され、1936-37シーズンから1938-39シーズンまでの3シーズンは行なわれていない。スペイン第二共和政化の1937年にはカタルーニャ地方やバレンシア地方のクラブが参加した[リーガ・メディテラネア]](地中海リーグ)が行なわれ、バルセロナが優勝した。70年が経た2007年、バルセロナはスペインサッカー連盟にリーガ・メディテラネアの公式タイトル承認を求めた。

1940年代[編集]

群雄割拠の時代

スペイン内戦終結後にプリメーラ・ディビシオンが再開されると、アトレティコ・アビアシオン(現在のアトレティコ・マドリード)、バレンシア、セビージャFCが台頭して強豪に成長した。スペイン内戦では多くのサッカー選手が犠牲となり、また他国への亡命や身柄の拘束などで選手を失ったクラブが多かったが、アトレティコは合併でチーム力強化を行なった。スペイン内戦前にはレアル・オビエドも強豪の一角だったが、内戦中にグラウンドが荒らされたために参戦の権利をアトレティコに譲り、1939-40シーズンと1940-41シーズンにはアトレティコが2連覇を飾った。また、内戦前の戦力が損なわれずに残っていたバレンシアは、1941-42シーズン、1943-44シーズン、1946-47シーズンに優勝を飾り、1947-48シーズンと1948-49シーズンに2位となった。セビージャは短期間だが黄金期を迎え、1939-40シーズンと1941-42シーズンに2位となったほか、1945-46シーズンには初優勝を飾った。1940年代後半にはバルセロナも強豪に成長し、1945-46シーズン、1947-48シーズン、1948-49シーズンに優勝した。1949-50シーズンと1950-51シーズンにはエレニオ・エレーラ監督に率いられたアトレティコが2連覇した。なお、フランシスコ・フランコ独裁政権は世界中から批判され、スペインサッカー界も長い間孤立を余儀なくされた。

1950年代[編集]

スター選手の共演

1950年代はFCバルセロナレアル・マドリードの2強のリーグ支配が開始された時代だった。1930年代から1950年代には外国人選手数に厳しい制限が課せられ、ほとんどの期間は外国人選手の登録は3人までに限られた。しかし1950年代、2強はルールの穴を突いてアルフレッド・ディ・ステファノプシュカーシュ・フェレンツクバラ・ラースローなど外国出身スター選手を出場させた。クバラに率いられたバルセロナは1951-52シーズンと1952-53シーズンに2連覇し、ディ・ステファノやプシュカーシュ、フランシスコ・ヘントなどが核となったレアル・マドリードは1950年代後半のリーグを支配した。1953-54シーズンと1954-55シーズンに2連覇し、1955-56シーズンはアスレティック・ビルバオが間隙を突いたが、1956-57シーズンと1957-58シーズンにもレアル・マドリードが優勝した。またこの時代のレアル・マドリードはUEFAチャンピオンズカップで5連覇を達成した。エレーラ監督に率いられたバルセロナは、ルイス・スアレスを擁して1958-59シーズンと1959-60シーズンに2連覇し、スアレスはスペイン人として初めてバロンドールを受賞した。

1960年代・1970年代[編集]

マドリード勢の時代とリーグ改編

1961年から1980年まではレアル・マドリードがプリメーラ・ディビシオンを支配し、この期間だけで14回も優勝した。1960-61シーズンから1964-65シーズンまで5連覇を達成し、その他にも2回の3連覇(1966-67シーズンから1968-69シーズン、1977-78シーズンから1979-80シーズン)を果たした。アトレティコ・マドリードも1965-66シーズン、1969-70シーズン、1972-73シーズン、1976-77シーズンの4回優勝したが、その他のクラブではバレンシアCFが1970-71シーズンに、ヨハン・クライフを擁したバルセロナが1973-74シーズンにマドリード勢の牙城を崩すのみに終わった。

1976-77シーズンまではプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、テルセーラ(3部)、ディビシオネス・レヒオナレス(4部以下、地域リーグ)という構成だったが、1977年にテルセーラとレヒオナレスが改編され、セグンダとテルセーラの間にセグンダ・ディビシオンBが創設された。これにより、1977-78シーズンからはプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、セグンダB(新3部)、テルセーラ(新4部)、レヒオナレス(新5部以下、地域リーグ)という構成に変更された。

1980年代[編集]

