カール=ハインツ・シュネリンガー
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カール=ハインツ・シュネリンガー |
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| 名前 |
| ラテン文字 |
Karl-Heinz Schnellinger |
| 基本情報 |
| 国籍 |
ドイツ |
| 生年月日 |
1939年3月31日(72歳) |
| 出身地 |
デューレン |
| 身長 |
180cm |
| 体重 |
78kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF |
| クラブチーム1 |
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| 代表歴 |
| 1958-1970 |
西ドイツ |
47 (1) |
|
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
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カール=ハインツ・シュネリンガー(Karl-Heinz Schnellinger, 1939年3月31日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
[編集] 経歴
1960年代のドイツを代表するディフェンダー。屈強な身体と豊富な運動量を駆使したダイナミックなプレーを特徴とし[1]、主に左サイドバックを担当した。またサイドバックだけでなくストッパーやリベロとしてもプレーが出来るユーティリティー性のある選手であった。西ドイツ代表ではフランツ・ベッケンバウアー登場以前の守備陣を支え、現在においてもドイツサッカーを代表とする選手の一人と考えられている[2]。
シュネリンガーは選手キャリアの大半をイタリアで過ごした。1963年にACマントヴァに入団するとACミラン戦でデビューを果たし、4-1の勝利に貢献した。ASローマを経て1965年にACミランへ移籍。ミランでは9年間在籍し、イタリア国内や国際舞台で数多くの成功を収めた。
西ドイツ代表としては1958年4月のチェコスロバキア戦で代表デビューを飾り、4度のFIFAワールドカップに出場するなど国際Aマッチ47試合出場1得点を記録した。選手キャリアのハイライトシーンとしては1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会準決勝のイタリア戦、試合終了直前にユルゲン・グラボウスキのアシストから得点を決め、1-1の同点に追いついた場面が挙げられる。試合は延長戦に突入すると点の取り合いとなり、3-4で西ドイツが敗れたが、サッカーファンの間では「世紀の試合」(Match of the Century, Jahrhundertspiel)として語り継がられている。西ドイツ代表での通算成績は国際Aマッチ47試合出場1得点。
その後、1974年を最後にACミランを退団して故国のドイツへ戻り、テニス・ボルシア・ベルリンへ移籍。翌1975年に現役を引退した。
引退後の現在は、選手時代を過ごしたミラノに在住し、ビジネスマンとして働いている。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク