ジュニーニョ・ペルナンブカーノ

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ジュニーニョ・ペルナンブカーノ Football pictogram.svg
Juninho wikipedia.jpg
名前
本名 Antônio Augusto Ribeiro Reis Junior
愛称 フリーキックの魔術師
カタカナ アントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール
ラテン文字 JUNINHO PERNAMBUCANO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1975年1月30日(39歳)
出身地 ブラジルの旗 ペルナンブコ州レシフェ
身長 178cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1991-1992 ブラジルの旗 スポルチ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1994 ブラジルの旗 スポルチ 24 (2)
1995-2001 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 111 (26)
2001-2009 フランスの旗 リヨン 248 (75)
2009-2011 カタールの旗 アル・ガラファ 40 (15)
2011-2012 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 50 (11)
2013 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ 13 (0)
2013 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 21 (2)
代表歴
1999-2006 ブラジルの旗 ブラジル 40 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(Juninho Pernambucano)ことアントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール(Antônio Augusto Ribeiro Reis Junior, 1975年1月30日 - )は、ブラジル連邦共和国ペルナンブコ州レシフェ市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダーブラジル代表であった。

呼称の「ペルナンブカーノ」は「ペルナンブコ州の人」の意である。フリーキックの名手として知られる(後述)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

1975年ペルナンブコ州レシフェの裕福な家庭で、5人兄弟の末っ子として誕生。少年時代からフットサルに夢中で、自身が11歳の時に設立し、初代会長を務めた「アルバトロス」というフットサルチームで活躍[1]1991年、地元の有力クラブ・スポルチに入団した。

スポルチ[編集]

1993年、18歳でトップチームデビュー。両親から勉強を最優先にするよう命じられたため、ヴァスコ・ダ・ガマからオファーが届くまで、昼間はサッカーの練習、夜間は高校で経営学を学ぶ生活を送った[2]

ヴァスコ・ダ・ガマ[編集]

1995年、ヴァスコ・ダ・ガマへ移籍。1998年コパ・リベルタドーレスを制し、トヨタカップに出場した。2000年ブラジル全国選手権セリエAコパ・メルコスールのタイトルを獲得し、ボーラ・デ・プラッタ賞を受賞した。

リヨン[編集]

2001年リヨンへ移籍。迎えた2001-02シーズン、クラブ史上初のリーグ優勝を達成すると、その後も国内最強チームの座を守り続け、リーグ・アン7連覇の偉業を成し遂げた。UEFAチャンピオンズリーグにおいても、2003-04シーズンから6年連続で決勝トーナメントに進出。リヨン在籍時は得意のフリーキックだけで40得点以上を記録し[3]、2006年リーグ・アン年間最優秀選手賞をはじめとする多数の個人タイトルを獲得するなど、クラブの黄金期を中盤の要として支えた[4]クラウディオ・カサッパの移籍後は主将を務め、チームの精神的支柱の役割も果たした[5]

リーグ8連覇を逃した2008-09シーズン、ホーム最終戦SMカーン戦でリヨン通算100得点を達成。この記録を置き土産に、サポーターから惜しまれつつリヨンを去った[6]

アル・ガラファ[編集]

2009年6月、アル・ガラファへ移籍。迎えた2009-10シーズン、カタール・スターズリーグクラウンプリンスカップカタール・スターズカップの3冠を達成し、カタールサッカー協会年間最優秀選手賞を受賞した[7]

ヴァスコ・ダ・ガマ復帰[編集]

2011年、月給260ユーロ(約2万8600円)という破格の契約で10年ぶりにヴァスコ・ダ・ガマへ復帰[8]2012年、ブラジル全国選手権、コパ・リベルタドーレス、コパ・スダメリカーナで合計10ゴール18アシストを記録する活躍で[9]クラブ年間最優秀選手に選出された。

ニューヨーク・レッドブルズ[編集]

2013年、リヨン時代の指揮官であるジェラール・ウリエがグローバル・スポーツディレクターを務めるニューヨーク・レッドブルズへ移籍[10]。同年7月3日、退団が発表された[11]

