ジェンナーロ・ガットゥーゾ

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ジェンナーロ・ガットゥーゾ Football pictogram.svg
Gennaro Gattuso 2008.jpg
名前
本名 ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ
愛称 リーノ、リンギオ、ブレイヴハート
ラテン文字 Gennaro Ivan Gattuso
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1978年1月9日(34歳)
出身地 コリリアーノ・カーラブロ
身長 177cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ACミラン
ポジション MF(DH)
背番号 8
利き足 右足
代表歴 2
2000-2010 イタリアの旗 イタリア 71 (1)
2. 2010年3月3日現在。
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ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾGennaro Ivan Gattuso1978年1月9日 - )は、イタリア共和国カラブリア州コリリアーノ・カーラブロ出身のサッカー選手セリエAACミラン所属。元イタリア代表

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち

イタリア半島の南東に位置するコリリアーノ・カーラブロに生まれる。父親は小さな会社を経営しながらカルチョACミランを愛するという人物で[1]、父親の影響を受けたガットゥーゾは幼い頃からボールを蹴り出し、12歳でカラブリア州のユース代表に選出されるまでに成長する[1]。当時から技巧派の選手ではなく、サルバトーレ・バーニが好きだったと語るように[2]、闘争心を剥き出しにしたプレーがすでに彼の真骨頂だったようである。

1991年に当時セリエC1に所属していたボローニャから誘いを受けるが、北部という遠境への挑戦にして、父親はボローニャという弱小を嫌い、これを断った。すぐさまペルージャからオファーが届き、結果的に故郷を離れてペルージャからプロへ駆け上がるという環境に身を置くことになった。

[編集] ACペルージャ時代

下部組織でも順調に成長を続け、プリマヴェーラではスクデットを獲得し[1]、U-18イタリア代表にも選出された[2]。1995-96シーズンに17歳でセリエBながらプロデビューを果たし、翌シーズンにクラブはセリエAに昇格し、ガットゥーゾも1996年12月22日に念願のセリエAデビューを果たした。

その数カ月後の初春に、彼に人生最大の転機が訪れる。意外にもスコットランドの強豪レンジャーズが、当時、欧州サッカー界で議論を巻き起こしていたボスマン判決を利用する形で、ガットゥーゾの移籍金ゼロでの獲得に乗り出し、(ガットゥーゾ曰く)「現在の30倍近くの年俸を払う」と持ちかけた[1]。当然ペルージャ側に手塩にかけて育てた逸材を手放す考えはなかったが、最後はガットゥーゾの意思一つで移籍が決まった。

[編集] グラスゴー・レンジャーズFC時代

移籍証明書の発行が遅れ、グラスゴーに赴いて2カ月間は出場不可であったが、1997-98シーズンからスターティングメンバーに名を列ね、巨躯なスコットランドの選手達に交じり、アイブロックスのピッチを駆け回る小柄なイタリア人は「ライノー(スコットランド人の「リーノ」の発音)」「ブレイヴハート」と呼ばれファンの心を掴んだ。計36試合に出場し7得点を記録する活躍を見せた。
1998-99シーズンの途中に、イタリア復帰を突然表明して、地元を騒がせる。これはレンジャーズ移籍2年目に新監督に就任したディック・アドフォカートがガットゥーゾを右SBにコンバートしようとしていたこと、当時イタリア代表U-21にも選出されていたガットゥーゾは、代表への意向を強くしており、イタリアサッカー連盟の助言によって、イタリア復帰を強く望んでいたこと、などの理由が挙げられる。当時セリエAに所属していたサレルニターナが獲得に乗り出し、1998年10月に移籍した。

レンジャーズでの活動はあっさりしたものであったが、ガットゥーゾ本人は現在でも「あの国のサッカーが俺の性格やプレースタイルに最も合っている」と明言しており[2]、イギリスやイタリアの新聞でガットゥーゾが再びスコットランド、もしくはイングランドのクラブに移籍するのではと書かれるのは、本人が全くその意向を隠さないからである。ちなみに当時19歳の青年であったガットゥーゾは、市内のマリオ・ロマーノが経営するイタリアンレストランによく足を運び、世話になっており、後に同氏の娘モニカと知り合い、結婚。

[編集] セリエA復帰、そしてACミラン時代

セリエAに舞い戻ったが、サレルニターナは最終節でセリエB降格が決まるという屈辱を味わう。しかしながらガットゥーゾ自身は高い評価を得ており、1998-99シーズン終了後にASローマへの移籍を保険にACミランから納得のできる契約を待つという恵まれた環境にいた。

2008年12月、カターニア戦で前十字靭帯を損傷し、長期離脱[3] 。2009年5月13日のアルバニアとの親善試合で復帰した[4]

2010年、FIFAワールドカップ南アフリカ大会を最後に代表引退する事を表明。しかし本大会でイタリア代表は1敗2分と1勝もできずにグループリーグ敗退、自身も第3戦のスロバキア戦でスタメン出場するが前半終了時にクリスティアン・マッジョと交代しベンチに退いた。

