ジュニーニョ・ペルナンブカーノ

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ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
ブラジルのTVにて(2016年)
名前
本名 アントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール
Antônio Augusto Ribeiro Reis Junior
愛称 フリーキックの魔術師 魔法の右足
カタカナ ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
ラテン文字 JUNINHO PERNAMBUCANO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1975-01-30) 1975年1月30日(49歳)
出身地 レシフェ
身長 178cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1991-1992 ブラジルの旗 スポルチ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1994 ブラジルの旗 スポルチ 24 (2)
1995-2001 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 111 (26)
2001-2009 フランスの旗 リヨン 248 (75)
2009-2011 カタールの旗 アル・ガラファ 40 (15)
2011-2012 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 50 (11)
2013 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ 13 (0)
2013 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 21 (2)
代表歴
1999-2006 ブラジルの旗 ブラジル 40 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(Juninho Pernambucano)ことアントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール(Antônio Augusto Ribeiro Reis Junior, 1975年1月30日 - )は、ブラジルペルナンブコ州レシフェ出身の元サッカー選手、現サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元ブラジル代表。現在はオリンピック・リヨンのスポーツディレクター。

呼称の「ペルナンブカーノ」は「ペルナンブコ州の人」の意。

現役時代は母国のヴァスコ・ダ・ガマでの活躍や、オリンピック・リヨンのフランスリーグ7連覇の主力としてチームに貢献した。フリーキックの世界的名手としても知られ、直接フリーキックによる歴代最多得点を記録している選手である(後述#フリーキックも参照)[1]

クラブ経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1975年、ペルナンブコ州レシフェの裕福な家庭で、5人兄弟の末っ子として誕生。少年時代からフットサルに夢中で、自身が11歳の時に設立し、初代会長を務めた「アルバトロス」というフットサルチームで活躍[2]。1991年、地元の有力クラブ・スポルチに入団した。

スポルチ[編集]

1993年、18歳でトップチームデビュー。両親から勉強を最優先にするよう命じられたため、ヴァスコ・ダ・ガマからオファーが届くまで、昼間はサッカーの練習、夜間は高校で経営学を学ぶ生活を送った[3]

ヴァスコ・ダ・ガマ[編集]

1995年、ヴァスコ・ダ・ガマへ移籍。1998年コパ・リベルタドーレス準決勝第2戦のアルゼンチンのリーベル・プレート戦では、鋭いカーブを描き落ちる得意の直接フリーキックを決め[4]、このゴールが決勝点となり、ヴァスコはコパ・リベルタドーレス決勝に進出、決勝のエクアドルのバルセロナ戦の第2戦では2アシストの活躍でコパ・リベルタドーレスの制覇に貢献、同年トヨタカップではレアル・マドリードを相手に強烈なボレーで同点となるゴールを決めたが、試合は2-1で敗れた[5]。2000年、ブラジル全国選手権セリエAコパ・メルコスールのタイトルを獲得し、ボーラ・ジ・プラッタを受賞した。

リヨン[編集]

2001年、リヨンへ移籍。迎えた2001-02シーズン、クラブ史上初のリーグ優勝を達成すると、その後も国内最強チームの座を守り続け、リーグ・アン7連覇の偉業を成し遂げ、UEFAチャンピオンズリーグにおいても、2003-04シーズンから6年連続で決勝トーナメントに進出。。リヨン在籍時は得意のフリーキックだけで40得点以上を記録し[6]、2006年リーグ・アン年間最優秀選手賞をはじめとする多数の個人タイトルを獲得するなど、クラブの黄金期を中盤の要として支えた[7]クラウディオ・カサッパの移籍後は主将を務め、チームの精神的支柱の役割も果たした[8]