ヴァスコ・ダ・ガマ再復帰[編集]

2013年7月12日、古巣のヴァスコ・ダ・ガマへ再復帰[12]

2014年1月30日、ヴァスコ・ダ・ガマのロベルト・ディナミテ会長がジュニーニョ現役を引退することを明らかにした[13]

ブラジル代表[編集]

1999年3月28日、親善試合韓国戦で国際Aマッチ初出場。コパ・アメリカ2001FIFAコンフェデレーションズカップ2005などの代表メンバーに選出されているが、同年代にカカロナウジーニョという稀代の名選手がおり、控えに回ることが多かった[14]

2006年ドイツワールドカップの代表メンバーに選出され、グループリーグ日本戦に先発フル出場。後半8分に強烈な無回転のミドルシュートを決めた。日本代表のゴールキーパーを務めていた川口能活はこのゴールについて「途中でボールが消えた」「あんなシュートは、今まで体験したことがなかった」と脱帽した[15][16]。同大会終了後、代表から引退した[17]

プレースタイル[編集]

フリーキック[編集]

世界屈指のフリーキックの名手と謳われ、2009年にイギリス紙デイリー・メールが行った「偉大なるフリーキックの王様」という企画では、記者投票で第2位に選ばれた(第1位は自国のスターであるデイビッド・ベッカム[18]。状況によって様々な球種を使い分けることが可能だが、特に無回転のブレ球は彼の最大の武器として名高く、30m以上の距離から何度もゴールを決めている[19]。その威力から、ロベルト・カルロスの異名「悪魔の左足」に擬えて「魔法の右足」と称されることもある[20]

同じくフリーキックの名手であるアンドレア・ピルロは、彼のフリーキックの蹴り方を見習っていた[21]リヨン時代、リオネル・メッシは彼を「世界一のフリーキッカー」であると評している[22]

UEFAチャンピオンズリーグの舞台においても印象的なフリーキックを数多く決めており、2004-2005シーズンの決勝トーナメント1回戦ファーストレグ・ブレーメン戦、2005-2006シーズンの決勝トーナメント1回戦ファーストレグ・PSVアイントホーフェン戦では、いずれも無回転のシュートを長距離から沈めている。後者のゴールは、ボールの急激な落下にブラジル代表ゴールキーパーエウレリョ・ゴメスが全くついて行けなかった[14]

2008-09シーズンの決勝トーナメント1回戦ファーストレグ・FCバルセロナ戦で決めた強烈なフリーキックは、敵将ジョゼップ・グアルディオラをして「ゴールに7人キーパーを並べても止められない」と言わしめた[5]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 1991年 - 1992年 ブラジルの旗 スポルチ・レシフェ
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1993 スポルチ セリエA 2 0
1994 22 2
1995 ヴァスコ・ダ・ガマ 21 4
1996 15 7
1997 18 4
1998 18 4
1999 17 2
2000 22 5
2001 0 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯 フランス杯 期間通算
2001-02 リヨン 12 リーグ・アン 29 5 2 0 2 0 33 5
2002-03 8 31 13 1 0 1 0 33 13
2003-04 32 10 0 0 3 2 35 12
2004-05 32 13 1 0 2 1 35 14
2005-06 32 9 0 0 4 1 36 10
2006-07 31 10 2 0 2 1 35 11
2007-08 32 8 2 0 4 2 38 10
2008-09 29 7 1 0 1 0 31 7
カタール リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2009-10 アル・ガラファ 5 QSL1部 21 7 6 3 1 0 28 10
2010-11 19 8 5 3 3 1 27 12
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2011 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 セリエA 21 4 -
2012 29 7 13 4 - 42 11
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2013 NYレッドブルズ 8 MLS 13 0 - 2 0 15 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2013 ヴァスコ・ダ・ガマ 8 セリエA
通算 ブラジル セリエA 185 39
フランス リーグ・アン 248 75 9 0 19 7 276 82
カタール QSL1部 40 15 11 6 4 1 55 22
アメリカ MLS 13 0 - 2 0 15 0
総通算 486 129

