フィリップ・コクー
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクー | |||||
| ラテン文字 | Phillip Cocu | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1970年10月29日(42歳) | |||||
| 出身地 | アイントホーフェン | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 体重 | 77kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF / MF / FW | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1988-1990 1990-1995 1995-1998 1998-2004 2004-2007 2007-2008 |
50 (7) 137 (25) 95 (31) 205 (31) 94 (23) 13 (4) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1996–2006 | 101 (10) | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2008 2009-2013 2013- |
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フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクー(Phillip John William Cocu, 1970年10月29日 - )は、オランダ・北ブラバント州・アイントホーフェン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。オランダ代表であった。
本来のポジションは攻撃的ミッドフィールダーまたは守備的ミッドフィールダーであるが、タックル能力、状況判断力、チームプレーに優れているため、チーム事情によってはセンターバックやフォワードなどとしてもプレーした。本人は「一番好きなのは左サイドハーフであり、得点することだ」と語っている[1]。
目次 |
経歴 [編集]
選手 [編集]
クラブ [編集]
- 初期の経歴
1970年10月29日、フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクーは北ブラバント州・アイントホーフェンに生まれた。生年月日はエドウィン・ファン・デル・サールとまったく同じである。2歳の時にヘルダーラント州・アーネムへ引っ越し、子供のころはアヤックス・アムステルダムを応援していたという。AFC'34とDCSザフェナールというアマチュアクラブでプレーし、1988年、17歳の時にAZアルクマールに入団してプロデビューした。1990年にはSBVフィテッセに移籍したが、デビュー戦となったスパルタ・ロッテルダム戦で右足を骨折して出鼻をくじかれた。1992年には怪我が完治し、エールディヴィジでの5位躍進とUEFAカップ出場権獲得の助けとなった。フィテッセ時代にはAFCアヤックスが2度も彼の獲得を試みたが、1995年、ディック・アドフォカート監督が率いる故郷の名門クラブPSVアイントホーフェンに移籍した。
- PSVアイントホーフェン
1995-96シーズンにはKNVBカップで優勝し、1996年夏にはヨハン・クライフ・シャールを獲得した。この頃のPSVアイントホーフェンはDFヤープ・スタム、DFアーサー・ニューマン、FWボウデヴィン・ゼンデン、MFヴィム・ヨンクなどが主力として活躍し、FWロナウドやFWルク・ニリスとも一緒にプレーしている。1996-97シーズンにはエールディヴィジ優勝を果たした。
- FCバルセロナ
1998 FIFAワールドカップ後、オランダ人のルイス・ファン・ハール監督が率いるリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍した。1998-99シーズンにはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たすと、1999年夏にはDFフランク・デ・ブール、MFロナルド・デ・ブール、ゼンデンなどのオランダ人選手が加入した。ファン・ハール監督は同郷の選手を多数呼び寄せ、1998年から2000年頃にはコクーの他にデ・ブール兄弟、FWパトリック・クライファート、ゼンデン、GKルート・ヘスプ、DFミハエル・ライツィハー、DFウィンストン・ボハルデ、FWマルク・オーフェルマルスなどオランダ人が数多く在籍していたため、オランイェ・バルセロナ(Oranje Barcelona)やアヤックス・バルセロナ(Ajax Barcelona)などと呼ばれた。2003年夏に在籍していたオランダ人選手はコクーの他にクライファート、ライツィハー、オーフェルマルス、DFジョバンニ・ファン・ブロンクホルストであり、再びオランダ人のフランク・ライカールト監督が就任した。FCバルセロナでは外国人最多出場記録を塗り替える公式戦通算292試合に出場した[2]。
- PSVアイントホーフェン復帰
FCバルセロナからは新契約を提示されていたが、UEFA欧州選手権2004の開幕前に古巣PSVアイントホーフェン移籍を決めた。2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではMFマルク・ファン・ボメル、韓国代表のMF朴智星、スイス代表のMFヨハン・フォーゲルなどと3人の中盤を構成し、準決勝進出の快挙を遂げた。準決勝のACミラン戦セカンドレグではロスタイムにボレーシュートを決めたが、最終的には2試合合計3-3(PK 2-3)で敗れている。2004-05シーズンから2シーズン連続でリーグ優勝を果たし、2006年夏には現役引退の可能性もあったが、クラブ側の慰留もあって現役続行を決めた。2007年4月29日のSBVフィテッセ戦がPSVアイントホーフェンでの最終戦となったが、この試合でコクーはリーグ3連覇を決定づける5点目を決めている。PSVアイントホーフェンでの晩年はそのプレースタイルの劇的な変化から「メタモルフォーゼ(変態)」と表現されるほどの輝きを放った[1]。
- アル・ジャジーラ
PSVアイントホーフェンとの契約を延長せず、2007年8月15日、アラブ首長国連邦のアル・ジャジーラと1年契約を結んだ。契約が満了した2008年夏に現役引退した。
代表 [編集]
