ガブリエル・カルデロン

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ガブリエル・カルデロン Football pictogram.svg
Gabriel Calderón.jpg
名前
本名 ガブリエル・ウンベルト・カルデロン
ラテン文字 Gabriel Humberto Calderón
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 1960年2月7日(53歳)
出身地 アルゼンチンの旗 チュブト州ラウソン
選手情報
ポジション ミッドフィルダー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1977
1977-1978
1978
1979-1981
1981-1983
1983-1987
1987-1990
1990-1992
1992-1993
1993-1994
Total
エル・ポウベニア
Racing Avellaneda ラシン・クラブ
Lanús ラヌース
Racing Avellaneda ラシン・クラブ
Independiente CAインデペンディエンテ
Betis レアル・ベティス
Paris SG パリ・サンジェルマン
Sion シオン
カーン
Lausanne-Sport ローザンヌ・スポルト
25 0(3)
28 0(3)
24 0(0)
85 (13)
74 (15)
131 (38)
102 (11)
47 (17)
36 0(2)
31 0(5)
583 (107)
代表歴2
1982-1990 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 23 (1)
監督歴
1997-2000
2003
2004-2005
2007-2008
2008-2010
2010-2011
2011-2012
2012-
カーン
Lausanne-Sport ローザンヌ・スポルト
サウジアラビア サウジアラビア代表
オマーン オマーン代表
Al Ittihad アル・イテハド
アル・ヒラル
バニヤスSC
バーレーン バーレーン代表
1. 国内リーグ戦に限る。2009年11月10日現在。
2. 2009年11月10日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ガブリエル・ウンベルト・カルデロンGabriel Humberto Calderón1960年2月7日 - )は、アルゼンチンチュブト州ラウソン(Rawson)出身の元同国代表サッカー選手、指導者である。

略歴 [編集]

1976年にわずか16歳でブエノスアイレスアベヤネダ地区にある小さなクラブチームのエル・ポウベニアでキャリアをスタートさせたカルデロンは、翌年、アルゼンチンの名門ラシン・クラブへとステップアップを成功させる。クラブでの活躍が当時アルゼンチン代表とアルゼンチンユース代表監督を兼務していたセサル・ルイス・メノッティの目にとまり、ワールドユース日本大会に出場する。若き日のディエゴ・マラドーナラモン・ディアスらと共に優勝に貢献。

その後、クラブレベルではCAインデペンディエンテスペインレアル・ベティスフランスパリSGと、国内外のビッグクラブを渡り歩き、代表でも1982年1990年と2度ワールドカップに出場している。

引退後はテレビの解説者として過ごしていたカルデロンであったが、1997-1998シーズンから、現役時代にプレーしたこともあるフランスリーグ2部カーンで監督業をスタートさせた。2004年の終わりからはサウジアラビア代表監督を引き継いで、ドイツを目指すことになる。

2005年6月8日、ホームのリヤドウズベキスタンを3-0で粉砕し、ドイツへの切符を手に入れる。この時カルデロンは「ワールドカップへの資格を得るのは、すべての監督の夢であり、この結果に大変満足している。加えて私は、私がこの国に足を踏み入れたその時からこれを目標に仕事をしてきたので、とても幸せな気分だ。」と語っている。

しかし、それからわずか半年後、チームのパフォーマンスに対して不満を持ったサウジアラビアサッカー連盟は、マルコス・パクェタにチームを託したため、ドイツで指揮をとることは叶わなかった。

2007年4月9日、カルデロンはオーマン代表監督に就任。しかし、長くは続かず、 翌2008年6月にサウジアラビア・プレミアリーグアル・イテハドの監督へ。宿敵アル・ヒラルのホーム、キング・ファハド・スタジアムでの対戦を制し、就任初年度にリーグ優勝を達成している。

外部リンク [編集]