マリオ・ケンペス
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マリオ・ケンペス |
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| 名前 |
| 本名 |
マリオ・アルベルト・ケンペス |
| 愛称 |
闘牛士(El Matador) |
| カタカナ |
マリオ・ケンペス |
| ラテン文字 |
Mario Alberto KEMPES |
| 基本情報 |
| 国籍 |
アルゼンチン |
| 生年月日 |
1954年7月15日(57歳) |
| 出身地 |
コルドバ州ベル・ビジェ |
| 身長 |
181cm |
| 体重 |
78kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
左 |
| 代表歴 |
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マリオ・アルベルト・ケンペス(Mario Alberto Kempes、1954年7月15日 - )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。
[編集] 人物
長髪をなびかせて突進する姿と豪快なプレー、高い得点能力で『エル・マタドール(El Matador、闘牛士)』と称されたアルゼンチンを代表するストライカー[1]。
地元開催となった1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会では、6得点を挙げて得点王とMVPを獲得し、アルゼンチンのW杯初優勝に大きく貢献した。決勝のオランダ代表戦では、延長前半に持ち味のドリブルから決勝ゴールを決め、前半の先制点と合わせて2得点の活躍だった[1]。
また1976年から在籍したスペインのバレンシアCFでは自身2度の得点王に輝き、1980年にはUEFAカップウィナーズカップ制覇に貢献するなどスター選手としてサポーターの人気を集めた。
1982年のワールドカップ・スペイン大会を最後に代表へ選出される事も無くなり、この頃を境に以前の様なプレーは影を潜める様になったが、その後も選手生活を続け、40歳を超えてなお現役選手としてプレーをしていた。
1996年に現役引退後は指導者としてアルバニアやボリビアなどのクラブで監督を歴任。現在は主に解説者として活躍している。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で73位に選出された。
[編集] 略歴
[編集] 所属クラブ
[編集] 代表歴
[編集] 個人タイトル
[編集] 監督・指導歴
[編集] 脚注
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アルゼンチン年間最優秀選手賞 |
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| 1970年代 |
70 ヤサルデ | 71 Pastoriza | 72 Bargas | 73 Brindisi | 74 Raimondo | 75 Scotta |76 パサレラ |77 フィジョール | 78 ケンペス | 79 マラドーナ
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| 1980年代 |
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| 1990年代 |
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| 2000年代 |
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| 2010年代 |
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