2001-02シーズン、8月12日、第2節バスティア戦で移籍後初ゴールを決め[9]、11節のソショー戦では移籍後初のFKからのゴールを決めた[9]。2002-03シーズン、9月27日、第11節のレンヌ戦ではハットトリックを達成した[9]。2003-04シーズン、9月17日チャンピオンズリーググループリーグのRSCアンデルレヒト戦でチャンピオンズリーグ初ゴールを決め、9月27日の第8節のレンヌ戦ではハットトリックを達成した[9]

2005年9月13日、UEFAチャンピオンズリーグのレアル・マドリード戦ではFKから1ゴール[9] 1アシストを決め勝利に貢献すると、11月5日のオリンピアコス戦まで4試合連続アシストを決め決勝トーナメント進出に貢献、チャンピオンズリーグ5試合で3ゴール4アシストを決めた。

2008-09シーズン、UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグのフィオレンティーナ戦、FCバイエルン・ミュンヘン戦、ステアウア・ブカレスト戦と3試合連続アシストを決め、決勝トーナメント進出に貢献、の決勝トーナメント1回戦1stレグ・FCバルセロナ戦では直接FKを決めたが試合は1-1で引き分けた[8]、2ndレグでは1ゴール[9] 1アシストを記録したが、リードを許す厳しい展開の中、試合終了間際に退場処分を受けた。一方リーグでは8連覇を逃し、ホーム最終戦SMカーン戦でリヨン通算100得点を達成。この記録を置き土産に、サポーターから惜しまれつつリヨンを去った[10]

アル・ガラファ[編集]

2009年6月、アル・ガラファへ移籍。迎えた2009-10シーズン、カタール・スターズリーグクラウンプリンスカップカタール・スターズカップの3冠を達成し、カタールサッカー協会年間最優秀選手賞を受賞した[11]

ヴァスコ・ダ・ガマ復帰[編集]

2011年、月給260ユーロ(約2万8600円)という破格の契約で10年ぶりにヴァスコ・ダ・ガマへ復帰[12]。2012年、ブラジル全国選手権、コパ・リベルタドーレス、コパ・スダメリカーナで合計10ゴール18アシストを記録する活躍で[13]クラブ年間最優秀選手に選出された。

ニューヨーク・レッドブルズ[編集]

2013年、リヨン時代の指揮官であるジェラール・ウリエがグローバル・スポーツディレクターを務めるニューヨーク・レッドブルズへ移籍[14]。同年7月3日、退団が発表された[15]

ヴァスコ・ダ・ガマ再復帰[編集]

2013年7月12日、古巣のヴァスコ・ダ・ガマへ再復帰[16]

2014年1月30日、ヴァスコ・ダ・ガマのロベルト・ディナミテ会長は、ジュニーニョの現役引退を発表した[17]。2013年7月27日クリシューマECでのゴールが現役ラストゴールとなった、最後の出場は2013年11月10日のサントスFC戦。

代表経歴[編集]

ルシェンブルゴ代表監督時代の1999年3月28日、親善試合韓国戦で国際Aマッチ初出場、3日後に行われた日本戦にも出場。コパ・アメリカ2001にも出場したが、スコラーリ監督が代表監督に就任後は代表から遠ざかった。またFIFAコンフェデレーションズカップ2005などの代表メンバーに選出されているが、同年代にカカロナウジーニョという稀代の名選手がおり、控えに回ることが多かった[18]

2005年[FIFAコンフェデレーションズカップ2005、ギリシャ戦で代表初ゴールを決めた。

2006年、ドイツワールドカップの代表メンバーに選出され、グループリーグ日本戦に先発フル出場。後半8分に強烈な無回転のミドルシュートを決めた。日本代表のゴールキーパーを務めていた川口能活はこのゴールについて「途中でボールが消えた」「あんなシュートは、今まで体験したことがなかった」と脱帽した[19][20]。準々決勝のフランス戦では後半63分から途中出場したが、この試合に0-1で敗れ、同大会終了後、代表から引退した[21]

現役引退後[編集]

現役引退後は、母国ブラジルにてサッカー解説者として活躍。2019年5月、古巣オリンピック・リヨンのスポーツディレクターに就任[22]