PSVアイントホーフェンでの活躍が評価されてオランダ代表に初招集され、1996年4月24日のドイツとの親善試合でデビューした。同年夏にはUEFA欧州選手権1996のメンバーにも選ばれている。1998年までにレギュラーの座を獲得し、フース・ヒディンク監督によってフランスで開催された1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、大会中は試合ごとに異なるポジションで起用されている。準決勝のブラジル戦では左サイドバックのレギュラーであったDFアーサー・ニューマンが出場停止中であり、控えのDFウィンストン・ボハルデは試合前の練習で膝を負傷したため、コクーが左サイドバックとして出場したが、PK戦の3番手としてPKを失敗して大会からの敗退が決まった。コクー自身はグループリーグで2得点という結果を残した。2000年には母国開催のUEFA欧州選手権2000に出場し、2004年にはポルトガルで開催されたUEFA欧州選手権2004にキャプテンとして臨んだ。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では中盤の軸として活躍し、予選12試合を戦って10勝を挙げて本大会出場を決めた。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では4試合すべてに出場し、大会終了後に代表を退いた。2009年7月25日にはフィリップス・スタディオンで引退記念試合が行われた[3]。
指導者 [編集]
2008年4月、ベルト・ファン・マルワイク監督が率いるオランダ代表のアシスタントコーチに就任した[4]。
2008年夏にはPSVアイントホーフェンのユースチーム監督に就任したが、トップチームのフーブ・ステフェンス監督が退任してフレット・ルッテン監督が就任すると、トップチームのアシスタントコーチに就任した。
2012年3月12日にルッテン監督の解任に伴い、暫定的に監督へ昇格し最終節まで務めた。
2013年5月13日に正式にPSVの監督に就任することが発表された[5]。
所属クラブ [編集]
- 1988-1990
AZアルクマール - 1990-1995
SBVフィテッセ - 1995-1998
PSVアイントホーフェン - 1998-2004
FCバルセロナ - 2004-2007
PSVアイントホーフェン - 2007-2008
アル・ジャジーラ
タイトル [編集]
クラブ [編集]
PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ: 4回 (1996-97, 2004-05, 2005-06, 2006-07)
- ヨハン・クライフ・シャール: 2回 (1996, 1997)
- KNVBカップ: 2回 (1995-96, 2004-05)
FCバルセロナ
- プリメーラ・ディビシオン: 1回 (1998-1999)
アル・ジャジーラ
- ガルフ・クラブ・チャンピオンシップ: 1回 (2007)
個人成績 [編集]
クラブでの出場記録 [編集]
| シーズン | クラブ | 国 | リーグ | 試合 | 得点 | 背番号 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988/1989 | AZ | エールディヴィジ | 15 | 4 | ||
| 1989/1990 | 35 | 4 | ||||
| 1990/1991 | SBVフィテッセ | 8 | 0 | |||
| 1991/1992 | 33 | 3 | ||||
| 1992/1993 | 34 | 6 | ||||
| 1993/1994 | 33 | 11 | ||||
| 1994/1995 | 29 | 5 | ||||
| 1995/1996 | PSV | 29 | 12 | |||
| 1996/1997 | 34 | 8 | ||||
| 1997/1998 | 32 | 11 | ||||
| 1998/1999 | FCバルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 12 | 15 | |
| 1999/2000 | 35 | 6 | 8 | |||
| 2000/2001 | 35 | 3 | ||||
| 2001/2002 | 34 | 2 | ||||
| 2002/2003 | 29 | 3 | ||||
| 2003/2004 | 36 | 5 | ||||
| 2004/2005 | PSV | エールディヴィジ | 29 | 6 | ||
| 2005/2006 | 33 | 10 | ||||
| 2006/2007 | 32 | 7 | ||||
| 2007/2008 | アル・ジャジーラ | UAEリーグ | 17 | 4 | ||
| 合計 | 563 | 114 |
代表での年別出場試合数 [編集]
| オランダ代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1996 | 9 | 2 |
| 1997 | 6 | 0 |
| 1998 | 15 | 2 |
| 1999 | 7 | 0 |
| 2000 | 13 | 0 |
| 2001 | 8 | 1 |
| 2002 | 7 | 1 |
| 2003 | 9 | 1 |
| 2004 | 13 | 1 |
| 2005 | 7 | 2 |
| 2006 | 7 | 0 |
| 通算 | 101 | 10 |
脚注 [編集]
- ^ a b 木崎伸也「まだ未来の話はしたくない」、『Sports Graphic Number 647』第27巻第4号、文藝春秋、2006年、 64-67頁、 雑誌 26851-3・2。
- ^ Cocu holds the record of appearances for Barça as a foreign player FCバルセロナ公式サイト
- ^ 元オランダ代表コクーが引退試合 AFP BB News、2009年7月26日
- ^ Cocu set to retire for a new Dutch role
- ^ PSV、コクー新監督との契約を公式発表 Qoly.jp、2013年5月14日
- ^ Cocu, PhillipNational Football Teams.com
- ^ Phillip Cocu - Century of International AppearancesRSSSF
外部リンク [編集]
- フィリップ・コクー - FIFA主催大会成績
- Cocu photos by Tvw
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