イルハン・マンスズ
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| イルハン・マンスズ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | イルハン王子 | |
| ラテン文字 | Ilhan Mansiz | |
| トルコ語 | İlhan Mansız | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1975年8月10日(33歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 184cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 2001-2003 | 21 (7) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
イルハン・マンスズ (İlhan Mansız、1975年8月10日-) は、トルコの元サッカー選手。ポジションはフォワード。
[編集] 来歴・人物
ドイツのケンプテンで、クリミア・タタール系トルコ人の出稼ぎ労働者の両親の間に生まれ、トルコ国籍のドイツ移民2世としてドイツで育った。9歳のとき、母、姉と共に実家のあるトルコのエスキシェヒルに父より一足先に帰国したが、4年後に再び父のいるドイツへと戻った。
ドイツ帰国後、アマチュアのサッカー選手となったイルハンは、SVレンツフリード、FCケンプテンを経て、FCアウグスブルクの在籍中にこのユースチームで優勝、1年後に19歳で1.FCケルンのユースに移籍した。1995年、家族の勧めで母国トルコでプロを目指し、アンカラのサッカークラブ、ゲンチレルビルリイに入団した。しかし、ドイツ育ちであったイルハンはトルコ語が不得手であったためにチームになじめず、半年で2試合、計80分出場したのみで活躍機会を与えらることもなく、また椎間板ヘルニアを患うなど、失意の内にドイツに帰国した。それから数ヶ月間、サッカーとは無縁の日々を送るものの、再び情熱を取り戻すことになる。
1997年、再びトルコでのプロ入りを目指し、トルコ2部リーグのクシャダススポルでデビューして注目を浴びた。1999年にトルコ1部リーグのサムスンスポルに移籍して好成績を残し、2001年には有力クラブの一つベシクタシュに移籍して2001-02年のシーズンに21ゴールを挙げ、得点王となった。
トルコ代表選手としては2001年10月のワールドカップ予選で初出場した。翌2002年のワールドカップ日本-韓国大会では、控え選手ながら準々決勝の対セネガル戦の延長戦で出場、決勝点となるゴールデンゴールを決めるなど、このチームの最多となる合計3得点を挙げ、トルコの3位躍進に貢献した。
トルコでもスター選手として人気のあるイルハンは、日本ではワールドカップの活躍中、「デビッド・ベッカムもかっこいいがそれにしてもあのトルコのあのいい男は誰?」と日本人女性の中で話題になり、人気者となった。女性週刊誌やワイドショーではたびたび彼の特集が組まれ、「イルハン王子」の愛称で女性を中心にファンを獲得し、写真集やDVDが発売されるなど一大ブームとなった。特に『週刊女性』は10週近くにもわたって連載が続けられた。
2004年2月、日本のヴィッセル神戸に移籍。ワールドクラスの金額(移籍金5億円、年俸3億5千万円の2年契約)で獲得したものの、膝の古傷の痛みの再発により試合には3試合にしか出場せず、6月20日にクラブに無断で帰国。クラブは戦力外とみなし、本人も復帰の意思を見せなかったため、そのまま退団することとなった。
2005年1月27日、冬の移籍市場で、ドイツのヘルタ・ベルリンとの契約に合意し移籍が決まったが、出場機会が無く同年6月にヘルタ・ベルリンも退団。次いで7月にトルコのアンカラギュジュへ入団したが、翌2006年1月に退団した。そして 2006年8月現役引退を表明した。
2008年6月7日、中田英寿が主催するエキシビションマッチ「+1フットボールマッチ」に出場。2得点を挙げた。
[編集] 所属クラブ
- 1995年-1996年
ゲンチレルビルリイ - 1997年-1998年
クシャダススポル - 1998年-2001年
サムスンスポル - 2001年-2004年
ベシクタシュJK - 2004年
ヴィッセル神戸 - 2005年
ヘルタ・ベルリン - 2005年-2006年
アンカラギュジュ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| トルコ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995-96 | ゲンチレルビルリイ | シュペルリガ | 2 | 0 | |||||||
| 1997-98 | クシャダススポル | 2.リガ | |||||||||
| 1998-99 | サムスンスポル | シュペルリガ | 27 | 4 | |||||||
| 1999-00 | サムスンスポル | シュペルリガ | 31 | 10 | |||||||
| 2000-01 | サムスンスポル | シュペルリガ | 31 | 12 | |||||||
| 2001-02 | ベシクタシュ | シュペルリガ | 30 | 21 | |||||||
| 2002-03 | ベシクタシュ | シュペルリガ | 23 | 7 | |||||||
| 2003-04 | ベシクタシュ | シュペルリガ | 13 | 8 | |||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | 神戸 | 32 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2004-05 | ヘルタ・ベルリン | ブンデス | 0 | 0 | |||||||
| トルコ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | アンカラギュシュ | シュペルリガ | 9 | 4 | |||||||
| 通算 | トルコ | シュペルリガ | |||||||||
| トルコ | 2.リガ | ||||||||||
| 日本 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | |||
| ドイツ | ブンデス | 0 | 0 | ||||||||
| 総通算 | |||||||||||
|
|||||||

