ウミト・ダヴァラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウミト・ダヴァラ Football pictogram.svg
名前
カタカナ ウミト・ダヴァラ
ラテン文字 ÜMIT Davala
基本情報
国籍 トルコの旗 トルコ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1973年7月30日(41歳)
出身地 ドイツの旗 ドイツ マンハイム
身長 184cm
選手情報
ポジション DF (RSB)、MF (RSH)
代表歴
1996-2004 トルコの旗 トルコ 41 (4)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウミト・ダヴァラÜmit Davala1973年7月30日 - )は、ドイツマンハイム出身で元トルコ代表サッカー選手。ポジションはDFサイドバックが主戦場だが、サイドハーフウイングもこなした。

2002年ワールドカップ日本を破る決勝ゴールを挙げた選手としても知られ、当時のモヒカンスタイルは話題となった。

経歴[編集]

クラブ[編集]

ウミト・ダヴァラは、VfRマンハイム、ASVフォイデンハイム、テュルクスポル・マンハイム、アフヨンスポル、ゲンジュレルビルリギ、ディヤルバクルスポル、イスタンブルスポルASを経て、1997年ガラタサライに入団。3つ連続でトルコのチャンピオンを獲得。2000年に、トルコ・フットボール・カップの決勝でベシクタシュと対戦し決勝で2ゴールを挙げ優勝に貢献した。同年には、クラブがレアル・マドリードアーセナルといったヨーロッパの強豪を破りUEFAカップの優勝に貢献した。

2001年9月、ウミトは、ガラタサライの前監督ファティ・テリムについて行きたかったため、500万ユーロでACミランに移籍。そして、テリムはミラノの監督に任命される。しかし、11月に、テリムは解任され、カルロ・アンチェロッティが新監督に就任。そしてその後、ウミトはレギュラーを失い、2002年夏には、ダリオ・シミッチと替わってインテル・ミラノに移籍するも、ガラタサライへすぐにレンタル移籍。2003年7月、ウミトはヴェルダー・ブレーメンにレンタル移籍し、ドイツチャンピオンシップとドイツカップ優勝に貢献した。2004年7月に、生涯契約されるも、怪我により出場機会が減る。2005年10月、負った腰損傷の回復はあまりに難しいと判明。そして、2005/2006シーズン途中、ブレーメンを解雇され、プロサッカー界を引退した。

代表[編集]

トルコ代表としてはUEFA欧州選手権20002002 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。2002年のワールドカップでは、決勝トーナメント1回戦で日本を破る決勝点を挙げた。また準々決勝では、セネガルに対してイルハン・マンスズの決勝点となるクロスを上げ勝利に貢献した。今大会では最終的に3位入賞という成績を収めた。

引退後[編集]

現役を引退後はフットサルの道へ進み、UEFAフットサル選手権では主将を務めた。またU-21トルコ代表のアシスタントコーチを一年間務めた後、2008年6月からガラタサライのアシスタントコーチに就任したが、同年10月に解任されている。

所属クラブ[編集]

外部リンク[編集]