ハラルト・シューマッハー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ハラルト・シューマッハー Football pictogram.svg
Übergabe DFB-Pokal an Botschafter Toni Schumacher und Janus Fröhlich-6556.jpg
2013年のシューマッハー
名前
本名 ハラルト・アントン・シューマッハー
Harald Anton Schumacher
愛称 トニー
ラテン文字 Harald Schumacher
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1954年3月6日(60歳)
出身地 ノルトライン=ヴェストファーレン州デューレン郡デューレン
身長 186cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
代表歴
1979-1986 西ドイツの旗 西ドイツ 76 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハラルト・アントン・シューマッハーHarald Anton Schumacher, 1954年3月6日 - )は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州デューレン郡デューレン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。愛称はトニー (Toni)。

Haraldを「ハラルド」とする表記があるが、標準ドイツ語では語尾の”D”は”T”の発音となるのでハラルトが本来の発音に近い。

経歴[編集]

クラブでは1.FCケルンの一員として1977-78シーズンにブンデスリーガ制覇、西ドイツ代表では1979年に初選出されると正GKの座を掴み、1982年、1986年と2度のワールドカップで準優勝に貢献、1986年に代表から退くまで76試合に出場した。

反面、問題を引き起こすことがあり、1982年に行われた1982 FIFAワールドカップ準決勝のフランス戦でのパトリック・バチストンに対するラフプレーで知られる。後半11分にミシェル・プラティニのループパスに上手く抜け出したバチストンと1対1の状況になり、飛び出したシューマッハーは激突した際に肘鉄を浴びせた。このラフプレーでバチストンは頭部を強打し、入院生活を余儀なくされた。一方で主審はシューマッハーに対して警告を与えず、ゴールキックから試合を再開させたため物議を醸した[1]

また1987年に当時の西ドイツサッカー事情をとりあげた内部告発本 『開始の笛』(原題:AnpfiffISBN 978-3426262986)を出版。その中でドイツサッカー界の不正疑惑を暴露したことで、ドイツサッカー協会(DFB)から国内からの永久追放の処分を受けた。

その後、協会とも和解し国内のクラブでGKコーチを務めている。ボルシア・ドルトムントのGKコーチを務めていた1995/1996シーズンのブンデスリーガ最終節、SCフライブルク戦で後半43分から途中出場した[2]

人物[編集]

1970年代のゼップ・マイヤーと並び称される1980年代のドイツとヨーロッパを代表するGK[1]。1対1の場面での絶対的な強さ、ワンハンドスローでハーフウェーラインを越す事が出来る程の肩の強さ、PKに対する勝負強さが特徴である。攻撃時にはハーフウェーラインまで上がって攻撃に参加することもあった。

所属クラブ[編集]

代表歴[編集]

  • 1979-1986 ドイツ代表
    • 代表デビュー:1979/5/26
    • 代表歴:通算76試合出場,0得点

指導歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 週刊サッカーマガジン 『サッカーマルチ大事典 改訂版』 ベースボール・マガジン社編、2006年、231頁。ISBN 978-4583038803
  2. ^ Unvergessene Lizenzspieler des 1.FC Koln: Harald "Toni" Schumacher” (ドイツ語). 1.FC Koln - FC Forum & Chat. 2013年9月21日閲覧。

外部リンク[編集]