フィリップ・コクー
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 本名 | フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクー | ||||||
| ラテン文字 | Phillip Cocu | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1970年10月29日(41歳) | ||||||
| 出身地 | アイントホーフェン | ||||||
| 身長 | 184cm | ||||||
| 体重 | 77kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | DF / MF / FW | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 | |||||||
|
|||||||
| 監督歴 | |||||||
| 2008- 2009- |
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクー(Phillip John William Cocu、1970年10月29日 - )は、オランダ・北ブラバント州・アイントホーフェン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。オランダ代表であった。
本来のポジションは攻撃的ミッドフィールダーまたは守備的ミッドフィールダーであるが、タックル能力、状況判断力、チームプレーに優れているため、チーム事情によってはセンターバックやフォワードなどとしてもプレーした。本人は「一番好きなのは左サイドハーフであり、得点することだ」と語っている[1]。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 選手
[編集] クラブ
- 初期の経歴
1970年10月29日、フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクーは北ブラバント州・アイントホーフェンに生まれた。生年月日はエドウィン・ファン・デル・サールとまったく同じである。2歳の時にヘルダーラント州・アーネムへ引っ越し、子供のころはアヤックス・アムステルダムを応援していたという。AFC'34とDCSザフェナールというアマチュアクラブでプレーし、1988年、17歳の時にAZアルクマールに入団してプロデビューした。1990年にはSBVフィテッセに移籍したが、デビュー戦となったスパルタ・ロッテルダム戦で右足を骨折して出鼻をくじかれた。1992年には怪我が完治し、エールディヴィジでの5位躍進とUEFAカップ出場権獲得の助けとなった。フィテッセ時代にはAFCアヤックスが2度も彼の獲得を試みたが、1995年、ディック・アドフォカート監督が率いる故郷の名門クラブPSVアイントホーフェンに移籍した。
- PSVアイントホーフェン
1995-96シーズンにはKNVBカップで優勝し、1996年夏にはヨハン・クライフ・シャールを獲得した。この頃のPSVアイントホーフェンはDFヤープ・スタム、DFアーサー・ニューマン、FWボウデヴィン・ゼンデン、MFヴィム・ヨンクなどが主力として活躍し、FWロナウドやFWルク・ニリスとも一緒にプレーしている。1996-97シーズンにはエールディヴィジ優勝を果たした。
- FCバルセロナ
1998 FIFAワールドカップ後、オランダ人のルイス・ファン・ハール監督が率いるリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した。1998-99シーズンにはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たすと、1999年夏にはDFフランク・デ・ブール、MFロナルド・デ・ブール、ゼンデンなどのオランダ人選手が加入した。ファン・ハール監督は同郷の選手を多数呼び寄せ、1998年から2000年頃にはコクーの他にデ・ブール兄弟、FWパトリック・クライファート、ゼンデン、GKルート・ヘスプ、DFミハエル・ライツィハー、DFウィンストン・ボハルデ、FWマルク・オーフェルマルスなどオランダ人が数多く在籍していたため、オランイェ・バルセロナ(Oranje Barcelona)やアヤックス・バルセロナ(Ajax Barcelona)などと呼ばれた。2003年夏に在籍していたオランダ人選手はコクーの他にクライファート、ライツィハー、オーフェルマルス、DFジョバンニ・ファン・ブロンクホルストであり、再びオランダ人のフランク・ライカールト監督が就任した。FCバルセロナでは外国人最多出場記録を塗り替える公式戦通算292試合に出場した[2]。
- PSVアイントホーフェン復帰
FCバルセロナからは新契約を提示されていたが、UEFA欧州選手権2004の開幕前に古巣PSVアイントホーフェン移籍を決めた。2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではMFマルク・ファン・ボメル、韓国代表のMF朴智星、スイス代表のMFヨハン・フォーゲルなどと3人の中盤を構成し、準決勝進出の快挙を遂げた。準決勝のACミラン戦セカンドレグではロスタイムにボレーシュートを決めたが、最終的には2試合合計3-3(PK 2-3)で敗れている。2004-05シーズンから2シーズン連続でリーグ優勝を果たし、2006年夏には現役引退の可能性もあったが、クラブ側の慰留もあって現役続行を決めた。2007年4月29日のSBVフィテッセ戦がPSVアイントホーフェンでの最終戦となったが、この試合でコクーはリーグ3連覇を決定づける5点目を決めている。PSVアイントホーフェンでの晩年はそのプレースタイルの劇的な変化から「メタモルフォーゼ(変態)」と表現されるほどの輝きを放った[1]。
- アル・ジャジーラ
PSVアイントホーフェンとの契約を延長せず、2007年8月15日、アラブ首長国連邦のアル・ジャジーラと1年契約を結んだ。契約が満了した2008年夏に現役引退した。
[編集] 代表
