ミカエル・ランドロー
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ミカエル・ランドロー | |||||
| ラテン文字 | Mickaël LANDREAU | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1979年5月14日(34歳) | |||||
| 出身地 | マシュクール | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 背番号 | 40 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1996-2006 2006-2009 2009-2012.12 2012.12- |
335 (-500) 114 (-98) 119 (-115) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2001- | 11 (-19) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月1日現在。 2. 2012年10月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ミカエル・ヴァンサン・アンドレ=マリー・ランドロー(Mickaël Vincent Andre-Marie Landreau, 1979年5月14日 - )は、フランス・ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏・ロワール=アトランティック県・マシュクール出身のサッカー選手。SCバスティア所属。フランス代表である。ポジションはGK。
目次 |
経歴 [編集]
クラブ [編集]
同じくGKだった兄に憧れてサッカーを始め、15歳の時にFCナントの下部組織に入団した。1996年10月2日のSCバスティア戦でトップチームデビューを果たした[1]。正GKのドミニク・カザグランドが負傷離脱し、第2GKのエリック・ルスアールヌも精神面に問題を抱えていたために急遽訪れたチャンスだった。17歳74日でのデビューはリーグ・アンのGKとしては史上最年少であり、この試合ではルボミール・モラフチクのPKを止めるなど活躍を見せた。カザグランドの復帰後もレギュラーの座を明け渡さず、1996-97シーズンは32戦連続無敗で3位という好成績を残した。20歳の時にナントのキャプテンに就任し、1999-2000シーズンと2000-01シーズンにはクープ・ドゥ・フランス連覇を果たした。2000-01シーズンのリーグ戦ではオリンピック・リヨンなどを抑え、6シーズンぶりのリーグ優勝を果たした。2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランス決勝のパリ・サンジェルマン戦では幾度ものセーブを見せ、PK戦では7人中3人のシュートを止めたが、味方の7人中4人がPKを外して惜しくも準優勝であった。
ナントとの契約は2006年で満了し、6月15日にフリートランスファーでパリ・サンジェルマンと4年契約を結んだ。PSGでは不動のレギュラーとして活躍し、リーグ戦は3シーズンで114試合に出場。欠場は0であった。
かつて代表でレギュラー争いをしたグレゴリー・クーペがアトレティコ・マドリードから加入したため、2009年6月29日に3年契約でLOSCリール・メトロポールへ移籍した。しかし、移籍が発表された5日後の7月4日の練習中に着地を誤って右膝靭帯を負傷し、全治6ヶ月と診断された。その影響で2009-10シーズン序盤はリュドヴィク・ビュテルにポジションを譲ったが、10月31日のグルノーブル戦で予定よりも3ヶ月早く復帰した。その後、チームは尻上がりに調子を挙げて最終的に4位に滑り込みUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2011年2月13日のトゥールーズFC戦にフル出場して史上18人目となるリーグ・アン通算500試合出場を達成した[1][2]。2010-11シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場し、安定した守りでチームの57年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2012年12月7日、リールとの契約を解除し、退団[3]。12月23日にSCバスティアとの契約が発表された[4]。
代表 [編集]
U-15世代で初めて世代別フランス代表に招集された。U-21フランス代表ではキャプテンも務め、1997年のFIFAワールドユース選手権に出場した。
2001年には、代表キャップゼロながらFIFAコンフェデレーションズカップのメンバー入りを果たし、この大会のメキシコ戦でデビューを果たした。しかし翌年開催された2002 FIFAワールドカップには招集されなかった。その後、ファビアン・バルテズ、グレゴリー・クーペに次ぐ第GKとしての地位を確立し、UEFA欧州選手権2004、2006 FIFAワールドカップには共にメンバー入りするも、出場機会はなかった。ワールドカップ終了後にバルテズが現役引退し、代わって正GKになったクーペが負傷により長期離脱したため、UEFA欧州選手権2008予選途中からは正GKを任された。しかし、レイモン・ドメネク監督から充分な信頼を得ることはできず、クーペ復帰後は再び控えに戻っている。さらにクラブで不振にあえぎ、スティーヴ・マンダンダとセバスティアン・フレイに押し出されてUEFA欧州選手権2008本選のメンバーから落選した。
その後はマンダンダのほかにウーゴ・ロリスとセドリック・カラッソが台頭しこの3人の前になかなか代表入りが果たせずにいたが、2012年9月8日に約4年ぶりの代表復帰を果たした。
プレースタイル [編集]
- 反応スピードや判断力、ポジショニングなど、ゴールキーパーに必要な素質をバランスよく備えている[1]。足下の技術に自信があり、積極的にゴールマウスから飛び出すプレーも特長である[1]。PKストッパーとして知られ、デビューから2010-11シーズン途中までの約15年間で、フランス最多となる公式戦通算37本のPKを止めている(PK戦を含む)[1]。
所属クラブ [編集]
- 1996-2006
FCナント - 2006-2009
パリ・サンジェルマン - 2009-2012.12
リールOSC - 2012.12-
SCバスティア
個人成績 [編集]
| クラブ | シーズン | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| ナント | 1996-97 | 29 | 0 |
| 1997-98 | 33 | 0 | |
| 1998-99 | 31 | 0 | |
| 1999-00 | 33 | 0 | |
| 2000-01 | 33 | 0 | |
| 2001-02 | 33 | 0 | |
| 2002-03 | 36 | 0 | |
| 2003-04 | 34 | 0 | |
| 2004-05 | 37 | 0 | |
| 2005-06 | 36 | 0 | |
| 合計 | 335 | 0 | |
| PSG | 2006-07 | 38 | 0 |
| 2007-08 | 38 | 0 | |
| 2008-09 | 38 | 0 | |
| 合計 | 114 | 0 | |
| リール | 2009-10 | 28 | 0 |
| 2010-11 | 38 | 0 | |
| 2011-12 | 38 | 0 | |
| 2012-13 | 15 | 0 | |
| 合計 | 119 | 0 | |
| バスティア | 2012-13 | ||
| 合計 | 0 | 0 | |
| 通算 | 568 | 0 | |
タイトル [編集]
クラブ [編集]
FCナント
- リーグ・アン: 2000-2001
- クープ・ドゥ・フランス: 1998-1999, 1999-2000
- トロフェ・デ・シャンピオン: 1999, 2001
パリ・サンジェルマンFC
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ: 2007-2008
LOSCリール・メトロポール
- リーグ・アン: 2010-2011
- クープ・ドゥ・フランス: 2010-2011
代表 [編集]
フランス代表
- 2006 FIFAワールドカップ: 準優勝
脚注 [編集]
- ^ a b c d e 「レジェンドの域に達した天才GK」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2011年4月7日号、92-93頁
- ^ “リーグ・アン:首位リールの強さの秘密と隠れた弱点”. livedoorスポーツ (2011年2月14日). 2011年4月1日閲覧。
- ^ “リール、守護神ランドローの退団を発表”. Goal.com (2012年12月7日). 2012年12月8日閲覧。
- ^ “リール退団のランドロー、バスティアと契約”. Qoly.jp (2012年12月24日). 2012年12月24日閲覧。
外部リンク [編集]
- Official Website
- (フランス語) FFF profile
- (フランス語) PSG profile
- (英語) UEFA interview
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