レイモン・ドメネク
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| 名前 | ||||
| ラテン文字 | Raymond DOMENECH | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1952年1月24日(60歳) | |||
| 出身地 | リヨン | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | DF | |||
| 代表歴 | ||||
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レイモン・ドメネク(Raymond Domenech, 1952年1月24日 - )は、フランス・リヨン出身の元サッカー選手、前サッカーフランス代表監督。スペイン系フランス人(両親共にスペイン・カタルーニャ州出身で移民2世)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] フランス代表監督就任前
選手としてリヨンなどでプレー、FCミュルーズで選手兼監督として指導者としての道を歩み始めた。かつてプレーしていたリヨンで監督を務めた後、1993年にフランス代表ユースチームの監督に就任。以降10年以上にわたって同職を務め、多くの選手を育成、指導した。この時期の若手指導の手腕については、現在でも一定の評価を受けている。アトランタオリンピックのフランス代表監督も務めた。
[編集] 2004年-2006年(ドイツワールドカップ)
ユース年代での功績が認められる形で、EURO2004後に辞任したジャック・サンティニの後を受け継ぎ、2004年にフランス代表監督に就任。ジネディーヌ・ジダンの代表引退後の新生代表をうまく導いていけるかに注目が集まった。しかしこの試みは難航し、ドイツW杯予選では一時はグループ4位と低迷、予選敗退の危機にあった。そこで、ジダン、そして同じく代表引退を表明していたリリアン・テュラム、クロード・マケレレの3人を代表に復帰をさせると、チームは勢いを得て本大会出場権を獲得した。一方、選手選考の基準を聞かれて「占星術に従った」と答えたり、ロベール・ピレスやリュドヴィク・ジュリ、ニコラ・アネルカら有力選手との確執も取り沙汰され(「占星術」発言は、プライベートの確執で彼らを代表から外すことを誤魔化すためのものだとも言われる)、世代交代を先延ばしにしたチーム作りには疑問の声も上がった。
本大会では強固な守備とフランク・リベリーの抜擢が功を奏し、またこの大会限りで現役引退するジダンの花道を飾るためにチームが団結したこともあって、下馬評を覆し準優勝という好成績を残した。もっとも、この準優勝の最大の要因はジダンの求心力であり、ドメネクの采配自体には相変わらず厳しい評論も目立った。大会直後は、決勝戦でジダンを退場に追い込んだ、イタリアのマルコ・マテラッツィに対しカメラを回すアクションで非難した。
[編集] 2006年-2008年(EURO2008)
ドイツW杯後には一部のメディアやサポーターからは解任の声も聴かれたが、フランスサッカー協会は契約を更新し、2010年まで引き続き指揮を執ることで合意。EURO2008予選でも、代表引退を表明していたマケレレの招集や、怪我をしている選手を強行で起用するやり方に、チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督(当時)やアーセナルのアーセン・ベンゲル監督などから非難を浴びるなど、クラブとの関係は悪化した。
苦戦しつつもEURO2008本大会への出場を決めたものの、好調だったダビド・トレゼゲ、フィリップ・メクセスを招集せず確執を起こし、A'代表という代表予備チームを作って大量に選手を招集するなど、選考を巡って多くの話題を振りまいた。そして本大会では、オランダに1-4、イタリアに0-2で大敗し、1分2敗のグループリーグ最下位という散々な成績に終わった。特にイタリア戦では、本来は左サイドバックであるエリック・アビダルを突然センターバックに起用。不慣れなアビダルは、前半半ばであっさり退場処分にあってしまった。
直前のシーズンで絶好調であった本職CBのメクセスを招集しなかったこと、怪我で出場が疑問視されていたパトリック・ヴィエラをメンバー入りさせ、結局一度も出場できずに登録枠を無駄にしたこと、他に呼んでいた本職CBを使わずアビダルを急にコンバートしたことなど、DFの選手選考は特に槍玉に挙げられた。攻撃陣も代表経験の殆ど無かったバフェタンビ・ゴミを招集し、好調だったトレゼゲを外したり、リベリーが抜けたら策が何もないことを大いに露呈し、その攻撃のオプションの少なさも非難された。
また、イタリア戦後のインタビューで、辞任の意思を問う意味の「今後の予定は?」という質問に対し、「エステル・ドニ(フランスのアナウンサー)と結婚する。今日がプロポーズの日だ」[1] と回答。ドメネクとエステルは事実婚の関係にあり、既に子供も設けるなど公に交際は知られていたものの、「敗退決定直後のインタビューで恋人にプロポーズする」という前代未聞の行為に、フランスでは大バッシングが起きた[2]。またエステルは、過去に代表の取材を利用してピレスやジュリといった主力選手たちとも関係を持った疑惑が報じられており、ドメネクが彼らを代表から放逐する原因になったとされる。