プレースタイル[編集]

フリーキック[編集]

フリーキックを蹴る寸前のジュニーニョ(2009年)

世界屈指のフリーキックの名手と謳われ、2009年にイギリス紙デイリー・メールが行った「偉大なるフリーキックの王様」という企画では、記者投票で第2位(第1位は自国のスターであるデビッド・ベッカム[23]。2016年に同様の企画で、一般投票も加算した英メディア『Squawka』の発表では、ベッカムを抑え第1位に輝いている[24]。状況によって様々な球種を使い分けることが可能だが、特に無回転のブレ球は彼の最大の武器として名高く、30m以上の距離から何度もゴールを決めている[25]。その威力から、ロベルト・カルロスの異名「悪魔の左足」に擬えて「魔法の右足」と称されることもある[26]

直接フリーキックによる得点の歴代一位となる77本の直接FKによる得点を記録している[1]

同じくフリーキックの名手であるアンドレア・ピルロは、彼のフリーキックの蹴り方を見習っていた[27]中村俊輔やべっちFCの放送の中で、ジュニーニョのDVDを購入して、繰り返し見ている事を語った。リヨン時代、リオネル・メッシは彼を「世界一のフリーキッカー」であると評している[28]

UEFAチャンピオンズリーグの舞台においても印象的なフリーキックを数多く決めており、2004-05シーズンの決勝トーナメント1回戦1stレグ・ブレーメン戦、2005-06シーズンの決勝トーナメント1回戦1stレグ・PSVアイントホーフェン戦では、いずれも無回転のシュートを長距離から沈めている。後者のゴールは、ボールの急激な落下にブラジル代表ゴールキーパーエウレリョ・ゴメスが全くついて行けなかった[18]

2008-09シーズンの決勝トーナメント1回戦1stレグ・FCバルセロナ戦で決めた強烈なフリーキックは、敵将ジョゼップ・グアルディオラをして「ゴールに7人キーパーを並べても止められない」と言わしめた[8]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1993 スポルチ セリエA 2 0
1994 22 2
1995 ヴァスコ・ダ・ガマ 21 4
1996 15 7
1997 18 4
1998 18 4
1999 17 2
2000 22 5
2001 0 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2001-02 リヨン 12 リーグ・アン 29 5 2 0 2 0 33 5
2002-03 8 31 13 1 0 1 0 33 13
2003-04 32 10 0 0 3 2 35 12
2004-05 32 13 1 0 2 1 35 14
2005-06 32 9 0 0 4 1 36 10
2006-07 31 10 2 0 2 1 35 11
2007-08 32 8 2 0 4 2 38 10
2008-09 29 7 1 0 1 0 31 7
カタール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 アル・ガラファ 5 QSL1部 21 7 6 3 1 0 28 10
2010-11 19 8 5 3 3 1 27 12
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2011 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 セリエA 21 4 -
2012 29 7 13 4 - 42 11
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
2013 NYレッドブルズ 8 MLS 13 0 - 2 0 15 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2013 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 セリエA
通算 ブラジル セリエA 185 39
フランス リーグ・アン 248 75 9 0 19 7 276 82
カタール QSL1部 40 15 11 6 4 1 55 22
アメリカ MLS 13 0 - 2 0 15 0
総通算 486 129

タイトル[編集]

クラブ[編集]

スポルチ・レシフェ
CRヴァスコ・ダ・ガマ
オリンピック・リヨン
アル・ガラファ

代表[編集]

U-21ブラジル代表
ブラジル代表

個人[編集]

代表歴[編集]

試合数[編集]

代表国 クラブ シーズン 出場 得点
ブラジルの旗 ブラジル ヴァスコ・ダ・ガマ 1999 4 0
2000 3 0
2001 4 0
リヨン 2001–02 0 0
2002–03 2 0
2003–04 7 0
2004–05 10 1
2005–06 10 5
通算 40 6

得点[編集]