2011年9月、ラツィオ戦で途中交代後、長期離脱。10月に行われた会見で視神経のマヒによるものと発表された。

[編集] 逸話

  • 女性ファンが多いイタリア代表の中でダントツの男性ファン数を誇る。それに反比例して女性ファンは少ないが、最近では女性ファンも増えつつある。
  • 特技は英語。レンジャーズ在籍時に覚えたもので、自身の申告によればイタリア人サッカー選手の中ではかなりうまい部類。(しかし、デビッド・ベッカム曰く完全に自己流とのこと。[1])またモニカ夫人もイギリス人(スコットランド出身)で、レンジャーズ時代に通っていたイタリアレストラン経営者の娘である。
  • イタリアのドッキリ番組でターゲットにされた事がある。内容は「レストランの駐車場に止めたガットゥーゾの車を、別の同じ車種・同じ色の車と入れ変え、その車の内装を大きな犬がボロボロにする」というもの。ボロボロにされた車を見て自分の車がやられたと思った彼は激怒し、駐車場の管理人(彼は、ボロボロにした犬の飼い主の役)を、蹴りを入れながら激しく追い回した。
  • 日本のワールドサッカーダイジェスト誌でコラムを受け持ち、長く寄稿を続けていた。
  • 喜ぶと奇怪な行動をとることがある。その場では大目玉を食らうこともあるが、激しい気質ゆえの彼一流のお茶目として、おおむね好意的に受け止められている。
  • 2006 FIFAワールドカップ
    • グループリーグの対チェコ戦でフィリッポ・インザーギがゴールした際に、代表監督のマルチェロ・リッピの元に駆け寄り、襟首を掴んでノド輪を食らわせた。
    • 決勝トーナメント初戦のオーストラリア戦では勝利後オーストラリア監督のフース・ヒディンクの元に駆け寄ってこれ見よがしに両手を突き上げて小馬鹿にし、しっしと追い払われてもかまわず続けていた。
    • 優勝後のセレモニーではなぜかユニフォームの下を脱いで下半身パンツ一丁になってピッチのを食べだし、リッピの髪の毛をつかんで頭を揺さぶり「こんなに手荒い喜び方をするとはね」と苦笑いさせ、セレモニー後興奮のあまりトイレに28回も行き、周囲を唖然とさせた。
    • その後、ファビオ・カンナヴァーロによって坊主頭にされてしまった。
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07の準決勝対マンチェスター・ユナイテッド戦の2ndレグ後には決勝進出を果たした喜びのあまり、チームメイト全員に対してキスをした。さすがにこの行為にはキャプテンのパオロ・マルディーニはじめ全員から大目玉を食らった。
  • 本人の夢はマンチェスター・ユナイテッドでプレーする事。
  • 延長戦となり足をつる選手が多い中、相手ゴール前から自軍ゴール前まで全力疾走で守備に戻る彼の姿に相手だけでなく、味方選手まで驚かせることも多い。
  • 若手時代よく面倒を見てくれたことから、マルコ・マテラッツィとは大の親友である。
  • インタビューでキャプテン翼の話題となり、「(自身が幼かった)当時イタリアの子供のほとんどはファン。GKは若林ファンだった。だけど俺は違ったぜ、俺のお気に入りは石崎だ!」と答えた。荒削りなテクニックを気合とガッツでカバーする石崎の闘志溢れるプレーは、ガットゥーゾと重なる部分がある。
  • カルロ・アンチェロッティACミランでの最終戦の後に別れを惜しんで声を出して泣いた[5]
  • 彼の父親は息子をジャンニ・リベラのような選手に育てたかったようだが、本人は「昔からそんな選手には興味がなかった」と語る[2]
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11の決勝トーナメント1回戦対トッテナム戦の1stレグで、試合中にトッテナムのアシスタントコーチジョー・ジョーダンと口論になり、ジョーダンコーチを突き飛ばした。試合終了後も怒りが収まらず、再びジョーダンコーチとやりあい、軽くではあるが、頭突きをくらわせた。その後、UEFAから4試合出場停止処分が科された。
  • 2011年5月7日、7シーズンぶり18回目のスクデットが決定した直後、元ミラン監督のレオナルドをサポーターと共に「レオナルドはクソ野郎だ」と連呼し、罵倒した。後日、レオナルドは「言いたいことがあるなら言って欲しい」と不快感を露にした。

[編集] 経歴

代表
クラブ

[編集] 所属クラブ

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d 金子義仁 『ワールドサッカーすごいヤツ全集 2005~2006』 フットワーク出版、2004年、p.42-45。ISBN 4-87689-509-0
  2. ^ a b c d 豊福晋「ジェンナーロ・ガットゥーゾ:“リンギオ”の熱き咆哮。」、『Sports Graphic Number 647』第27巻第4号、文藝春秋、2006年、 78-81頁頁、 雑誌 26851-3・2。
  3. ^ uefa.com (2008年12月9日). “ガットゥーゾがひざの負傷で長期離脱へ”. 2009年7月11日閲覧。
  4. ^ Goal.com (2009年5月13日). “ガットゥーゾが親善試合で復帰”. 2009年7月11日閲覧。
  5. ^ 「LEONARDO:82年のセレソンのように」 『WORLD SOCCER DIGEST No.296』 第15巻第15号、日本スポーツ企画出版社、2009年、59頁。雑誌 29891-8/6。

[編集] 外部リンク

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