ミヒャエル・バラック
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| 名前 | ||||
| 愛称 | ミヒャ、バッカ、バレ、小皇帝 | |||
| ラテン文字 | Michael BALLACK | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1976年9月26日(35歳) | |||
| 出身地 | ゲルリッツ | |||
| 身長 | 189cm | |||
| 体重 | 85kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | MF | |||
| 背番号 | 13 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ミヒャエル・バラック(Michael Ballack、1976年9月26日 - )は、ドイツ・ゲルリッツ(旧東ドイツ)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ・センターハーフ)。
目次 |
[編集] 経歴
1997年、ブンデスリーガ・カイザースラウテルンに入団。2年目よりレギュラーとして定着し、能力の高さを発揮する。1999年にバイヤー・レバークーゼンへ移籍するとドイツ代表にも招集された。2001-02シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ・国内リーグ・国内カップ戦でそれぞれ準優勝に貢献した。
2002年にはブンデスリーガの強豪クラブであるバイエルン・ミュンヘンに加入し、中盤の核として活躍。
その活躍ぶりから同クラブのかつての名選手・フランツ・ベッケンバウアーの後継者との評価も高く、ベッケンバウアーのニックネーム「皇帝」に準え、バラックは「小皇帝(kleiner Kaiser)」と呼ばれていた。
2007年4月ニューカッスル戦で相手選手との接触により左足首を負傷。以降2度に渡って手術をし、8ヶ月の戦線離脱となる。しかし足首の負傷が完治した2007年12月以降はパフォーマンスも向上し、完全に復調。イングランドでのスタイルにも適応し、チャンピオンズリーグではクラブ史上初の決勝進出への原動力となった。
2009-10年シーズンは、プレミアリーグ2009-2010において32試合に出場し、チェルシーの4シーズンぶりのプレミアリーグ優勝に貢献。しかしシーズン最終戦であるFAカップ決勝のポーツマス戦で靭帯を痛め、W杯出場が絶望的となった。チェルシーでは4シーズンでリーグ戦105試合に出場した。2010年夏、契約満了によりチェルシーを退団し、2010年6月25日には母国ブンデスリーガのバイヤー・レバークーゼンへ復帰した[1]。
[編集] 代表
ドイツ代表には1999年4月28日のスコットランド戦で代表デビューを果たす。2002 FIFAワールドカップ準決勝の韓国戦では、イエローカードをもらうと累積警告で決勝に出場できなくなる事を知りながら、味方のミスをカバーする為に戦術的ファウルを犯しイエローカードをもらう。直後にチームを決勝へと導くゴールを挙げた。欠場した決勝には敗れて準優勝に終わった。
ユルゲン・クリンスマンが2004年に代表監督に就任すると東ドイツ出身の選手として初めてキャプテンに指名された。自国開催となる2006 FIFAワールドカップでは得点こそできなかったが、その構成力とキャプテンシーで自国を3位に導く活躍を見せた。
EURO2008ではグループリーグのオーストリア戦で決勝点を挙げるなどチームの準優勝に貢献した。
2010 FIFAワールドカップは、前述5月の負傷により欠場となった。ポーツマスMFのケヴィン=プリンス・ボアテングによるタックルによるもので、右足首靭帯断裂と診断された。[2]
2011年6月には、ドイツサッカー連盟から代表引退が発表された[3]。しかし、バラック自身はこの発表に不満を持っており、引退試合への出場も拒否している[4]。
[編集] 発言
バラックは自分自身やサッカーに関して、「ヒーローという言葉は好きじゃない。サッカーは1人でやるものじゃない。チームスポーツだ。」との発言を残している[要出典]。
[編集] エピソード
- 2009年9月9日、アゼルバイジャン戦でドイツ代表としてのキャップ数を95とした。これにより歴代ドイツ代表で出場数がゼップ・マイヤー、カール=ハインツ・ルンメニゲと並んで7位タイとなった。
- 前述のアゼルバイジャン戦での先制点で通算得点数を42とし、歴代ドイツ代表において7位に位置する。中盤の選手としてのバラックの並外れた得点能力を示す数字といえる。
- ドイツ年間最優秀選手賞を3度受賞しており、ベッケンバウアーの4度に次ぐ数字である。
- 3児の父であり、3人いずれも男児である。また、それぞれが生まれた後の試合でゴールを上げている。
- 背番号13はレバークーゼンに移籍して以来つけている。(代表では2000年頃から13番を着け続けている。)
- チェルシーに移籍した際、すぐに背番号が発表されなかった。クラブは当初、19番を与えようとしたが、夏のアメリカ遠征で当時13を付けていたウィリアム・ギャラスが無断欠席したことで、13はバラックのものとなった。この夏にウィリアム・ギャラスはアーセナルに移籍した。
[編集] シルバー・コレクター
現代サッカー最高峰の選手の一人だが、国際タイトルにはまったく縁がなく、チャンピオンズリーグ、ワールドカップ、欧州選手権ともに最高成績が準優勝ということからシルバーコレクターという不名誉な通称を持つ。「シルバー四冠」を2度達成した。しかしUEFAチャンピオンズリーグにおいては、2つのクラブで、それぞれのクラブ史上初の決勝進出へと導く大きな原動力となっている。ちなみに2001-02シーズンのブンデスリーガでは得点ランクもマルシオ・アモローゾ、マルティン・マックスの18得点に次ぐ17得点で2位だった。
- 2001-02
- サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ) 2位 バイエル・レバークーゼン
- DFBポカール 準優勝 バイエル・レバークーゼン
- UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02 準優勝 バイエル・レバークーゼン
- 2002 FIFAワールドカップ 準優勝 ドイツ代表
- 2007-08
- プレミアリーグ 2位 チェルシーFC
- カーリングカップ 準優勝 チェルシーFC
- UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08 準優勝 チェルシーFC
- UEFA欧州選手権2008 準優勝 ドイツ代表
[編集] 所属クラブ
- 1983-1995

FCカール・マルクス・シュタット/ケムニッツFCユース - 1995-1997
ケムニッツFC - 1997-1999
カイザースラウテルン - 1999-2002
バイヤー・レバークーゼン - 2002-2005
バイエルン・ミュンヘン - 2006-2010
チェルシーFC - 2010-
バイヤー・レバークーゼン
[編集] 個人成績
| シーズン | クラブ | リーグ | 国内リーグ | 国内カップ戦 | リーグカップ | 大陸カップ戦 | 合計 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
| ドイツ | ブンデスリーガ | DFBポカール | - | 欧州 | 合計 | |||||||
| 95–96 | ケムニッツFC | ツヴァイテリーガ | 15 | 0 | - | - | 15 | 0 | ||||
| 96–97 | レギオナルリーガ | 34 | 10 | - | - | 34 | 10 | |||||
| 97–98 | カイザースラウテルン | ブンデスリーガ | 16 | 0 | 1 | 0 | - | - | 17 | 0 | ||
| 98–99 | 30 | 4 | 1 | 0 | - | 6 | 0 | 37 | 4 | |||
| 99–00 | バイエル・レバークーゼン | ブンデスリーガ | 23 | 3 | 0 | 0 | - | 2 | 2 | 25 | 5 | |
| 00–01 | 27 | 7 | 2 | 0 | - | 5 | 2 | 34 | 9 | |||
| 01–02 | 29 | 17 | 4 | 1 | - | 15 | 6 | 48 | 24 | |||
| 02–03 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 26 | 10 | 5 | 4 | - | 7 | 1 | 38 | 15 | |
| 03–04 | 28 | 7 | 3 | 2 | - | 8 | 0 | 39 | 9 | |||
| 04–05 | 27 | 13 | 4 | 3 | - | 9 | 2 | 40 | 18 | |||
| 05–06 | 26 | 14 | 5 | 1 | - | 6 | 1 | 37 | 16 | |||
| イングランド | プレミアリーグ | FAカップ | リーグカップ | 欧州 | 合計 | |||||||
| 06–07 | チェルシー | プレミアリーグ | 26 | 4 | 3 | 1 | 5 | 0 | 10 | 2 | 44 | 7 |
| 07-08 | 18 | 7 | 2 | 0 | 1 | 0 | 7 | 2 | 28 | 9 | ||
| 08-09 | 29 | 1 | 6 | 3 | 1 | 0 | 10 | 0 | 46 | 4 | ||
| 09-10 | 32 | 4 | 4 | 1 | 2 | 0 | 6 | 0 | 44 | 5 | ||
| ドイツ | ブンデスリーガ | DFBポカール | - | 欧州 | 合計 | |||||||
| 10-11 | バイエル・レバークーゼン | ブンデスリーガ | 17 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 1 | 19 | 1 | |
| 11–12 | - | - | 1 | 0 | - | - | - | - | - | |||
| 通算 | ドイツ | 298 | 85 | 26 | 11 | - | 60 | 15 | 383 | 111 | ||
| イングランド | 105 | 16 | 15 | 5 | 9 | 0 | 33 | 4 | 165 | 26 | ||
| 合計 | 403 | 101 | 41 | 16 | 9 | 0 | 93 | 19 | 549 | 137 | ||
[編集] 獲得タイトル
個人
- ドイツ年間最優秀選手賞 3回(2002,2003,2005)
- UEFA年間最優秀MF賞: 2001-02
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー: 2002
- FIFA100
- FFIFU;2001-02,2005-06
- バロンドール;ノミネート,2002,2003,2005,2006,2008
- 2002 FIFAワールドカップ;FIFA選出ベストイレブン
- UEFA欧州選手権2004;オールスターチーム選出
- FIFAコンフェデレーションズカップ2005;シルバーシューズ賞
- 2006 FIFAワールドカップ;オールスターチーム選出
- 銀のローレル(2006)
- UEFA欧州選手権2008;オールスターチーム選出
- Tor des Jahres;2008 対オーストリア戦
代表
- キリンチャレンジカップ 2004
- FIFAコンフェデレーションズカップ2005 3位
カイザースラウテルン時代
- ブンデスリーガ優勝 1回(1997-98)
バイエルン・ミュンヘン時代
- ブンデスリーガ優勝 3回(2002-03、2004-05、2005-06)
- DFBポカール優勝 3回(2002-03、2004-05、2005-06)
- DFLリーガポカール優勝 1回(2004)
チェルシーFC時代
- プレミアリーグ優勝 1回(2009-10)
- FAカップ優勝 3回(2006-07,2008-09,2009-10)
- カーリングカップ優勝 1回(2006-07)
- コミュニティーシールド優勝 1回(2009)
[編集] 脚注
- ^ バラック、レバークーゼンに復帰UEFA.com、2010年6月25日
- ^ バラック、ワールドカップ絶望UEFA.com、2010年5月17日
- ^ “バラックが代表引退 ドイツ代表主将務める”. 共同通信 (2011年6月16日). 2011年6月18日閲覧。
- ^ “バラック、ドイツ代表引退試合への出場を拒否「偽善行為そのもの」”. スポーツナビ (2011年6月18日). 2011年6月18日閲覧。
[編集] 外部サイト
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