ロベルト・カルロス・ダ・シウバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロベルト・カルロス
名前
本名 ロベルト・カルロス・ダ・シウバ
愛称 ロベカル
カタカナ ロベルト・カルロス
ラテン文字 Roberto Carlos
基本情報
国籍 ブラジル
スペイン 
生年月日 1973年4月10日(36歳)
出身地 サンパウロ
身長 168cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 フェネルバフチェ
ポジション DF(LSB), MF(LWB)
背番号 3
利き足 左足
代表歴
1992-2006 ブラジル 125 (24)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ロベルト・カルロス・ダ・シウバRoberto Carlos da Silva1973年4月10日 - )はブラジルサンパウロ市出身のサッカー選手元同国代表。ポジションはディフェンダー(サイドバック・ウイングバック)。

歴代最高の左サイドバックと評される一人。1996年からスペインレアル・マドリードに所属し、「銀河系軍団」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、マドリーの黄金期を支えた。日本では「ロベカル」の愛称で親しまれている。

目次

[編集] 経歴

[編集] クラブ

1993年にパルメイラスでキャリアをスタート。直ちに頭角を現しジーニョエバイールらと共に1993年、1994年のブラジル全国選手権連覇に貢献した。この活躍によって1995年にイタリアのインテルへ移籍した。インテルには1年間在籍したが、監督のロイ・ホジソンは彼を左ウイングの位置で起用する事を望み、左サイドバックでのプレーを望むロベルト・カルロスにとっては不本意なシーズンとなった。

翌1996年にスペインのレアル・マドリードへ移籍。11シーズン在籍し、通算512試合出場65得点を記録、リーグ通算370試合出場46得点を左サイドバックのポジションで記録した。10年近くの長きに渡り不動のレギュラーとして君臨し、多くのタイトル獲得に貢献。レアル・マドリードで最も多くの試合に出場した外国人選手となった。2005年にはブラジル人フォワード・ロビーニョの入団後はクラブのEU外国籍の選手枠を空ける為にスペイン国籍を取得した。

2006年ドイツ・ワールドカップ終了後にブラジル代表を引退。以降はクラブチームでの活動に専念している。2007-08シーズンからは同郷のジーコが監督を務めていたトルコフェネルバフチェへ移籍し2年契約を結んだ。

[編集] 代表

ブラジル代表には1992年のデビュー以来、125試合出場24得点を記録した。1998 FIFAワールドカップフランス大会では決勝戦を含む7試合に出場した。2002 FIFAワールドカップ南米予選ではパラグアイ代表GKホセ・ルイス・チラベルトに対し唾を吐きかけた事から国際サッカー連盟から3試合出場停止処分を受けた。しかし本大会では決勝戦を含む7試合に出場。グループリーグの中国戦ではフリーキックから得点を決める等、ブラジルの5度目の世界制覇に貢献した(当時のフォーメーションは 3-5-2 でポジションはウイングバック)。

2006年のFIFAワールドカップドイツ大会の準々決勝のフランス戦の敗退を最後に代表から引退した。

[編集] プレースタイル

攻撃的サイドバックとして知られ、持久力と瞬発力を併せ持ち、その能力を生かして積極果敢なオーバーラップを仕掛けることを得意とする。100メートル走の全盛期の記録は10.80秒~(自身31歳での来日の際にインタビューで、昔より遅くなったけど今でも10.80秒ぐらいで走れる、とコメントしている。少なくとも10.80秒より速い記録だったと推測できる。ちなみに、一番速く走れた時も今もロナウドには勝てない、ともコメントしている。当時ロナウドは異常に体重が増しており、ワールドツアーの最中にもかかわらず個別メニューで減量していたほど太っていた)、スローイングの距離は58メートルを誇った。

また強力な左足のキックを持ち味とし、「悪魔の左足」の異名をとる。フリーキック時には長い助走を取り、独特のステップからアウトサイドキックで強烈なキックを繰り出す。ゴールキーパーが反応できないほどの強烈なシュート回転のボールを放ち、特に1997年6月3日に行われたトゥルノワ・ド・フランスフランス対ブラジル戦で放ったアウトサイドキックでのFKは、今も伝説として語り継がれている。因みに、その常識はずれの軌道で放たれるボールは、物理学者達の研究対象にされたとも言われる。 その威力は5歳児程度の子供が直撃したら死に至る危険性があるという[要出典]

クロスの精度も高く、高速で強いカーブをかけるため、フォワードが合わせるだけで得点になる可能性が高く、ディフェンダーにとってはオウンゴールしかねないやっかいなボールである。サイドチェンジも得意。

[編集] エピソード

  • 2005年6月24日、ブラジル南東部のベロオリゾンテにて彼の乗った車が銃を持った2人組に襲われるというトラブルに見舞われた。その時彼は偶然にも携帯電話にて生放送のラジオ番組に出演中であり、彼の悲鳴や強盗が窓を叩く音が生中継された。
  • 現役引退後は競走馬の育成をするのが夢だという。現在の副業はクラレンス・セードルフと共同でバイクチームの運営である。
  • プライベートでは福祉活動にも精力的で、地元ブラジルのサンパウロ州アララス市には彼の寄付で建てられた保育園がある。
  • 少年時代、家から学校までの距離が十数キロあったらしいが、毎日走って通学していたという。
  • レアル・マドリード時代の2005-06シーズンのフィットネステストで、当時32歳にして持久走のタイムがチームトップであった。ちなみに100m走も10秒9と唯一の10秒台でトップ。

1995年、アンブロカップ95で対戦した日本代表GK小島伸幸は、正面に飛んできたボールを両拳でガードして、左手小指を骨折している。 蹴ったボールに時速165キロの威力を与えるキック力を生み出すために「自分の足のサイズより小さいスパイクを履いている」と日本のTV番組で話している。

  • 短距離、中距離、長距離のどの走力においてもトップレベルであることから、一人のスプリンターとして「究極のアスリート」と呼ばれることがある。
  • フェネルバフチェで現役を終えるつもりだと発言。マドリード退団の際には、非常に名残惜しそうにしていた。
  • am/pm主催の少年サッカー教室を2年連続でドタキャンし、代役としてかりだされたFC東京(当時)の加地亮に「ロベカルじゃなくてごめんな」という名言を吐かせた。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績表
クラブ 年度 リーグ カップ戦 欧州カップ戦 Total
App Goals App Goals App Goals App Goals
パルメイラス 1993 20 1 - - - - 20 1
1994 24 2 - - - - 24 2
1995 24 2 - - - - 24 2
Total 68 5 - - - - 68 5
インテル・ミラノ 95-96 30 5 2 1 2 1 34 7
Total 30 5 2 1 2 1 34 7
レアル・マドリード 96-97 37 5 5 0 0 0 42 5
97-98 35 4 1 1 9 2 45 7
98-99 35 5 4 0 8 0 47 5
99-00 35 4 3 0 17 3 55 7
00-01 36 5 0 0 14 4 50 9
01-02 31 2 6 1 13 2 50 5
02-03 37 5 1 0 15 1 53 6
03-04 32 5 7 1 8 2 47 8
04-05 34 3 2 0 10 1 46 4
05-06 35 5 3 1 7 0 45 6
06-07 23 3 1 0 8 0 32 3
Total 370 46 33 4 109 15 512 65
フェネルバフチェ 07-08 21 2 3 0 8 0 32 2
Total 21 2 3 0 8 0 32 2
合計 489 58 38 5 119 16 646 79

2007年10月6日現在

[編集] 獲得タイトル

オリンピック
男子 サッカー
1996 サッカー

[編集] 脚注