[編集] 2008年-2010年(南アフリカワールドカップ)
EUROの惨敗により辞任、もしくは解任が確実視されていたが、フランスサッカー協会は契約通りに2010年まで監督を任せることを決定。この決定直後、トレゼゲがドメネクとの確執を理由に代表引退を正式表明し、程なくセバスティアン・フレイも代表引退を表明した。ドメネクが解任された場合は代表復帰するという声明も発表している。また、ジュリやメクセスも正式な引退こそ表明しなかったものの、「ドメネクがいる限り代表に呼ばれることはないだろう」という旨の発言を行った(メクセスは後に一時期代表へ再招集)。
大方の支持を失って臨んだ南アフリカW杯予選では、初戦で格下のオーストリアに1-3の惨敗(フランスがオーストリアに敗れたのは38年ぶり)を喫し、その後勝ち点を伸ばしながらもセルビアの後塵を拝してグループ2位となり、アイルランドとのプレーオフに回った。プレーオフでは延長戦の末に勝利を収め本大会出場を決めたが、その決勝点がティエリ・アンリのハンドによるものだったことから、出場の是非を巡る大騒動に発展した(詳細は2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選#フランス対アイルランドを参照)。
本大会直前の代表合宿では、選手の親睦を深めるために自転車タイムトライアル、バギーレースといったユニークな練習を取り入れたが、そのバギーレースでウィリアム・ギャラスがクラッシュを起こし横転。幸い軽傷で済んだが、あわや大事故という事態を起こした[3]。また、加熱するマスコミの代表批判を遠ざけるため、選手たちが新聞やテレビなどのメディアを見ることを禁止。違反した選手には50ユーロの罰金を科した。
大会終了後のローラン・ブラン新監督就任内定が発表され、フランス代表監督として最後の舞台になることが確定して迎えた本大会では、初戦でウルグアイと低調な内容でスコアレスドローに終わると、第2戦ではメキシコ相手に何も出来ず0-2で完敗を喫する。この試合のハーフタイムに、ドメネクの戦術指示に不満を抱いたアネルカがドメネクに対して暴言を発し、前半のみで交代した。フランスサッカー連盟はこの事態を重く見てアネルカを代表から追放したが、この決定に選手は猛反発して練習をボイコットし、チームディレクターは辞任[4]。ニコラ・サルコジ大統領が事態の収拾を命じるほどの混乱の中、ドメネクはチームをまとめるための手段を何一つ打てず、フランス代表は完全な崩壊状態に陥った。
大量点で勝たなければ敗退が決まる第3戦の南アフリカ戦では格下の開催国を相手にボールを完全に支配され、退場者も出して1-2で完敗。1分2敗、わずか1得点のグループリーグ最下位に終わった。この試合後、南アフリカ代表のパレイラ監督との握手を拒否。かつてのフランス代表監督エメ・ジャケから批判を受け、パレイラからも「哀れな奴」とコメントされた[5]。
[編集] 2010年-
2010年9月に重大な過失があったとしてフランス代表監督を解任され[6]、9月下旬にはパリの職業安定所を訪れた姿が目撃されている[7]。11月にフランスサッカー連盟を相手取り退職金290万ユーロの支払いを求める訴訟を労働裁判所に起こし、2011年8月になって97万5000ユーロ支払いと引換に訴訟を取り下げることで合意している[6][8]。
[編集] 選手経歴
リヨン 1969-1977
ストラスブール 1977-1981
パリ・サンジェルマン 1981-1982
ボルドー 1982-1984
FCミュルーズ 1984-1988
[編集] 指導者経歴
[編集] 脚注
- ^ Domenech veut se marier(football365.fr、2008年6月18日閲覧)
- ^ 敗戦インタビューで女性司会者に求婚、ドメネク監督に非難轟々(Livedoorスポーツ、2008年6月19日閲覧)
- ^ 【サッカーW杯】フランス代表、バギーレースでクラッシュ(MSN産経ニュース、2010年6月22日閲覧)
- ^ フランス代表が練習ボイコット、混迷深まる(読売新聞、2010年6月23日閲覧)
- ^ フランス、最後まで醜態をさらしつつグループリーグ敗退(スポーツナビ、2010年6月23日閲覧)
- ^ a b “ドメネク前監督 仏連盟に退職金を要求”. AFPBB News (フランス通信社). (2010年11月3日) 2011年8月4日閲覧。
- ^ “ドメネク監督が失業手当をもらいに職安へ”. サポティスタ. (2010年9月27日) 2011年8月4日閲覧。
- ^ “W杯ボロ負け解任の仏監督と連盟、1億円で和解”. 読売新聞. (2011年8月4日) 2011年8月4日閲覧。
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