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ジェレミー・トゥララン |
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| 名前 |
| 本名 |
Jérémy Toulalan |
| カタカナ |
ジェレミー・トゥララン |
| ラテン文字 |
Jeremy TOULALAN |
| 基本情報 |
| 国籍 |
フランス |
| 生年月日 |
1983年9月10日(28歳) |
| 出身地 |
ロワール=アトランティック県, ナント |
| 身長 |
183cm |
| 体重 |
77kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
マラガCF |
| ポジション |
MF(DH) / DF(CB) |
| 背番号 |
8 |
| 利き足 |
右 |
| クラブチーム1 |
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| 代表歴 2 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2010年6月17日現在。
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ジェレミー・トゥララン(Jérémy Toulalan, 1983年9月10日 - )は、フランス・ナント出身のサッカー選手。マラガCF所属。フランス代表である。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーであるが、センターバックとしてもプレーできる。
[編集] 人物・特徴
- シャイで謙虚な性格として知られている。シンプルなパス、優れたテクニック、効果的なタックルと堅実な守備が持ち味である[1]。
[編集] 来歴
地元のFCナントからプロデビューし、2004-05シーズンにはリーグ最優秀若手選手とリーグベストイレブンに選出された。2006年にオリンピック・リヨンに移籍し、2006-07シーズンと2007-08シーズンにリーグ優勝を果たした。2006年10月11日のEURO2008予選のフェロー諸島戦でフランス代表デビューし、EURO2008と2010南アフリカW杯に出場した。
[編集] クラブ経歴
[編集] FCナント
地元のサッカークラブ、FCナントの下部組織出身で、2001-02シーズンのスタッド・レンヌとのブルターニュ・ダービーでプロデビューした[2]。2002-03シーズンと2003-04シーズンは試合出場機会が限られたが、2004-05シーズンにはフィジカル能力に長けたミッドフィールダーとしての立ち位置を確立し、RCストラスブール戦ではFCナント在籍期間中唯一の得点を挙げた。クラブは降格ラインぎりぎりの17位に終わったが、個人の活躍は評価され、リーグ・アン最優秀若手選手とリーグ・アンベストイレブンに選出された。
[編集] オリンピック・リヨン
2004年夏にはリーグ・アン3連覇中のオリンピック・リヨンが移籍金1000万ユーロを提示してトゥラランの獲得を狙ったが、ナントは素気無く拒否した。2005-06シーズン終了後にはMFマアマドゥ・ディアッラとMFジェレミー・クレマンを失ったリヨンが再びトゥラランにオファーを出し、2006年5月19日に移籍金750万ユーロの4年契約で移籍した[3]。ナントでは背番号17を着けていたが、2003年のコンフェデレーションズカップにおいて亡くなったカメルーン代表のマルク=ヴィヴィアン・フォエ(リヨン在籍時に17番を着けていた)に敬意を表す気持ちから28番を選んだ。開幕の古巣・ナント戦でデビューし、フル出場した[4]。主に4-3-3システムが採用されたチームの中盤でジュニーニョ・ペルナンブカーノ・キム・シェルストレーム・ティアゴ・メンデスらとトリオを組み、2位に勝ち点17差で6連覇を果たした原動力となった。
2007-08シーズンにはリーグ最優秀選手賞にノミネートされたが、チームメイトのカリム・ベンゼマにタイトルを譲った。2008年夏には多くのクラブがトゥララン獲得に乗り出し、パトリック・ヴィエラの代役を期待したアーセナルや、パリ・サンジェルマンに移籍したクロード・マケレレの後継者を探していたチェルシーFCなどが強い関心を示した[5]。しかしトゥラランはリヨンにとどまることを望み、5月7日には2013年までの新契約を結んだ[6]。2010年1月13日、リーグカップのFCメス戦で移籍後初得点を決めた。2010年夏にジャン=アラン・ブームソンがギリシャのパナシナイコスFCに移籍したため、2010-11シーズンはセンターバックにコンバートされた。キャプテンマークを付けることも多かった。しかし、後述のW杯での件もあり思うような活躍ができず、チームも低迷した。
[編集] マラガCF
2011年6月17日、スペインのマラガCFに約1100万ユーロの4年契約で移籍。自身初の国外でのプレーとなった。移籍後は主にセントラルミッドフィールダーとして出場している。
