パスカル・シンボンダ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Pascal CHIMBONDA | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1979年2月21日(34歳) | |||||
| 出身地 | レザビーム | |||||
| 身長 | 182cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | DF (CB, RSB) | |||||
| 背番号 | 39 | |||||
| 利き足 | 右 | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 2006 | 1 (0) | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
パスカル・シンボンダ(Pascal Chimbonda, 1979年2月21日 - )はグアドループ・レザビーム出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。名字の表記には「シャンボンダ」、「シムボンダ」も存在する。
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来歴 [編集]
2006 FIFAワールドカップに向けてのフランス代表発表において最も驚きを与えた選手。ウィリー・サニョルの控えとしてアントニー・レヴェイエール、フランソワ・クレールを抑えての招集で同じくこの時点で初招集だったフランク・リベリーと同じく2005-06シーズンの活躍が評価され代表入りとなったが、フランス国内ではリーグ・アンで活躍するリベリーとは対照的に注目度は低かった。しかし招集後は27歳でレ・ブルーの仲間入りを果たした遅咲きのヒーローとして注目の的となった。
ル・アーヴルAC出身で、その後SCバスティアに移籍した。ここで右サイドバックとして頭角を現し、2005年にイングランド、ウィガンに移籍、ここで選手会選出のプレミアリーグ最優秀右サイドバックに選出されるなど大活躍した。しかし2005-06シーズン終了前に移籍希望を公言してポール・ジュエル監督を激怒させ[1]、シーズン終了後にトッテナムへ放出された。
トッテナムでも主力としてプレー。その後サンダーランドへ移籍をするも出場機会に恵まれず、1年半を経て古巣へ復帰した。
その他 [編集]
バスティア時代、ASサンテティエンヌ戦で試合中に相手サポーターから激しい人種差別を受けたことがある。
脚注 [編集]
- ^ ジュエル監督は「顔も見たくない」とマスコミに語った
所属クラブ [編集]
ル・アーヴルAC 2000-2003
SCバスティア 2003-2005
ウィガン・アスレティックFC 2005-2006
トッテナム・ホットスパーFC 2006-2008
サンダーランドAFC 2008-2009.1
トッテナム・ホットスパーFC 2009.1-2009.8
ブラックバーン・ローヴァーズFC 2009.8-2011.1
クイーンズ・パーク・レンジャーズFC 2011.1-.4
ドンカスター・ローヴァーズFC 2011.9-
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