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エムレ・ベロゾール |
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| 名前 |
| 本名 |
Emre Belözoğlu |
| カタカナ |
エムレ・ベロゾール |
| 基本情報 |
| 国籍 |
トルコ |
| 生年月日 |
1980年9月7日(31歳) |
| 出身地 |
イスタンブル |
| 身長 |
171cm |
| 体重 |
68kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
フェネルバフチェ |
| ポジション |
MF |
| 背番号 |
5 |
| 利き足 |
左足 |
| クラブチーム1 |
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| 代表歴 2 |
| 2000- |
トルコ |
76 (8) |
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1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月23日現在。
2. 2011年8月10日現在。
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エムレ・ベロゾール(Emre Belözoğlu, 1980年9月7日 - )は、トルコ・イスタンブル出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。トルコリーグ、フェネルバフチェ所属。 欧州のビッグクラブにトルコ人選手で最も若くして加入した選手である。
[編集] 経歴
[編集] クラブ
[編集] ガラタサライ
1997年にガラタサライでキャリアをスタート。早くからその才能を見出され活躍。99-00シーズンにはガラタサライの一員としてリーグ・カップ・UEFAカップの三つのタイトルを獲得した(なお、UEFAカップ決勝には出場停止のため出場していない)。
[編集] インテル
01-02シーズンにはインテル・ミラノ、ACミラン、バレンシアCFなどのビッグクラブからの誘いがあった中、イタリアの強豪インテル・ミラノに移籍した。01-02シーズンは14試合の出場だったが、その才能は早くも認められた。日韓W杯での活躍で自信をつけた02-03シーズンは大きく飛躍し、レジスタのポジションを獲得するばかりか、チームにとって欠かせない選手へと成長した。ラツィオ戦での2ゴールを挙げる活躍などはそれを象徴している。03-04シーズンは主にレジスタや左サイドハーフ、ボランチとしてチームに貢献した。しかし、04-05シーズンのロベルト・マンチーニ監督の就任後は、度重なる故障に苦しんだ上にマンチーニの戦術的意向、またポジション争いの激化により、出場機会が減少した。
[編集] ニューカッスル
前年のシーズン終了前から移籍は確実視され、ACミラン、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナルなどが興味を示したと言われたが、ニューカッスル・ユナイテッドに移籍した。加入1年目は序盤は環境に馴染めず苦戦したが、最大のライバルであるサンダーランド戦でゴールをあげたことにより実力を認められ、チームの主力として活躍した。翌年は怪我のため24試合の出場にとどまったが、チームの司令塔として活躍した。翌07-08シーズンは、サム・アラダイス監督の戦術の都合で途中出場が増え、ケビン・キーガン監督が就任した1月以降は怪我でほとんど出場できなかった。ニューカッスル時代のプレーを振り返ると、時折高度な技術も見せたものの、チームの不調もあり本来のパフォーマンスを見せたとは言い難かった。
[編集] フェネルバフチェ
08-09シーズンからは母国の強豪フェネルバフチェへの移籍が決定した。古巣ガラタサライの最大のライバルであるため、両チームのサポーターの間で物議を醸した。 08-09シーズンは序盤は左右両サイドのアタッカーとして、中盤以降はボランチの一角として25試合に出場した。しかし序盤は負傷を繰り返すなどなかなか体調が整わず、中盤以降もチームの不振に引きずられたのか、あまりらしさを出せなかった。 09-10シーズンはセンターハーフとして、前年よりも攻撃への積極参加を見せた。また、このシーズンより副キャプテンに就任し、アレックス欠場時はキャプテンを務めるようになった。このシーズンは前年やニューカッスル時代に比べるとかなりコンディションが良く、存在感は際立っていた。その活躍が認められ、シーズン終了後に09-10シーズンのトルコリーグ最優秀選手賞を受賞した。 10-11シーズンは、センターハーフの一角として移籍後最多となる27試合に出場し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。
[編集] 代表
2000年に弱冠20歳でノルウェー戦でトルコ代表デビュー。 負傷の影響もありEURO2000には招集されなかったが、2002年の日韓W杯では6試合出場し1ゴールを挙げ、3位の快挙に大きく貢献した。EURO2008では負傷のためポルトガル戦のみの出場となった。2007年頃から、代表ではキャプテンを務めるようになった。
[編集] エピソード
- 同じトルコ代表で、インテル・ミラノでもともにプレーしたオカン・ブルクと仲が良く、特にインテル時代は家族のようにほとんどの行動を共にしていたほどである。
- 2011年の韓国戦における退場処分で現トルコ代表監督のフース・ヒディンクから名指しで批判されるなど、気性の荒さを指摘される。
- そのプレースタイルから、ボスポラス海峡のマラドーナという愛称も付いている。
- けがの大半は肉離れなどの筋肉系のけがであり、逆に骨折などのけがはあまり起こさない。
- 2009年に結婚し、2011年3月22日には長男が誕生した。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| トルコ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1997-98 |
ガラタサライ |
|
シュペルリガ |
24 |
2 |
|
|
|
|
|
|
| 1998-99 |
ガラタサライ |
|
シュペルリガ |
27 |
2 |
|
|
|
|
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| 1999-00 |
ガラタサライ |
|
シュペルリガ |
24 |
5 |
|
|
|
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|
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| 2000-01 |
ガラタサライ |
5 |
シュペルリガ |
27 |
4 |
|
|
|
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| イタリア |
リーグ戦 |
イタリア杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2001-02 |
インテルミラノ |
33 |
セリエA |
14 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 2002-03 |
インテルミラノ |
5 |
セリエA |
25 |
3 |
|
|
|
|
|
|
| 2003-04 |
インテルミラノ |
5 |
セリエA |
21 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 2004-05 |
インテルミラノ |
5 |
セリエA |
19 |
0 |
|
|
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| イングランド |
リーグ戦 |
FLカップ |
FAカップ |
期間通算 |
| 2005-06 |
ニューカッスル |
5 |
プレミア |
20 |
2 |
|
|
|
|
|
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| 2006-07 |
ニューカッスル |
5 |
プレミア |
24 |
2 |
|
|
|
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| 2007-08 |
ニューカッスル |
5 |
プレミア |
14 |
1 |
|
|
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| トルコ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2008-09 |
フェネルバフチェ |
5 |
シュペルリガ |
25 |
1 |
|
|
|
|
|
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| 2009-10 |
フェネルバフチェ |
5 |
シュペルリガ |
25 |
1 |
|
|
|
|
|
|
| 2010-11 |
フェネルバフチェ |
5 |
シュペルリガ |
27 |
3 |
|
|
|
|
|
|
| 通算 |
トルコ |
シュペルリガ |
179 |
18 |
|
|
|
|
|
|
| イタリア |
セリエA |
79 |
3 |
|
|
|
|
|
| イングランド |
プレミア |
58 |
5 |
|
|
|
|
|
| 総通算 |
264 |
22 |
|
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[編集] タイトル
ガラタサライ
インテル・ミラノ
ニューカッスル・ユナイテッド
フェネルバフチェ
個人タイトル
[編集] トルコ代表での得点記録
[編集] 外部リンク
オフィシャルサイト