[編集] 代表経歴
2000年、初の世代別代表となるU-17フランス代表に招集された。2006年にはU-21フランス代表としてUEFA U-21欧州選手権に出場し、準決勝でオランダに敗れた。大会ベストイレブンに選出されたが、同ポジションのMFリオ・アントニオ・マヴュバやMFイスマイル・アイサティも選ばれたため、トゥラランは左ウイングでの選出だった。
2006年8月24日、フランスA代表に初招集され、UEFA欧州選手権2008予選のフェロー諸島戦にフル出場してデビューを飾った[7]。UEFA欧州選手権2008本大会のメンバーにも選ばれ[8]、チームはグループリーグ敗退という期待外れの結果に終わったが、負傷したパトリック・ヴィエラに代わってレギュラーとして出場し、グループリーグ3試合全てにフル出場した数少ない選手となった。レイモン・ドメネク監督は事あるごとに「トゥラランはヴィエラの理想的な後継者である」と述べ[9]、マヴュバやアルー・ディアッラ、ラッサナ・ディアッラを押しのけてレギュラーポジションを掴んだ。2010 FIFAワールドカップにも招集されたが、グループリーグで勝ち点1しか奪うことができずに敗退した。2010年8月6日、トゥラランを含む5人の代表選手がフランスサッカー協会規律委員会に召喚され、大会中にチームが置かれていた状況についての説明を求められた[10]。8月17日、本大会出場選手全員に対して1試合の出場停止処分が下った[11]。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
[編集] クラブ
- 2011年5月22日時点
| クラブ |
シーズン |
国内リーグ |
国内カップ[nb 1] |
欧州カップ[nb 2] |
合計 |
| 出場 |
得点 |
アシスト |
出場 |
得点 |
アシスト |
出場 |
得点 |
アシスト |
出場 |
得点 |
アシスト |
| FCナント |
2001–02 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
| 2002–03 |
13 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
15 |
0 |
0 |
| 2003–04 |
20 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
22 |
0 |
0 |
| 2004–05 |
31 |
1 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
33 |
1 |
2 |
| 2005–06 |
29 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
31 |
0 |
1 |
| 合計 |
94 |
1 |
3 |
8 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
103 |
1 |
3 |
| オリンピック・リヨン |
| 2006–07 |
32 |
0 |
3 |
6 |
0 |
0 |
7 |
0 |
0 |
45 |
0 |
3 |
| 2007–08 |
30 |
0 |
1 |
6 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
41 |
0 |
1 |
| 2008–09 |
33 |
0 |
1 |
3 |
0 |
0 |
8 |
0 |
1 |
44 |
0 |
2 |
| 2009–10 |
31 |
0 |
1 |
3 |
1 |
0 |
11 |
0 |
0 |
45 |
1 |
1 |
| 2010–11 |
28 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
16 |
0 |
0 |
| 合計 |
154 |
0 |
7 |
18 |
1 |
0 |
34 |
0 |
1 |
206 |
1 |
8 |
| 通算 |
248 |
1 |
10 |
26 |
1 |
0 |
35 |
0 |
1 |
309 |
2 |
11 |
[編集] 代表
- 2010年6月17日時点[12]
| チーム |
シーズン |
出場 |
得点 |
アシスト |
| フランス代表 |
2006–07 |
4 |
0 |
1 |
| 2007–08 |
12 |
0 |
1 |
| 2008–09 |
11 |
0 |
0 |
| 2009–10 |
9 |
0 |
0 |
| 通算 |
36 |
0 |
2 |
[編集] タイトル
[編集] クラブ
オリンピック・リヨン
[編集] 個人
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ クープ・ドゥ・フランス、クープ・ドゥ・ラ・リーグ、トロフェ・デ・シャンピオンも含む
- ^ UEFAスーパーカップも含む
[編集] 脚注