# 日時 場所 相手 結果 大会
1. 2005年6月16日 ドイツの旗 ライプツィヒ  ギリシャ 3–0 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
2. 2005年10月9日 ボリビアの旗 ラパス  ボリビア 1-1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
3. 2005年11月12日 アラブ首長国連邦の旗 アブダビ  アラブ首長国連邦 8–0 国際親善試合
4.
5. 2006年6月4日 スイスの旗 ジュネーヴ  ニュージーランド 4-0 国際親善試合
6. 2006年6月22日 ドイツの旗 ドルトムント  日本 4–1 2006 FIFAワールドカップ

脚注[編集]

  1. ^ a b 歴代最多の直接FKを決めた選手とは? メッシやC・ロナウドはまだトップ10圏外 - フットボールチャンネル”. www.footballchannel.jp. kanzen Ltd. 2019年4月11日閲覧。
  2. ^ Em Recife, antes de virar Rei, Juninho Pernambucano já era líder e craque da molecada - Lancenet.com 2012年7月8日
  3. ^ 日本スポーツ企画出版社『ワールドサッカーダイジェスト』2005年10月6日号
  4. ^ Juninho se emociona com homenagem 2010年4月2日
  5. ^ FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年6月6日閲覧。
  6. ^ “悪魔の右足”バルサゴールを破る - ゲキサカ 2009年2月25日
  7. ^ ジュニーニョ、リヨンと契約解除 - ゲキサカ 2009年5月29日
  8. ^ a b c レアル戦を前に“ジュニーニョ復帰待望論”が巻き起こるリヨン - livedoorスポーツ 2010年2月17日
  9. ^ a b c d e f Juninho All goals”. www.transfermarkt.com. 2020年4月1日閲覧。
  10. ^ ジュニーニョ、リヨン通算100ゴール 「やめないでくれ」サポーター乱入 - livedoorスポーツ 2009年5月25日
  11. ^ Juninho Pernambucano e Caio Jr ganham prêmios no Qatar - 2010年5月17日
  12. ^ 元ブラジル代表MFジュニーニョが月給約3万円で古巣に復帰 - livedoorスポーツ 2011年4月29日
  13. ^ Juninho Pernambucano - Performance data - transfermarkt.com
  14. ^ 元ブラジル代表ジュニーニョがNYレッドブルズと契約 - Goal.com 2012年12月18日
  15. ^ Red Bulls Reach Mutual Agreement to Cancel Contract for Midfielder Juninho - New York Red Bulls 2013年7月4日
  16. ^ Juninho chega e já pega no batente - Vasco da Gama 2013年7月12日
  17. ^ FKの名手ジュニーニョが引退を決断 - Goal 2014年2月14日
  18. ^ a b CLのセレソン対決。 - Number Web 2006年3月1日
  19. ^ 川口「機中で悔しさが込み上げた」 - nikkansports.com 2006年7月9日
  20. ^ 川口能活 これからも戦いは続く。 - Number Web 2006年7月19日
  21. ^ Juninho se despede da seleção - GloboEsporte.com 2006年7月1日
  22. ^ リヨン、英雄ジュニーニョがSDに。 時代が変われば頑固な会長も変わる - footballista 2019年6月18日
  23. ^ 英紙「偉大なFKの王様」40位に俊輔、1位はベッカム - ゲキサカ 2009年4月11日
  24. ^ 中村俊輔のFKはメッシやCR7より上! 歴代ベストフリーキッカーTOP10に堂々ランクイン - theWORLD
  25. ^ Who is the free-kick master? - FIFA.com 2007年10月30日
  26. ^ ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル) - サカつく×サポティスタ 2009年5月14日
  27. ^ The 23 Lippi : Andrea Pirlo - Quattro Tratti 2010年5月11日
  28. ^ メッシも「世界一」と絶賛するジュニーニョ、先制FKは「よく落ちた」 - livedoorスポーツ 2009年2月25日

外部リンク[編集]