タイトル[編集]

代表[編集]

ブラジルの旗 U-21ブラジル代表
ブラジルの旗 ブラジル代表

クラブ[編集]

ブラジルの旗 スポルチ・レシフェ
ブラジルの旗 CRヴァスコ・ダ・ガマ
フランスの旗 オリンピック・リヨン
カタールの旗 アル・ガラファ

個人[編集]

代表歴[編集]

試合数[編集]

代表国 クラブ シーズン 出場 得点
ブラジルの旗 ブラジル ヴァスコ・ダ・ガマ 1999 4 0
2000 3 0
2001 4 0
リヨン 2001–02 0 0
2002–03 2 0
2003–04 7 0
2004–05 10 1
2005–06 10 5
通算 40 6

得点[編集]

# 日時 場所 相手 結果 大会
1. 2005年6月16日 ドイツの旗 ライプツィヒ  ギリシャ 3–0 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
2. 2005年10月9日 ボリビアの旗 ラパス  ボリビア 1-1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
3. 2005年11月12日 アラブ首長国連邦の旗 アブダビ  アラブ首長国連邦 8–0 国際親善試合
4.
5. 2006年6月4日 スイスの旗 ジュネーヴ  ニュージーランド 4-0 国際親善試合
6. 2006年6月22日 ドイツの旗 ドルトムント  日本 4–1 2006 FIFAワールドカップ

脚注[編集]

  1. ^ Em Recife, antes de virar Rei, Juninho Pernambucano já era líder e craque da molecada - Lancenet.com 2012年7月8日
  2. ^ 日本スポーツ企画出版社『ワールドサッカーダイジェスト』2005年10月6日号
  3. ^ “悪魔の右足”バルサゴールを破る - ゲキサカ 2009年2月25日
  4. ^ ジュニーニョ、リヨンと契約解除 - ゲキサカ 2009年5月29日
  5. ^ a b レアル戦を前に“ジュニーニョ復帰待望論”が巻き起こるリヨン - livedoorスポーツ 2010年2月17日
  6. ^ ジュニーニョ、リヨン通算100ゴール 「やめないでくれ」サポーター乱入 - livedoorスポーツ 2009年5月25日
  7. ^ Juninho Pernambucano e Caio Jr ganham prêmios no Qatar - 2010年5月17日
  8. ^ 元ブラジル代表MFジュニーニョが月給約3万円で古巣に復帰 - livedoorスポーツ 2011年4月29日
  9. ^ Juninho Pernambucano - Performance data - transfermarkt.com
  10. ^ 元ブラジル代表ジュニーニョがNYレッドブルズと契約 - Goal.com 2012年12月18日
  11. ^ Red Bulls Reach Mutual Agreement to Cancel Contract for Midfielder Juninho - New York Red Bulls 2013年7月4日
  12. ^ Juninho chega e já pega no batente - Vasco da Gama 2013年7月12日
  13. ^ FKの名手ジュニーニョが引退を決断 - Goal 2014年2月14日
  14. ^ a b CLのセレソン対決。 - Number Web 2006年3月1日
  15. ^ 川口「機中で悔しさが込み上げた」 - nikkansports.com 2006年7月9日
  16. ^ 川口能活 これからも戦いは続く。 - Number Web 2006年7月19日
  17. ^ Juninho se despede da seleção - GloboEsporte.com 2006年7月1日
  18. ^ 英紙「偉大なFKの王様」40位に俊輔、1位はベッカム - ゲキサカ 2009年4月11日
  19. ^ Who is the free-kick master? - FIFA.com 2007年10月30日
  20. ^ ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル) - サカつく×サポティスタ 2009年5月14日
  21. ^ The 23 Lippi : Andrea Pirlo - Quattro Tratti 2010年5月11日
  22. ^ メッシも「世界一」と絶賛するジュニーニョ、先制FKは「よく落ちた」 - livedoorスポーツ 2009年2月25日

外部リンク[編集]