PSVアイントホーフェンでの活躍が評価されてオランダ代表に初招集され、1996年4月24日のドイツとの親善試合でデビューした。同年夏にはUEFA欧州選手権1996のメンバーにも選ばれている。1998年までにレギュラーの座を獲得し、フース・ヒディンク監督によってフランスで開催された1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、大会中は試合ごとに異なるポジションで起用されている。準決勝のブラジル戦では左サイドバックのレギュラーであったDFアーサー・ニューマンが出場停止中であり、控えのDFウィンストン・ボハルデは試合前の練習で膝を負傷したため、コクーが左サイドバックとして出場したが、PK戦の3番手としてPKを失敗して大会からの敗退が決まった。コクー自身はグループリーグで2得点という結果を残した。2000年には母国開催のUEFA欧州選手権2000に出場し、2004年にはポルトガルで開催されたUEFA欧州選手権2004にキャプテンとして臨んだ。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では中盤の軸として活躍し、予選12試合を戦って10勝を挙げて本大会出場を決めた。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では4試合すべてに出場し、大会終了後に代表を退いた。2009年7月25日にはフィリップス・スタディオンで引退記念試合が行われた[3]。
[編集] 指導者
2008年4月、ベルト・ファン・マルワイク監督が率いるオランダ代表のアシスタントコーチに就任した[4]。
2008年夏にはPSVアイントホーフェンのユースチーム監督に就任したが、トップチームのフーブ・ステフェンス監督が退任してフレット・ルッテン監督が就任すると、トップチームのアシスタントコーチに就任した。
[編集] 所属クラブ
- 1988-1990
AZアルクマール - 1990-1995
SBVフィテッセ - 1995-1998
PSVアイントホーフェン - 1998-2004
FCバルセロナ - 2004-2007
PSVアイントホーフェン - 2007-2008
アル・ジャジーラ
[編集] タイトル
[編集] クラブ
PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ: 4回 (1996-97, 2004-05, 2005-06, 2006-07)
- ヨハン・クライフ・シャール: 2回 (1996, 1997)
- KNVBカップ: 2回 (1995–96, 2004–05)
FCバルセロナ
- プリメーラ・ディビシオン: 1回 (1998-1999)
アル・ジャジーラ
- ガルフ・クラブ・チャンピオンシップ: 1回 (2007)
[編集] 個人成績
[編集] クラブでの出場記録
| シーズン | クラブ | 国 | リーグ | 試合 | 得点 | 背番号 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988/1989 | AZ | エールディヴィジ | 15 | 4 | ||
| 1989/1990 | AZ | エールディヴィジ | 35 | 4 | ||
| 1990/1991 | SBVフィテッセ | エールディヴィジ | 8 | 0 | ||
| 1991/1992 | SBVフィテッセ | エールディヴィジ | 33 | 3 | ||
| 1992/1993 | SBVフィテッセ | エールディヴィジ | 34 | 6 | ||
| 1993/1994 | SBVフィテッセ | エールディヴィジ | 33 | 11 | ||
| 1994/1995 | SBVフィテッセ | エールディヴィジ | 29 | 5 | ||
| 1995/1996 | PSV | エールディヴィジ | 29 | 12 | ||
| 1996/1997 | PSV | エールディヴィジ | 34 | 8 | ||
| 1997/1998 | PSV | エールディヴィジ | 32 | 11 | ||
| 1998/1999 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 12 | 15 | |
| 1999/2000 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 35 | 6 | 8 | |
| 2000/2001 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 35 | 3 | 8 | |
| 2001/2002 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 2 | 8 | |
| 2002/2003 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 29 | 3 | 8 | |
| 2003/2004 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 5 | 8 | |
| 2004/2005 | PSV | エールディヴィジ | 29 | 6 | 8 | |
| 2005/2006 | PSV | エールディヴィジ | 33 | 10 | 8 | |
| 2006/2007 | PSV | エールディヴィジ | 32 | 7 | 8 | |
| 2007/2008 | アル・ジャジーラ | UAEリーグ | 17 | 4 | 8 | |
| 合計 | 563 | 114 |
[編集] 代表での年別出場試合数
| オランダ代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1996 | 9 | 2 |
| 1997 | 6 | 0 |
| 1998 | 15 | 2 |
| 1999 | 7 | 0 |
| 2000 | 13 | 0 |
| 2001 | 8 | 1 |
| 2002 | 7 | 1 |
| 2003 | 9 | 1 |
| 2004 | 13 | 1 |
| 2005 | 7 | 2 |
| 2006 | 7 | 0 |
| 通算 | 101 | 10 |
[編集] 脚注
- ^ a b 木崎伸也「まだ未来の話はしたくない」、『Sports Graphic Number 647』第27巻第4号、文藝春秋、2006年、 64-67頁頁、 雑誌 26851-3・2。
- ^ Cocu holds the record of appearances for Barça as a foreign player FCバルセロナ公式サイト
- ^ 元オランダ代表コクーが引退試合 AFP BB News、2009年7月26日
- ^ Cocu set to retire for a new Dutch role
- ^ Cocu, PhillipNational Football Teams.com
- ^ Phillip Cocu - Century of International AppearancesRSSSF
[編集] 外部リンク
- フィリップ・コクー - FIFA主催大会成績
- Cocu photos by Tvw
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||