バスクの時代とキンタ・デル・ブイトレ

レアル・マドリードの栄光の時代は過ぎ去り、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはレアル・ソシエダが初優勝を含む2連覇を飾った。1982-83シーズンと1983-84シーズンには、ソシエダと同じバスク自治州のクラブであるアスレティック・ビルバオが2連覇を達成した。1984-85シーズンには、テリー・ベナブルズ監督がバルセロナを優勝に導いたが、1985-86シーズンから1989-90シーズンにはレアル・マドリードが2度目の5連覇を達成した。レオ・ベーンハッカー監督が指揮し、エミリオ・ブトラゲーニョマノロ・サンチスマルティン・バスケスミチェルミゲル・パルデサウーゴ・サンチェスなどを擁したチームはキンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)と称された。

1990年代[編集]

エル・ドリーム・チームとスーペル・デポル

1988年にはヨハン・クライフがバルセロナ監督に就任し、1990-91シーズンにはエル・ドリーム・チームと呼ばれるチームで3年ぶりの優勝を飾った。1991-92シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝に進出し、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行なわれた決勝ではUCサンプドリア(イタリア)を破って初優勝を飾った。国内リーグでは1993-94シーズンまで4連覇を達成した。クライフ監督は在任中に国内外で10個のタイトルを獲得し、ひとりの監督によるタイトル数のスペイン記録を作った。エル・ドリーム・チームはジョゼップ・グアルディオラロナルト・クーマンミカエル・ラウドルップロマーリオフリスト・ストイチコフなどで構成された。1984年から1996年にかけて、リーガのトロフィーは2強が独占した。

1992-93シーズンから2003-04シーズンの12シーズンにおいて、デポルティーボ・ラ・コルーニャは計10シーズンで3位以内に入った。1994-95シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、1995-96シーズンにはスーペルコパで初優勝。ハビエル・イルレタ監督に率いられ、1999-2000シーズンにはリーグ戦で初優勝を飾った。

1995-96シーズンにはアトレティコ・マドリードが19シーズンぶりのリーグ優勝を飾り、翌シーズンにはレアル・マドリードが優勝した。バルセロナではまたもオランダ人のルイ・ファン・ハールが監督に就任し、ルイス・フィーゴルイス・エンリケリバウドなどの名選手を集め、1997-98シーズンと1998-99シーズンに2連覇した。1990年代、レアル・マドリードは国内リーグで2度しか優勝していないが、1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でユヴェントスFC(イタリア)を破り、32年ぶりの優勝を果たした。

2000年代[編集]

バレンシアの躍進、ロス・ガラクティコス、バルセロナの黄金期

エクトル・クーペル監督に率いられたバレンシアCFは1999-2000シーズンと2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝した。後任のラファエル・ベニテス監督は2001-02シーズンにリーグ優勝し、2003-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠に導いた。国内外でバレンシアとタイトルを争ったのがレアル・マドリードであり、2000-01シーズンと2002-03シーズンにリーグ優勝し、1999-2000シーズンと2001-02シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで優勝。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグはスペイン勢同士の決勝となった。2001-02シーズンは決勝でバイエル・レバークーゼン(ドイツ)と対戦し、グラスゴーのハムデン・パークジネディーヌ・ジダンが決勝点を決めた。2000年代前半から中盤にかけてのレアル・マドリードはロス・ガラクティコスと呼ばれ、ルイス・フィーゴ、ジダン、ロナウドデビッド・ベッカムなどのスター選手が在籍した。

2004-05シーズン、ロナウジーニョを擁したバルセロナは21世紀初の優勝を飾り、2005-06シーズンには国内リーグとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成した。レアル・マドリードはラウル・ゴンサレスルート・ファン・ニステルローイなどを擁し、2006-07シーズンと2007-08シーズンに2連覇した。2000年代後半にはジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、ラ・マシアと呼ばれる下部組織出身選手(リオネル・メッシシャビアンドレス・イニエスタなど)を中心としたチームで2008-09シーズンから2010-11シーズンまで3連覇した。グアルディオラ監督は在任中に国内外で14個のタイトルを獲得し、クライフの記録を破った。

2010年代[編集]

2強化の進展

2011-12シーズン、ジョゼ・モウリーニョ監督に率いられたレアル・マドリードはリーグ歴代最多の勝ち点100を記録し、32回目の優勝を飾った。また、得点数(121)、通算勝利数(32)、アウェーでの勝利数(16)もリーグ記録を更新した。

特徴[編集]

構造[編集]

備考[編集]

  • 1999 - 2000シーズンから現行のルールに移行した。
  • 同一クラブの下部チーム(Bチーム、Cチーム)もリーグに参加できるが、上部チームより下位のリーグにしか所属できない。
  • プリメーラ・ディビシオンではEU外枠の選手は3人までしか登録できない。

国内カップ戦[編集]

国際大会での主要な戦績[編集]

※2011-2012シーズン終了現在

プリメーラ・ディビシオンでプレーした日本人選手[編集]

セグンダ・ディビシオンでプレーした日本人選手[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

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外部リンク[編集]