ダヴィド・トレゼゲ
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| ダヴィド・トレゼゲ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ダヴィド・セルジオ・トレゼゲ | |
| 愛称 | トレゼゴール、ゼゲット | |
| カタカナ | ダヴィド・トレゼゲ | |
| ラテン文字 | David Sergio TRÉZÉGUET | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1977年10月15日(30歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 190cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW(CF) | |
| 背番号 | 17 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 1998-2008 | 71 (34)
|
|
ダヴィド・トレゼゲ(David Trézéguet、1977年10月15日 - )は、フランス、ルーアン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(センターフォワード)。2000-01シーズンからレガ・カルチョ、セリエAユヴェントスに所属している。
両親は共にアルゼンチン人。フランス国籍のほか、アルゼンチン国籍も合わせて持っている。2歳の頃からアルゼンチンで育った。
目次 |
[編集] 経歴
17歳でアルゼンチンプロサッカーリーグのCAプラテンセにてプロデビュー。出場機会は僅かであったが、ASモナコのスカウトの目に留まり、自らの出生地であるフランスの地を再び踏むこととなった。モナコでは移籍当初は苦労したものの、徐々に頭角を表すと、1999-2000シーズンに22ゴールを挙げてリーグ優勝に貢献。ビッククラブから注目される存在になっていった。
2000年、イタリアの名門、ユヴェントスへ移籍。1年目にして14ゴールを挙げ、翌年には24ゴールで得点王に輝いた。このタイトルは全て流れの中から決めた(PKなしの)得点であることから、大いに賞賛を浴びた。以降、怪我が多くフルシーズン出場する機会は多くないものの、出場すれば抜群の決定力を見せている。2005-2006シーズンにはルカ・トニの31得点に次ぐ23得点を挙げ、スクデットに貢献した(その後カルチョ・スキャンダルにより取消)。2006年、ユヴェントスのセリエB降格に当たり、移籍は確実かと思われていたが、結局残留している。
セリエAに復帰した2007-2008シーズンは開幕戦でのハットトリックなど、序盤から絶好調でチームを牽引、中盤以降調子を落としたが結局20ゴールを記録した。また、第4節のASローマ戦でセリエA通算100ゴールを達成した。
代表デビューは20歳、1998年1月28日に行われたスペイン代表戦。同年に行われたフランスW杯のメンバー入りも果たし、見事優勝を飾る。 2年後のEURO2000では控えの立場だったが、イタリアとの決勝戦の延長でゴールデンゴールを決め優勝に導いた。この活躍が認められ、大会後にユヴェントスと契約を結んでいる。このゴールデンゴールを決めたことで移籍当初はイタリア国内では民衆に目の敵にされたことがあるという。
しかしその後の代表歴は思わしいものではない。セリエA得点王として臨んだ日韓W杯ではセネガル戦ではシュートがバー直撃、そしてEURO2004にはクロアチア戦において疑惑のゴールを決めたものの、ブレイクすることはなかった。
自身3度目となるドイツW杯では、1トップを布くドメネク監督の戦術方針からベンチに座る機会も多く、決勝のPK戦ではPKを失敗する等、失意のうちに大会は終了した。
代表ゴール数34は歴代3位(2008年7月現在)だが、W杯後は招集すらされないことが多く、EURO2008のメンバーからも落選した。2008年7月9日、ドメネク監督の続投を受けて代表引退を発表している。
[編集] プレースタイル
ペナルティエリア内でのプレーを最も得意とし、シュートの威力と精度も抜群の世界屈指のセンターフォワード。浮き球の処理に長け、また打点の高いヘディングとフィジカルの強さで前線で起点になりゴールを量産する。ボディバランスやボールコントロールも良く、キープ力、決定力といったFWに必要な要素を高いレベルで兼ね備えている選手であるがスピードは物足りない感がある。
ユヴェントスで2トップを組むアレッサンドロ・デル・ピエロと絶妙なコンビネーションを見せる一方、フランス代表で2トップを組む場合、ティエリ・アンリとのコンビネーションは何故か悪い。トレゼゲは敵陣に空いたスペースに飛び込んで攻撃を仕掛けるプレーを得意とするが、ティエリ・アンリとの2トップとなるとそのスペースを相殺してしまうため、同時に用いられることが極端に少ない。アンリとはASモナコ所属時代にチームメイトであったが、当時のアンリはウイングを務めていたため、この時は問題なくプレーしていた。1997年に行われたワールドユース選手権ではニコラ・アネルカを加えた3トップを形成した事も有り、必ずしもアンリとの同時起用が不可能という訳ではない。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993-94 | プラテンセ | 3 | 0 | ||||||||
| 1994-95 | プラテンセ | 2 | 0 | ||||||||
| フランス | リーグ戦 | リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995-96 | モナコ | 4 | 0 | ||||||||
| 1996-97 | モナコ | 5 | 0 | ||||||||
| 1997-98 | モナコ | 27 | 18 | ||||||||
| 1998-99 | モナコ | 27 | 12 | ||||||||
| 1999-00 | モナコ | 30 | 22 | ||||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000-01 | ユヴェントス | 17 | A | 25 | 14 | ||||||
| 2001-02 | ユヴェントス | 17 | A | 34 | 24 | ||||||
| 2002-03 | ユヴェントス | 17 | A | 17 | 9 | ||||||
| 2003-04 | ユヴェントス | 17 | A | 25 | 16 | ||||||
| 2004-05 | ユヴェントス | 17 | A | 18 | 9 | ||||||
| 2005-06 | ユヴェントス | 17 | A | 32 | 23 | ||||||
| 2006-07 | ユヴェントス | 17 | B | 30 | 15 | ||||||
| 2007-08 | ユヴェントス | 17 | A | 36 | 20 | ||||||
| 通算 | アルゼンチン | ||||||||||
| フランス | |||||||||||
| イタリア | |||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- リーグ・アン (1997, 2000)
- セリエA (2002, 2003)
- セリエB (2007)
[編集] 代表
[編集] 個人
- セリエA得点王 (2002)
- セリエA最優秀選手 (2002)
- セリエA最優秀外国人選手 (2002)
- UEFAベストイレブン (2001)
[編集] 外部リンク
- DAVID TREZEGUET OFFICIAL WEB SITE (イタリア語)、(英語)、(フランス語)、(スペイン語)(公式)
| 先代: エルナン・クレスポ |
セリエA得点王 2001-2002(24得点) ダリオ・ヒュブナーとの同時受賞 |
次代: クリスティアン・ヴィエリ |
| ユヴェントス - 現所属メンバー |
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1 ブッフォン | 3 キエッリーニ | 4 メルベリ | 5 ゼビナ | 6 ザネッティ | 7 サリハミジッチ | 8 アマウリ | 9 イアクインタ | 10 デル・ピエロ | 11 ネドベド | 12 キメンティ | 13 マンニンガー | 14 アンドラーデ | 15 クネゼビッチ | 16 カモラネージ | 17 トレゼゲ | 18 ポウルセン | 19 マルキジオ | 20 ジョビンコ | 21 グリゲラ | 22 シソッコ | 27 エクダル | 28 モリナーロ | 29 デ・チェリエ | 30 チアゴ | 32 マルキオンニ | 33 レグロッターリエ | - イアゴ 監督: ラニエリ |
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