クロード・マケレレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
クロード・マケレレ Football pictogram.svg
Claude Makélélé.jpg
名前
愛称 マカ
ラテン文字 Claude Makélélé
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1973年2月18日(39歳)
出身地 キンシャサコンゴ民主共和国の旗 コンゴ民主共和国
身長 170cm
体重 66kg
選手情報
ポジション MF (DH)
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1993-1997
1997-1998
1998-2000
2000-2003
2003-2008
2008-2011
FCナント
マルセイユ
セルタ
R.マドリード
チェルシー
パリSG
135 (8)
32 (2)
70 (3)
94 (1)
144 (2)
80 (2)
代表歴
1995–2008 フランスの旗 フランス 71 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。{{{クラブ成績更新日}}}現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。
チェルシーで同僚のアレックス

クロード・マケレレ(Claude Makélélé, 1973年2月18日 - )は、コンゴ民主共和国(旧ザイールキンシャサ出身の元サッカー選手、元フランス代表

目次

[編集] 来歴

1993年リーグ・アンFCナントでキャリアをスタートし、フランス国籍を獲得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日ノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。また1995-96シーズンではUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出に貢献した。さらにその年に、アトランタ五輪にフランス代表として出場するがベスト8で敗退。

その後オリンピック・マルセイユを経て、1998年リーガ・エスパニョーラセルタ・デ・ビーゴへ移籍。2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。2002年、フランス代表は日韓W杯に出場するが、マケレレは出場機会に恵まれず、FWの不調やエースジネディーヌ・ジダンの故障も響きグループリーグで敗退する。しかし、クラブでは攻撃重視の選手を擁する中盤の底で守備を担い、イバン・エルゲラや最終ラインを支えるフェルナンド・イエロと共に守備の役割をしっかりとこなし、チームに欠かせない存在であった。

2002-2003シーズン終了後、給料の問題などもありレアル・マドリードを退団。もっともマケレレ自身は後のインタビューの中で、自身の仕事に敬意を払われなかったことが問題なのであり、当時のレアル・マドリードの会長、フロレンティーノ・ペレスに「どんなに金を積まれても、私は出て行く」と言ったと述べている。その後ロシアの石油王、ロマン・アブラモヴィッチが新オーナーとなったチェルシーへ移籍し、持ち前の守備力でレアル・マドリード時代と同様に中心選手として活躍。2004-05、2005-06シーズンにはFAプレミアリーグ優勝を果たした。

また、EURO2004以降代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表は予選敗退の危機を迎える。ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰し、見事土壇場からの予選通過に貢献する。2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。W杯終了後、地元のTV局のインタビューで、代表引退を明らかにしたが、ユーロ2008の予選でドメネク監督に招集され、モウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めてマケレレは代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについてマケレレは「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語っている。

2008年7月21日、パリ・サンジェルマンFCがマケレレの獲得に関してチェルシーと合意。2010-11シーズン終了後に現役を引退した。

現在は古巣のパリ・サンジェルマンでカルロ・アンチェロッティ監督のアシスタントコーチを任されている。

[編集] 所属クラブ

[編集] タイトル

ナント
レアル・マドリード
チェルシー
パリSG

[編集] その他

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語